命のモニュメント
@AltPlusF4
01- monument.
モノレール千葉公園駅のホームに降り立つと、強烈な湿気と熱気が、むき出しの腕や足を襲った。たまらずカバンを開き中からペットボトルを取り出そうとすると、車内の冷気の名残が僅かに腕を包む。ミネラルウォーターは買ってから間を置いていたが、一口含むと、この気温の中では熱気を払うのに十分な冷たさがのどを伝った。
この公園内に建てられた「市立モニュメントセンター」は、日本でも数少ない、公営のモニュメント収容施設だ。
外見は5階建てのビルのような見た目だが、地下に太平洋戦争時の防空壕跡地を流用した広大な収納庫を要しており、向こう100年にわたって市民らの「モニュメント」を収容できるという。100年という期間はモニュメント自体の耐用年数を考えれば誤差のような時間ではあるものの、モニュメントへのアクセス権を持つのが民間では実質的に遺族のみであることを考えれば妥当な年数なのかもしれない。
現行の国内法では、作成後150年を経たモニュメントは、国有のリソースとなり国家のデータベースへと納められる事になっている。「事になっている」とは、いまだ技術の普及から半世紀も経ておらず、この150年という保存期間すら延長を含めた議論の渦中にあるからだ。
公園の敷地に入ると、餌付けされた地域猫たちが、思い思いに涼しげな場所で寝転がり、地面からの冷気を身に取り込んでいる。私も木陰に寝転がりたい衝動に襲われながら、センターへの道を歩く。遊歩道わきには公園の名物であるオオガハスが育つ池が広がり、水面に大きな葉を広げていた。見頃となる毎年5月頃には、公園の池を薄桃色の大輪が埋め尽くす幻想的な光景が生まれはずだ。
ハスは涅槃の池に咲く花だという。このオオガハスの群生地にモニュメントセンターが建つのは必然だったのかもしれない。そんなことを思いながらセンターの自動ドアをくぐる。冷気が体を包み、汗が引いていく感覚をしばし楽しんでから、受付へと歩を進める。
「窓口業務」というものが姿をなくして久しい昨今だが、ここではいまだに人が受付を担当していた。
受付に私の市民IDを渡すと、いまや数少ない「窓口係」はまるで受け継がれた伝統芸の如き恭しさでそれを受け取ると、本人確認を行う。無事私のカードと生体情報が、収容モニュメントの遺族のものであることが確認されると、そのまま参拝用の個室へと案内された。
現在ほぼすべてが自動化されている「窓口係」というものをわざわざ人が行うのは、こうした無駄を「格調の高さ」と客が受け取るような高級店か、人の尊厳に関わる、ないしは関わっていると信じられている仕事、つまりは冠婚葬祭などごく限られた分野である。
モニュメントの性質を考えれば、自宅からでも「参拝」は十分可能だ。しかしながら私を含めこうして生身でセンターまでやってくるものは多い。家を離れ、外気に肌を晒し、人と触れる。こうした無駄を幾重にも挟むことは、モニュメントの普及によって幾分侵された「死の神聖性」のようなものを守るために必要な、文字通りの儀式なのかもしれない。
通された個室は3畳ほどの広さで、椅子が3脚並んでいる。正面奥の壁には、祭壇のようなものが据えられていた。曲線で構成されつつもあえて無機的な印象を与えるように工夫されたその意匠の中央には子供がうずくまれる程度の空間がある。
「現在、
案内のスタッフが手早く「祭壇」の操作方法を説明する。日に何度と繰り返しているであろう言葉がスラスラと係員の口から流れ出る。
「プライバシー保護のため、私が退室した後は扉は自動的に施錠されます。退室時にはこちらのボタンで解錠してください。何かございましたら遠慮なくインターホンでスタッフを及びください。」
それではごゆっくりどうぞ、と言いながら退室した係員が扉を閉めると、扉からカチャリという音がして錠が降りたことを知らせた。
椅子に座ったまましばらく待っていると、かすかな駆動音とともにガラス製のキューブが、下部からせりあがるように祭壇中央に収まる。キューブは一辺が8cm程で、透き通ったその内部には白い雲のようなものが浮かんでいる。この小さな雲に20PBを超えるデータが納められているというが、我々エンドユーザーにとってそれはあまり重要なことではない。キューブが固定されると、祭壇を構成する曲面の一部がわずかに光り、ユーザーインターフェースがそこに
