第113話 剣に生き……・五

リューネブルク市・市街地・崩壊後―――


 神とは存外、退屈なものだとグスタフは独り言ちた。

 窮地に陥り、ツェツィーリエを生贄に門を開いて〈種〉を呼び出したものの……〈種〉が〈竜〉となってからは一方的な戦いとなったのだ。

 一応は友軍扱いだが、目障りでもあった貴族連合軍の残党はあっさりと全滅し、バルムンクの守備隊に至ってはグスタフが手を下すまでもなく壊滅状態だ。

 もしかするとこの切り札をきる必要さえなかったかもしれない。

 となれば無駄なことをしたのではないかと惜しい気持ちも出てくる。

 そして惜しいという感情とは別に、湧き上がるものもある、それは……。


(この力が十年前にあったならば)


 もはやアールヴ、スヴァルトの人種対立からグスタフは無縁となった。

 頂点に立った彼を評価するのは彼以外にあり得ず、彼を差別する者などありはしない。

 もう、混血の出自に悩む必要はなく、そして混血であることが露見しないかと怯えることもない。

 十年前、この力があれば愛する女を殺されることもなかった。

 グスタフの容姿はスヴァルト人そのもの、だがその身には同時にアールヴの血を流れている。

 両者ともスヴァルトであるはずの、生まれてしまった白い肌の赤子、その時の絶望、切り捨てることに慣れきってしまったリヒテルには理解できまい。


(……)


 そしてグスタフは頭痛によって思考を中断された。

 割れるような痛みのせいでまた、記憶が抜け落ちていく。

 この巨大な〈神〉にも弱点はある、操る術者、この場合はグスタフが長期間の戦闘に耐えられないのだ。

 まるで脳に濁流が渦巻くような情報の渦、体にかかる負荷も尋常なものではない。

 代償として記憶の欠落、四肢の麻痺、恐らくこの戦いが終わった後は日常生活を送るのも困難なほどの障害が残るだろう。

 しかしグスタフは怯まない、彼は王者になりたかったのだ、それ以外の選択肢はない、元よりそれしか道がないのだから躊躇うはずがないのだ。

 頂点に立てなければ死、当然のことだ。

 だから、弱点はもっと直接的なことだ。

 竜の、右の腕と右の翼がうまく動かせない、そのせいで飛び立つことができないのだ。

 また同じく竜の左目が良く見えない……おかげで左の視界が狭く、ノミのようにちょこまかと逃げるヴァンとリヒテルを捕えきれない。

 リヒテルの憶測は正しかった、グスタフは右腕と左目を失っている、だから彼が操る竜も同じ場所に障害が出ているのだ。

 だがリヒテルがそれに気づいていることに、グスタフもまた気づいていた、しかもグスタフはリヒテルが予想しなかったアドバンテージをも持っていたのだ。


(右の腕……はこの戦闘中には無理だな、だが右の翼は少しずつだが動き始めている、後少しで飛べる)


 切れた神経が繋がり始めていた、動かないはずの翼が動き始めたのだ。

 なるほど今のグスタフは神、切断された腕くらい直せなくて何が神か。

 ただ復元には時間がかかる、この戦闘中に直せるのは右の翼のみ……他は間に合わない、否、視界を確保する方法は実の所簡単だ。

 竜の額、覆われた鱗を開き、グスタフが己の目で状況を確認すればいいのだ。

 姿を現せばヴァンもリヒテルもそこを狙うだろう、そこに、竜の額にグスタフがいると分かったのだからそうするに決まっている。

 しかしそれがなんだと言うのだ、ちょうどいいハンデだ、むしろここまで来てみろと挑発したいくらいだ。


(見つけた……)


 死術の恩恵か、二つの目しか持たぬはずのグスタフは全方位……そして数十リュード(約100メートル)先まで余さず見通すことができた。

 標的は竜から見て左側、やはり左目が見えないことをリヒテルは気づいている、だが悲しいかな、竜の目を逃れられてもグスタフの千里眼からは逃れられない。


(瓦礫の影に隠れていても、水面に反射して背中が丸見えになっているぜ)


 踏み潰せ……。

 その命令を受けて、竜がその岩のような足を振り降ろす。

 かつての頑丈な石造りの建物は一瞬で粉微塵となった、そして足は地面に着地、鳴動する大地の上、転がるように這い出てくる三人の戦士。

 戦闘とは名ばかりの虐殺、いやそれでもなお誇張だ。

 ダニの駆除が再開したのだ。


 *****


リューネブルク市司教府・バルムンク本陣・裏門―――


「既に法王猊下から停戦命令が出ている、貴様らはそこにいるスヴァルトの騎士、セルゲイの勝手で戦場に立たされているのだぞ、スヴァルトの奴隷と成り果てて悔しくはないのか!!」

