第101話:戦友の思い出
シイ隊長がアレクサンドの名を出した途端、ついてきていた兵士が「隊長!」と声を上げた。
アレクサンドの依頼でボクたちが動いているとは、気づいていない振りをする予定だったとかそういうことだろうか。
それならそれで声を上げてしまっては、こちらの判断材料を増やすだけなので失策だと思う。
どうも策を弄するという意味では、昨夜の牢獄に居た彼らよりも練度が低いようだ。
それはきっとこのシイ隊長が、そういったことを好まないのだろう。
「いいんだ、いいんだ。副長どのから依頼された件は、もう聞いたのだろうよ」
「ええ――まあ」
副長というと、メルエム男爵だろうか。兵士は額に手を当てて、諦め顔になった。
「昨夜の件を、もう聞いてるんですね」
「ああ、そうだ。アムニスとは日に何度かエコが走ってるからな。お前たちが商売の目的で来ているなら、ここには来ないはずだと仰っていたらしい」
なるほど。今朝まで投獄されていた人間が、観光もないだろうということか。
これを証拠に何が出来るわけでもないけれど、ボクたちが何をしようとしているのか判断する材料にはなる。
「さっきも言ったけど、有名な砦を見に来ただけだよお」
「うむ。それはどうでもいい」
はっきりそう言われて、がくっと力が抜けた。コニーさんもボクと顔を見合わせて、参ったねという表情だ。
「お前たちがここに来たことと、聞いた内容はメルエム副長に報告する。しかしそれであの方が、何をどう判断するかまでは聞いておらん。お前たちを捕まえろとでも言われたら、それから考える」
「そ、そうですか」
おおらかというか、適当というか。ざっくりした姿勢にも、ほどがあると思う。
嘘を言っているにしては余計なことを喋りすぎで、そもそもそういう風にも見えない。
だからと言って手放しで信じるのもどうかと、逆に警戒したくなる感覚があった。
「お前たちがあの山賊どもを逃がしたらしいと聞いてな。いや、そうではないと言っているのも知っている。だがまあ奴らが無事だと聞いては、黙ってはおれんのだ」
危うく、あの人たちの死体は見つからなかったんですね、と聞きそうになった。黙ってはおれんなんて言っている人に、そんな決定的な証言は与えられない。
「はあ……」
シイ隊長は顔を伏せ気味に、何だかぷるぷると震えているので、怒りを我慢しているようにも見えた。
しかし次に顔を上げると、その顔は紅潮して泣き出す寸前のような有り様だった。
「どおしたのかなあ?」
「奴らは……奴は……上官殺しなどする男ではない!」
ん。どうやら親方──ジスター=バラバスとは仲がいいという話らしい。
「隊長! そのようなことを話されては!」
兵士は当然の反応として、シイ隊長を諌めた。しかし彼は、収めるつもりはないようだ。
「もしよそで話していたら、自分たちの保身のために俺を貶めようとするだろうと思って、わざと言ったということにすればいい」
うわ。意外と頭がいいぞ、この人。最初に感じたのとはまた違った意味で、面倒臭そうな──。
「あれはいい男だ。俺が女なら惚れている。いかんせん、俺は男だ。ならば殴り合うしかない」
「ああ……そうですね」
暑苦しい視線が同意を求めていて、迎合するしかなかった。本音では、その論理はおかしいと思っている。
「私的に争ったことはない。あくまで訓練だ。しかし奴とは本気でやり合った。訓練場だろうが、戦場の野営地だろうが。怪我も疲労も恐れずにな」
「どっちが強いのお?」
今度はコニーさんが聞いた。でもボクとは違って、ある程度の興味はあるようだ。
「その時々で優劣は着いたが、お互いに完勝ということはない。あえて言えば俺が四で、奴が六といったところだ」
「へえ、その人は強いんだねえ」
コニーさんが感心すると、シイ隊長は我がことのように気分を良くした。
