第102話 枯死に近づく聖なる大樹・二

 アマーリア・オルロフ。

首都マグデブルク出身の混血の少女・栗毛色の髪に小麦色の肌、珍しいアンバーの瞳を持つ。

 母親はスラムの卑女、父親は下級神官。ただし、本人が混血故に、両親あるいは片親にスヴァルトの血が流れている。

 十年前のスヴァルトによる首都陥落の折、神官らに保護され、その後、奴隷として売却される。

 その後は各地の司教府を行き来し、数年ほど前にリューネブルク市司教府・グレゴール司祭長に購入された。

 バルムンクの蜂起前後に、ファーヴニル組織・バルムンクの幹部・ヴァンと親交を結び、ハノーヴァー砦攻防戦に非戦闘員として従軍、そこでの功績が認められ、最下級の管理職・侍祭に就任、現在に至る。

 性格は臆病だが狡猾、ただしあまり思慮深い性格ではなく、感情を制御できずに暴力的な言動を行うこともある。

 ただ、基本的には自らの保身を重視する傾向が強く、危険な場所へは近づかない。

 もし仮にそう言った場所へ出向くことがあった場合、自らの立場が脅かされる程、危機的な状況が近づいているか、あるいは極々親しい人間が同様の状況に追い込まれているか……概ね、二つの条件が当てはまる。


*****


バルムンク守備隊・対・貴族・???連合軍―――リューネブルク上等区・ヘルムート橋前—――


「皆が力を合わせればどのような困難とて乗り越えられよう、検討を祈る……これが返答ですか」


 激化する戦闘の中、本陣に救援を要請したヴァンに対するバルムンク総統リヒテルの答えがこれであった。

 援軍に送れる兵力はない、そこで戦死せよ。

 つまりはこういう意味であった。


「ちょっと、何、これはどういう意味なんですの……リヒテルはこんな、くだらない冗談を」

「冗談ではないです、これは現実ですよ、テレーゼお嬢様」

「ヴァン……」


 リヒテルの命令はなんら状況を打開する物ではなく、それどころかその意志も不明瞭で、具体性にすら乏しい妄想に等しい物だった。

 この命令を聞いた者の多くはバルムンクがこの戦いで敗北したことを嫌が応にも理解する。

 ただこの命令を聞いた者は、リヒテルから直接聞いた数人の伝令兵とアマーリアだけであったので兵士の多くはその絶望を知ることがなかった。

 アマーリアはこの命令を自分の所で止めていたのだ。


「夢から覚める時間が来たということですか、私は十年前の絞首刑から逃れたわけではなかったらしい」


 ヴァンは気丈だった、育ての親の凋落した姿をこれ以上ない程、明確な姿で見せつけられた後も、その表情にはなんの動揺も見られない。

 だから、周りは冷静を保つことができた。

 しかしヴァンは手に持つ剣の柄を力の限り握りしめている。まるで誰かの首を締めているかのようであった。


「……作戦オペレーション・レーヴァテインを発動させます」

「……!!」


 その言葉にアマーリアは首を傾げたが、テレーゼの反応は劇的であった。

 顔を石膏像のように強張らせ、目を光らせる、どこか愉しいである、これから行われることを鑑みれば、不謹慎どころかの話ではないのだが、それは武人の業であった。 

 流される血が敵であることに限れば、彼女は慈悲深い心を容易に放り投げられる。


「市街地を焼き払い……貴族連合軍を消滅させましょう」

「確か、油の入った樽に火をつけるんでしたっけ」

「あれは……ダミーです」


 ヴァンは、バルムンク幹部であるテレーゼですら知りえない機密情報を、丁寧に説明し始めた。


「市街地が一本の線で囲まれているのです、線は敵兵に見つけられないよう建物の屋上を通り、そしてその中には許す限りの可燃物を仕込んであります」

「それを点火させれば貴族連合軍はコンガリとハムのように焼かれる訳ですわね」

「いえ……皆殺しです」


 まるで朝御飯の献立を伝えるようにさらっとヴァンが応えた。

 その冷徹さ、命を命と思わぬ冷血さに歴戦の戦士たるテレーゼでさえも顔をひきつらせた。


「今、市街地は火をかける前の鍋のような物です、線の中には可燃物の他にも硫黄を混ぜてあります。例え地下に潜ったとしても有毒な煙を吸って肺が腐り落ちる」

「……」

「貴族連合軍が短期決戦を挑んでくれて助かりました、調べる時間もなかったでしょうから恐らく彼らはまだ気づいてはいません。ですから後は、下水道から気づかれないように敵軍後方に赴き、点火する」

