第103話 枯死に近づく聖なる大樹・三

リューネブルク市外壁・イグナーツ率いるライプツィヒ義勇大隊・対・法王軍分隊―――


「なぜこうなった……」


 ヘルムート橋での防衛線が破滅的な戦況を迎えつつあった頃、それとは逆、このリューネブルク市を取り巻く外壁にても激戦が繰り広げられていた。

 バルムンク側の指揮官はイグナーツ・ゲルラッハ。

 リューネブルク市の北東……十年前の侵略で最後に攻略され(それより先のリューネブルク市は戦わずに降伏)、その縁からスヴァルトより、永遠に見せしめになることを決めつけられた廃都・ライプツィヒ市の代表だ。

 十年もの長い間、侵略者スヴァルト人に抵抗し続けてきた不屈の戦士である彼はコンクラーヴェの後、ヴァンの説得を受け入れ、先のブライテンフェルト会戦においてはスヴァルトの王、ウラジミール公エドゥアルドの下へテレーゼを送り届ける殊勲を挙げた。

 彼が率いる兵士はいずれもライプツィヒの地にて生を受け、スヴァルトの圧制によって家族を、知人を、愛する者を奪われた復讐者である。

 彼らは同じ苦しみを背負うイグナーツに絶対の忠誠を誓い、スヴァルトと差し違える覚悟で戦場に立った。

 その士気は高く、無謀と等価とも言える勇猛さで戦う戦士。

 だがその精神が仇となったのか……こと兵士の質という観点で言えば、人材が枯渇しつつあるバルムンクの中においてさえ、劣悪なのだ。

 特に先の見えない防衛戦においてこれ程不適格な人材はそれほど多くはない。


「うぉぉぉぉぉ!!」


 怒りを闘志に変える。

 クロス・ボウを構え、地上にアリのように進む法王軍の兵士に矢を放つ男達、撃たれる前に撃つ覚悟で一斉射撃。

 城壁の上、頭上を取った優位を生かし、敵の反撃を度外視したその蛮勇は確かに法王軍を気圧していた。

 しかし分厚い盾に隠れ、姿すら見せずに進軍する法王軍の兵士にどれだけの損害を与えたかは不分明だ。

 敵は反撃をせず、ただわずかずつ歩を進め、レンガと石で野戦陣地を構築するのみである。

 徐々に、しかし確実に組み立てられていく簡易な砦、その砦の高さが城壁に近づいた時、法王軍は反撃に転ずるだろう。


「くそっ、あいつら……臆病者共め、おっと!!」


 そしてまるで思い出したように、時折行われる申し訳程度の反撃、それで腕や足を貫かれ負傷した者はいる。

 ただ戦死者はほんの数人だ。

 ヴァン率いる内壁側の守備隊が数百人単位で戦傷者を増やしているのに比べれば、バルムンクにとっては蚊に刺されたようなもの。

 しかし守備隊は焦れていた、スヴァルトと差し違える気持ちで戦場に立った彼らに対し、敵軍は臆病としか思えない程の慎重さで間合いを詰めていくだけ。

 戦闘経験の少ない義勇兵達は自分達がまるで無駄足を踏んだように、時間の浪費に歯噛みしていた。


「頭領イグナーツ、矢程度では拉致があきません、あの……炎が出る武器(ムスペルの炎)を使いませんと」

「ダメです……あれはもう個数が少ない、いざという時まで取っておきます」


 血気盛んな若者が先ほどから切り札たる焼夷兵器の使用をさかんに催促してくる。

 だがその使用を許可することはイグナーツにはできない。

 絶対的な個数の少なさもあるが、何よりも彼は法王軍の臆病さを狼が獲物に飛びかかる前段階、つまりは機を狙っているのだと見抜いていたのだ。

 敵の指揮官、法王軍分隊の指揮官が、因縁ある騎士・セルゲイであることは法王旗と共に掲げられたムラヴィヨフ伯爵家の旗を見れば分かる。

