第109話:神がかりの双子
お茶をおいしく入れるのは難しい。
その日の気温や湿気、それまでの保管状況による茶葉の状態は一定でなく、それらを総合的に加味することは神業と呼んで過言でない――というようなことを、コラットから聞いたことがある。
もしそれが出来る人が居るならば、この人たちなのかもしれない。
ニヒテさんとネファさんの入れたお茶を飲んだボクはそう思った。そのお茶の味が、コラットが時に良く出来たと自賛するお茶の味にそっくりだったから。
しかしボクは、ゆっくりとお茶を堪能するために来たのではない。作法を終えて、直立の姿勢になった二人に聞く。
「フラウはずっと、ここに暮らしているんです?」
「はい。私たちがお世話するようになってからはずっと」
「ずっと私たちがお世話をしてきました」
二人の言う「ずっと」がどれくらいか、判断のつくものは目にしていない。でもここは家に入って最初の部屋で、来客用のダイニングだ。ここ以外に、部屋はいくつもある。
「あなたたちが来る前に、フラウの世話をしていた人がいるんです? それともそれ以前は、フラウも別のところに居たとか?」
「奥さまがここへいらしたのは、四年前。私たちも、ほとんど同じころに参りました」
「参りましたのは、奥さまのいらした四年前。同じころです」
短く取り纏めるかのようだった、ネファさんの話しぶりが変わったような気がした。どこがどうとは表現できないけれど、何か一つたがが外れたように思えた。
「その前には、フラウはどこに居たんです?」
この問いにニヒテさんは目を伏せ、ネファさんは首を傾げた。答えはない。
「あ――聞いてまずいことなら言ってください。ボクは彼女がどんな人なのか、知りたいだけなんです。むやみに過去を掘り起こしたいわけではないんです」
「……まずくはありません。けれども私の口からそれを答えることも出来ません」
「私の口から、まずいものを出すわけにはいきません」
ニヒテさんの言い分は何となく分かるけれど、では一体どうしたらと戸惑うものだ。それで困惑させようというのでもないだろうに、ネファさんの喋りは危うさを増す。
ここは任せるよとばかりに、黙ってお茶を飲んでいたコニーさんも「大丈夫かなあ?」と袖を引っ張ったくらいだ。
「ボクはフラウから、関わってくれるなと言われました。ボクは彼女に騙されていて、そういうことかと納得しました」
それはあの夜、フラウと交わした会話。あれ以来、思い出すこともしなかったけれど、今こうして口に出してみてあらためて分かったことがある。
なるほどボクは、彼女の言い分に納得したんだ。
そんな今更という話ではあるかもしれない。でもボクには、あの夜のことは衝撃的に過ぎた。その前日に知った事実や憶測も含めて、ボクを混乱に陥れるには十分過ぎることばかりだった。
もっと言えば、そういう自分の置かれた状況さえも、今振り返ってみることで初めてそうだと認識した。
「ボクは臆病で、彼女を知ろうとしなかった」
つまり、そういうことなんだ。あの日、あの夜、ボクは彼女の言ったあれこれを聞いて、なるほどそれなら状況に合点がいく。さようならと言って差し支えない。
そう納得した。言い分を受け入れた。自分で何の判断もせずに。
「だからボクは――ボクを切り離そうとする、フラウの優しい嘘にも気付けなかった」
「だから?」
「僕は?」
「本当の彼女を知りたいんです。もう、見失わないために」
ボクがこんなことを言えたのは、この家を見たからだ。
この家を見て「どこかいいところのお嬢さんが好んで住みそうな家」だと思った。それはフラウの見た目だけを言えば、ぴったりだと思えたかもしれない。
でもボクの思うフラウは、この家に住むことが出来なかった。
貴族の顔を見せようとしているのでなく。悪ふざけをして、我が儘を言っているフラウはもっと、はちきれそうな人だった。
こんなドレスなんか脱いでしまって、町の中も、時には山野も、自由に駆け回りたい。そう言っている気がした。
そう考えるとこの家を取り巻くものは、何もかもがお仕着せにしか見えなくなった。
「知ることは出来ませんか?」
「──さすがはフラウだね」
ネファさんがそう言って、それきり焦点をなくしたかのように立ち尽くした。目を開けたまま気絶でもしたかのようだったが
「この子は大丈夫です。少しの間、そっとしておけば」
とニヒテさんが言った。何か発作のある病気でも抱えているのだろうか。
心配は心配だが、近しい人が大丈夫と言っているのを無下にも出来ない。心配をかけまいとごまかしている風でもなさそうなので、信用することにして問題はないだろう。
「私は何も語ることは出来ません。一つ言えることは、そちらのお部屋を見てくださいと、それだけです」
「部屋――そこのですか」
ダイニングの奥に、二階へ上る階段があった。その陰に隠れるように設けられた扉。ニヒテさんは、視線でそこを示していた。
何も言えないと言っているのだから、それ以上の説明を求めることはしない。そう思って椅子を立ったボクを、ニヒテさんが呼び止めた。
「すみません、一つだけ余計なお節介を。気を、確かにお持ちください」
「分かりました」
苦しそうに、吐き出すようにニヒテさんは言った。そうまでして忠告しなければならない何かがあるのかと、怖気づく気持ちがないとは言えない。
でも今は、その気持ちで怯む必要など全くないほどに、意識が前を向いていた。
扉の前で立ち止まって、大きく息を吸って、吐く。期待も、気負いも、全て吐き捨てて、ボクはノブに手をかけた。
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