第29話:エコリアは誰の物
あのあと、話題はいくつか変わった。夕食もご馳走になった。でもその間の表情を見る限り、フラウがその話を気にした素振りはなかった。
帰りのエコリアの客車の中でも、宿の前で別れる時にも、話しかければにこりと笑ってくれた。
でも、黙って窓の外を眺めている時の顔は、遠くを見ているようでどこも見ていなかった。まるでどこかで、心を溶かして失くしてしまったかのように見えた。
気にならないはずはないよな……。
ああどうして、気の利いた言葉の一つもかけてあげなかったんだろう。何と言えば良いか、全然思いつかなかったからです、すみません。
「――さま」
大体ボクなんかが何を言っても、実際にフラウを助けてあげられることなんて何もないし。
ボクって、つくづく無力だな……。
「兄さま!」
「はいっ!」
大きな声に驚いて、瞑想を気取って瞑っていた目を開けた。
瞬きのたびに風を起こしそうなほど長い睫の生えた、大きな目がすぐそこにあった。
「わっ! ――ってコラット。何してるの」
「お茶が入ったと言っているのに、兄さまが無視してたの」
ボクの座っているソファに片膝を突いた姿勢で、コラットはボクの顔を覗き込んでいた。まるでキスでもしそうな体勢だったが、いくら可愛くてもコラットにそういう感情は抱かない。
「アビたん。兄妹の禁じられた愛は、見えないところでやるにゃ」
口に手を当てて、にやにやしながら団長は言った。分かっているくせに。
「ありがとうコラット。お茶をもらうよ」
ソーサー付きのカップを受け取って、ほどよく冷めたお茶を飲む。するとコラットは満足して、他の団員にもお茶を振舞い始めた。
「コラちんありがとにゃ。コラちんのお茶が飲めるなら、おうちはどこでも問題ないにゃ」
「びっくりしましたよ。建物が崩れたって話は聞きましたけど、まさかそれがアジトだとは」
「あたしもびっくりしたにゃ」
会話が軽いな――。悩んでも仕方ないし、笑っていられるのはいいことだけれども。
コラットは血の繫がった本当の妹ではない。彼女にも色々あって、ミーティアキトノに入団したボクのあとをついてきて、今はボクを兄と呼んでくれている。そんな彼女を、ボクは大切に思っている。
念のためにもう一度言うが、コラットは確かに可愛い。が、そういう感情は抱かない。
部屋に居るみんながお茶を飲んで、ほわっとした空気になったところに扉が開いた。
「良かったですにゃ」
顔を出したトイガーさんは、室内を見回すなりそう言った。
「どうしたんです?」
「アビスが盛っていたら、どうしようかと思ったですにゃ」
「なんでですか! こんなところで盛りませんよ!」
くっ、油断した。あらためて見ると、部屋にはボクしか男が居なかった。
トイガーさんは冗談の類をほとんど言わないが、釘を刺しているつもりなのか時々こうやって、ストレートに制してくるのだ。
「アビたん、アビたん」
「何です?」
「こんなところじゃなくて、どんなところだったら盛るにゃ?」
ぷぷと吹き出す団長に、もうボクの返事は言葉になっていない。
「さて団長、見つかりましたですにゃ。アビスは静かにするですにゃ」
酷い。
口にしたところで、やり込められるだけなので言わないが。
「どうだったにゃ?」
丸めた獣皮紙を受け取った団長はそれを開いて、内容を確認するとまた丸めた。
「アビたん」
団長はボクを呼んで、返事を待たずに獣皮紙をぽいと投げた。
ふわっと飛んでくるそれを受け取るのに、落とすまいと何だかあわあわとしてしまった。仮に落としたところで何の問題もないが、心理的なものだ。
「これは?」
そこに描かれていた図柄には、見覚えがある。ボクが団長に描かされたものとほとんど同じだ。
問題は一緒に書いてある文字のほう。記載内容の意味は分かるし、それがこの図柄の説明であることも分かる。
でもどうして、今これを見せられたんだろう。
「書いてある通り、あのエコリアはサマム伯爵家の物だったにゃ」
そう、それは分かる。
「――ええと、つまり?」
「フロちがエコリアに乗ってたのは、ユーニア子爵の慈善事業の一環を勤めに行くためだったにゃ?」
「そうです。でもそれはおかしなことじゃないでしょう? 貴族だって物の貸し借りくらい」
そうだ。子爵位では領地経営にそれほど余裕があるわけでもないと、フラウも言っていた。それでもユーニア子爵は、その事業をやりたいのだと。
「そうだにゃ。それほどおかしくはないにゃ」
そんなことをわざわざどこかでトイガーさんに調べさせてきたわりに、団長はあっさりとそう言った。
それですぐに、今話したいのはそれだけだと言わんばかりに、コラットにお茶のお代わりを頼んだ。
何なんだろう。団長がこういう言い方をするからには、何かはあるんだろう。でもきっと、それ以上話す準備が出来ていない。
準備が出来ていないのが、ボクなのか団長なのかは分からないけれど。
でもさっきの団長の言い分「それほどおかしくはない」は、鈍いボクにも引っ掛かるものではあった。
つまり「それほど未満にはおかしい」ということだ。
それがどこに繋がるのか、ボクが知るのはきっともう少し先になるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます