第14話 聖女


「せ、聖女……?」


 小春先輩の言葉に思わず固まる。

 誰だって僕の立場になったら固まるだろうと確信できる。

 それくらいの衝撃だった。


「サ、サキュバスとかじゃなく……?」


 聞いてしまってから自分が馬鹿なことを聞いているのか気づいた。

 しかし慌てたところで既に口走ってしまったことは取り消せない。

 小春先輩の目が僅かに細められる。


「ふぅーん、朝野くんには私がサキュバスに見えるんだぁ」


「そ、そういうわけじゃ……」


「別にいいんだよ? 私のことをそんな風に見てても」


「っ……!?」


 サキュバス発言に怒っているわけではないのか、小春先輩は逆に自分の身体を強調するように腕を組む。

 その姿はとても扇情的で、思わず喉を鳴らす。


 そしてよくよく見れば、小春さんの胸元は大きく開いている。

 少なくとも話している時にボタンを外したりの仕草はしていなかったはずなので、恐らく初めから開いていたということなのだろう。

 しかしそれに気付けないほど、小春先輩のその姿があまりに自然的だったのだ。


 ジロジロ見てはいけないという思いに反し、僕の視線はより強調された胸の谷間に釘付けになって離せない。


「でも私、これでも本当に聖女なのよ?」


「そ、それは……」


 ここでもし小春先輩が聖女ではなく「サキュバスなの」と言っていたら、僕は疑うことなくその話を信じていただろう。

 しかしいくら小春先輩が自分は聖女だと言っても、やはりそう簡単には信じられない。


 すると小春先輩は何を思ったのかポケットからカッターナイフを取り出す。

 とりあえずどうしてそんな危ないものをポケットに入れているのかはさておき、一体それで何をするつもりなのか。


 まさか……。


「それじゃあこれならどうかしら?」


 僕が何かをする前に、小春先輩はそのカッターナイフの刃を自分の谷間になぞらせる。


「な、何をしてるんですか!?」


 人類の宝に何てことをするのか、と僕は慌てて小春先輩からカッターナイフを奪い取る。

 そして今度は先輩の傷の具合を確かめようとして、小春先輩に止められる。


「落ち着いて。私は大丈夫だから」


「だ、大丈夫って血が出てますし……っ!」


「大丈夫。だって私は聖女だから」


 僕の反応を楽しむかのように微笑むと、小春先輩は自分の胸元に掌をかざす。


「え……」


 その瞬間、カッターナイフによって出来た傷跡が綺麗さっぱりなくなっていたのだ。


 一瞬手品を疑ったが、先ほど傷から血が溢れてくるのを見た限りでは手品ではないだろう。

 本当に、今の今までそこには確かな傷跡があったのだ。


「こ、小春先輩がやったんですか……?」


 状況から考えても、それしかあり得ないということはとっくに分かっている。

 でも聞かずにはいられなかった。


「聖女には二つの力があるの」


 僕の問いに答えることなく、突然語りだす小春先輩。

 しかし状況が何も分からない手前、そんな先輩を止めることは出来ない。

 そしてその間にも小春先輩は話を続ける。


「一つは傷を癒す力。まあ聖女って言うからには必須スキルみたいなものよね」


 つまりさっきの谷間に出来た傷もその能力で直した、ということなのだろう。

 確かに”聖女”といえば回復系の能力を持っていても不思議ではない。

 サキュバスである柊木さんが”魅了”の能力を持っていた、あんな感じだろう。


 しかし小春先輩は柊木さんと違ってもう一つ能力があると言う。

 それは一体何なのか、先輩の言葉を待つ。


「もう一つは――――魔を浄化する力」


「魔を浄化する力、ですか?」


 その言葉に思わず聞き返す。


「触れただけで魔族を灰にしてしまうの」


「へ、へぇ、そうなんですか」


 それは凄いですね、と小春先輩の能力に驚く。

 しかし僕はそれ以上に何とか声が震えないように努めていた。

 だがどうやらそれが裏目に出てしまったらしい。


「ちょっと朝野くんで試してみる?」


「えっ……」


 からかい口調の小春先輩が、僕が何かをする前に手を伸ばしてくる。

 その手が僕に触れそうになった時、僕は半ば反射的にその場から飛び退く。


「ふふ、冗談だよ」


 しかし僕の反応を面白がる小春先輩の反応を見て、ようやく自分が騙されたということに気付いた。

 とはいえ直前にあんな話をされれば誰だってビビってしまうのが普通だろう。


「聖女にはそんな魔を浄化する力なんてないし、仮にあったとしても今のご時世でそんなことしたら普通に犯罪だからね」


 全く以てその通りだ。

 ぐうの音も出ない僕の顔を見て、吹き出す小春先輩。

 そんな先輩はそれからひとしきり笑うと、いつの間にかまた小悪魔的な笑みを浮かべて聞いてくる。


「でもそんなに慌てたりして、もしかして朝野くんって本当に魔族なの?」


 間の悪いことに、ついさっき僕が魔族だと晒されている話をしたばかりだ。

 そしてその後のあの反応を見れば、そう思ってしまうのは必至だろう。


 僕は答えに迷う。

 そんなわけないじゃないですかと否定するにしても、今の反応のことを指摘されたら返しようがない。

 かと言ってこのまま黙り続けていれば、それこそ無言の肯定になってしまう。


「……もし仮にだけど、僕が魔族だったら小春先輩はどうするんですか? やっぱり聖女としての職務とか何かが」


 散々悩んだ挙句、結局は疑問に疑問で返してとりあえずお茶を濁すことに。

 しかしそんなのがただの時間稼ぎでしかないということは自分が一番よく分かっている。

 だからこそこっちは今、その間に何かこの状況を切り抜けられる手段はないか必死で探しているのだ。


「そんなのないない! もしあったとしても、私が素直にそんなのに従うわけないじゃん!」


 そんな僕の心配を全力で嘲笑うかのようなテンションで、小春先輩が僕の疑問を否定してくる。


「な、何もしないんですか?」


「うん、何もしない」


「聖女なのに?」


「聖女なのに」


 僕の言葉を反芻するように答える小春先輩。


「というかそもそも本気で朝野くんのことを魔族だと思ってるわけじゃないから」


「そ、そうなんですか」


 心の中で「な、なんだ。良かった……」とほっと息を吐く。


 しかしその安心は次の瞬間には再びの絶望へと変わっていた。




「だって朝野くんは魔王様だもんね?」

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