「点火する場所は?」

「東西南北四か所にお願いします、倍の八か所に火をつければ完璧でしょう」


 淡々と、数万人もの人間達の運命が決まった。

 そこにあるのは人の死ではなく、点数スコア。

 それはもはや戦争ではない、ただの遊戯だ。

 チェス盤をひっくり返すように彼らは勝敗を変えようとしている。


「点火する役、私が引き受けますわ」

「そう言うと思いました、ですが……」

「ですが……何? 私が行く理由は、私ならば作戦が終わった後も逃げ切れるということよ、それに」


 奥歯に何かが挟まったようにまどろっこしく、加えて胃の中の異物を吐き出すように逡巡しながらテレーゼはその続きを言い切った。


「他の人達は勿論の事、ヴァン、貴方では無理です」

「……」

「作戦を成功させても貴方では戻ってくることができない」

「……」

「貴方はこの戦いが終わった後も私に必要なヒトです、大切なヒトです、玉砕やら差し違えたりしてもらっては困ります」


 顔を赤らめ、それでもなお堂々とした立ち振る舞いで……と思ったのは本人だけで実際は傍らのアマーリアが失笑するほどの無様に取り乱していたひどい顔をしていたのだが、その心は確かにヴァンへと届いた。


「お気づかい感謝します、ではお任せいたしましょう」

「え、ええ……もちろんです」

「テレーゼお嬢様も生きて帰って来てください、私にとっても貴方は大切なヒトですから」


 ヴァン本人はそれほど意味合いを込めたわけではなかったが、言われたテレーゼ本人はまるで金槌で殴られたような衝撃を受けた。

 瞬時に顔が赤面する、先ほどのようなほんのりとした朱色ではない、烈火のような真紅であった。

 ただ何というか、その喜びを噛みしめる時間は与えられなかった。

 城壁の上まで届く衝撃、ヴァンとテレーゼ、戦士としての感覚が危機を告げていた。


「ヴァン様、破城槌に取りつかれました!!」

「この状況でですか!!」


 再び走る衝撃……今現在、城壁の直下は屍兵と彼らを焼き払うための焼夷兵器で混沌としている。

 サッと下を除くとその混乱は治まってはいない。

 城門を破壊すべく突入する兵士達、突如乱入されて脊髄反射的に友軍に襲い掛かる屍兵達。

 彼らに敵味方の区別はない、それが人間であるならば捕食の対象として戦闘に入る。


「城門、持ちません!!」

「ムスペルの炎を投下、これ以上、城壁に取りつかせるな!!」


 対してヴァンはひどく常識的な判断を下した。

 城壁に取りつく兵士、特に破城槌を扱う十数名の兵士を排除すべく、今や数少なくなった焼夷兵器での絨毯爆撃を試みる。


「……!!」


 結果は一目瞭然、無謀にも城壁に取りついた兵士が焼き殺される。

 だが、それで攻勢は終わらなかった。


「怯むな……スヴァルトの勇姿を見せろ!!」


 鎧に掘られた華美な模様、恐らくは騎士階級と思しきスヴァルトが友軍を叱咤し、次々と炎が映る城壁に兵士を特攻させていく。

 防火の対策をされた業火でも焼けぬ破城槌、それに取りつき、息絶えた味方を引きはがし、しゃにむに城門への打撃を繰り返していく貴族連合軍の兵士達。

 彼らは狂っていた、彼らはスヴァルトの勇士、戦場での死を最高の誉れとする狂戦士達なのだ。


「負傷した者は城門へ……家具でもなんでもいい、城門前に防壁を築け、破られるぞ!!」

「はっ!!」


 もはや負傷兵を収容する余裕すらない、負傷した者でも片腕さえ使えれば人夫として活用する、そうでなければ待っているのはスヴァルトによる大虐殺である。

 あそこまで血に飢えた連中、例え白旗を上げてもそれを許容することはあるまい。


「ヴァン、行って来るわ」

「……ご武運を!!」


 周りが城門を突破される恐怖に包まれる中、他者に気遣える者はそういない。

 ヴァンとてそう答えるしかなかった。

 ただ彼はまだ他の将兵に比べて余裕があったのだ。

 懐から一本のカギを取り出すとテレーゼひ放り投げる。

 何かとテレーゼが首を傾げるより前、ヴァンがそのカギの内容を説明した。


「地下通路には一本だけ外と独立した通路があります、そこを通ってください」

「……独立した通路?」

「貴族連合軍とて馬鹿ではない、我々が地下を移動していることが分かったのならば、そこに兵士を送りこむはずです、あるいは埋めてしまってもいい」