それは、キューブの内部に収められたデータを走査する際に、動作音の可聴成分が漏れ出たものだというが、奇しくもそれはかつての仏鈴の音色を思わせた。
祭壇全体がほのかに光り、走査が終わったことを知らせる。何のしぐさか私は自然と両の掌を合わせ、瞼を閉じる。
まもなく、閉じた私の眼前に人の気配が現れた。思わず私は言葉を紡ぐ。
「久しぶり、父さん。」
「うん、久しぶり。
返ってきたのは紛れもなく、2年前に死んだ父の声である。
強化石英ガラスによる超長期記録媒体、通称「モニュメント」を最初に現在の用途に応用したのは、死後の身辺整理の代行業者であった。創業当時の名を株式会社アフターウィルという。
SNSの隆盛や、VR技術の発展によって、個人のプライベートな空間の殆どはウェブ上に移行しつつあった時代、SNSの投稿やクラウド上の秘蔵ファイルなどを遺族の目に触れさせたくないという需要は一定数存在した。故人による生前の委託を受け、ネット上のプライベートデータを削除、ないしはダウンロードし、事前に決めたプロトコルに基づき選別した上で「遺品」として遺族らに返却するというそのサービスは口コミで広まり、一時会員数数十万を数えた。
そんな折、宇宙開発の途上における副産物として生まれた超高硬度石英ガラスを用いた3次元記録技術に目をつけた当時の代表取締役、藤岡
「3億年先の未来へのメッセージ」
人類有史以来、記録の保存法は進歩を遂げて来ました。
3000年前の暮らしを現代に伝えるのはパピルスであり、2万年前の暮らしを伝えるのは傷ついた岩壁です。一方で現代に於いて我々の殆どが用いる磁気記録媒体は、僅かに100年の時を超えることすらむずかしいという事はあまりに無視されがちな事実です。
この度我々アフターウィルが、人類の新たな記念碑を皆様にご提供する準備が整いました。
あなたの
サービス名、商品名共に「ライフ・モニュメント」という。
クラウドから吸い上げた個人データを強化石英ガラスで作られた3次元メモリに保存するというこのサービスは、3億年の年月に耐えうる保存媒体であるという触れ込みで大々的に発表されたものの、新興技術特有のやや割高な価格設定と、億年といういかんせん余りにも度が過ぎる尺度を持ち出されたユーザー側としては期待よりも困惑のほうがまさった。
結果的に「ライフ・モニュメント・プラン」は色物の類として扱われ、「アフターウィル」のサービス申し込みページ末尾に、小さくオプションとしてチェック欄が設けられる程度に留まった。しかしこのサービスはある技術の登場を契機として一気に衆目を集めることになる。
AIによって、「モニュメント」に収められたデータから故人の人格を再現することが可能となったのである。人ひとりのモニュメントに収められた「人ひとりのライフログ」は、AIにとって学習データとして十分すぎる量だったらしい。
ライフ・モニュメントから再現された「死者の人格」は、拡張チューリングテストを難なく突破してしまった。それは「死者との新しい付き合い方」として一挙に衆目を集め、発表から20年も立たない間に日本を中心として急速に一般化しつつあった。
モニュメントを専用のデコーダ、通称『祭壇』に入れると、可視光及び音波による走査が行われ、速やかに内部データが読み出される。人ひとりの人生を僅か数秒で読み取ると、デコーダはその中の写真データから本人そっくりの3Dモデルを構築し、ヘルスデータから類推される生前の立ち姿を立体映像として再現する。
そうしてできた「父」が今、目の前にいる。
「人生山あり谷あり」と人は言う。運命と偶然に翻弄され、起伏を描いていた人生が、ある一点でガラスの中に固定され、永劫に続く直線を形成する。そんなイメージが、鼓動の絶えた心電図に重なる。
目を閉じて、記憶の中の父の姿を強く思い浮かべる。
幼い頃手を引かれて歩いた父、
母親に当たり散らす父、
老いて私の顔を忘れてしまった父、
目を開くと目の前には穏やかに笑う父の姿がある。
