第15話:フラウの笑顔

 もう夜も更けたというのに、メルエム男爵は溌剌と去っていった。

 洗い立ての手拭いのような香りと、爽やかな笑顔だけを残して。


 去り際に「山賊の件は既に手配されているはずだが、これからすぐに私からも手配しておこう。貴方がたの意見を入れてね」と言っていた。

 つまり帰宅するのでなく、また仕事場に戻るということだ。


 そんなに根を詰めては体を壊してしまいそうで、見習おうとは思えない。でも、ああいう人が居るから国が成り立つんだなと感心した。


 振り返ると、フラウはまだ手を振っていた。男爵の姿はとうに見えないことに、気付いていないようだ。

 先ほどまでの楽し気な雰囲気はなく、気怠く、力のない目だった。


「フラウ?」


 名を呼ぶと、はっとした表情をほんの一瞬だけ見せた。それから、失せていた生気をどこからか取り寄せたかのように、急に微笑む。


「ごめんなさい。ちょっと、ぼうっとしていたわ」

「そうですか。あまり気に病まないほうがいいですよ」


 きっと山賊に襲われたあれこれについて、思い出してでもいるのだろう。そう思って気休めにしかならないことを言う。それでも言わないよりはましだと思って。


「……あ、そうね。ありがとう」


 気にするなと言って、すぐにそう出来る人は居ない。まずは息を吐ける場所に送り届けることが最善だろう。「帰りましょう」と、軽く腰を押した。


 それはよく、女性に対して行動を促す時に男性がやるのを見ていたからそうした。のだけれども……。


 なんだこれ! すごいドキドキするんだけど! 手や肩に勝手に触れては痴漢呼ばわりされるから論外としても、他にどこか難易度の低い触っていい場所ってあるんじゃないの!


 と、人生初の行為に驚天動地の心持ちだった。


 そこから何とか持ち直して夜道を歩き出そうとした矢先、強烈な衝撃を肩や首に受けた。


 くっ。山賊か。


 油断した。まさかこんな店の真ん前で襲って来るとは、思ってもいなかった。

 次の攻撃を受ける前に、せめて相手の顔くらいは見ておかなければ。必死に体をかわしながら、後ろを向く。


「アビたん、どうしたみゅ?」


 きょとんとした顔で、片方の手と腕をボクを襲撃した形のまま、メイさんが言う。


「どうしたって――メイさんこそ、それどうしたんです?」


 メイさんのもう一方の手は、尋常でない量の食べ物で占拠されていた。

 見たところではパンや串焼きのような物ばかりなので、道々で買い歩いて来たのだろう。


「お小遣いをもらったから、買ったのみゅ」

「お小遣いって誰に――ああ、ユーニア子爵からですか」


 みゅみゅとご機嫌そうなメイさんはいいが、トンちゃんはどうしたのだろう。二人で行っていたはずだが。


「トンちゃんはもう一個、だんちょおに頼まれてたみゅ。どこに行ったかは知らないみゅ」


 聞いてみると、なるほどという答えだった。

 届け物という用事で、今メイさんがそうしているように礼金が消えてしまうのはまあ良い。しかし肝心の届け物が、どこに行ったか分からないのはまずい。


 だから団長はメイさんだけでなく、トンちゃんも一緒に行かせたのだろう。

 そもそもトンちゃんに頼みたかった、今行っているという用事のついでに。


「よし、アビたんにはちゃんと会ったみゅ。じゃあメイは、だんちょおにお土産してくるみゅ」

「えっ、ちょっと待ってください。フラウのことはどうなったんです?」


 トンちゃんがしつこく言い聞かせたのだと思うが、この店の前でボクたちを待つところまでは覚えていたらしい。


 しかし覚えていたのはそこまでで、団長のことが大好きなメイさんは、買い込んだ物を団長にも食べさせたいのだろう。うきうきとしながら去ろうとしたので、慌てて呼び止めた。


「フロちのこと………………? あっ、忘れてたみゅ。これを渡せって言われたみゅ」


 メイさんはこれくらいで動じたりしない。明るく元気に、背負っていた小さな袋から更に小さな袋と薄紙の手紙を取り出して、フラウに示した。

 思い出してくれて、良かった良かった。


「この袋は――当座の資金を出してくださったんですね。助かります」


 こちらはきちんとメイさんにお礼を言って、袋のほうを覗き込んでフラウは言った。そのまま中から取り出した物が、今度はボクへと示される。

 二枚の金貨だ。


「お借りしていた分と、ささやかに過ぎますが今回のお礼です。皆さんで食事でもなさってください」

「お礼は本当にいいですよ。受け取ったら、僕が団長に叱られます」

「はあ――本当に?」


 フラウは救出されてからこっち、団長やボクに何度も礼をすると言っていた。

 しかし団長は頑なにそれを断り、それを見ていたボクも受け取れるはずがない。ましてや今日の夕食は、ご馳走になってしまっている。


「あ、そうだ」


 フラウの顔面に、満面の笑みが浮かぶ。何だろう、この不安感は。


「手紙を届けていただいたお礼はしなければいけませんね」

「みゅ? もうもらったみゅ」


 食べかけの串を「じゃーん」と掲げて、メイさんは言った。


「いえそれはユーニア子爵のご厚意で、私からの謝礼ではありません。ですからこれを」


 あっ、しまったそういうことか!


「メイさん、それは――」

「団長さんや他の皆さんにも、もっともっとおいしい物を買って帰ってくださいね。あ、そう言えばすぐそこに、知る人ぞ知るおいしいお店が――」


 渡した額が見えないように、フラウはメイさんの手を隠しつつ、ボクの言葉を遮って言う。


「分かったみゅ! だんちょお待ってるみゅうう」


 あっという間に、メイさんは駆けていった。フラウはメイさんへのお礼を出すのに、財布は取り出さなかった。だからメイさんが受け取ったのは、金貨に違いない。


「まいったなあ……」


 ぶつぶつ言っていると、闇に消えていたメイさんが再び姿を見せた。何かと思えば大声で


「ありがとみゅ!」


とだけ叫んで、また去っていった。


「可愛い人ね」


 フラウは、くすくす笑う。

 笑いごとではないのだが、こうなってまたメイさんから金貨を取り戻すなんてもう出来ない。それはどうにも不格好だ。


「先輩なんですけど、いつもあんな感じですよ」

「楽しそうね」


 仕方がない。戻ったらまた団長に「油断は禁物にゃ」とか言ってからかわれるのだろうけれど覚悟しよう。


「じゃあ宿に帰りましょう」

「ええ、お願いするわ」


 フラウは、にこりと微笑んだ。

 ふと見ると悲し気な目をしている彼女の、笑っている瞬間が少しでも増えたのなら良しとしよう。そう思えた。

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