第3話 Rトンネル

 ……これは先輩と初めて作品のネタ探しに行った時の話だ。

 

◇◇◇

 

 ……中核都市からは来るには電車でも車でも一時間以上はかかり、山々を包む緑と山肌を覆う土砂崩れ防止のコンクリート壁に埋もれた昼間でもやや暗い鬱蒼とした場所。そこにひっそりと『Rトンネル』は佇んでいる。有名な白鷺が傷を癒したという伝説のある温泉の近くにあるトンネルで。かつては交通も多かったが今は廃れ、通る車両もほとんどいない……。

 そして今ではこのトンネル、この都市――いや、この地方では有名な心霊スポットとして語られていた……。


「……何でも子どもの霊だか女性の霊だかが出てくるって話だ」


 ……帰りたいな。車を走らせながら嬉々として語る先輩の横で、僕は死にそうな顔でげんなりしていた。


「おいどーした? ノリが悪いぞ?」


「ノリが良くなる訳ないでしょ? 僕オバケ大っ嫌いなんですから!」


 怪訝そうな先輩に叫び返す助手席の僕。彼は僕がこの夏休みの初日に出会った大学生の青年で、作品創りの先輩と言える人物だ。どうしてこんな人と一緒に夜のドライブに出ているのかと言われたら、十中八九『取材』と答えるしかない。

 事の顛末はこうだ。夏休み最初の土曜日、その夕方。先輩のボロアパートに泊まる為に訪れた僕に先輩はこう切り出したのだ。


 ――おい、ちょいと作品執筆の取材に行かないか?――と。


 夏休みの暇してる日にそんな話を聞かされて、二つ返事で僕は答えた。「よし、じゃあ準備だ! クーラーボックスに入れるジュースと菓子を買ってこい!」と一万円札を手渡され、僕は意気揚々といっぱいのジュースを買ってきた。そして彼の運転する軽自動車が発進し、目的地を尋ねたら「Rトンネルだ」と返されて。夕方なので降りるに降りれないでずるずると今に至る……という訳だ。


「そこまで怒る事ねぇだろ? ちょいとした肝試しだ。それでも嫌か?」


 嫌に決まってる。何せ僕はゲゲゲの鬼太郎や地獄先生ぬ~べ~を観たら夜中に眠れなくなる程恐がりなのだ。本当は心霊スポットに行くなんかまっぴらゴメンだ。そう、ゴメン――なんだけど――これも取材だ、仕方ないと僕は観念して。ドナドナを脳内で歌いながら、助手席から闇夜に染まった緑を見つめていた……。


「何でよりによって夜に行くはめに……」


 車の中で待機していたりしていたためもうすっかり夜も更けていて。時間は現在深夜の一時半。


「こんなモン夜の方が出てきやすいからだ。出てきたらいい取材になるぞ♪」


「僕は反対ですよ反対! 夜でも昼でもRトンネルに行くなんか‼」


「んじゃあさらに隣町のKトンネルの方が良かったか?」


 そっちも有名な心霊スポットだ。


「どっちも嫌です‼」


 叫び返す僕をやれやれといなして、先輩はアホみたいな呑気さでガードレールが疎らな山道を運転していた。目的地まで、後僅かだ。


「そーいやお前、Rトンネルってどんな幽霊が出るか聞いてたか?」


「確か若い女性の幽霊でしたっけ? あるいは子どもの」


「それ聞いて疑問に思わないのか?」


「……? 何が、ですか?」


 つい聞き返した僕に、


「いや。気にならんのならいい」


 先輩は会話を止めた。すぐさま僕には運転に集中したいからだと判った。何せここは山間部の一車線道路。崖にガードレールも疎らにしかついておらず竹林や濃い木々が道を覆い尽くしているのだから……。先輩は軽自動車のライトをハイビームにして視野を確保する。人は通らない可能性が高いが油断は禁物だと判断したのだろう。右へ左へとハンドルを切りつつ、正確に車を操る。しかし……暗い。どれだけ強い光で道を照らしても、緑の闇に吸い込まれているように光が弱くなる。その山林の隙間から、ひっそりとナニカが見ているような雰囲気が、堪らなく……怖い。

 やがて闇から伸びた蔦と苔、木の根がまとわりついたトンネルが、ぽっかりと口を開けていたのだ……。


◇◇◇

 

「……ホントに大丈夫ですかね?」


 僕はその有名なRトンネルを車内から見上げ、震えあがっていた。暗い……本当に暗いのだ。何故ならこのトンネル、機械ではなく手掘りのトンネルでどこにも灯りが入っておらず、まさに真っ暗闇というのが相応しい様子なのだ。さらにトンネルの名前を入れられたプレートには何かの植物と思わしき蔦が垂れ下がり、半分ぐらい見えなくなっている……。


「そんなもん知らん。さっさと行くぞ」


 先輩もまた見上げて、車のアクセルを踏んだ。車はすぐに応えて、ゆっくり進む。


「こんなゆっくりでいいんですか……?」


 車の速度は徐行の速さだ。


「ちゃんと奴さんのご尊顔、拝みたいんでな」


 先輩はコンビニの袋からオールドファッションのドーナツを取り出してかじり始めた。車は徐行状態だし対向車はほぼ――というか絶無に近いぐらいにいないこの道だ。多分大丈夫……な、はずだ。

 手掘りでごつごつした内部はうっすら……と湿っている。多分山に染み込んだ水分が土を通り抜けてトンネル内部に流れ出ているのだろう。時々車のライトが湿った影を照らし出し、それが人影で無い事を教えてほっとさせた。


「ロンドン橋落ちた♪ 落ちた♪ 落ちた♪ ロンドン橋落ちた♪ マイフェアレディ♪」


 先輩と言えば。呑気に歌を歌っていた。


「粘土と木で作れ♪ 作れ♪ 粘土と木で作れ♪ マイフェアレディ♪」


 ……だが、選曲のチョイスは最悪だ。何でよりによってマザーグースの歌なんだろうか?


