第11話:黒衣の少女-3

 貴族や大商人だけが使う高級な宿屋の一室で、キトルたちともようやく別れた途端、フラウはベッドに倒れ込んだ。

 その準備をするように長く息を吸うと、大きく、深く、ため息を吐く。


「ふう……」


 疲れた。体を拭いたら、ずっと寝ていようかしら。


 荘園を発って三日。目的地まではまだ七日かかるが、やっとカテワルトまで辿り着いて手足が伸ばせると思ったのに。山賊どもに捕まってしまった。


 窮屈な檻の中で手足を縮こまらせて、これでやっと死ねるかと思ったら、今度は妙な一団に救われてしまった。


 それではと元の生活に戻ろうとしたら、その一団はあれこれと関わってくる。


「面倒臭い」


 これから先の人生に良いことはたくさんある、なんてお伽噺を信じられる自分ではない。

 かといって、自分で命を絶つべきだと切羽詰っているわけでもない。それを考えることさえ面倒だった。


 目を閉じて、そのまま眠りに落ちかける。と、扉がノックされた。


 もう――誰?


 微睡みかけた意識がふっと戻って、湯浴みのための湯を頼んでいたのだったと思い出した。


 いえ。頼んだのは私じゃなく、あのショコラとかいう団長さんだったわね。


 歯痒かった。苛々するのではなく、何とも落ち着かない気分だった。

 迷惑ではない。団長が頼んでいなければ、自分で頼むつもりでいたから余計な手間でもない。しかしどうして世話を焼くのか。


 まあいいか……。


 珍しく一つのことについて考えている自分も面倒になって、ここまで考えたことを全て放棄した。

 また、今度は遠慮がちにノックがした。


 待たせてしまったわね。


 意識してささと動き、扉を開けると、若いメイドが大きな薬缶を提げて立っていた。フラウと同年か、離れていても二つくらいだろう。


「お休みをお邪魔したのでしたら申し訳ございません」


 はきはきとしていて、言うべきことをきちんと言う。躾の良いメイドだ。


「いえ大丈夫。湯を張ってもらってもいいかしら?」

「畏まりました」


 この宿屋には湯船があった。フラウには湯船に浸かる習慣はなかったが、地域や国によってそれが当たり前のところがあるのも知っていた。

 だからここに泊まる時だけは、湯船に浸かることが多かった。


「もう少々お待ちください」

「ゆっくりでいいわ」


 一つの薬缶では足りず、廊下に置いていたもう一つの薬缶を取りに行くのにも声をかける。フラウの気遣いにも「ありがとうございます」と立ち止まって礼を言う。


 これで普段は余計なお喋りをしないというのなら、私が召し抱えたいくらいね。


 召し抱えたところで何をさせるのかと想像すると、唇の形を少し歪ませる程度には笑えた。


「お邪魔を致しました」

「ありがとう、助かったわ」


 宿の前金を支払った残りから銀貨を一枚渡すと、メイドは両手でそれを受け取り、深々と頭を下げて出て行った。


 ここで何も言わなかったのも、フラウには好感が持てた。いわゆるチップに相当する今のやりとりは、帳簿には残らない取引だ。そうであれば「これをどうぞ」とか「頂戴します」とかいう言葉も、お互いそこにあってはならない。


 普段からそんなことを考えているわけではないが、この時のフラウにはそう思えた。


「さて」


 体のあちこちを縛っているリボンやら帯やらを緩めながら、窓の外を眺めた。


 さすがに誰も来ないかしらね。


 すっかり全裸になったフラウは湯船に入ると、腰まである湯を肩からかけ、ほっと一つ息を吐く。

 喉の下から、胸の上辺りまで。赤と青が薄く残る、まだらな痣。擦って消そうとするかのように、知らずそれを撫で続けた。

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