第106話:メモ
「色々聞いてはいたけど、おかしな人たちなんだねえ」
「ですね、うちも大概ですが。あの人たちは何だか、特化してるって感じがします」
ボクの印象にコニーさんも「うんうん、そんな感じい」と同意してくれた。
「それはさておいて、どうするう? 要るう?」
懐からまたあの紙片が取り出されて、目の前でぴらぴらと振られている。
これからどうするか決めるヒントになって、後悔して、頑張ろうという気持ちになる物。ただしどれも「かもしれない」という条件が付く。
以前のボクなら。ミーティアキトノに入る前までのボクなら、そんな面倒臭そうな物は見て見ぬ振りをしただろう。
どころか「ボク以外に、もっとそれを役立てられる人が居ますよ」と、皮肉めいたことを言って邪険にしてさえいたかもしれない。
「ください。きっとボクには必要な物です」
「いいよお」
コニーさんは頷いて、紙片を摘んでいる指を折り、ボクに見えなくしてからもう一度紙片を出した。
きっと今まで見ていた紙片と、今見ている紙片は別の物だ。もしかすると、ボクの回答がまずければそのまま渡す気だったのかもしれない。
それを尋ねたところで、まともな答えなど期待できない。だから素直に、もらった紙片を見ることにした。
折り畳まれた紙片を開くと、それだけでここに書きこんだ人の人格が見て取れた。
几帳面で、用心深くて、これと決めたら徹底的にやる。ボクの知っている人の中にも、そういう人は何人か居る。でも今は、たった一人の顔しか浮かばなかった。
「これは、どうしたんです?」
「おいらのポケットを広げたら、あったんだよお」
そんなはずはない。けれどもこれは、コニーさんがスリを働いた時に使う言い回しだ。それだけ分かれば、あえて特定する必要はない。
「どこで見つけたんです?」
「牢獄でだったかなあ」
やっぱり。これは、メルエム男爵が書いた物だ。
短い文章ばかりが書かれていて、意味の繫がるものは少ない。メモ書きにメモを書き連ねていった、という雰囲気だ。
よく信書で使われるような大きさの薄紙なのに、膨大な数の文字が刻まれている。それでも当人だけでなく、今こうして読んでいるボクにも読めないところなどない丁寧な筆致。
ただ――その中にも時折、荒く、強く、書きつけた跡が見える。
目を引くのは、中央に書かれた「エリアシアス夫人はどこだ?」という文章。他よりも少し大きな字で、きっと最初に書いたのがこれなのだろう。
フラウと書こうとして、消した跡もある。
誰が連れ去ったのか? 王国を、我々を馬鹿にしているのか? 夫人を返せ。と、恨みめいたことも書かれている。
彼女がさらわれてから男爵がどれだけ苦悩したのか、いかに綿密に調査していったのか。その記録こそないものの――いや、それがないからこそ、男爵がどれだけの熱量を持って調べているのかが分かる。
男爵も、フラウのことが好きなんだな……。
そう感じて、男爵のメモから目を離した。ため息か深呼吸か、そのようなことをしなければ次の息が出来なかった。
「ねえ」
飲み物に口をつけたところで、コニーさんが問うた。視線だけで「何です?」と返すとコニーさんは、にまあっと笑った。
うわ……どこかの団長みたいだ。
いかにも意味ありげな、コニーさんには珍しい表情だった。別にそれで、嫌悪感を抱くということはない。嫌な予感はするけれども。
「今さ、その人もお姫さまのことが好きなんだろうなって、思ったでしょお」
「……っは! ぶはっ! げほっげほっ」
どうして分かった。ああ――これを読めば分かるか。ため息も吐いたし。
「そんなことは――」
「メルエム男爵だっけえ? 格好いいよねえ、あの人」
「そうですね」
答えるとコニーさんは、ちょっとつまらないという表情になった。
「素直に認めるんだねえ」
「格好いいじゃないですか。ちょっと居ませんよ、あんな人」
男爵を褒めそやすご婦人がたのように、恋心なんかはもちろん持っていない。でも、格好いいものは格好いいのだ。それは何かと比較したり、自分の居場所で決めるものではない。
「まあ確かにねえ。だから敵わないってことお?」
「敵わないって何です」
敵うも敵わないも、あの人と何かを勝負する気になんてなれない。勝負する対象もない。本当に「何ですか」だ。
「だってさあ。考えたでしょお?」
「だから何をですか」
「男爵も。って」
共感や同調を表すその音を、コニーさんは殊更に強調して言った。
それをまたとぼけて「どういう意味ですか」とは、もう聞けなかった。どう考えたってそう考えたのは事実で、それが意味するところも誰にだって分かる。種の露呈した奇術など、披露すべきではない。
「なるほどなるほどお。そうなんだねえ、いいことだあ」
「今度は何ですか」
また興味本位の、好奇心が前面に出た笑みに戻った。
「アビたんさ、今すごくいい顔してたよお。生きてるうって感じだった」
「よく分かりません。普段はそんなにつまらない顔をしてるってことですか」
「あっはっはあ。そこまでは言わないよお」
鏡がないので分からないけれど、きっとボクは色々な表情を浮かべていただろう。何となく顔の筋肉が疲れていて、普段はしないような表情をしたんだろうなと、言われて気づいた。
「それでねえ。いい顔を見せてもらったからでも何でもないんだけど、一つ言っていいかなあ」
「そうじゃないなら言う必要がないと思いますが――何です?」
「調査中止って書いてあるでしょお?」
メモを見直すと、右下の隅に書いてあった。殴り書きで、一緒に書かれている日付は、何日か前に岸壁で出会った前の日だった。
「やれやれってくらいの、何でもない顔をしてたのに……」
本当に敵わない。
何について、何が、とかじゃなく。本質的にそうだと思った。岸壁での男爵の顔と、この殴り書きとの筆致の違いが、男爵とボクとの差なのだと思い知った。
「あれ、何か余計なことを言ったかなあ?」
「いえ。問題ないです」
強がるボクの気持ちを、コニーさんは察してくれたらしい。このことには触れず、次を言ってくれた。
「いっぱい書いてあるから、すぐには読めないと思うんだけどお。その中に、まだ調べてないことっていうのがあるんだよお」
「調べてないこと? 男爵がですか」
このメモに、実際の調査内容はほとんど書かれていない。いくつか期待していたような事柄が、駄目だったと落胆する気持ちが書いてあるくらいだ。
「そうだよお。気にならない?」
そのメモにわざわざ残された、調べていないこと。それは男爵が希望として期待する、最後の欠片ということだろう。
「気になるに決まってるじゃないですか」
コニーさんはもう、笑っていなかった。
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