第105話:静かな攻防

「小屋と一緒に燃えちゃわなくて、良かったですねえ」


 店から離れた海辺に設けられた、船の甲板のようなテラス。そこのテーブルの一つを確保すると、オクティアさんが言った。

 ボクたちが買った、いくつかの食べ物を平らげてから、だが。


「するとあれは、君が教えてあげたのかなあ?」


 オクティアさんが言っているのは、レンドルさんの牧場が焼かれた件に違いない。


 町からは離れている出来事で、しかもボクたちが居たことを知っている。つまりそれは、彼女があの兵士たちに情報を与えたということになるだろう。


「オクティアさんではないですよう。オクティアさんの、お仲間ですう」

「なるほどお。君たち、と聞くべきだったねえ」


 コニーさんは大きめのカップに入った飲み物を、ずずずと音を立てて飲んでいる。その様子からは今のところ、感情が読み取れない。


 ボクにとっては、たった半日の接点しかない。しかしコニーさんは、ひと月近くも住まわせてもらっていた。

 ボクなんかより複雑な、深い何かを感じていてもおかしくないけれど……。


「どうしてそんなことを。お互いに邪魔をしないことになっているんじゃないんですか」


 冷静を装おうとして、出来なかった。少しばかり、声が震えた。


「あらあらあ、怒ってますかあ?」

「そりゃあ──怒りもします」


 怒ってなどいないと強がることも考えたけれど、正直に言った。

 感情を隠せていないのはボクの稚拙さだが、ごまかしまで加えては幼稚になってしまう。


 これにオクティアさんは、コニーさんと同じ飲み物をひと息で飲み干し「でも」とにっこり笑って返した。


「こちらのルールには、則ってくれるんですねえ」


 息が詰まって、何も言えなかった。

 非道を先に行った相手に対して、その相手が提示したルールを持ち出して抗議する。


 それはなるほど、行儀はいい。しかし殺しや盗みが当たり前の世界では、あまりにも良い子が過ぎないか。


「それはそっちが、ルールを守る気なんかなかったということかなあ?」

「いえいえ、先に破ったのはそちらですよう。サマム伯爵とディアル侯爵のおうちを、ずっと覗いていたでしょう?」


 一瞬、ボクのことだと思った。でも彼女は「ずっと」と言った。数時間ほど侵入していただけのことを言うには、違和感がある。

 それにディアル侯爵のところには、行っていない。


 ということは今も誰かが偵察していて、しかも見つかったということか……。


「だからそのお仕置き、だそうですよう」

「なるほどお。それでそのお仕置きは、もう終わったのかなあ?」

「はいい。今以上には必要ないと聞いていますよう」


 覗きの代償としては、告げ口くらいで充分ということだろうか。完全に上位者の物言いで、気に食わない。

 これまでのようなことを延々とやってきた彼らとしては、それが当たり前なのだろうけど。


 とはいえここであえて、波風を強くする理由もない。レンドルさんやイルスさんのことを言ったところで、馬鹿にされるのが落ちだ。

 先ほどの怒りも抑え、平静を装ってクッキーを一つ手に取った。


「あらあ、それは食べないほうがいいですよう」

「え、どうしてです?」

「あなたのお友達が、毒を入れてますからねえ」


 驚いて、口へ運ぼうとしたまま手が止まった。何とか自由になる視線だけで、クッキーと、オクティアさんと、コニーさんを順に見る。


「あんたには効かないんだねえ」

「はいい。キッチンメイドですから、お毒見も兼ねてますのでえ」


 二人は涼しい顔で話している。それははったりと理解しても、何の変哲もないこの軽食のテーブルに毒があるとか、それが効かないとか。

 この二人が即興で息を合わせての冗談とかなら笑えるが、これが事実であることは全く笑えない。


「食べてしまうところだったじゃないですか――」

「もちろん止めるつもりだったよお。彼女のほうが早かっただけだよお」


 まあこれは本当だろう。オクティアさんはこのテーブルに持って来るまでにも、つまみ食いしながら歩いていた。ボクが毒入りを当ててしまうよりも、彼女がそれを食べるほうが間違いなく先だっただろう。


「ここにあるのは全部買ってもらった物なのでえ、これはルール違反に数えないでおきますねえ」

「寛大だねえ」


 オクティアさんはおもむろに席を立って、皺が寄ってしまったのか、衣服を気にした。それからまたゆっくり頭を下げて


「ではこれにて、オクティアさんのお話は終わりですよう」


と言った。今度は自分で頭を上げることを、忘れなかった。


 彼女が去って、コニーさんは恐れ入ったと漏らした。


「どうしたんです?」

「彼女、ボクたちが食べる分は残していったよねえ」


 テーブルの上にあった食べ物の、半分以上はオクティアさんが食べてしまった。でもコニーさんが言う通り、取り分けできる食べ物はちゃんと残していってくれている。


「そうですね。それがどうかしたんです?」

「毒を仕込んだのだけをね、選り分けて食べてたんだよお」


 選り分けて。つまり、例えばこの細く切った芋を揚げた物なんかも、毒入りの物とそうでない物があって、前者だけを口にしていったと?


「そんな器用な真似が出来るものなんですか……」

「彼女はやってたねえ。おいらもやろうと思えば出来るかもしれないけど、あんまり自信はないよお」


 最後の一つだったらしいボクが摘んだクッキーをまじまじと見つめ、あのほわほわとした雰囲気の奥に底の知れない不気味さを感じずには居られなかった。

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