第28話:悪しき噂

 三段重ねのスタンドに盛り付けられたお菓子をつまみながら、二人の夫人の会話は弾んだ。

 ボクはまあ――何となく相槌を打ちながら、甘い物は好きなのでそちらに注意を向けていた。


「本当に怪我がなくて良かったわ」


 つい先ほど、身辺調査というのでもないのだろうけれど、ワシツ夫人もメルエム男爵と同じく、ボクがどうしてフラウと知り合ったのかを聞いた。


 ボクとその仲間が山賊から救出したと聞いた時、夫人は目を見張ってボクの手を取った。それから目をじっと見て「王国の兵がしなければならないことなのに、本当にありがとう」と言った。


 それはフラウの友人としての言葉というより、実際に国を守っているメルエム男爵が言ったのと同質に感じられた。


 その熱量にボクが戸惑っていると、夫人もそれに気づいて「ごめんなさいね」と少し恥ずかしそうに取り繕ったのがさっきのセリフだ。


「それで此度はどちらへ?」


 これまでの話と関連性を持たせながら、話題の転換を図ろうとしたのだろう。ああそうだと、今思いつきましたというような素振りがぎこちない。


「それが奇遇なのですけれども、ジューニへ」

「まあ、そうなんですか。住民も喜びます」


 ん? 住民?


「すみません、慰問って兵士のところへ行くんじゃないんです?」

「いいえ。男爵夫人が見舞うのは、一般の住民です。彼女というよりも、ユーニア子爵の行っている事業がそうなのですけれどね」


 フラウから聞いた時、ボクはてっきりそうだと思っていた。曲芸師や楽師が慰問に行くと聞けば、必ず前線の兵士のところだったから。


「どこの民が一番とは言えませんし分かりませんが、ジューニの民は間違いなく、要塞都市という特殊な環境によく耐えてくれています。本来は私たちが労わなければならないのですが、立地的にも、太守という立場的にも、限界があります」


 王から下賜された領土を持つ貴族は領主だが、それに対して、王や貴族から領地の一部の経営と管理を任された立場の人を太守という。


 ジューニはその昔、ワシツ将軍が隣国から切り取った領地だ。確か今は停戦中だが、そんな隣国の領地が目と鼻の先にある毎日が、平穏なはずもない。

 そんな民を慰めてくれるのが、芸人や技能師たちによる慰問なのだとワシツ夫人は言った。


「私など、物の役にも立ちませんが」

「何を仰いますか。あなたの調合した薬草はよく効くと、評判が絶えませんよ」


 フラウは目を伏せ気味に「そんなことは」と首を振った。

 しかしそうか。慰問と聞いてフラウが何をするのかと思えば、そんな特技があったのか。


「分かりました。あくまで内々に、私から主人にあなたの来訪を伝えておきます」

「いけません、そんなことをしていただいては」


 これまでワシツ夫人との会話で、肯定も否定も語調の変化は静かだった。しかしこの時だけは、強く否定した。


「大丈夫ですよ。私が応援したいのは、あくまでもあなた個人です。ユーニア子爵の自尊心を傷つけるようなことはしません」

「ですが……」

「あなただってあのようなことがあれば、まだ心穏やかではないでしょう。私にはそれをどうこう出来ませんが、他のことで利便を図るくらい容易いことです」


 遠慮するフラウに対してワシツ夫人はやや強引に、しかし優しい口調で言った。


「そこまで言っていただいては――。ありがたく恩恵にあずからせていただきます」


 これ以上に拒んでは、失礼に当たると考えたのだろう。フラウは深く頭を下げた。

 ワシツ夫人は、フラウを相当に気に入っているらしい。性格などを好んでいるだけでなく、何かそうなる経緯があったのかもしれない。


 しかしそんなワシツ夫人でも、太守であるワシツ将軍でも、利便を図れないこととは何なのだろう。

 そんなことに興味を持つのは行儀が悪いと分かっているが、聞いてしまった以上は気にするなというのが無理な話だ。


「あの――ボクなんかが聞いてよければですが。あのようなことって、何かフラウが困ってるんですか?」


 フラウが申し出を受けてくれて、喜んでいたワシツ夫人が。さて困ったわという表情に手を当てていたフラウが。揃って、はっとした顔でボクを見た。


「ああ……ご存知なかった」


 フラウの仕草を真似たように、ワシツ夫人が顔に手を当てて、さて困ったという表情を浮かべる。

 けれどもすぐに目配せすると、フラウは了承した風に頷いた。

 しまった。思った以上に不躾な質問だったらしい。


「貴族の間ではもはや公然の秘密と言いますか――さも真のように言われている噂なのです」

「噂、ですか」


 ワシツ夫人はそう前置きした。だから当然ボクも知っていると思い込んでしまったということだ。

 それから夫人は絡んでもいない咳を払って、教えてくれた。


「一年ほど前になりますが、ある貴族の子弟が急死しました。屋敷で行われたパーティの翌朝に。

 その子は、その家の長子でした。弟と家督を争っていましたが、何もなければそのまま家を継げるはずでした。

 死因を調査するうちに、長子が寝起きする離れの窓に怪しい女が居たと証言がありました。

 しかしその証言をしたのが弟の腹心であったために、それは攪乱工作だと判断されました」

「弟が自分で兄を殺害させておいて、でたらめな目撃証言をでっちあげたと」


 ワシツ夫人が息を吐いたので相槌代わりに確認すると、夫人はゆっくり頷いた。


「結果として二人の父親は、いまだに家督を譲っていません。ご高齢で、家の行く先を家の者は案じているそうです」


 夫人もそれは同様らしく、表情を曇らせた。


「しかしのちに、調停のために派遣された王宮の調査団が調べたところ、長子の離れを訪れた女性は居たのです」

「それがフラウ、ですか」


 言いながら横目で見ると、フラウは宙を見つめて考えごとをしている風だ。


 安易な気持ちで――いや、何の気持ちさえ持たずに聞いたことで、こんな話に踏み入って申し訳ない限りだった。

 でもここで「いやもう結構です」などと言うのも、人として違う。そう思った。


「そうです。ただ男爵夫人は離れに入ってすぐ、酷く憤慨した長子によって追い出されたと、侍女が言っています。それから屋敷の敷地を出て行くところを、門衛が見てもいます」

「じゃあ関係ないじゃないですか」


 正直なところ、なあんだという気持ちで言った。しかしワシツ夫人は首を横に振る。


「あなたは素直な人ね。男爵夫人には、あなたのような友人が必要なのかもしれないわね――でも、人の噂はそうではないの」


 言われて納得するのも情けないが、噂とはそういうものかもしれない。


 団長にも言われたことがある。人は真実よりも、自分が考えた筋書きを信じたがるものだと。

 つまり事実がどうであれ、噂をする人たちにとってはフラウが何かしているほうがということだ。


「それは……」


 そんな事件があったこと自体を今知ったばかりのボクが、腹立たしいですねなどと言ってはいけない気がした。

 それはこれまで悩んできたフラウの苦悩を、一瞬で分かったと言ってしまう浅はかな行為と同義だと思ったから。


「私は彼女を信じています。だからあなたも、信じてあげてくれると嬉しいわ」


 ワシツ夫人は、気迫のこもった顔で言った。それは先ほど、フラウを助けたことをありがとうと言ってくれた時と同じ顔だった。


 きっとこの人も戦士なんだ。実際に剣を持つかどうかは関係なく、ワシツ将軍の妻として、王国を守らなければいけないと強い気概を持っている。


「もちろん信じますとも」


 そう言う以外、ボクには他にどんな言葉も思いつかなかった。

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