第4章:焔と干戈の譚詩曲
第46話:おみやげはなし
カテワルトに戻って、うっかり崩れたほうのアジトがあった場所へ向かっていた。本来ならばもう建物が見えるはずの場所まで来て、そのことに気付いたのだから呆れてしまう。
今度はちゃんと新しくメインのアジトになった建物へ向かい、一階の奥にあるホールに入った。
「あれ、誰も居ない」
全員が揃っている場面は期待していなかったが、誰一人居ないのも珍しい。手近な小部屋を覗いてみても、結果は同じだった。
建物のどこかに誰かは居るだろうけれど、その人たちは普段ホールに寄り付かないから、団長たちの行く先は知らないだろう。
どうしたものかと思っていると、どうやら一人帰ってきたらしい。先ほどボクが入ってきたのと同じ扉が開いて、トイガーさんが顔を見せた。
「さっきの足音は、やはりアビスだったですにゃ。お帰りですにゃ」
「ただいまです。トイガーさんまでお出かけとは珍しいですね――それは?」
彼女ももちろん出かける時はあるが、やはり建物の中で資料を片手に頭脳労働をしている印象が強い。
まさにその手には薄紙をこれでもかと重ねた束があって、今からそれをどうにかするのだろうけれども。
「みんなすぐに出かけるから、吾輩くらいはここに居なければと思って、整理する資料を急いで取ってきたところですにゃ。急いで戻ったとはいえ、出かけていて悪かったですにゃ。一人で留守番のために、急いだけどですにゃ」
う――どうやら藪をつついてしまったらしい。生真面目な彼女といえども、キトルの性質としてやはり外には出たいのか。
「あっ留守番ですか! それならボクが居ますし、どこか気持ちのいい場所でしてはどうですか?」
「結構ですにゃ。資料がみんな風で飛んでしまうですにゃ」
だめか、さすがに付け焼刃すぎた……。
じとっと皮肉めいた視線にたじろいでいると、
「それでジューニはどうだったですにゃ」
と、トイガーさんは話題を変えた。紙束をテーブルに置く表情は普段のものに戻っている。
「いやもう何というか、すごかったですよ。町全体が城か砦かって感じで」
「聞いたことはあるですにゃ。それほどですにゃ?」
それからボクは、ジューニで見てきたことを順番に語った。フラウとデルディさんの一件まで、全て。
「ふむ。そのキスの件は、ワシツ夫人にも話したのですにゃ?」
「フラウも居ましたし、ボクがどこでそれを見たのかって話になっても困るので、言ってません」
カテワルトに戻る前に、ボクは首都リベインに居た。エコリアはワシツ家のものだし、ボクはワシツ夫人の厚意でジューニに行っていたのだから、挨拶もせずに一人で帰るなんて筋はない。
監視を頼まれていたわけではないが、ワシツ夫人がボクも勘定に入れていたことは自明だ。だからワシツ夫人にも、夫人はそもそも知っているだろうなと思えることも全て話してきた。
話していないのはトイガーさんに言った通り、キスの件だけだ。
トイガーさんは腕を組んで、いくらか悩んだあと言った。
「今の話は団長にも言っておいたほうがいいですにゃ。でも吾輩、やることがあるので頼むですにゃ」
「えっ、どこに居るんです?」
「吾輩が知るわけがないですにゃ。まあ町は出ていないはずですにゃ」
早く行けという風に、手をしっしっとされた。
いや待ってほしい。他の団員も大概なのに、この広いカテワルトであの団長を探せなんて、そんな無茶な。
「ええと――お一人ですか?」
「出かける時は、シャムと一緒だったですにゃ」
「あっそうなんですか。分かりました、探してみます」
シャムさんと別れていたらお手上げだが、まだ一緒なら探しようはある。ちょっと希望が出て来た。
早速出ようとして、手に袋を持っていたのを思い出した。
「そうだ、これ残り物で悪いけどとフラウにもらったんです」
「何ですにゃ?」
「クッキーです。慰問に来た人にあげるために焼いたけど、余ってしまったそうです。おいしかったですよ」
エコリアの中で勧められて、エレンさんたちと一緒にいくつか食べた。日持ちさせるために硬めに焼いたと言っていたが、それは全然気にならなかった。
「――ふむふむ。いい匂いですにゃ」
「メイさんはどうしてますか? 渡してあげてください」
くんくんと匂いをかぐトイガーさんは優しく頷いて
「元気にしてるですにゃ。そうですにゃ、ぜひ持っていくですにゃ」
と言ってくれた。
「良かったです。じゃあ探しに行ってきます」
「行ってらっしゃいですにゃ――ああ、そういえば、夜道に気をつけるですにゃ」
手を振ったトイガーさんは、炊事場のほうへ向かって行った。クッキーを食べるのに、お茶でも入れるのかもしれない。
でも夜道に気をつけろなんて、初めて言われたな。
「さて、見つかるかな」
帰ったばかりのアジトから出たボクは、そろそろ夕闇の気配が見え始めたカテワルトの街へ出かけていった。
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