第25話:黒衣の少女ー5

 朝までにこれをしておかなければならない、というもののない夜はいつ以来だったろうか。

 晩餐での緩い雰囲気も手伝ってか、フラウは久しぶりに熟睡を味わった。


 支給された薬草類で、ある程度の調合はしておかなければならなかったが、それは自分の使い勝手の問題であって、揃える数が決まっているわけではない。気楽なものだった。


 いつもは誰よりも早く目が覚めて、その瞬間に意識もはっきりする性質だ。しかし今朝は、メイドが入り口の扉の前に立ち止まるまで眠っていたほどだった。


 そういえば、昨日のメイドじゃなかったわね。


 高級宿屋のメイドは夜間の要望にも答えるため、睡眠をとらずに待機していることが多い。

 もちろん全く睡眠をとらないわけにはいかないので、午後から仕事を始めて次の日の朝まで働く。


 それだけでは日中の人手がなくなるので、朝から夜まで働くメイドも別に居る。

 つまり夕刻になってから宿に居た昨日のメイドが、朝一番に居なかったのはおかしいのだ。


 たまたま今日が、お休みなのかもしれないわね。


 辻褄の合う答えはそれだけだった。しかしどうであれ、良い意味で目に付いたから気にしただけで、居たら何か頼みたかったというのでもない。


 くだらない。


 それに気が付き、しかも今はもう昼中も近いという事実にも思い至って、自身に呆れたフラウは「はっ」と息を吐いた。


 それはそうと。


 そうだ、もうこんな時間なのだ。別に昼食など食べなくても良いが、一応は貴族の顔を持つフラウとしてそれは出来ない。

 かと言ってその程度にしか考えていないものを、一人でわざわざ出かけていくのはいかにも億劫だ。

 連れが居れば、まだいいのだが――。


 さて、あの子は来るのかしら。


 昨夜アビスには、フラウが影と呼んでいる実行部隊の尾行がついていた。どうしてそうなったのかは知らないが、必要な情報を得たのちに殺害されている可能性も十分にある。


 メイクくらいはしておかなきゃね。


 あくまでも未定なのだ。来ないことを前提にしていては、どうしてそうしたのか説明出来ない事態に陥る。そんなつまらないミスはない。

 髪とメイクをメイドに頼み、着替えも終わったころ、別のメイドがフラウを呼びに来た。


「あら、ありがとう」


 前半の「あら」は、アビスが来たことに対してかかっていた。驚きというほどでもないが、やはりどこかで来ないものと思い込んでいたのだろう。


 準備を整え、小物袋も持って部屋を出た。

 表情はどうするべきか――にこやか過ぎるのも嘘っぽい。微笑む程度にして、心の内では再会を喜んでいるということにした。

 表の扉を入ったところでアビスは待っていた。表情は昨夜の食事をしている時と変わらないように見える。


 尾行されただけで、何もなかったの?


 老若関係なく、感情をそのまま表情に出さない人間はたくさん居る。逆に、女と出会った瞬間に表情が崩れる、だらしないタイプという可能性もある。


「今日も来てもらって、悪いわね」

「いえ。光栄ですよ」


 あら、お世辞?


 誰かに仕込まれたのだろうか。そうだとするならば、持ち上げ方が不十分だが。


「考えてみると、食事の時だけ迎えに来てもらうなんて、何だか私がものすごく食いしんぼうみたいね」

「そんなことはないですよ。食事は誰だってしないといけないものですから」

「そう?」


 どうやらお世辞ではなく、たまたま選んだ単語がそう聞こえただけのようだ。お世辞で気を引きたいなら、今の返しもそうしたはずだ。


「じゃあ、私の食欲を満たしに行きましょうか」

「お供します」


 変更した計画に、この少年を使うことはとても有効だろう。真面目で素直な性格が前面に出ていて、そこが最も素晴らしい。

 もう、少なからず男女の意味での好意を持っているだろう、とも確信を持っている。


 あなたをもっと私に入れ込ませるには、どういう手が有効なのかしら。


 これまでに経験した数々の手管を思い返し、これから毒牙にかけることになるアビスを眺め、フラウは自分が舌なめずりをしているような錯覚に陥った。


 誰にも気付かれないよう、小さく舌打ちをした。

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