第57話:その人
立派な金属鎧を着けた人たちを四人引き連れて、男は吠え続けた。その男自身も、いかにも高価そうな装飾を付けた金属鎧を纏っている。
ああいうのって重くなるから、装甲がスカスカにしてあることが多いって団長が言っていたなあ……。
周囲に居る誰もが困惑した表情をしているが、同じく誰もがその男と目を合わせようとしない。貴族同士、顔を見知っているだろうに。
「おまっ――」
建物の中から転がるように出て来たおじさんが、勢い余って本当に転んだ。黒いエプロンを着けた身なりからすると、中で怪我人の手当てをしていた人だろう。
「しょ、少々お待ちを。ただ今、説明を出来る方がいらっしゃいますので」
慌てて起き上がって媚びたような笑みと共にそのおじさんが言うと、吠えていた男は「そうか」と納得したらしい。黙ってその場で待つ格好になった。
「まことに恐れ入ります。本当にすぐいらっしゃいますので」
「要らん説明はいい。急がせろ」
「ええ、ええ。それではすぐ」
深く頭を下げたおじさんは、また建物の中へと戻っていった。急がせろというのを、そのまま伝えるためだろう。
ただ、頭を下げた時のおじさんの顔には、恐縮ではなく卑しい笑みが浮かんでいたのをボクは見逃さなかった。
それから本当にすぐ、さっきのおじさんが別の人を連れて戻ってきた。その人も貴族っぽかったが、吠えていた男よりも若そうだ。三十代前半といったところか。
「これはボナス伯爵。このようなところにまで視察にお出でいただいたとは恐縮です。説明を求めていらっしゃると伺いましたが、何についてご説明致しましょう?」
若いほうの人はおじさんをさがらせると、そこに棒が一本立っているかのようにまっすぐな姿勢で言った。
硬くなっているとかではなく、芯が通っている。この人はきっと、相当に訓練を積んでいる。
「ああ――ユーニア子爵か。そういえばここは、貴殿の管轄であったな」
「左様にございます。このような緊急時に誰が管理しているかなど度外視して、避難場所をご自身の目で観察する必要を認めるとは。伯爵のご慧眼には恐れ入ります」
ユーニア子爵――そうかこの人がフラウの言っていた人か。管轄ということは、警備隊の隊長か何かをしているんだろうか。
しかし何だろう。言葉の上では子爵がへりくだっているのに、何だか伯爵のほうが気圧されているように見える。
「あ、いや。この騒ぎは何ごとか、判明しているのかと思ってな」
「この騒ぎと申されますと、三郭の南方ほぼ全域で起こっている、火付けや騒乱のことでございましょうか?」
「当たり前だ! それ以外に今、何が起こっていると言うのか!」
どうもこの伯爵さまは、沸点が低いらしい。確かに当たり前の内容ではあるが、問われたことの確認を子爵がしただけで唾を散らして怒鳴った。数秒前まで気圧されて、声が細りがちだったのにだ。
「ふむ――」
「何を悩んでおる。分かっているのかいないのか、どちらだ」
苛々しているのを隠そうともせず、伯爵は怒鳴る。それを全く意に介さず、子爵は思いついたように言った。
「なるほど、分かりました。ああ、いえ。ご回答に時間がかかってしまったことはお詫びします。何せ私は頭が悪いもので、伯爵のご質問の真意を理解するのに手間どりました」
「真意だと?」
「ご覧の通り事態の発生から時間も浅く、怪我人の収容さえ間に合っておりません。火の手は燃え広がってはおらぬものの、まだ単発的に新たな火付けも起こっております。そのような中で事情を把握している者など居るはずがないのですが、伯爵がそのような当たり前のことをお聞きになりはすまい、と」
「黙って聞いておれば、伯爵に向かって!」
もはやどう言い訳したところで皮肉にしか聞こえなくなった子爵の弁を、伯爵のすぐ後ろに控えていた男が咎めた。その手は柄に触れてこそいないものの、いつでも剣を抜ける姿勢にある。
「貴様、誰に向かって口をきいている。ユーニア子爵家、第三代。ブラセミア・アル=ユーニアを侮っているか」
ユーニア子爵の佩いていた長剣が、咎めだてをした男の首すじに添えられた。
突きつけたのではなく、刃の腹がぴたりと首に付けられている。その柄は男の顎下にまで至っている。子爵がその気であれば、男は首であろうと腹であろうと、どこでも串刺しにされていたところだ。
「伯爵の配下であろうから、此度は許そう。以後、留意せよ」
つい今しがたまでとは全く異なる子爵の迫力に、伯爵を始めとして周囲の人は全員凍り付いた。
もちろんボクも驚いて、そこまでしなくてもと感想を覚えるには時間がかかった。
でも子爵の言い分に、間違ったところはない。発言の許しを得ずに貴族に話しかけることは、侮辱に当たる。それはある程度ものごとが分かるようになれば、子どもだって知っている。
それをさっきは、明らかに貶したのだ。しかも剣を抜く構えまで見せた。伯爵がああいう態度だから、配下の人まで勘違いしてしまったのだろうけれど、殺されなかったことに感謝しなければならない。
「――子爵、すまない。この件に関してはこちらが悪い。私が謝罪しよう」
随分の間が空いて、やっと伯爵がそう言った。それでやっと、子爵も剣を納める。
「こちらこそ伯爵のお手持ちに無礼を」
子爵が軽く頭を下げて、あらためて言った。
「さて伯爵の真意でございますが、王のお膝元に無礼を働く輩の手掛かりはあるのか。手掛かりを求める次第はどうなっているのか、でございましょう?」
「そ、その通りである」
伯爵としては、もうそう答えるしかないのだろう。少し疲労が見え始めたようにも見える。
「責任は私にございますのに、事態の推移を説明せよとは。感服にございます」
この場を完全に掌握した子爵に、伯爵は「うむ」とだけ答えた。
「さ、詳細はこちらにて」
手当てをしているらしい大部屋とは別の方向へ、子爵は伯爵を案内し始めた。応接室みたいなものくらいはあるのだろう。
子爵について、色々と大物だなとしか今のボクには言えそうもない。
ただ、一つ印象に残ったことを言えと言われれば、姿を見せてからまた去るまで、その顔からは一切の感情を見つけることが出来なかった。そのことだろう。
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