第8話:押し売り
おっと。固まっている場合じゃない。
しかし、身の上話とはなんだろう。確かにこの女の子、フラウの身なりは貴族の令嬢風ではある。でも、それにしては護衛が少なすぎる。と、誰に対してか取り繕うように考えた。
貴族の令嬢とお近づきになったことがないので詳しくはないが、街道を長距離移動するのなら多少の山賊などものともしないような人数を付けるのが普通だと思えた。
というか団長はその辺りのことを、さっきまで聞いていたのだとばかり思っていた。
「傷心の女の子に、いきなりそんなことを聞くほど野暮じゃないにゃ」
「どうしてボクの考えていることが分かるんですか」
すごいだけでなく、こういうところはある意味で怖いと言えるかもしれない。ボクの問いにも、にゃにゃにゃと笑って答えずに、フラウに話すよう身振りで促した。
「そんな大仰なお話ではないんですが、お願いと言いますか――。とは言え助けていただいたのですから、まず私の名は、フラウ・アル=エリアシアスと言います」
「アル?」
それは王に連なる者という意味を持つ、貴族を表す冠語だ。
聞き返したボクに、フラウは淡々と「ええ」とだけ答えた。
「宮廷では、エリアシアス男爵夫人と呼ばれています。と言っても未亡人でして、今は残された荘園に寂しく暮らす身です」
「それは――大変でしたね」
既に結婚していて、更に未亡人とはさすがに驚いた。でも確かにボクと同い年くらいと言えば、貴族だと結婚適齢期の真っ盛りだ。おかしな話ではない。
月並みなことしか言えなかったけれど、どうしてこんな綺麗な子がと、ボクが勝手に焦れる思いを言ってしまってはきっと失礼だ。
「それで、お願いというのは?」
「はい。大変にお恥ずかしく、申し上げにくいのですが、少しばかりのお金を貸していただけないかと」
「お金、ですか」
貴族の言う少しばかりとは、どれくらいだろうか。成り行き上でボクが話を聞く格好になっているが、ボクが個人で貸せる金額などたかが知れている。
「あ、いえ。本当に少しです。カテワルトで二、三日の宿が取れるほど」
「ああ。それくらいならボクでもお貸しできます」
ボクはカテワルトの住人なので宿を使ったことはないが、大体の相場くらいは知っている。
「ありがとうございます。金貨一枚ほどで足りますので」
静かな微笑みで、フラウのしっとりとした両手がボクの手を包んだ。そんな顔でそんなことをされては、予想の十倍近くも高かったなどと言うことが出来ない。
「大丈夫ですよ! はい大丈夫ですとも!」
声が上ずりかけたが、何とか抑えた。貴族の使う宿って高いんだなと、新街区の中でも目立つ、いかにも高級そうな宿泊専門の宿を思い浮かべた。
そのボクの背中に勢いよく、がばと何かが覆い被さってきた。
「フロちは、お金どうしたにゃ?」
団長は肩越しにボクの頬をぷにぷにと構いながら、言われてみれば当然の疑問を口にした。
ボクの背中に、団長の豊かな胸が当たっているのは気にしてはならない。断じてだ。
いつも半裸同然の格好で、今も乳房の上半分は完全に露出している、柔らかくてはちきれそうな――いかん、何か他のことを考えないと。
「私の手荷物にもいくらかはあったのですが、先ほどの方たちに奪われてしまいました」
「そうだったんですか、返してもらわなきゃ!」
既に団長から愛称で呼ばれているのは気にすることなく、フラウは残念そうに言った。ならばすぐにでもと駆け出したかったが、後ろから団長に抱きつかれているので叶わない。
「いえ。こういう言い方は変かもしれませんが、あの方たちもあれを生業としているのでしょう。一旦奪われた以上は、それが運命だったと考えて諦めます。特に大事だった物があるわけでもありませんし」
「はあ……」
貴族っていうのは、こういう考え方をするんだろうか?
ボクが見知っているお金持ちの商人なんかは、命よりも金品のほうが大事だくらい言いそうだけれど。少なくともボクだって、謂れもなく物を奪われれば腹が立つし、取り戻したいと考える。
「それで、もう一つお願いが」
会話に少しの間が空いて、またフラウが言った。遮る理由もなく、お願いとは何かに耳を傾ける。
「色々と面倒を見てくださっている家がリベインにあるのですが、そこまでお使いを頼めませんか」
「貴族のお友達ということですか。首都に?」
「お友達――まあ、そのようなところです。貴族というのは面倒なものでして、女が供も連れずに出歩くなど罷りならんと言われてしまいますもので」
ボクたちの住むカテワルトと首都リベインとの間には、僅かな距離しかない。大人の脚で二時間強の道のりは、
ボクたちが、それなのに使いをする必要があるのか、と考えることを先回りして彼女は言ったのだろう。
「はい、構いませんよ」
貴族の事情は知らないが、分からない話ではない。それにそのくらいは、本当にお安い御用だ。
二つ返事で答えたボクに、フラウはまた手を取って「よろしくお願いします」と、厳かに頭を下げた。
何だろう、急に仰々しい。
まるで自分が王さまだか神さまだか、とても大層な存在として扱われているようで居心地が悪い。
ああ任せろとでも言えれば良かったのに、そんなだからあわあわと言葉を見失った。
「ちょっと待つにゃ」
いまだにボクの背中に貼り付いていた団長が、そう言ってやっと離れてくれた。ああ、髪の毛も散々にいじられてぐちゃぐちゃだ。
「何でしょう?」
「こちらも一つ相談があるにゃ。聞いてくれるかにゃ?」
思いがけないことを言われて、フラウは少し驚きつつ首を傾けた。
「あたしもこの子たちの面倒を見てる身にゃ。申し訳ないけど、そっちの子にお駄賃の一つもやってくれないかにゃ?」
「ええ。もちろんそれは、お借りしたお金をお返しする時にそうしようと思っています」
トンちゃんとメイさんを指して、団長は言った。助けた礼をよこせということらしい。フラウもそう受け取って快く引き受けているが、ボクにすれば戸惑うばかりだった。
ボクが出会ってからこれまで、団長はそんな小賢しいことを口にしたことはない。むしろボクたちの
「いや、そんなにちゃんとしなくていいにゃ。さっきのお使いをやるから、そのお礼だけでいいのにゃ」
「ああ――そういうことですか。いえでもそんなことでは」
「あたしたちからすれば、大したことじゃなかったにゃ。だから晩のご飯を食べられるくらいのお小遣いをもらえれば、それでお互い気持ちいいという話にゃ。問題あるかにゃ?」
フラウが返そうとする言葉を最後まで待たない、どうにも押しの強い議論だった。普段の団長からすればどう考えたっておかしいのだが、それをこの場で問うほどボクも愚かではない。
「問題は――ありませんけれども」
齟齬も難もなく。ただ「こうしよう」と思っていたのとは異なるという提案は、誰しもすんなりとは受け入れがたいものだ。しかしそれについて問題あるかと聞かれると、よほど相手を嫌ってでもいなければ、あるとは言いづらいのもまた事実だ。
実際にフラウも軽く息を吐いて、やれやれといった風だ。しかしそれでも困った表情を残しつつ「ではそれでお願いします」と笑って言った。
「それにあの子たちのほうが、かなり脚も速いにゃ」
そう言って、団長もまた笑い返した。
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