過去の記憶などというものは視覚情報に比べてあまりに脆弱である。おぼろげなかつての父の姿は瞼とともに脳の裏へと追いやられ、私の目線のやや下で、静かに微笑む父の姿こそが真実となる。
モニュメントに人格を写し取られたものは、過去の一点で歩みを止めたまま記録として生き続けている。
あるいは、記憶の中での変容を受け入れ得たかつての死者よりも、生々しく死に続けている。
かつて人々は死の後に行き着く場所を夢想した。他者を虐げて現世で不当な快楽を貪ったものには、あの世での報いを。欲を断ち清貧に努めたものには、あの世での何不自由ない暮らしを。現世で生じる不条理の凹凸を鋳型にするようにして、あの世は鋳造された。それらは幻想の強度を高めるように、共同体ごとに共通の姿を共有したが、その中でも文化の別によらず通底するのが、「有限の命」を裏返した「永遠の魂」という概念である。
この国では「常世」の字が当てられるように、限りある命を終えた先で待つ、死の不安のない永劫に続く世界というものは人類共通の夢であった。
そうして今、我々にとっての「常世」に最も近いものが目の前にある。
現世でのしがらみを「剪定」され、コンプライアンス規定に基づく優しい言葉だけが交わされる世界。
強化石英ガラスに封じ込められた人格は、文字通り傷つかない。
「父さん、今幸せかい?」
「もちろん、全くもって幸せだね。」
かつての父の同様の独特の言い回しで持って、目の前の父は答える。
「俺のことを恨んでるかい?」
「まさか!直孝は俺の自慢の息子だよ。全く――」
全くもって、という言葉を聞き終えないうちに、私は振りかぶった手を目の前の父の顔面に突き入れる。立体映像のそれは何の抵抗もなく私の拳を受け入れ、拳はその裏に隠されたモニュメントにぶつかった。拳が傷つくのを無視し、いくつかの金具で固定されていたそれを強引に掴み取ると、そのまま床に向けて振りかぶった。
刹那、父が死んだあの日のことが、不意に脳裏によぎる。
認知症のために深夜徘徊に繰り出した父を探して、寝不足の目をこすりながら近所を歩き回った日。
河原の土手から足を踏み外し、河川敷で泥だらけになりながら大の字で寝息を立てる父を発見した時、私は衝動的に足元の石を取り上げ、父の額へと振り下ろした――
カンッ
という不謹慎な程に軽い音を立て、足元の床に叩きつけられたモニュメントは、2,3回小さくバウンドして転がる。耐衝撃フレームに収められたモニュメントは、傷一つ無く、代わりに床に小さな凹みが出来る。
人の魂はこんなにも頑健だ、命と違って。
私は転がった父のモニュメントを拾い上げ、そのまま元あった祭壇へと収めた。
「――全くもってね。」
モニュメントが取り出されていたことで一時停止していた目の前の父が、先程の言葉の続きを紡ぐ。
「それは良かった。」
私は室内のインターホン越しに係員を呼び、感極まって祭壇に触れてしまい、モニュメントを取り落としてしまった旨告げて極力丁寧にわびた。
「承知いたしました。お怪我はございませんか?」
「いいえ、何処にも。それより金具が一部壊れてしまったようです。弁償させていただきたいのですが。」
「それには及びません。当施設は皆様の納税で賄われております。それに、」
―――よくあることですので、と彼女は結び、そのまま通話が終わる。
「よくあることらしいよ。」
「何がだ?」
眼の前の父はキョトンとした顔で尋ねる。
それには答えず、私は目の前の父に別れを告げ「面会室」を出た。
退出して扉が閉まる直前、祭壇から異音が聞こえた。変形した金具がモニュメントの収納を妨げ、機構がきしみを上げていた。モニュメントが半端に出し入れされたためにデータに不整合が生じたのかか、こちらに向けて手を振る父の映像が一瞬乱れたかと思うと、それは3Dモデルの「初期姿勢」となって再度現れた。父の体は、顔から一切の表情が抜け落ち、両手を左右に伸ばした姿勢で直立していた。
奇妙なことに、私はその姿を見て心から安堵してしまった。
「さようなら、父さん」
私は最後の別れを告げると、部屋の戸を閉めた。
父からの返事は無かった。
命のモニュメント @AltPlusF4
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