第116話:古樽亭の会合

「どなたです?」

「腐れ縁だよ。騎士になってから、ずっとあれこれある。そんな奴でもないと、頼めないからな」


 一郭の外れにある、寂れた路地。昔はたくさんの酒場があった風情が残っているけれど、それはあくまで残滓に過ぎない。

 代が替わって場所を変えたか、店じまいをしたか、古びた看板だけを残して扉を閉ざした店ばかりだった。


 カテワルトに比べれば少し若いリベインといえども、そんな枯れた風景はある。


「その店だ」


 ウィルムさんの指した先に、窓から明かりの漏れるところがあった。営業はしているらしいけれど、他と比べて小綺麗にしているという風でもない。


「ちょっと待ってろ」


 出かける時にどちらかというとみすぼらしい服に着替えたウィルムさんが、一人で店内に入った。


 何でも「場所が場所だからな」と、あまり上品にして出入りする場所ではないようなことを言っていた。


 トンちゃんは諸々の手配のためにカテワルトへ戻っていて、コーラさんの服はそもそも幻術なので、すぐにて合流した。ボクの格好はそのままでいいと言われたのは、そういう意味と理解していいんだろうか。


「誰なんでしょうね……」

「軍人さんなのは間違いないにゃ」


 ウィルムさん自身も情報源にしているという知人に会わせると、そう言われてここまで来ていた。


 戦線から離れているウィルムさんに生の情報を与えるのも、恐らく相当の不良行為だろう。だからこそのこの場所と考えると、これから会うという人物に悪辣非道な姿を想像してしまう。


 ――すぐに出て来ると思ったのに、ウィルムさんはなかなか出てこなかった。半時間は経っているだろう。


「もめているんですかね」


 先方からしてみれば、会わせると決めたのはウィルムさんの勝手な判断だ。規律を破るにしても程度があると、ケンカになっているのかもしれない。


 それならばさっきの酷い想像に、若干の手心を加えられる。


「解決したみたいにゃ」


 ノブが捻られて、扉が内に開かれた。ノブを握っているウィルムさんは、黙って奥のほうの席を親指で示した。


 席に向かって歩きつつ、コーラさんが銀貨を指で弾いて飛ばした。それはカウンターの中に居る、店主らしき男性の手にふわりと落ちる。


 格好いい――。

 真似をしたいがボクがやると、明後日の方向へ飛んでいきそうだ。


「ボクも払ってきますね」

「大丈夫。瓶でくるから」


 以前にそうしていたのと同じように、コーラさんは男言葉で言った。

 するとさっきのは大銀貨か。気前がいい。


「あの、お邪魔します」


 カウンター周りにある明かりから、隠れるように置かれたテーブル。その中でも柱の陰になる席に座って待っている人物に声をかけた。


「……ふう」


 緊張していたのだろうか。その人はまず。大きく溜めた息を吐き出した。しかしその声には聞き覚えがある。


「よもやとは思っていたが、やはり君か」

「メルエ――!」


 その人、メルエム男爵は素早くボクの口を手で塞いだ。細く長い指を押し付けられて、少し痛い。


 口の前に指を立てて「しぃ」と発する意図を汲んで、まずは頷いて手を外してもらった。


 それから黙って席に座ると「私のことは、アムと呼んでもらおうかな」と言われた。もう喋って良いのは分かっていたけれど、やはり黙って頷いた。


 ウィルムさんが男爵の隣に座って、お酒も来て、ようやく男爵は話し始めた。


「知っての通り、私もこの男と同様に、今ここに居てはおかしい人間だ。そして君たちは、どうやら軍でも調べられない、夫人の行方を調べられるらしい」


 いつもの柔和な表情はなく、きっと戦場に居る時のそれだろうという厳しい顔がそこにあった。


 これは、下手な返答は出来ない。

 ごまかしてはいけない。もちろん嘘もいけない。かといって全てを正直に話すなんて、この場に居る資格もない。


 だからボクの返事は、一言だった。


「はい」

「――よろしい。ならばお互いに、それは掘り下げまい。ここからは盟友だ」


 一瞬の沈黙のあと、男爵は表情を緩めて言った。

 良かった。どうやら判断は間違っていなかったらしい。


「アムとは叙勲が同じ年でな。それからずっと助け合ってる」


 男爵の肩を揺すりながら言ったウィルムさんのセリフに、男爵は「はあ?」と機嫌を損ねた。


「貴様――危うく将軍に切り捨てられるところを助けたのは誰だったか? 酒に酔って奥方とは別の女性に抱きついたのを、一緒に謝ってやったのは? 支給品一式を壊してしまった時に、余剰品で穴埋めしてやったのは?」

「ああ……」


 声を潜めつつも、口早に過去が披露される。どうやら重大な虚言があったらしい。ボクのほうが何だか肩身が狭いような気になってしまう。

 しかしウィルムさんは、へこたれない。


「いいじゃないか、昔のことだ」

「ふん。私が貴様に助けられたなんて、ただの一度きりだ」


 おお、全くのゼロではないのか。ウィルムさんが助けられていたというのは納得だけれど、男爵のほうはどういう事態か想像がつかない。


 多少の好奇心を持って見ていると、男爵は視線を切るように酒をあおって、ついでに咳も払って仕切り直した。


「そんなことより、具体的な行動だ。何をどうするのか、何の情報が要るのか、話し合おうじゃないか」


 いつの間にか扉に鍵のかけられた店内で、ボクたちは深く話し込んだ。

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