「……」

「それを防ぐためのそれです……ただ一度使えば相手に気付かれる、脱出はそのまま市外へ向かってください、こちらに戻ってくることのないよう、そして……」


 ヴァンは続けた。


「レーヴァテインは私が命令しました、それを覚えていてください」


 街を地獄に変えるレーヴァテインの作戦、敵兵とはいえ何万人もの命を奪う罪、それに苦しまないよう、ヴァンなりの配慮であった。

 しかし、テレーゼはそんな配慮を有難く頂戴する少女ではなかった。

 頬を膨らませ、不満であることを意思表示し、ヴァンの頬を引っ張った。


「それが貴方の悪い所ですわ、苦労は一人で背負いこまない、いいですか?」

「……」

「反論は認めませんわ!!」


 そして今度こそ振り返らずに走り去った。

 目に止まらぬ速度で走り、途中道を間違えたのか、その速度のまま強引に方向転換してヴァンの視界から消えた。

 このままだと秘密の通路でドタバタ音を立てながら走るのではないかとヴァンは不安に思ったが、後の祭りである。

 思わずため息が零れ落ちた。


「昔からまったく変わっていない……頭が痛くなる」


 完全に自分を棚上げしたその台詞にまるで既定路線のようにアマーリアが指摘した。

 彼女は指摘せざるをえなかったのだ。

 溜息をつきながらも笑みを浮かべているヴァンの顔をなんとか変えたかった。


「それはヴァンさんが言えたことではないでしょう」

「そう何ですけど……」


 口の中で何かつぶやくヴァン、しかし漏れ出たのは言葉ではなかった。

 何とも言えない感情が、心の虚より口から漏れ出ていた。 

 それもまたアマーリアには腹立たしかった。


「でしたら私のように教育したらどうですか……」

「私は何かを教えたことはないですが」

「いろいろと教えてくれました、悪い事をいろいろと」


 ゆっくりと間を詰めるアマーリア、が途中で止まる。

 彼女はヴァンが何等かの行動を出るのを敏感に察したのだ。


「アマーリア、お前は変わったな、初めてあった頃は弱々しかったのに、いや、責めている訳ではありません、賞賛しているのです」


 何度かテレーゼとアマーリアを何度も怒らせた経験からやっとのことで学習したのか、慎重に言葉を選ぶ。

 それが分かっている彼女は無論、反発したりはしない。ただ少し肩を落としていた。


「では私は本陣に戻ります……」

「その前に負傷兵を連れて行ってください、さすがに動けなくなるほど負傷した人を戦場から離します」

「この矢が降り注ぐ中……私がですか?」

「今は戦線を支えるので精一杯、余剰人員はないのです、ですがだからといって見殺しにはできない。兵士は死にそうになったとしても助けてもらえると信じているから戦えるのです」

「そうではなくて……」


 アマーリアは非戦闘員、そして負傷兵を回収するには流れ矢が飛んでくる場所まで足を踏み入れる可能性がある。

 アマーリア本人としてはそんな危険な場所には行きたくない、何よりもそこまでバルムンクに尽くす義理はない。

 彼女が動くのは自分自身の利益のため、それ以外でもそれ以上でもない。


「矢が飛んできても盾で防ぎ、剣で弾く。私が貴方を守る、だから動いて欲しい」


 そして利益とは信頼されるという、目の見えない訳の分からない物も含まれるのだ。

 ヴァンさんは悪い男になりましたね、とアマーリアは自分にしか聞こえないよう呟き、ヴァンの要請に従った。

 信頼と、あるいは目の前の人物の心を引き付けたいと言う欲望に従い、彼女は前に一歩、足を進めたのだ。


*****


リューネブルク市北側・法王軍本陣・移転後—――


 リューネブルク市東門、スラムの前に大量の物資を残したまま、グスタフ率いる法王軍は市の外壁に沿って反時計回りに移動し、市街地の北に軍勢を移動した。

 それはエルベ河を利用して奇襲をかけたヨーゼフ大司教ら神官軍の上陸地点から市を挟んで反対側ということだ。

 エルベ河は南から北に流れる。

 実の所、敵が上流か下流、どちらから攻めて来るかグスタフは予想するしかなかったのだが、河の流れに沿って移動した方が早く動けるのは事実、裏をかいて下流に本陣を移動したグスタフの読み勝ちとなった。