「治安を乱す賊の妄言に聞く耳はない、打ち首にしてくれる!!」


 グスタフがヴァンらにトドメを刺そうとしていた時、司教府でもイグナーツ率いるバルムンクの残党が激闘を繰り広げていた。

 裏門に集結した法王軍の軍勢は数千、対してバルムンク側は四百に満たず、さらには疲労困憊の体で十全の状態とはとても言えず、しかも度重なる敗北により熟練の兵士が死に絶え、質でさえも逆転されていた。

 イグナーツとて馬鹿ではない、アマーリアの前では大見得を切ったがこんな絶望的な状況を打開できるとは正直、思ってはいなかった。

 できる事ならば講和したい、それで自分の首が飛ばされるのならば仕方がない、しかし法王軍は降伏すら認めなかった。

 一応は派遣した講和の使者は、瞬時に槍でズタズタにされ、その死体はカタパルトで送り返される始末である。

 どういう訳か法王軍はバルムンクを異常に憎んでいる。

 法王軍の末端はアールヴ人、そして指揮官セルゲイは支配者層であるスヴァルト人、バルムンクが支配されしアールヴの解放を唄っている以上、少しくらいは共感してくれるはずなのだが……。


「セルゲイ様、投石器の準備、できました……いつでも放てます」

「よし、前線の兵士を下げろ、盾を構えたまま後退するだけでいい、バルムンクにもはや追撃をかける余力はあるまい」

「はっ、これでエーリッヒ伝令兵の仇を討ちましょう」


 つい先ほど、拷問の末に殺された伝令の兵士が見つかった。

 彼はセルゲイがいた法王軍の仮本陣から、とある連隊へと向かおうとしていたところ、市街地から敗走していたイグナーツと遭遇したのだ。

 結果は明瞭、イグナーツは伝令兵の口から法王軍の内部事情を知り、それから法王が停戦命令を発したことを推測できた。

 そして伝令の兵士は口を封じられたのだ、初め黙秘を貫こうとした兵士は両手の指と鼻を失い、その瞳は永遠に光を失った。

 確かに貴重な情報をイグナーツは得たが、しかし放置していた兵士が発見されたことで法王軍は怒りに包まれたのだ。

 バルムンク討つべし、その理由にイグナーツは思い至らず、彼はただ敵軍の兵士はスヴァルトに洗脳されていると都合のいい、あるいは責任転嫁と言われかねない解釈をしただけである。


「イグナーツ様、このままではクロス・ボウの矢が尽きます」

「補給物資を持って来させろ」

「倉庫は空ですよ、剣も槍も、人数分ない」

「兵士諸君、武器は二人に一つだ……片割れは自らで思考し創意工夫せよ」


 悲鳴や泣き言に頓着することなくイグナーツが冷厳に命令を下す。

 戦況は悪化の一途を辿るばかり、挽回の策もなく戦力をすり潰されていく。

 そして……弾けた。


「おい、なんだあれは……」

「投石器……まさか分解して城壁下から引き揚げたのか」

「来るぞ、伏せろ!!」


 遊牧民あがりのスヴァルト人に対し、都市で生活するアールヴ人は土木や建設に秀でている。

 攻城兵器を分解して現地で組み立てるなど朝飯前だ、無論、盗賊あがりで無教養なバルムンクの兵士には思いつかないことでもある。


「十年に及ぶ戦乱はここで終結する、無駄に犠牲を出すこともあるまい、工兵部隊、射出せよ、物資は十分にある、地形が変わるまで撃ち続けろ」

「はっ!!」


 風切る不吉な音を立てて、岩がバルムンクの陣に降り注ぐ。

 放たれた岩は石切り場で自然石を加工した物ではない。

 鍛冶ギルドを結集させて作り上げた専用で、合金の砲弾だ……強度を限界まで上げて硬く、その代わり脆くなったそれは落下の衝撃で粉々に砕けて周囲の兵士を殺傷する。

 投石器の数は十にも満たないが、戦場は上等区、道路が舗装されており、またヴァンがゲリラ化した兵士を司教府に呼び戻したために一切の妨害を受けずに滞りなく弾丸は補充される。

 機械的に投石器は砲弾の補充を受け、ここで壊れるのが本懐とばかりに投げ続ける。

 間断なき鉄の嵐はバルムンクの残存兵士を打ち砕いた。


「この戦いにアールヴ人の自由がかかっている、各員は全身全霊をかけて自己の責務をまっとうせよ」

「聞ける人間はもういませんよ、イグナーツ様」

「なんだと、馬鹿な……最後の予備兵力がもう半分もいないだと」


 兵力を集結させたのが裏目に出た。

 密集陣形を組む彼らは散弾のいい的でしかなく、十ダクト(約50キロ)を超える〈砲弾〉を表に鉄板を張っただけの木製の盾で防げるはずもない。


「もう無理です、司教府内に撤退しましょう」

「馬鹿を言うな、臆病者め、ここで退けばアールヴ人の尊厳は全て終わってしまう」


 古参の老兵がイグナーツに撤退を進言する、がイグナーツは取り合わない。

 そして意固地に戦場にしがみつく彼に老兵が語り掛ける。


「私は十年前の戦争でスヴァルトに家族を奪われました。ですからスヴァルトに復讐するバルムンクに最期まで残るつもりでいます、ですが……老人の妄執に若い者を道ずれに玉砕させるのは辛いのです」

