第13話 愚痴


「やってしまった……」


 昼休みの屋上で一人ため息を零す。

 昨日の一件であまり眠れなかったせいもあってか、いつもは午後に襲ってくる睡魔が何と午前中に襲ってきたのだ。


 しかも授業を担当しているのは今年赴任してきたばかりの新任の女教師。

 恰好悪いところは見せたくないとどうにか耐えようと頑張ってはみたものの、やはり睡魔に勝つことは出来ず、結果として僕は午前中に魔族として晒されてしまったわけである。


 勇者・三奈野による突然の「魔の気配がするわ!」の叫びに、何事か慌てる女教師の姿を見るのは辛かった。

 そして視線を泳がせながら「き、君は魔族なの?」と聞いてこられた時には、思わず窓から飛び降りそうになった。


 まあ何にせよ、いつものように午後の授業で晒されるのと午前の授業で晒されるのとでは精神的なダメージも全然違う。

 とにかく気が滅入るというか、午後の授業を頑張ろうという気持ちになれない。


 それで何となく教室にも居づらくなったので、こうして屋上に再びやって来ているというわけだ。




「何をやっちゃったの?」




 何度目かになるか分からないため息を零していると、ふと後ろから声をかけられる。


「え、えっと確か一昨日おとといの……」


 突然の声に驚き振り返ってみると、そこには見覚えのある顔が。

 僕が柊木さんと二人で屋上にいた時偶然に屋上にやって来たあの先輩だ。


「あれ、私のこと覚えてくれてたの?」


「ま、まあ一応」


 誰だってあんな間の悪いタイミングでやって来られたら顔くらい覚える。


「そっかぁ、覚えててくれたんだぁ。嬉しいなぁ~」


 そしてそれ以上に、そのスタイルの良さや、男受けしそうな言動の数々はサキュバスを彷彿とさせる。

 そんな素晴らしい先輩を僕が忘れるわけがないだろう。


「えっと、君は……」


「あ、朝野です。朝野信也」


「朝野くん?」


「はい。朝の野原を信じるなりで、朝野信也です」


「……面白い自己紹介をするね、君」


「そ、そうですか?」


 一瞬驚いたような表情を浮かべた先輩だったが、すぐに口元を押さえながらくすくすと笑う。

 即興で適当に考えた自己紹介だったのだが、受けてくれたのならよかった。

 これからも適当に使っていこう。


「私は東雲しののめ小春こはる。東の雲に小さな春、で東雲小春。因みに私は二年生だけど君は一年生?」


 僕の自己紹介の流れを真似る東雲先輩の質問に頷く。

 そしてやはり東雲先輩は先輩だったようだ。


「へぇー、じゃあ君は後輩くんなんだ」


「東雲先輩は――」


「東雲って苗字はあんまり好きじゃないの。小春先輩って呼んでくれない?」


「こ、小春先輩」


「よろしいっ」


 僕の口を細い人差し指で押さえながら悪戯っぽく笑う東雲――小春先輩。

 その仕草に思わずドキッとするが、何とか平静を装いながら頷く。


「小春先輩はどうして屋上に?」


 僕は気になっていたことを聞く。

 昼休みとはいえ、屋上にはあまり人は来ない。

 だから僕も一人になりたいと思ってやって来たのだ。


「ここ、私のお気に入りなの」


「お気に入り、ですか?」


 先輩が頷く。


「毎日ってわけじゃないけど、それでも他の誰よりここに来てる自信はあるよ」


「そ、そんなに来てるんですか?」


「だってここ、案外景色はいいし風も涼しいし、そして何よりほとんど人が来ないし」


 だから私のお気に入りなの、と笑う小春先輩。

 その表情からは言葉以外の感情は読み取れない。

 恐らく本気でこの場所が気に入っているのだろう。


「じゃあ僕はお気に入りの場所にやって来た邪魔者みたいな感じでしょうか」


「さぁ、どうでしょう」


 小悪魔のような笑みを浮かべながら、あえて否定も肯定もしない小春先輩はやはりサキュバスらしい。

 もちろんそんなこと本人には言えないけど。


「それで朝野くんは一体何をやっちゃったの?」


「そ、それは……」


 正直言いたくない。