「負け惜しみではないが、その程度は体調やら何やらで簡単に覆る。だから奴も俺とやる時は本気でかかっていた」
思い出に浸っているのか、シイ隊長は急に黙って、一点を凝視していた。
それがいくぶん続いて、兵士が「隊長?」と声をかけた途端
「そんな奴が! あの気持ちのいい男が! あんな小狡い男の挑発に、そう易々と乗るものか!」
と、石畳の床を割り抜く勢いで足を鳴らした。
「殺された――ということになっている上官を、ご存知なんですか」
暑苦しさに威圧感が上乗せされた視線に気圧されて、質問文をちょっと変えた。これくらいは臨機応変ということにしておきたい。
「知っているとも。貴族の五男坊という以外に、何の取り得もない男だ。ああ、人の成功した話を嗅ぎつけることと、それを妬むことには一流だったな」
「はあ――それは困った方ですね。山賊の、その仲のいい方は、あなたと同じ隊長さんですか」
「そうだ。奴が百人隊長で、ぼんくらのマルアストが千人隊長だった」
そう言うとシイ隊長は何かにはたと気付いて、苛々とし始める。
「そもそも、どうしてあれが千人隊長なのだ。奴が昇格して然るべきではないか」
「急な人事だったんですか」
「そうだな。その件の起こるひと月ほど前に、前任の千人隊長が事故で死んだ。その後釜に座ったのがマルアストだ。それまで肩書きこそ百人隊長だったが、一人の兵さえ指揮したことがない」
ここで兵士が「隊長、お言葉ですが」と遮った。
「マルアスト卿は、従軍経験がおありです。小競り合いの増援でしたが」
「あれは兵士が担いでくれて、ついでに我が儘も聞いてくれていたというのだ」
「それは確かに――あ、いえ。私には何とも」
言葉を濁す兵士に、シイ隊長は気分を害した様子はなかった。どうもよく居る、自分が気分の悪い時には他人も同じになってくれないと嫌だ、という輩とは違うらしい。
「全く。リマデス辺境伯は何を考えておられるのか、俺には全く分からん」
「同意します」
個人を悪く言うのは憚られるにしても、公人として適性がなかったのは周知の事実らしい。兵士も深く頷いている。
「ところで、色々話してくれているけどお。これをおいらたちがよそで話したら、まずいんじゃないかなあ」
「お前たち、それは脅迫しているのか」
兵士が佩いている剣の鞘に手をかけて言った。ボクは何も言っていないのだけれど、そんな言い訳は通用しない雰囲気だ。
「もし――もしもだ」
シイ隊長は兵士を手で諫めながら、ぼそりと言った。暑苦しい顔に変わりはないが、男らしい、肝の据わった表情だと思った。
「もしここに、奴を助けてくれた馬鹿者が居るとしたら、礼を言いたいなという俺の独り言だ。何なら俺の今日の任務はもう終わっていて、酒を飲んでるってことでもいい」
兵士を見ると、いつの間にか数歩の距離を取って、あらぬ方向を向いている。なるほど、躾が行き届いている。
「そうかあ。でも残念ながら、本当においらたちは知らないんだよお」
「そうか――」
シイ隊長は顔に翳りを見せながら、静かに立ち上がった。
「時間を取らせて悪かったな」
「ああ、待って待って。おいらは仲間内でも勘が鋭いって言われてるんだよお」
突然に何を言い出したのか、ボクも含めて全員が怪訝な顔でコニーさんを見た。
「それでね。その勘によるとお、バラバス卿はぴんぴんしてると思うよお」
それだけか? と、やはり三人ともが次の言葉を待った。しかしそれで終わりのようで、コニーさんはにこにことシイ隊長を見つめるだけだった。
――ああ、そういうことか。
ボクが気付いたのと同じタイミングで、シイ隊長も気付いたらしい。
「そうか、礼を言う。お前はこれから、きっといい女になるぞ」
細身のコニーさんの手を、シイ隊長は両手で握って頭を下げた。
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