 セルゲイは優秀だ……彼は恐らくこちらが寄せ集めであることを見抜いている。

 挑発を繰り返し、こちらが暴発するのを待っているのだ。


「俺はカカアの敵討ちをしたいんだ、玉無しの指揮官に従っていられるか!!」

「おい、止めろ!!」


 イグナーツに進言を却下された男の何人かがが舌打ちしつつ、命令を無視してムスペルの炎を使う。

 城壁の裏に隠された投石器を利用して法王軍の陣地に業火を叩き込んだ。


「……!!」


 攻撃は奇襲となった、法王軍はバルムンクの守備隊がクロス・ボウしか攻撃手段がないと過信していたのだろう。

 隠れていた木製の盾の上から焼かれ、わらわらと逃げ出していく法王軍の神官兵。


「未だ、狙え!!」

「ビンゴ!!」

「ヒャッホォォォ!!」


 そこを戦意高し義勇兵が狙い撃ちにする、たちまち十数人が斃れる。

 この戦い始まって以来の快挙、義勇兵達は喝采を挙げる。


「やっぱり、こうでなくっちゃあ」

「分かったかよ……イグナーツの玉無し、えっ!!」


 歓喜に喜色満面の独断専行を行った兵士達。

 そんな彼らの後ろ、イグナーツの手から閃光が放たれる。

 命令を無視した義勇兵達、その代表格の男の首が飛んだ。


「……あ、わわわわ!!」

「命令無視は処刑する、いいですね」

「は、はい」


 歓喜を一瞬で恐怖に変えられた義勇兵が、次に理不尽な断罪を行った指揮官に対し、その恐怖を憎しみに転化させる少し前……今度は城壁の上で破裂音が鳴り響く。

 先ほど法王軍の陣地を焼いた同じ業火が、まるで因果応報だと言うように、義勇兵を焼き殺していく。

 法王軍が投石器を利用して焼夷兵器を城壁目掛けて飛ばしているのだ。

 突然の反撃、しかしそれで動揺する義勇兵達ではない。

 これを幸いと身を乗り出し、反撃を激化させた。


「やっと撃ってきたか……いいぜ、かかってこいや、スヴァルトの奴隷に成り下がった法王軍!!」

「手前らと俺らの格の違いを見せてやる!!」

(こいつら……何も分かってはいない)


 意気揚々と数倍の敵軍に啖呵を切る義勇兵達、しかし彼らの様子とは裏腹に指揮官たるイグナーツは暗澹たる心境を隠せずにいた。

 義勇兵達は知らない、切り札たるムスペルの炎を使ったことで、それを敵陣に飛ばす投石器の場所が敵に露見したことを……ジョーカーの札をどこに伏せたかを知られてしまったのだ。


(なぜ、こいつらはこうまで無能なのだ、そしてなぜ自分達が無能であるかもしれないと疑念さえ持たないのだ)


 命令を利かなかった部下を殺害する、そんなことはしたくなかった。

 これではあの味方殺しのリヒテルと同じではないか……あの傲慢なバルムンク総統、今やアヘンで夢を見るばかりの中毒者に成り下がったペテン師。

 被害妄想だと分かっていてもイグナーツは思わずにはいられなかった。

 イグナーツは本来ならばライプツィヒ市で玉砕していた人間だ、それがヴァンの説得を受け入れてここまで来たのだから喜んでいいはずだ。

 しかしイグナーツは同時に希望を得たのだ。

 侵略者たるスヴァルトに勝利するという希望、それが今、初めからなかったかのように泥に沈みつつある。


(こんなはずではなかった、こんなはずではなかった……私は何のためにこの十年、戦い続けてきたのだ、最後にこんな仕打ちが待っているのであればせめて故郷で死にたかった)