 誰だって自分が『魔族め!』などと言われ、おもちゃの聖剣を向けられている話などしたくはないだろう。

 しかしその前にこちらの質問に答えてもらっている以上、答えないというわけにもいかない。


 何というか、小春先輩もそれを理解した上でやっているような気がするのは気のせいだろうか。

 さすがに考えすぎかとも思うが、小春先輩ならあり得るんじゃないだろうかとも思えてしまう自分がいるのが凄い。


「……実は」


 どちらにせよ可愛らしい笑みを浮かべる小春先輩が逃がしてくれるとも思えない。

 僕は諦めてため息と共に事情を話し始めた。




「ふーん、じゃあ朝野くんはその自称勇者の女の子に『魔族だ!』って騒がれているせいで困ってるんだ」


「ま、まあ端的に言えばそんな感じです」


 ようやく長い説明が終わり一息吐く。

 後半の方はほとんど愚痴のようなものになってしまったが、それでも随分と話し込んでしまった。


 とはいえ僕も事情の全てを話したわけではない。

 僕が魔王であることはもちろん、柊木さんのことについてはそもそも触れていない。

 妙なところで勘ぐられてしまわないように、こう見えて色々と努めているのだ。


「それで、朝野くんは結局どうしたいの?」


「ぼ、僕ですか?」


「そりゃあ朝野くんが当事者だし。仕返ししたいとか色々あるでしょ?」


 そう言われて考えてみる。

 確かにこれまで僕は散々「困る、困る」と言ってきた割には具体的にどうしたらいいか考えたことは少なかったかもしれない。

 母さんに相談したりはしてみたものの、その後の経過を待つだけで自分から動くことはなかった。


「……とりあえず僕は毎日『魔族だ!』って晒されるのがなくなれば、それで」


「それだけでいいの?」


 僕の答えがどこか予想とは違ったのか、拍子抜けしたような表情の小春先輩。

 しかし僕にとってはそれだけでも十分だ。


「とはいっても、その”それだけ”が厄介なんですけど」


 僕の言葉に小春先輩が「確かにね」と苦笑する。


「そもそもどうしてその子は朝野くんのことを『魔族だ』って言うの? 何か理由とかがあれば分かりやすいんだけど」


 理由なんて簡単です、僕が魔王だからです――とは絶対に言えない。


「んー……」


 僕が心の中で謝っている間にも、小春先輩は難しそうな顔でうんうん唸っている。

 恐らく僕のために色々と考えてくれているのだろう。

 そんな小春先輩の姿は、初めの印象とギャップがありすぎる。


「ん、どうしたの?」


 そんな僕の視線に気づいた小春先輩が首を傾げながら聞いてくる。

 しかし今思っていたことをそのまま言うのはさすがに失礼だろうと口ごもる。


「ははぁーん。さては意外だとか思ってたんでしょ~」


「うっ」


 しかしあっさりと言い当てられてしまう。

 小春先輩が凄いのか、単に僕が分かりやすかったのか。

 恐らく両方だろう。


 だがそんなことを思う前に、まず謝らなくてはいけない。

 しかし慌てて頭を下げようとする僕を、小春先輩が止める。


「全然気にしてないから。それに私だって逆の立場だったら、同じように意外に思っただろうし」


「で、でも」


「何だぁ~、先輩に口答えするのかなぁ~?」


「そ、それは……」


 そう言われてしまえば僕に打つ手はない。

 仕方なく小春先輩に従い、それ以上の謝罪はとりあえずめる。


「素直な子は嫌いじゃないぞ?」


 ふふ、と微笑みながらそんなことを言う小春先輩は一体どこまでサキュバスなのだろうか。

 正直本家の柊木さんなんかよりもよほどサキュバスらしい。


「そんな素直でいい子な朝野くんに一つだけ良いことを教えてあげるっ」


 良いこととは一体何だろう。

 僕がそう思うよりも先に、小春先輩は小悪魔サキュバスのような笑みを浮かべながら言った。




「実は私、聖女なの」

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