第2話 魔王


 朝野信也あさのしんや

 僕は中学まで、どこにでもいる平凡な男子だった。


 中学卒業した日の夜に、両親からあの言葉を告げられるまでは――。


 ◇   ◇


 僕は今日、晴れて中学を卒業した。


 僕の中学生活を一言で説明するのは難しいが、基本的には規則正しい生活を送っていたと思う。

 学校では友達とバカ騒ぎをしたりして、それなりに楽しかった。


 担任にかなり心配された高校入試を奇跡的にも突破し、卒業式も無事に迎えることができた。

 もちろん両親も来てくれて、僕の人生の節目を祝ってくれた。


 そしてその日は特別に夕食は外で済ませ、そのまま帰宅。

 高校入学までの間はきっと自堕落に生活するだけの毎日が続くだろう。

 もしかしたら友達と遊ぶかもしれないが今のところ予定は入っていない。


 卒業式の疲れもあり、そのまま自室に戻ろうとしていた僕だったのだが、


「信くん、ちょっと大事な話があるからリビングに来てくれる?」


 母さんに呼ばれ、特にすることもなかったので大人しくリビングに向かう。


 リビングには母さんだけでなく、父さんも椅子に座って待っていた。

 大事な話とは一体何だろうと思いながら、僕は二人と向かいの椅子に座る。


「……実はずっとお前に秘密にしてきたことがある」


 何やら真剣な様子に、僕も固唾を飲んで次の言葉を待つ。

 父さんは何やら難しそうな表情で腕を組んだ後、意を決したように頷く。




「お前は魔王だ!」




「……はい?」


 これまで両親に「大事な話がある」なんて言われたこともなかった僕は、それなりに緊張していた……と思う。

 それだけに父さんの言葉がすぐには理解できなかった。


「き、聞き間違いじゃなかったら僕が魔王だとか聞こえたんだけど」


「あぁ、魔王だ!」


 いや、そんな力強く頷かれても困るんだけど。


 僕としてはむしろただの聞き間違いで済ませたかった。

 卒業式とかの緊張の疲れのせいで変な言葉が聞こえてきたのだと思いたかった。


「父さん、頭でも打った?」


「全く信じて貰えてない!?」


「逆にどうして信じてもらえると思ったんだよ!?」


 基本的に父さんは馬鹿だ。

 さすが僕の父さんというだけあって、やることがいちいち頭がおかしいことばかり。

 その度に常識人である母さんに怒られているのだが……。


「え、母さんは『魔王』発言に対してはスルーなの?」


 こういう時に一番に怒りそうな母さんがずっと沈黙を保っている。

 真顔なのがまた怖い。


「信くん。突然こんなことを言われて信じられないのも無理はないけど、父さんの言うことは本当よ。信くんは魔王なの」


「え……。ほ、本当に魔王なの……?」


「この信用の差ッッ」


「父さんうるさいよ。今真剣な話してるんだから少し静かにしてて」


「そしてこの扱いの差である」


 父さんが何やらぶつぶつ呟いているのは放っておいて、母さんと話を進める。


「正確には信くんは魔王の末裔なの」


「魔王の末裔……? っていうことは母さんか父さんかが魔王ってこと……?」


「私は人間よ。魔王なのはこの人」


「えっ……」


 母さんに示されて父さんを見る。


「……俺なんて息子にも嫁にも相手にしてもらえないし、信用もされてない」


 会話に入れてもらえないことに拗ねる父さんは、とてもじゃないが魔王には見えない。

 むしろ怒らせると地獄を見なければいけない母さんの方が、どちらかといえば魔王らしい。


「信くんが信じられないのも無理はないわ。私だってこの人に初めて言われた時は『何の冗談を』って思ったもの。でも、本当なの」


「…………」


 母さんの表情は真剣そのものだ。

 とても嘘を吐いているようには見えない。

 かと言って、すぐに信じられるようなことではないのもまた事実だ。

 だから僕はとりあえず「自分が魔王である」という前提で、色々と気になることを聞いていくことにした。


「どうして僕が魔王ってことを今までずっと黙ってたの?」


「タイミングを逃しちゃって」