 激化する戦闘、復讐を胸に死をも恐れずに戦い続ける勇者たち。

 彼らはいつ、周りの死体に気付くのだろうか……いつの間にか自分以外の戦友がヴァルハラに旅立っていたと知った時、何を想うのか。

 内壁と同じくして、イグナーツ率いる外壁の守備隊も徐々に追いつめられていた。

 絶望に心を焼かれ、屈辱を顔に浮かべ指揮を取るイグナーツ。


「見ろよ……イグナーツさんの顔、やっぱり俺ら、負けるんだな」


 指揮官たる彼の動揺が何倍にも増幅されて旗下の義勇兵に伝播していく。

 それを知りつつも、もはや自らの感情を制御できなくなったイグナーツは何の配慮も見せることなく、あえて見て見ぬふりをした。


*****


リューネブルク市・地下下水道―――


「リヒテル様からの命令はまだか!!」

「連絡兵がまだ戻っては……」

「急がせろ、遠見役からの報告によればヘルムート橋が制圧され、城壁に敵が取りつき始めた。このままでは司教府が陥落する」


 リューネブルク市の地下下水道でも混乱が生じていた。

 彼らの任務はリューネブルク市の地下に張り巡らせた下水道を利用して敵軍に奇襲攻撃をかける。

 あるいは分断されたバルムンク軍相互の連絡を取り次ぐこと。

 しかしこの策自体が急造のため、配置された人間はその職務に慣れておらず、さらに言えば職務自体を遂行する能力に著しく劣っていた。

 見様見真似で遂行しているものの、戦況が悪化し、上層部の命令が途絶えた途端にぼろが出る。

 何をしていいのか、それどころか何の問題が起こっているかすら理解できない。


「た、隊長……我々はどうすれば」

「俺が知るか、司教府に戻りテレーゼ様かヴァン魔道長に聞いて……何の音だ?」

「水の音が騒がしい……? おかしいですね、住民は皆疎開させましたので音が大きくなるはずがないのですが」

「いや、確かにするぞ……たくさんの水の流れる音が」


 外敵の接近に怯える兎のように右往左往する地下司令部……後知恵からすればこの時、彼らは貴重な時間を無為に過ごしてしまったのだ。

 対応策を練る時間ではない、逃げる時間を浪費してしまったのだ


「隊長……水が、水が来る!!」

「通路を封鎖しろ、水を堰き止めるんだ!!」

「ダメです、こんな安物の扉じゃあ……!!」

「うわぁぁぁぁ!!」


 騎士・セルゲイがエルベ河を堰き止めたことにより、リューネブルク市地下下水道に大量の水が流し込まれる。

 その結果、水路は水没し、地下司令部は水底に沈んだ。

 地下司令部の正式な将校及び兵卒の数は合計五十三人、栄光ある総統リヒテル直属の彼らはその後、二度と日の光を浴びることはなかった。


*****


リューネブルク市・市街地・ハイリヒ・ヒルド教会前―――


「なんともあっけない結末だわ、もう少し面白いことをしてくれると思ったのに……」


 法王軍に制圧された市街地の中心、教会の前は黒い影に包まれていた。

 グスタフの少女奴隷にして、死術の天才でもあるシャルロッテ・ゲネラノフが使い魔とも言うべき影の魔物を侍らせながら退屈を持て余している。

 主の影響を受けたのか、それとも元々の性格か、はたまた両方か……彼女は戦争を、殺し合いを愉しんでいる。

 自分に歯向かう弱者がのたうち回って苦しみながら死んでいくのが面白くて仕方がないのだ。

 そっと顔の左半分を覆う仮面を撫でる。

 そこにはあのテレーゼに付けられた醜い傷跡が残っている、当時の状況を考えれば逆恨みに近い物だったがそんなことは関係ない。

 彼女の目標は同じような目に、いやそれよりひどい跡をテレーゼに付けてやる事、大義も正義もない、彼女が戦闘に参加した理由はグスタフへの忠誠を除けば私怨でしかないのだ。


「シャルロッテ様、下水道への注水が始まりました、水に追われて逃げて来る兵士が現れるかもしれませんのでご注意を」

「それを狩るのは貴方達の仕事でしょう……私は一万の屍兵を維持するのに忙しいわ」

「はっ……申し訳ありません」


 シャルロッテは片方の眉を吊り上げて、周囲を固める兵士達を見やる。

 奴隷出身という出自、いやそれ以前に死者を辱める死術の使い手である彼女は隣接する貴族連合軍に忌避されている。

 そのためか、彼女が一万の屍兵を維持しているという戦略上、重要な位置を占めており、かつ術に特化しているが故に近接戦闘に無力であると言う事実があるにもかかわらず、貴族連合軍はシャルロッテに対し、友軍とは思えない程冷淡であった。

