第12話:初めての晩餐
酒場や食堂と言えば、客や店員の話し声や喧嘩をしているかのような怒声。
賑やかしく食器がぶつかりあい、時には酒瓶が割れることもある。
気分の良くなった人々や、流れ着いた吟遊詩人が声を張り。
酔いつぶれた人はテーブルや床に転がる。
そんなところだと思っていた。
「店がお気に召さなかったかしら」
「いえそんな。普段はあまり来ないような感じだから、久しぶりだなって」
嘘だ。来たことなんかない。
派手な装飾はないが、木目の揃えられた造りのいい床や建具。テーブルにはクロスが掛けられ、店員はほとんど足音を鳴らさない。
知識としてこんな店があることくらいは知っていたが、知っていたというだけだ。
「そう。あなたにお借りしたお金で申し訳ないけど、ご馳走するからお好きな物を頼んでね」
「いやいや。そこまでしてもらうわけには」
いっそ眩しいくらいに揃えられた大量のランプが照らす中、微笑む彼女の表情まで輝いて見える。
それで「いいの。そうさせて」なんて言われて、なお固辞することが出来るほどにボクの経験値は高くない。
メニューを見せてもらったが、さっぱり分からなかった。書いてある言葉の一つ一つは分かるが、出来上がった物の想像がつかない。
だから早々に諦めて、フラウにお任せすることにした。強硬にことを運ぼうとしても、被害を増すのが落ちだ。
フラウが注文を済ませると、早々に食前酒が来た。
「神は信じるほう?」
「あ、いえ。それほどでは」
何のアンケートだろう。実は教会の回し者だろうか。それだったら今の返事はまずい。
「じゃあ何に祈りましょうか」
「ああ、なるほど。ええと……」
つまりフラウもボクと同じく、それほど信仰に厚くないと。
それはともかく何に祈るかなんて、急に聞かれても思いつくわけがない。普段はメイさんやシャムさんに食事を横取りされないよう、競争しながら食べている始末なのに。
ボクが少しの間考えても何も思い浮かばないでいると、フラウが「じゃあ」と一呼吸置いて、食前酒のカップを持って言った。
「この夜に」
何それ格好いい。
「こ、この夜に」
フラウを真似てカップを持ち、くいと呷った。
この場でエールはないだろうから葡萄酒かと思っていたが、何か柑橘系の香りのする知らない酒だった。
「あなたはハンブルなのに、仲間はキトルばかりなのね。どういう集まりなの?」
「ああっと……そう思いますよね」
まあ普通はそう思うだろう。一般的にキトルが街中を遊び歩く姿だって珍しいのに、その中にボクみたいなのが混じっていれば尚更だ。
そう思われて当たり前だとは思うが、やはり現実に言葉として聞くと辛い。
「ごめんなさい。聞いてはいけなかったかしら」
「あ、いえっ。そうじゃないんです。ええと、何と言えばいいのかな」
どうしよう。団長は何も隠さなくていいと言っていたけれど、本当にいいんだろうか。
全て話したとしてフラウがどう思うか、それも今更ながらに心配になってきた。
そうやってボクが逡巡していると、楽師の演奏の他には僅かな話し声しか聞こえなかった店内がざわついた。
「何かしら」
カップを置いて、首を巡らしてざわめきの理由を探す。フラウはそんな当たり前の動作も優雅だった。
さすが男爵夫人だなと感心しつつボクも探すと、理由はすぐに分かった。
店の入り口のほうから、一人の客が店員に案内されて来るところだった。
他の客のかなりの人数――特に女性――が、その人物に呆けたような、或いは熱い視線を送っている。
「あら」
「おや」
フラウとその客が、お互いに気付き合った風に声をあげた。知り合いだったらしい。
「これはこれは、エリアシアス男爵夫人。今宵はカテワルトにお越しでしたか」
「こちらこそメルエム男爵。勝手にお邪魔しております」
メルエム男爵というらしいその人物が深々と腰を折ると、フラウはそれよりも早く席から立っていて、スカートの裾を広げて返礼をする。
おお、何だか貴族っぽい。いや別に疑ってはいないけれど、正しくそれっぽい感じだ。
「新しいご友人ですか?」
メルエム男爵がボクに顔を向けて言った。
貴族に何となくイメージする威圧感など欠片もない、優しい顔立ちだった。
それに声も厳かで清々しい。フラウの声を高原で奏でる笛の音だとすると、男爵のは神殿に響き渡る弦楽器といった雰囲気だ。
「あっ! す、すみません。アビスと言います」
ボクだけ座ったままだったことに気付いて、跳ねるように席を立った。
随分と失礼だったはずなのに、男爵は笑って「構いません」と言ってくれる。
「男爵。よろしければご一緒しませんか?」
「よろしいのですか?」
フラウの誘いを、男爵はフラウに問い返すだけでなく、ボクにも聞いてくれているようだった。
ボクとしては二人きりで居ても、何を話せばいいやら悩むどころか頭が全く働かない。願ってもない助け船だった。
木彫りのおもちゃのようにかくかくと縦に首を振るボクを見て、男爵は「ははっ」と湿り気なく笑い、言った。
「それでは、ご相伴にあずからせていただきましょう」
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