第9章:策謀と混乱の狂騒曲

第117話:執事のお仕事ー7

「とりあえず、当家としてやるべきことは全て終了――ですね」


 これまでに行った課題と対応についてまとめた資料を点検し終わった執事は、満足そうに呟いた。


「失礼ですが、一つ残っているのでは?」

「ええ、分かっていますよ。過信しているわけではないですが、それが終わったあとを想定していたのです。終わってから報告をまとめていたのでは、遅いですからね」


 既に指示を出した件について指摘したセクサに、緻密さを評価する気持ちと、融通を持った思考をしてほしいと考える気持ちとを持って答えた。


 まさか今日の件に役割がなかったのを拗ねている、などということはないだろうと、幼稚な可能性を否定しつつ。


「左様でございましたか。無用の口出しをご容赦くださいませ」

「いいのですよ。私とて完璧ではありませんから、有難いことです」


 かっと笑って「歳を取ったせいもありますしね」と執事にしては珍しく、若い者に甘く見られるのも仕方がないと冗談めかして言った。


「そんな! ヌラさ――シャナルさまは、私たちをまだまだ導いてくださる方です。そのような弱気では困ります」


 これもまた珍しく、何か一瞬の激情のようなものが見えた。咄嗟に執事をヌラと呼ぼうとして、言い直したことですぐに元の落ち着いたセクサに戻ったが。


「まだまだ現役を退く気はありませんよ。誰かに強制的に退場させられでもしない限りはね。それもまた容易でないことは、あなたも信じてくれるでしょう?」

「もちろんでございます」


 セクサは腰を折って、頭を下げた。

 とりあえず現時点で主人に見せられるだけの資料を預けると「では直ちに」と言い残して静かに歩き去った。この屋敷の中で、無駄に急ぐことはしない。


 彼女にも感情の起伏があるのですね。


 今までにそれがなかったということもないが、先ほどのは違っていた。喜怒哀楽をすり潰すように生きている印象があったのだが、セクサにも熱の入る起点が一つや二つはあるようだ。


「知らないことがあるということは、まだまだ私も若いということですね」


 思ったことをそのまま口にしてみたが、これは執事自身にも本気で考えるべきか冗句としておくべきか、よく分からなかった。


 ふと窓の外を眺めると、眩しい日差しが目を刺した。日差しは強く、温かいが、炎天下などとなるにはほど遠い。


 仕事をするにも、遊ぶにも、絶交の天候と言えそうだ。


「おっと――忘れるところでした」


 小間使いの少女が水やりをしている姿を見て、表の仕事――ヌラではなくシャナルとしての手紙を出さなくてはならなかったことを思い出した。


 小間使いたちが他の使用人の手伝いを終えて、手の空く時間を待っていたのだった。


「ディチェム――は出かけているのでした」


 やれやれ、これは本当にぼんやりしていますね。しゃんとしなくては。


 そのように決まっているわけでもないのだが、ディチェムは執事専属の小間使いのような体になっている。


 だから名を呼ぼうとしてしまったのは、口についた癖のようなものだった。しかし執事は、両の手で頬を打ちつけた。


「さあ、仕上げといきましょうか」


 懐から新しい手袋を取り出すと、執事はそれを取り替えることで、気持ちをも切り替えることにした。

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