 バルムンク軍が地下から奇襲をかけてきたことをシャルロッテは偶然にも知ったが、その情報が貴族連合軍から流れてくることはなかった。

 友軍同士での情報交換は基本中の基本、腐敗はしていても、軍人として一定の実力は備えているスヴァルト貴族が犯す失態ではない。

 彼らが望むのはシャルロッテが流れ矢か何かで死ぬような不幸、栄光の勝利に混血の奴隷女は必要ないということだ。

 ただその酷薄な仕打ちにシャルロッテは別段、悲観的になったりはしていない。

 貴族や神官などの上流階級を過剰に敵視するシャルロッテからすればその子供じみた嫌がらせは嘲りの対象でしかないのだ。

 彼女は豪胆だった、しかし裏を返せば彼女は自分が危険な状況に追い込まれていることを理解していないことでもある、ようは察する軍事的な洞察力がない。

 それを補うように彼女を守るのはセルゲイが派遣した法王軍の精鋭、その中でもセルゲイが最も信頼するムラヴィヨフ出身の兵士達だ。


「それにしてもセルゲイの命令とは言え、私の護衛とは運がなかったわね、本当ならば最前線で剣を振るいたいのでしょう」

「……否定はしません、守るべき貴方は混血の奴隷女ですから」

「……っ、私はもう貴族よ!!」


 その暴言に、戦場に似つかわしくないドレスの下、まるで蹴り上げるように足を乱暴に動かして抗議するシャルロッテ。

 彼女は貴族を嫌うのと同様に自身が卑賤の出であることを意識している。

 先の発言は容認しがたい、それが味方に忌避されていることを心配(シャルロッテにとっては余計なお節介)したセルゲイが派遣した部隊の兵士だとしてもだ。


「私はスヴァルト人です、少し前までは貴方のようなアールヴの血が混じった、それも奴隷階級の人間の近くにいるだけでその身を嘆いたものです」

「……へぇ、影の魔物グートルーネを操る私に対してよくもそこまで言えるわね、いくら貴方がセルゲイの部下でも私は容赦しないわよ」


 シャルロッテが包帯が巻かれた右腕を上に上げる、それが降ろされた時、この不遜な兵士は捕食されるだろう。

 ただ……兵士の言葉には続きがあった。


「しかし今、私は貴方の存在ではなく、上司になったことを嘆いている、きっと次には同じ職場に配属されたことを嘆き……貴方が年下であることを嘆き、いつかは嘆かなくなるでしょう」

「……」

「無理に肩肘を張る必要はありません……時代が変わりつつあります、セルゲイ様は気づいているようですから、私もいずれ変わるでしょう」

「それはどういう……」


 兵士の言葉の真意を測りかね、疑問を浮かべるシャルロッテ……しかし答えはなかった。

 その言葉が止む、後に残るはゴロリと転がる兵士の首……。

 同刻、イグナーツが部下を粛清した時のそれよりも遥かで鋭利に切断された断面は、達人の域に達した剣士の業。

 死んだことすら気づかないのであればされはある意味、幸運な最後だろう……死にたくはなかったであろうが。


「ついていませんわね……水から逃げてきた先が、敵の真ん前なんて」


 突然の凶行に何事かと振り向くシャルロッテ。

 そこにはずぶぬれになった戦乙女がいた。


「……テレーゼ・ヴォルテール!!」

「貴方は……」


 シャルロッテにとっては恨み重なる怨敵、逆恨みでも恨みは恨みだ。

 その顔を引きちぎりたく何度も夢に見た。


「ようこそ……バルムンクの蒼き姫様、なぶり殺しにされにわざわざご苦労様」


 あの時とは違う、彼女死者の大軍を使役するは力を得た。

 そして今のテレーゼ……河の水で汚れたため、その蒼い髪はごわつき、輝かしかった光を退行させていた。

 シャルロッテは直感する。 あれは戦乙女ではない、自分と同じ、ただの卑賤な女に過ぎないのだ。


「その怪物……貴方、まさか死術士シャルロッテ!!」


 相対するテレーゼの目にも炎が宿る、シャルロッテの名前はテレーゼの中で今でははっきりと敵として認識されていた。

 ハノーヴァー砦において、友軍ごとバルムンクの兵士を押しつぶした非道、そしてエルンスト老……。

 ヴァンが推察した、皆を陰ながらに支えていたあの好々爺の死体を操り、彼の老人の名誉を徹底して貶めた卑怯者。

 彼の死術士を裁けなくて何が侠客だ、何がファーヴニルだ。

 テレーゼに科せられた使命は他にある、だが遠慮はいらない。

 目の前の敵シャルロッテがテレーゼを逃がすことなどあり得ない、排除を持ってしか科せられた使命は遂行できないのだ。


「……死者を辱める邪悪な死術士、貴方には他人の痛みなんて分からないのでしょうね」

「他人の痛み……?」


 軽口を叩きながら、じりじりと間合いを詰めて来るテレーゼ、そんな彼女を周囲の魔物達が包囲していく。

 シャルロッテは気づかなかったが、彼女の周囲を固める十数人の兵士はいつの間にか惨殺されていた。

 感知できない速度で振るわれたテレーゼの瞬速の剣、しかし恐れることはない。

 目の前の偽善者程度で破れる程、シャルロッテの死術は脆くはないのだ。

 目を下に向ければ、首を斬られた名も無き兵士の姿達……ついに答えを聞けなかった未来を閉ざされた人間。


「貴方は踏みつけた虫けらの痛みが分かるのですか」

「……!!」

「誰も他人の痛みなど分かりはしない……分かるはずがないのよ」


 その言葉を合図にテレーゼが疾駆する、それに負けぬ早さでシャルロッテが振り上げた手を振り落す。


「綺麗な顔した偽善者が……お前みたいな奴は存在しているだけで虫唾が走る、死にな!!」


 蒼き剣士と漆黒の魔術師の決闘が今、始まった。

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