 そしてそれは、バルムンクの秘策の一つを封じることにもなった。


「セルゲイ竜司祭長より伝令、用意ができたと」

「さすがに早いな……」

「自前の工兵だけでなく、付近の農村からも人員を募集したようです、そのための費用が少し……」

「かまわん、好きなだけ払ってやれ、セルゲイならば懐に入れるような馬鹿な真似はしない、それに奴にはアールヴ人の統率を今後任せるようになる。こちらで人気取りのお膳立てをしてやれ」

「はっ!!」


 バルムンクが市の地下を走る下水道を利用していることを知ったグスタフはヴァンが予想したように、地下に兵士を送るような真似はしなかった。

 敵の懐に兵士を送り込んでも無駄な被害が出るだけである。そんなことよりもっといい方法があった。


「河の水を堰き止めて下水道を水没させる気か」

「その通り、さすがは法王猊下……元竜司教だな」


 グスタフの傍ら、そこには三十代にしてはやや老けた男性が座っていた。

 言わずと知れた法王シュタイナー三世である。

 彼こそはアールヴ人の王にして、このグラオヴァルト法国の元首、そして直属と言える法王軍の主導権をグスタフに奪われた憐れな男でもあった。


「まるで一枚一枚羽を千切られているようだな、もはやバルムンクの命運は尽きた。降伏を勧告してはどうだ」

「くどいぜ、これほど抵抗できる奴らを生かしては置けない、皆殺しにして後顧の憂いを断つのがむしろ国家の利益と思わないか」

「侵略者が何を言うか」


 グスタフの虜となった王、だがグスタフにしてみればこの状況はあまり歓迎できるものではない。

 いかに主導権を握ったとはいえ、スヴァルト貴族であるグスタフよりも、自らの王たる法王シュタイナーに忠誠を誓う法王軍の兵士は多い。

 法王シュタイナーは戦場から遠くに幽閉し、バルムンク討伐に何の影響をもたらさないようにしなければならないのだ。

 が、アンゼルムによって一度シュタイナーは奪還されている。

 運良く彼が何らかの行動を起こす前に再び捕えられたとはいえ、その幸運が次にもある保証はない。

 このやっかいな法王猊下は手元に置いておくしか他に方法がなかったのだ。

 無論、グスタフはそんな自身の弱みを他者に悟らせたりはしない。


「そろそろヨーゼフのババアが動く頃だな、締めに入るか……トリスタン」

「はっ……!!」


 グスタフの命を受け、息子をスヴァルトに殺された老司教が参上する。

 彼はかつて法王シュタイナーの同僚であり、共に戦場を駆け抜けた戦友でもあった。

 その時の思い出が頭によぎったのか、法王シュタイナーが助力を恃むような視線を彼に向ける。

 しかしトリスタンはかつての戦友に一瞥も与えない、まるで他人と割り切っているかのような冷たさであった。


「トドメをさしてやれ……名残惜しいし、物足りないが相手の手腕がこうもお粗末では仕方がない」

「分かりました」


 本当に名残惜しそうにグスタフが命令を下した。

 どこかまだ期待が残る感があったが、それとは別にグスタフの物言いに何か不穏なものを感じ取ったシュタイナーが顔を青ざめさせトリスタンを詰問する。

 その時、初めてトリスタンは王と視線を合わせた。


「何をするつもりだ……トリスタン」

「グスタフ総司令官の命なくばお教えできません、例え貴方が法王であっても」

「お前は今やアールヴ人の武官で最高位に属する、皆に規範を示す義務がある、それが分かっているのか」

「分かっていないのは貴方の方です」

「何……!!」


 心底侮蔑するような……しかしそれは目の前の憐れな国家元首に対してではない、自分に向けられていた。

 トリスタン竜司教は悔恨と呪詛を一杯に含み、シュタイナーに応える。


「法王猊下……私は犬なんですよ。私は復讐心の代替となるエサをくれるのならば当の仇にすら尻尾を振る犬なんです、猊下が悪いわけではありません」

「……」

「それでは私は職務に戻ります、鞭で叩かれるのは嫌ですから」


 吐露された言葉に屈し、ガックリと肩を落とす法王シュタイナー。

彼はこの十年、侵略され奴隷と化したアールヴ人が少しでも悲惨な扱いをされないよう努力してきた。

 だが彼の献身とは裏腹に、彼を支える法王軍自体が既に奴隷となることに満足していたのだ。

 もはやどうしようもない現実を前に男は静かに涙を流した。

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