第26話:宿将の妻

 食事よりも、デザートに偏った感のある昼食だった。それでも、きちんと食事としてお昼を食べたのは随分久しぶりのことだ。


 いつもはメイさんがどこからともなく持って来る軽食類を「アビたんも食べるみゅ!」と口に突っ込まれるだけのことが多い。


「馴染みの店に行ってもいい?」

「もちろんです」


 フラウはこの町からずっと東にある町へ行く途中だったと聞いた。

 何でもユーニア子爵の慈善事業を手伝っていて、最前線に近い要塞都市であるジューニで慰問をするとか何とか。


 子爵としてはフラウに怪我やらの不都合がないのであれば、当初の計画通りに慰問に行ってもらいたいと考えているらしい。

 そのための手配はなるべく早くしてくれるそうだが、当面に使う物品はこの町で買ってしまったほうが早い。


「ここよ」


 フラウが立ち止まったのは、装身具の店だった。ボクはこの店の前を通ったことがあるくらいで、中に入ったことはない。建物の中にあるのに開放的で、市場の出店のような雰囲気だった。


「とりあえずの服は用意してくださったのだけど、扇がなかったの」

「それは大事ですね」


 貴族の女性にとって、何はなくとも扇が必要であるらしい。これは誰に聞かずとも、見ていれば分かる。

 歩く時、座る時、話す時、どんな場合にでも扇を使っている。

 具体的にどのように使うのか、作法のようなものがあるのか、それぞれ自己流なのかまでは知らないが。


 店の中は、ボクの知る装身具店とは品ぞろえが少し違っていた。見たような物もあるにはあるがそれは少数派で、扇だけに限っても薄紙を貼った物や金銀の刺繍が艶やかに施されたような、見たことのない物のほうが多い。


 明らかに女性が使うための扇を、珍し気に手に取っていたボクを見て察したのだろう。フラウは


「貴族の間では流行ってるの」


と教えてくれた。


 ボクが「へえ、そうなんですね」と捻りも何もない返事をすると、フラウはまたくすくす笑った。

 穴の中で出会った時はもっと疲れたような顔をしていたけれど、昨日も今日も段々と笑ってくれる頻度が高くなってきた気がする。


 貴族ならばボクには想像もつかない苦労も多いのだろう。もちろん昨日の出来事がショックだというのもあるだろう。

 だからボク自身なのかこのゆったりとした時間なのか分からないが、楽しんでくれているなら嬉しい。


「あら男爵夫人じゃございませんか」

「まあワシツ夫人、こんなところで。イルリさまも」


 ん、知り合いかな?

 棚を物色している間に少し先を歩いていたフラウが、年配の女性と挨拶を交わしていた。

 若い女性が二人居るが、身なりからすると娘と侍女だろうか。


「男爵夫人もこの店をご存知とは存じませんでした」

「何を仰います。首都近辺の女は、みなワシツ夫人の身なりをお手本にしていると田舎者の私でも知っていますよ」


 へえ、流行らせている張本人なのか。

 確かにその女性はとても細身のドレスを着ていて、見慣れないながらもとてもおしゃれだと感じた。扇や小物袋などのアイテムも、独特な物が多い。


 あれ、でもあのドレスは見かけないな。

 それはボクが、あまりファッションに興味がないからかもしれない。でも実際に、お手本にしていると言いながらもフラウが着ているのは、ひらひらふわふわとしたよく見かけるシルエットのドレスだ。

 昨日もそうだったし、店に居る他の女性もそうだ。


「お上手なこと。私に恩を売っても、お出し出来るのは舌くらいですよ」

「まあそんな。ワシツ夫人にそうされては、私など泣いてしまいそうです」


 さして面白くもない会話だが、お互いの距離感を確かめるルーティンなのだろう。ある程度の身分があれば誰でもやっていることだ。

 そこまでで一連の儀式が終わったらしく、ワシツ夫人と呼ばれている女性がボクのほうへ顔を向けた。


「そちらの方は?」

「し、失礼しました。平民のアビスといいます」


 この流れは予想出来たはずなのに、油断していた。急なことでおかしな自己紹介になってしまった。


「私も平民ですから、そう緊張なさらずとも。ジューニを預かる、ワシツの家内でございます」

「ワシツ将軍の奥さまですか!」


 感じのいい微笑みに、ボクは思わず大声で返してしまった。

 昨日出会ったメルエム男爵が女性の憧れであれば、王国の重鎮であるワシツ将軍は男性の憧れの人物だ。


 最近では全く機会がなくなってしまったが、ワシツ将軍が首都から出陣する時には、男の見物客が山と押し寄せていたらしい。

 ボクも昔話を聞いた程度ではあるけれど、将軍の武勇伝には心躍るものがある。


「私の新しい友人です」


 さすがにフラウも、同じ冗談を二度は使わなかった。

 その簡単な紹介にワシツ夫人は「そうなんですね」と相槌を打ち、ボクに向き直って言った。


「色々と物騒なこともあるでしょうけれど、お気をつけなさい」

「物騒、ですか」

「男爵夫人は、おもてになるから」


 なるほど、フラウはフラウでファンが多いということか。そういえば男爵も同じようなことを言っていたか。


「分かりました、気をつけます」


 素直にお礼を言うと、ワシツ夫人は少し意外そうな顔をした。


「あの、何か」

「いえ、私の思い違いのようです。よろしければ、ご一緒に私の家へいらっしゃいませんか?」


 急にどうした、とは思った。でもここからは遠いところに住んでいるフラウと久しぶりに会ったのなら、お茶の一つも一緒に飲みたいのは当然か。ボクはそのついでに過ぎない。


「いいかしら」


 フラウがボクに確認してきたが、断る理由はない。他に言われている仕事もないのだ。


「ボクなんかが一緒でいいなら」


 そう言うと、ワシツ夫人は侍女に何ごとかを小声で言った。

 先に戻って用意をしておくようにとでも言ったのだろう。侍女は深く頭を下げると、足早に立ち去った。


「では買い物が済んだら参りましょう」


 そうだった。ボクはもう、このまま侍女のあとを追うようにして行くのだと思っていたが、この店に来た目的を果たしていなかった。

 それからしばらく、フラウはお手本であるワシツ夫人からのアドバイスを直々に受けて、扇選びに精を出した。

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