「私は……お前たちに死ねと命令しているつもりはない」


 悲鳴や泣き言よりも、その老人の諦観がイグナーツには堪えた。

 スヴァルトに対する正義の戦争はいつからただの自己満足に成り果てたのか、ブライテンフェルトでの敗北、コンクラーヴェでの連合結成、そうではない。

 道を間違えたのではない、方法を誤ったわけでもなかった、そんなことはそれこそ自己憐憫に過ぎない。

 ただ理想を実現させる能力がバルムンクにはなかったのだ、そしてイグナーツにも、無能であるから失敗した。

 そして失敗した代償は常に〈他人の〉命だったのだ。


「……」


 砕けた破片がイグナーツの周辺にも降り注ぐ。

 気づいた時には先ほど会話した老兵は地面に倒れており、その後頭部がザクロの種のように爆ぜていた。


「あ、あああ……」

「投石器が止まった、弾切れか……」


 イグナーツには動揺する時間さえなかった。

 砲撃の停止、それがどういう意味をもたらすか、イグナーツには理解できていたのだ。


(陣地破壊が十分と見て白兵戦に切り替えたのだ、本隊が雪崩れ込んでくる)


 鉄の嵐に司教府の裏門は原型を留めてはいなかった。

 瓦礫の山と化したそこに兵士を隠すことはできるだろう、だが組織的な戦闘はもはや不可能だ。

 陣形を維持するどころか、命令の伝達すらできない。


「全兵士に告げる、この上は司教府内で白兵戦でもって決着をつける、転進、転進せよ!!」

「おぉぉぉぉぉ!!」


 バルムンクに最期まで残るのは死を覚悟した勇士達、彼らは絶望的な状況でさえ全力で、残り体力を振り絞って戦う。

 負傷し動けなくなった同胞を置き去りに、あるいは法王軍に囚われる屈辱を受けぬよう介錯を施しながら撤退する。

 もはや勝敗、戦果の過多は無意味だった。


 *****


リューネブルク市・市街地・崩壊後―――


「おかしい……左目が見えないはずのグスタフが正確にこちらを補足している」

「それよりもヴァンです、ヴァンが目を覚まさないの、どこかまずい所を怪我したのかしら、このままじゃ死んじゃうの」


 冷静なリヒテルに対し、テレーゼは元々感情の波が激しいこともあって平常心を失っていた。

 もっとも、この状況下で冷静なリヒテルの方が常人にとっては異常なのだが、ここには二人しかいない。

 各々が自分を正常と言い張る以上、多数決でも半々だ。

 どちらが狂っているかなど判定など出来なかった。


「ヴァンは無事だ……ただ骨と内臓を痛めている、疲労も極限に達し、むしろ今まで動いていたことが不思議なくらいだ。本来ならば入院ものだな」

「随分と他人事なのですわね」

「事実を言っただけだ……それよりもこの振動、あの怪物が近づいてくる、もう猶予はないぞ、どうする」


 テレーゼは義兄(リヒテルはテレーゼの母アーデルハイドの弟なので正確には叔父)にして母親の仇、そして偉大なる総統でもあるリヒテルの挙動に殺意すら覚えていたが、さすがにここで仲間割れする愚かさを知っていた。


「もうヴァンは十分、働きました、これ以上働かせるのは働かせすぎと言うものです」

「そうか……私もその意見には賛成だ、グスタフは、私達二人で仕留めよう」


 今は目前の敵を目指すのみ。

 ついにリヒテルとテレーゼ、互いが互いに過去のしがらみを一時忘れ、共闘することを誓った。

 しかしそれもおかしな話である、本来ならば身内である彼らは真っ先に結束しなければならないはずなのだ。

 ヴァンの存在がなくば永遠に修復されなかった絆。

 そこにあるいは、バルムンク敗北の原因が隠されているのかもしれない。


「すぐに戻りますわ」


 テレーゼは半ば昏睡状態になっているヴァンに別れの挨拶を告げて、逡巡、ヴァンの唇に顔を近づけて、そしてまた逡巡、結局額にキスして終わらせた。


「土壇場で意気地がないのは姉上と同じか」

「……」

「私はかつてお前の母の傍らで死線を潜ってきた、その時のコンビを再び結成することとしよう」

「リヒテル……?」


 テレーゼが訝しむ、義兄の初めて見せる表情であったのだ。

 テレーゼは知らない、その顔が、十年前に失われた、家族に見せていた素顔であったことを。


「私が左を担う、右の方は任せた」

「危険な方を担うと言うのですわね」

「当然だ……私はお前の義兄なのだからな」


 再び起こる振動、グスタフが操る竜はすぐ近くに来ていた。

 ヴァンが眠るこの場所を戦闘に巻き込まないようにするにはもう、出るしかない。

 そうして二人は駆けて行った、絶望の処刑台へと。

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