「粘土と木は流される♪ 流される♪ 流される♪ 粘土と木では流される♪ マイフェアレディ♪」


 若干音痴な先輩の歌声が、お気楽に車内を包む。それとは対称的に僕は日陰の貧乏神じみた陰気さで、窓の外を眺めていた。改めて見るこのトンネルは本当に暗い。電灯が付いていない事が一番の理由だが、それにしても……暗い。車外にいるのか、車内にいるのか。それすらも曖昧になってゆく。

 ふと闇が車内に入りこみねっとりまとわりついて、自分を溶かしてゆくような錯覚に囚われる。まるで闇のスープ。どろりと身体も心も魂も、溶けて消えてゆくような雰囲気だ。

 ちょんちょんと。先輩が自分の肩を突っついた。どうしたのかと振り向くと。


「寝ずの見張りを立てよ♪ 立てよ♪ 寝ずの見張りを立てよ♪ マイフェアレディ♪」


 先輩は歌いながら、親指で僕の後ろをくいくいと指差した。

 その瞬間、冷や汗がたっぷりと流れてきた。

 ……いるのだ。絶対間違いなく『ナニカ』が真後ろに。それもそっとゆっくり……手を伸ばして来ている様子まで、じっくりと五感で感じ取れた。……それを理解し……こちらも振り向いた。ゆっくり……ゆっくりと錆び付いたように硬い首を回してゆっくりと。やがて視野がそこを捉えた瞬間に悟る。

 

 人影が、立っていたのだ。

 

「――‼」


 驚き過ぎて声が出なかった。僕は全身の血液が一気に引いていくような気分を味わった。

 刹那。パァンッッ‼ と拍手の音が響き渡り車内を震わせた。銃声のようなとても鋭い音。車内で反響し共振し、ぶるぶると全身が麻痺したように痺させ、全ての感覚が身体から遠退いてゆく……。


「良く見ろよ、よぉく見てみろよ」


 先輩はにやりとしながら再度親指で車外を指差す。

 慌ててウインドウ越しに見やると。


 そこには辛うじて人形に見える、水跡があるばかりだった。


「幽霊の、正体見たり枯れ尾花、だねぇ♪」


 先輩はくっくっと人の悪い笑みを浮かべた。

 トンネルが、終わる。綺麗な星空が木々の間から見えたのだった。


◇◇◇


「……結局、それらしいのって出ませんでしたね?」


 僕は車の外に出て、もう見えなくなったトンネルを見つめていた。今僕らはトンネルから少し離れた所にハザードランプを点けて停車していた。


「まぁな」


 先輩は判りきっていたと言わんばかりにブラックの缶コーヒーを飲んでいた。


「知っていたんですか?」


「さっきの話を聞いておかしいと思わなかったのか?」


 僕の問いに質問で返す先輩。


「あのトンネルに出てくる幽霊は子どもか女性って言っていたな……。何で安定しないんだ」


「え?」


 先輩はトンネル方向に向かって進む。


「……普通に考えてみろよ。このトンネルで何らかの不幸が起きたんなら、まずそいつらの幽霊が出てくるのが常識ってもんだろ? ……ところがあのトンネルでの目撃例はどちらかと言われているだけで安定していない」


 車の後ろまで歩いて、止まった。


「……このトンネルで、昔不幸な事が起きたとかは?」


「それも出来る限り調べてみた。しかし……どれも噂の域を出ていない。おかしいだろ? 目撃例も噂もあるのに確固たる証拠が出て来ないってのは」


 先輩はそこで一旦句切り、


「だからよ。もしかしたら……もしかしてって思ったのさ」


 缶コーヒーを一気に飲み干した。


「? 何が、ですか?」


「ロンドン橋落ちた、さ」


 飲み口から唇を離して、先輩は笑いかけた。


「まぁそれも見当たらなかったしな。もう帰るか? 何かバイパス沿いのファミレスで奢ってやるよ♪」


「えっ? いいんですか?!」


 僕は声が弾む。


「あぁ。嫌なモンに付き合わせちまったからな。何がいい? 晩飯代わりにとり天定食でも食うか?」


 車に乗り込みながら先輩は笑う。


「サイコロペッパーステーキがいいな♪」


 僕も乗り込んで答えた。


「決まりだな。よし、行くぞ」


 車を発進させる先輩。


「寝ずの見張りは……本当に居なかったのかな? まぁそれならそっちがいいがな」


「? 何か言いましたか?」


「いや、忘れろ。知らん方が幸せってあるもんだ」


 先輩はハンドルを握ったままかぶりを振った。


「……ねぇ先輩」


「ん?」


「……先輩は、このトンネル、恐くないんですか?」


 僕の問いに先輩はふぅーっと一息ついて、

 

「あんな暗闇ごときのどこが恐いんだ? 人間の心を覗き込んでみろよ。それが一番、恐い闇だぞ」


 ぼんやりとそう、答えたのだった……。

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先輩と僕 なつき @225993

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