第16話:黒衣の少女ー4

 宿の受付の前で、自身を送り届けてくれた少年の背に手を振る。

 巧妙に作り上げた会心の笑みを解き、今度はにこやかな素顔、フラウがそうと設定している表情へと変えた。


 その表情の管理が完璧だとは、フラウ自身も思っていない。

 しかし様々な状況、人の心理が、表情一つでどうにかなることが多いのも知っている。

 今の生活になってから、ずっとそうしてきたのだ。フラウがそうしようと考えなくとも顔の筋肉が勝手にそうなってしまう。


 扉から出て行った少年を追って、フラウも扉のすぐ外まで出て行った。

 その行動に気付いた時、相手の男がどのような心理を働かせるのか、具体的なことは知らない。

 けれども決して少なくない、自分に対してプラスの感情を働かせるのは間違いなかった。


 事実として、扉を開けた音に気付いた少年が振り返ってフラウの姿を認め、恥ずかし気ながらも喜んでいるではないか。


「また明日」

「ええ、また明日」


 少年は名残惜しそうに、明らかに後ろ髪を引かれて帰る方向へ向き直った。またこちらを向くかどうかは分からないので、胸の前で手を振っておいた。


 ああ、やはりそうするのね。


 少年が消えた路地に目を凝らしていると、黒い影が走った。フラウが見ただけでも二つ。きっともう少し多いのだろう。


 何かを調べるだけなのか、極端な何かをする気なのか、それは知らないし興味もない。

 もし明日あの少年に会えなかったなら、彼とその仲間たちは、私の存在を知られてはいけない何者かだったのだろう。それだけのことだ。


 面倒だけど外に居てもなんだし、部屋に戻ろうかしらね。


 細く息を吐いて、自分を茶化した。

 楽し気な笑顔から素の笑顔へとランクを落としたことで、少年には別れを惜しんでいるような印象を与えられただろう。

 しかしこの笑顔は、この宿屋の店員には人当たりの良い表情としてそのまま使える。


 フラウが表情を変えるのには、いちいちそんな検討を踏んでいる――などということはない。が、意識していないだけで分解すればそういう判断を下していたし、少年や店員への影響がどうであるかの結論は間違いなく持っていた。


 自室に戻ると、昼間に手紙を書いたテーブルについた。特に何かをしようと思ったのではなく、座るとしたらここか、ベッドか、鏡台かしかなかったのだ。

 本当は食事前に買った夜着にすぐにでも着替えたかったが、このあと来る誰かにあえて見せる必要もなかったので待つことにした。


 夜着姿くらい、今まで何人に見られたか見当もつかないけど。


 自嘲して、水差しから小さなカップに水を注いでいると、至極小さく音がした。


「はいはい」


 まだ聞こえるはずもないが、面倒そうに返事をして窓と鎧戸を開ける。

 するとすぐさま、獣皮紙を丸めた手紙が投げ込まれた。


「手渡せばいいでしょうに」


 フラウはぶつぶつと、調子が平たすぎて文句に聞こえない文句を言いながら、後方に飛んだ手紙まで数歩を歩いて拾い上げた。


 顔を上げると、ベッドの上には今着ているのと同様のドレスが数着、いくつかの鞄と袋類が整然と置かれている。

 開け放たれたままの窓の内にも外にも誰の姿も見えず、屋外を吹くそよ風以外には動くものもなかった。


 けれんのお好きなこと。


 馬鹿にするように鼻をふんと鳴らしたフラウは、手紙を開封して中を読んだ。


 計画は修正して実行、ね。


「はいはい」


 また誰も聞く者は居ない中、フラウは返答をした。

 その頭上。屋根の辺りで軋む音がしたが、フラウは気にも留めなかった。

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