「タ、タイミングを逃した!?」


「本当は信くんが中学二年生になったら話そうって二人で話し合ってたのよ。でも明日にしようって先延ばしにしてたら、気付いたら今日になってたの」


「え、えぇ……」


 何という雑さ。

 そんな僕の人生を大きく左右しそうなことのはずなのに、どうしてそんなことになってしまったのか。


「そもそも何で中二になったら話そうと思ってたの?」


「中学二年生だったら『魔王』っていう単語だけで喜びそうだってこの人が」


「…………そ、それはさておき、先延ばしにしてたのを中学卒業のタイミングで伝えたってことで良いんだよね」


 僕は別にそんなことには興味はない。

 中学の修学旅行で京都に行った時に買った木刀でテンションが上がって眼帯をつけたりはしていない、断じて。


「まあ確かに中学卒業で良いタイミングだったっていうのはあったんだけど、それ以外にも理由があって」


「それ以外の理由?」


 僕は勿体ぶる母さんに首を傾げる。

 自分なりにその理由を考えてみるが、全く想像がつかない。

 大人しく母さんの言葉を待つ。


「実は父さんの海外転勤が決まったの」


「……はい?」


 しかしさすがにそれは僕も予想していなかった。

 思わず聞き返してしまうが、ちゃんと聞こえている。


「と、父さんの海外転勤って……」


「いつこっちに帰って来れるかは分からないけど、少なく見積もって一、二年はかかると思うわ」


「ね、年……!?」


  そりゃあ海外転勤というくらいだから、数カ月単位では済まないのは仕方がないのかもしれない。

 しかしそんなに海外で暮らすことになるという現実に頭がついていかない。


 そもそも僕は父さんがどんな会社でどんな仕事をしているのか全く知らない。

 昔一度だけ聞いたことがあるが当然のように教えてはくれなかった。

 それ以来特に気にもならなかったので聞いていなかったが、今になって一体何の仕事をしているのか否が応でも聞き出したいところである。


「こ、高校はどうするの? もう受験だって終わってるのに」


 もしかして既に根回しは済んでいたりして、春からは海外の高校に通うことになっていたりするのだろうか。


「いや、信くんは海外転勤について行かなくていいのよ?」


「え?」


「まあお父さんを一人にするのは心配だから私はついて行くけど、信くんはこの家で一人暮らしよ」


「ひ、一人暮らし」


 これまで想像もしていなかったが、まさか僕が一人暮らしをすることになるなんて。

 一人暮らし。

 嗚呼あぁ、それは何と甘美な響きだろう。

 年頃の男子からしてみれば一度は夢見るそれが、正に現実になるわけだ。


 この際、父さんがどんな仕事をしているかなんてどうでもいい。

 一人暮らしをすることが出来るなら、魔王でも何でも文句は言わない。


「信くんは母さんの手伝いとかしてくれてるし、最低限のことは出来るわよね」


「うん、任せてよ!」


 もう一年でも二年でも任せてほしい。

 母さん、家は僕が守るよ!


「生活費とかはちゃんと振り込むけどお金の使い方は少しずつ勉強していけばいいから。最悪足りなくなったらまた追加で振り込むから。もちろんちゃんとした理由がないとだめよ?」


 僕は頷く。

 もちろんそんなに無駄遣いするつもりもないけれど、いつだって緊急事態というものはある。

 そういった意味でも母さんの意見はありがたい。


「あ、もう一つ大事なことを伝えなくちゃいけないのを忘れていたわ」


 これからの一人暮らし生活に思いを馳せていた僕に、母さんが思い出したように言う。


「信くんには高校生活の中でやってもらいたいことがあるの」


「やってもらいたいこと?」


 ちょうど僕が母さんに聞き返したタイミングで、ずっと拗ねていた父さんが復活する。

 そして恐らく母さんが言おうとしていただろうことを声高に言い放った。




「信! お前には三年間の高校生活の中で、嫁候補を見つけてもらう!」

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