第108話:閉ざされた場所

 コニーさんの言う場所へ向かう前に、アムニスで食料なんかを買い込んだ。町や村から離れているかもしれないから、その用心だ。


 その途中、聞き耳を立てるまでもなく噂が耳に飛び込んでくる。


「――ラシャが協定を破棄したらしい」


 ラシャとは、ハウジア王国の東にあるラシャ帝国。協定とは、休戦協定。

 つまり、ラシャ帝国がハウジア王国に戦争を仕掛けてきたという知らせ。それはにわかに王国を駆け巡り、この一日くらいの間にアムニスにも届いていた。


 でも国境を守っているのは、あのワシツ将軍だ。そうそう道を空けたりしないだろう。


「――かなり苦戦しているそうだ」


 ボクにとって、この王国の存亡はそれほど大した問題ではない。聞くところによるとラシャ帝国の政治は民衆に優しくないそうなので、それよりは今のほうがいいなと思うくらいだ。


 もしもとなれば団長や他のみんなもどこか住み良い場所に移るだろうから、ボクも一緒に行くだけのことだ。


 ああ、でも。団長はカテワルトが気に入っているから、実際にそうなったらどうするのかな。


「ワシツ将軍が戦死なんてことには、なってほしくないですね」

「そうだねえ、あのお爺ちゃんも格好いいよねえ」


 さすがコニーさんは、ワシツ将軍の姿も見たことがあるらしい。

 噂がいくら気になっても、それはあくまで正確な情報を与えられていない民衆同士が話しているだけだ。もっと詳しくと言ったところで、誰も知らない。


「自分のやることをやれってことだねえ」


 詳細を聞くのを諦めたコニーさんの、何気ない一言が胸に刺さる。


「そうですね。ボクはボクのやりたいことをやるとします」

「ああ、アビたんに言ったんじゃないよお」


 珍しくコニーさんが弁明したので、ボクはくすっと笑うことが出来た。





 エコリアは使えないということだったので、徒歩で東へ向かった。エストトゥードをカテワルト方面に一日走って、途中で田舎道を北に向かった。


 広大なオルジ畑の真ん中を走る道は、この先にまだ行く当てがあるとは到底思えなかった。見るからに畦道だし、一見して先のほうは丘にぶつかって止められていた。


 丘の裾を周るように続く道は、常緑樹で目隠しされているかのようだった。その道も丸く沿っていくのかと思えば、丘そのものが切り立っていて何度も道が折れ曲がる。


「これは徒歩でもエコリアでも、面倒臭い場所だねえ」


 面倒臭い。確かにそうなのだろう。ボクにもその思いは、ないでもない。


 でも今は、この先に何があるのか。何もないのか。そこに蓋をするこの場所にさえその糸口があるかもしれないと思って、全てが目を向ける対象になった。


 楽しい散歩とは程遠かったが、退屈な辛い道中ということも全くなかった。

 途中に立札があった。フルーメン侯爵の名で、私有地だから用のない者は入るなと書いてあった。


 ボクには、用がある。


 折れ曲がる度に、それまでよりも太い道がよそへ向かって伸びていて、本道はこちらではないと誘っているかのようだ。

 いくつもの衝立が遮って、向こう側を覗くに覗けない。そんな印象の道をようやく抜けると、一つの屋敷が目に入った。


 隅から隅まで――とまではいっていないが、それなりに手入れのされた儚げな草花の茂る庭園を抜けた先。


 邸宅と呼ぶには、少し小さいかもしれない。飾り気のない漆喰塗りの家は、あちこちが剥げて石壁が見え隠れしている。


「これが――フラウの家」


 メルエム男爵のメモにあった、まだ調べていない場所。それがここだった。


 細い鉄の棒で作ったアーチに、棘のある蔓植物が巻き付いていた。奥のほうには、格子状になった屋根に爛と花が盛っていた。その下に置かれた手入れのいい椅子とテーブルが、ボクには今にも崩れ落ちそうに見えた。


「いかにもお嬢様の家って感じだねえ」


 花や鳥の彫刻された優雅な玄関の扉を前にして、コニーさんが言った。それが漠然と感じていた、ボクの気持ちを表す言葉だった。


「奥さまにご用の方ですか?」

「あなたは奥さまにご用ですか?」


 メイドなのだろう。衣服もエプロンもキャップも、手首にちょっと巻いただけの紐さえもそっくりな女性が二人、家の脇から姿を見せた。


「夫人の友達なんだけど、おうちに帰ってきてるかなあ?」

「あいにく奥さまはお役目にて、外出中でございます」

「外出中の奥さまは、お役目を果たしています」


 双子だろうか。一方が話したのと同じことを、言葉を入れ替えてもう一方が話す。話す順序は決まっていて、それがおかしなことだと当人たちが思っている様子はない。


「すみません、あなたたちは?」

「私はニヒテと申します。この子はネファ。奥さまのお世話を申し付けられております」


 あとから話すほう、ネファは今度は喋らなかった。

 というかネファか。どちらかというと男の名前だと思うけれど、愛称か何かだろうか。


「お出での方には、歓迎をするよう言われております。お時間がよろしければ、お茶などお入れいたしますが。いかが致しましょう?」

「お茶をお入れしますが、歓迎する時間はありますか?」


 この二人を無視して、勝手に調べるのも難しそうだ。コニーさんに目配せで了解を取って、答える。


「お茶のついでに、フラウのことを教えてもらえますか?」

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