第10話:やり手の副団長

「でも団長――」

「お帰りだったですにゃ、団長」


 方針を決め切らないままに反論をしようとした矢先、はっきりかっちりした声で遮られた。


「たった今にゃ」

「そうだったですにゃ。アビスは無事だったようですにゃ」


 自分が入室するために開いた扉を、丁寧にそっと閉める動作もキビキビとしている。副団長のトイガーさんは、ボクのほうを向いて言った。


 容姿の個人差が大きいキトルの中でも、彼女はハンブルからほど遠い。その姿はいっそ、キトンが直立したようと言ってしまったほうが早い。


「ご心配をおかけしました。何とか無傷で帰りました」

「それは良かったですにゃ」


 そう言いながら彼女はつかつかとボクの目の前に来て、いきなりボクの頬をぐりぐりと撫で始めた。


「あっ――い、痛たたたたっ!」

「その程度で済んで良かったですにゃ」


 無傷ではないことを見抜いていたらしい。団員中で最も小柄な彼女は、最も理知的で鋭い意見を言う。

 でも傷があるのを知っていていたぶるのは予想外だった。


「これをあげるですにゃ」


 ぽいと投げられた物を受け取ってみると、小さな焼き物の容器だった。


「これは?」

「寝る時に塗っておけば、朝には痛みが軽くなるそうですにゃ」


 薬なのか。こんな容器に入った薬、随分と高いだろうに。しかもここに常備してあるはずもない。


「わざわざ買いに行ってくれたんですか」

「団長、頼まれていた件ですにゃ」


 トイガーさんは、さっと視線と梯子を外し、持っていた薄紙を団長のところへ持って行った。

 いつも事務的で怒ったような表情の彼女は、自身が優しいことを認めない。だからボクはそっと「ありがとうございます」と頭を垂れた。


「もう何か分かったかにゃ? さすがトイガーにゃ」

「いえ、分かってはいないですにゃ。資料を集めただけですにゃ」


 言いながらも、すぐに団長は書いてある内容に没頭し始めた。耳が揃って前を向いて、視線が動く方向に倣ってゆっくり動いているのが証拠だ。

 そこに何が書いてあるのか気になって、ちらと覗いてみる。不躾に覗き込んだりはしない。あくまでも、ちらっとだ。


 ――地図かな?


「アビスはそっちですにゃ」


 トイガーさんに、ぴしっとした声で咎められた。彼女は間違いなく優しい人だが、怒ると怖くもあるのだ。


「ボクも何かあるんです?」

「見覚えがあれば言うですにゃ」


 覗きをやめさせるためだけでなく、本当に用事があったらしい。彼女はテーブルの上に山と積まれた獣皮紙を指し示した。


「見覚えって――ああ」


 それは手配書だった。犯罪者の名前と出身地、似顔絵と、簡単な罪状に注意事項。山賊たちの顔があれば言えと。

 トイガーさんのことだから、捕まったりして既に無効になったものは抜いてあるだろう。なのにすごい量だった。


「ええと、新しいのはどれですか?」

「端の、上から二十三枚ですにゃ」


 さすが彼女は枚数も正確に覚えている。しかもボクが今言った新しいのというのは、ボクが手配書を前にチェックした時にはなかった物という意味だ。


「増えるもんですねぇ」


 もとより独り言だったので全く構わないが、トイガーさんはもう答えてくれなかった。


 いいさ。ボクは泣かない。


 さて手配書だ。トイガーさんの言った通りテーブルの端にある山の、上から二十三枚目までを取った。見れば確かに、二十四枚目は見覚えがある。


 ソファに戻って、見たものを順に座面に置いていく。しかし手配書の似顔絵は、あくまで絵だ。そもそも獣皮紙に描かれているから線が太いし、描いた人の腕もまちまち。


 つまりは見てもよく分からない。

 ボクが見た十四人の山賊たちの顔を思い浮かべ、似てる――気がするものを別に置いた。


「あ――」


 半分を越えたところで、ボクは手を止めた。いや、止まったと言うのが正しいか。

 頭の直径よりも太い首。彫りの深い目鼻立ち。左の頬には大きな傷跡があるだろう、と。


 ――親方だ。


 名はジスター=バラバス。罪状は上官殺し? 上官ってことは、あの人は元軍人なのか。そりゃあ強そうなわけだ……。


 と、その一枚だけを眺めていても進まない。とりあえずそれはまた別の場所に置いて、作業を再開した。


 全てを見終わっても、親方の一枚の他は何となく似ている気がするくらいのものが、三枚あるだけだった。


「終わったですにゃ?」


 ボクの手から手配書がなくなったのを見て、トイガーさんが聞いた。

 返事をしつつ立ち上がり、合計四枚の手配書を取って団長に持って行った。


「さっきの男だにゃ」


 団長も見るなり、うんと頷いて言った。ついでに「似顔絵のほうが格好いいにゃ」とも。


「ご存知ですにゃ?」


 トイガーさんが聞くと、団長は目を閉じて記憶を辿っているらしい様子を見せる。


「確か北の警備隊からの脱走兵だったにゃ。ここ最近で上官殺しなんて他に聞かないにゃ」


 どこから仕入れてくるのか、団長は色々なことを知っている。

 隣国の小競り合いのことや、作物の出来栄えがどうだったとか。たぶん聞けば、地方領主の浮気相手なんかも知ってるんじゃないだろうか。


「要塞の出入り商人に聞いたから、間違いないと思うにゃ。それ以上詳しいことは知らないけどにゃ」

「なるほど……。でもそれがどうかするんです?」

「今のところは何もないにゃ」

「え、ああ。事前の備えということですか」


 団長がにこにこと頷いて「そういうことにゃ」と認めると、トイガーさんは資料を手早く纏めた。


「トイガー、頼むにゃ」

「畏まったですにゃ。団長もお願いするですにゃ」


 それだけの会話でお互い通じているらしく、トイガーさんは部屋を出て行った。


「トイガーさんがお願いごとって、珍しいですね」

「大したことじゃないにゃ。ところでそれはいいのかにゃ?」


 言って団長が指したのは、似てる――かな? というほうの手配書だ。


「ええとこっちのは、あまり自信がないんです」

「じゃあ、とりあえずそれはいいにゃ。出来ればアビたんが、覚えておいてくれると助かるにゃ」


 団長はまた、いい笑顔でそう頼んでくる。それで断れるわけがないじゃないか。

 まんまとボクが「分かりました」と引き受けると、団長はさっと一枚の薄紙を出す。


「ついでにこれも描いてほしいにゃ。トイガーの頼みごとにゃ」

「え。何です、それ」


 大したことじゃないと言われたその作業で、ボクはそれからフラウとの約束の時間までを大いに悩む羽目になった。

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