第3話:黒衣の少女ー1

「仕組まれたというわけではなさそうね」


 すえた臭いのする男に担がれたまま、フラウは言った。

 それは独り言であって、自分の眼下に居る男やそれ以外の誰かに向けたものではなかったが、担いでいる男に聞こえないはずもない。


「ああ? 何だって?」


 荒い口調で男は言った。が、その問いに答えるつもりは毛頭なかった。この状況で彼らと会話をしても、何がどう転んだところで自分の不利益にしかならない。

 無駄に助かろうと努力する気はないが、あえて苦痛を増やす理由もない。このあといくらかの不愉快な思いはしなければならないのだろうが、それさえ済めば結論は出る。


 速度を上げて過ぎ去ったエコリアに、救助の望みはないだろう。だから遠からず、私の死という形での結論が出るだろう。それまでの辛抱。


 そんなことを考えているとは思いもつかないだろう男は、人形のように口を閉じたフラウに失笑し「おかしな女だ」と吐き捨てた。


 フラウには一つ気がかりなことがあった。もちろんそれも自分が死んでしまえばどうということではないが、服の腰を絞る帯に挟んである物。これを見つけられるのは良くない。

 持参していた小袋は手を離れてしまっているし、非常用の薬ならポケットに入っているが、今は役に立ちそうもない。


 そんなことが勝手に頭に浮かんで、フラウはまた「ああ面倒臭い」とため息を吐いた。


 木々の葉が風に揺れた。強くもなく弱くもなく、心地いい風が吹いていた。

 やはり世界というのは、私なんかが生きようと死のうと関係なく、ただそこにあって過ぎ去っていくんだ。そう感じた。


 それはフラウにとって、突きつけられた無情な現実ではなく、顔を覆って悲嘆すべき悲劇でもなかった。彼女にとっては、何度もあった似たような場面で考えた、似たような感想でしかない。

 これが常と言ってしまえばさすがに嘘になるが、とりたてて珍しい事件でもない。酒場の主人は飲みすぎで今朝も朝食に間に合わず、女将に叱られた。それくらいの感覚で自身の今を捉えていた。


「ついて来てる奴はいねえだろうな」


 かなりの距離を歩いたあと、フラウを抱えた男が振り返って言った。すると最後尾を歩いていた男が立ち止まり、振り返って指笛を吹く。


 どうやら私を担いでいるこの男は、この集団のリーダーらしい。


 それを知ったところで今のところどうもこうもないが、ただそうなんだなと思った。しかし指笛は何だか分からなかった。分からないままでも全く構わなかったが。

 男たちが歩いて来たのとは別の方向から、藪を掻き分ける音が聞こえてきた。


「尾行はないですよ、親方」


 藪から出て来た男は、リーダーあらため親方から聞かれる前にそう答えた。


 なるほど。最初から最後まで行動を別にする、監視役が居たのね。


 フラウの推測は正しいのだろう。でなければ、離れていた男が指笛一つで姿を見せ、問われる内容を知っているはずがない。


「ご苦労さんだったなセルクム。じゃあ帰るとするか」


 親方が言って、これまで歩いて来た方角から少し逸れた方向へ歩き出した。セルクムは親方の斜め後ろに寄って「意外と貧相だったなあ、親方」と軽薄な口調で言う。


 それは私のこと? その通り私の体形は貧相だけど、下馬評が流れていたの?


 フラウは聞き耳を立てた。そういうことであれば、自分は狙われて今この状況に陥っていることになる。いやもちろん、それならそれで構わない。単に性格的に、嵌められたなら嵌められたと知っておきたいだけだった。


「そうだな。もうちっとはあっても良さそうだったのに。まあ今日はこっちもある」


 親方が、フラウの尻を軽く叩いた。セルクムはさも愉快そうに「久しぶりだ」と同意を表した。

 男たちが言っていたのは、金品のことらしい。やはりフラウの乗ったエコリアが、この男たちに襲われたのは偶然のようだ。



 それからまた随分歩いて、フラウは地面に下ろされた。どうやら隠れ家か何か、そういった場所に着いたらしい。


 人が潜めそうなところは見当たらないけど……。


 フラウが周囲を見回していることなど気にする様子もなく、男たちは一つの岩にぞろぞろと集まった。

 これまでと変わり映えのしない木立の中、緩やかな斜面にぽつんとある大きな岩。大きいといっても、せいぜいフラウが両手を伸ばしたくらいの幅しかなく、高さもフラウの背より低い。


 男たちは身を屈ませて、岩の窪んだ部分へ入っていく。その光景にフラウは、何のまやかしかと目を疑った。


 ただの凹凸ではないの――?


 フラウにはただの凹みにしか見えない岩の窪みにすっかり男たちが中に入って、最後にフラウとセルクムが残った。


「ほれ、入んな」


 入れって、どこに?


 そう言われても、どこへどう入って行けば良いものやら分からない。結果としてそこが地獄への入り口であっても問題はないが、目の前で人が消えた怪しげな場所に、思わず身を竦ませるのは人間の本能だ。


「今さら駄々をこねるなよ。可愛がってやりたくなるじゃないか」


 岩の中に入るのを、フラウが嫌がっているとセルクムは思ったのだろう。薄い笑いを浮かべながらフラウの首すじを撫でまわし、顎の下を軽くつまんだ。


 その行為に、フラウは何の感慨もない。細かいことを言えば僅かに不愉快だと感じている部分はあるが、それは怒りだとか嫌悪の情にして表すほどのものでは到底なかった。

 熱のない目で、自身の顎をつまんでいる腕を見ていると、セルクムは言った。


「何だお前。やめてとか許してとか、何かないのか」


 これも聞き飽きたセリフだった。

 これを言った下衆が次に言うのは、つまらないとか、そういう態度が取れないようにお仕置きをするとか、大体そのどちらかだ。


 どこへ行っても、似たような人間しか居ないわね……。


 前に同じことを言ったのは、どこかの下級貴族の馬鹿息子だっただろう。

 その後その馬鹿息子がどうなったのだったか、全く覚えていない。誰かから聞いたはずだが、端から聞き流していたので覚えているはずもなかった。


 ざ、と。少しだけ強い風が一陣吹いた。枝葉が大きく音を鳴らして、またすぐに静まる。


「こっちだ。さっさと来い」


 気を削がれたのか、セルクムは手首をぎゅっと掴み、フラウは抗うこともなく暗い穴の中へ歩み入った。

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