第76話 それだけが私が生きた証だ

ロスヴァイセ連合軍対ライプツィヒ市駐留軍―――ライプツィヒ戦線―――


 リヒテルが全ての切り札を晒した時、貴族連合軍を挟んだ後方では、ヴァン率いるロスヴァイセ連合軍とレオニード伯率いる駐留軍が死闘を繰り広げていた。

 錐で突くように駐留軍の中央に食いこんでいくテレーゼ大隊、だがさすがにその動きが鈍ってきた。指揮官を守る精鋭部隊とぶつかったのだ。

 それを機に駐留軍は体勢を立て直し始める、のみならず彼らは攻勢に転じた。

 逆弓形へと徐々に変わりつつある駐留軍が先行、というよりも突出しているテレーゼ隊四百名を包囲し始める。

 先行するテレーゼ隊四百名と民兵を中心とした六百名の本隊の間に入り、ロスヴァイセ連合軍を前後で分断する気なのだ。

 このままでは前後左右から挟撃を受けてテレーゼ大隊は壊滅するだろう。それはヴァンが慕うテレーゼが戦死するということを意味していた。

 だがヴァンは少なくとも表面上は平静を保っている。何の動揺も見せない。


「本隊がテレーゼ姫のバルムンク大隊に後れを取っている。進軍速度を上げましょう」

「いえ、それでは練度の低い民兵では陣形を維持できない、速度はそのままでいいです」

「しかしそれでは、バルムンク大隊が包囲されて壊滅しますよ」

「覚悟の上です」


 なんの感情も伺えない冷たい声、それがヴァンの口からこぼれる。それは副官であるロスヴァイセ頭領、イグナーツに悪寒と苛立ちを生じさせたが、彼の顔もまた何の感情も見せない。

 有能な副官の仮面を被り続ける。


「バルムンク大隊四百名の中核はテレーゼお嬢様の母、アーデルハイドの派閥の者です。ですがその全てがバルムンク出身というわけではない、知古の傭兵や他組織の知り合い、そういった人間が実は大半を占めています」


 テレーゼが率いるバルムンク大隊の前身はアーデルハイドがリヒテルに対抗して集めた古参幹部が中心だが、実の所、彼らの舎弟らを集めても五十に満たない。

 そもそも一番初めのリューネブルク市蜂起の段階でバルムンクがかき集められた兵力が二百五十名。その多くがリヒテル派だ。五十人でも良く集めた方なのだ。

 四百名の多くは幹部が長年築いた人脈を通じて集めた傭兵やらファーヴニルやら、つまりは知り合いの知り合いだ。その過程で能力の選別が行われたとしても、彼らは指揮官たるテレーゼとは初対面。

 テレーゼの人格も能力も、それどころか顔も知らない者も多い。それでは信頼関係など生まれない。

 あくまで古参幹部に義理立てて戦闘に参加しただけであり、その古参幹部がテレーゼを庇ったりして死んだ時点で義理は果たしたことになる。


「彼らは最後まで戦うつもりはない、義理を果たせばテレーゼお嬢様を見捨てて逃走するでしょう、ですが敵に包囲されれば、死にたくないがために必死で戦う。まあ、多分それでも戦死するでしょうけれど、その時はこれを使います」


 そう言ってヴァンが懐から出したのはミストルティンの種、死術士が良く使う触媒だ。同じものが化け物となったファーヴニル軍のアンゼルムの身体の中にある。


「テレーゼお嬢様を知らないということは私の、死術士としてのやり方も知らないということ。これを薬だと言ったら、疑うこともせずに飲み込んでくれましたよ。討死にしても屍の兵士として復活させられる。生きとし生ける物を憎む屍兵。それが包囲下で大量に発生すれば駐留軍は大混乱になる」

「屍兵は敵味方の区別がつかず、生きている者に無差別に襲い掛かる。そうなれば、テレーゼ姫は確実に死にますね」

「ここは戦場です、イグナーツ殿。テレーゼお嬢様はあくまで一兵士、特別扱いはできない、兵士個人の命など、大局の前では小石程の価値もない」

「……」

「軽蔑しますか……こんな方法しか思いつかない私を」


 ヴァンが自嘲気味にしゃべり始めた。初めて見せる感情、それは後悔、そして無力感。彼はようやく、テレーゼが自分に示してきた好意に気付き始めていた。

 ヴァンの体だけでなく、心も守りたいと言うテレーゼの優しさ。混血として生まれ、弾圧される生活の中、死術という外道に逃げた弱いヴァンを守ろうとする慈愛。

 死へと向かうヴァンを背中から抱きしめて引き留めようとする彼女を、しかしヴァンは土足で踏みにじった。

 勝利するために、スヴァルトに勝ち、総統リヒテルに勝利を捧げるために犠牲にしたのだ。

 それはまるで底なし沼のよう、手を差し伸べた人間を引きずりこみ、共に破滅させる。自滅する時に周囲を巻き込むのだ。


「私は貴方に全てをかけたのだ。自分にできないことをできると信じて指揮官の職を押し付けたのだ。だから、この程度で叛意を見せるわけには行かない。猜疑心が強い貴方はそれだけで行動に制限がかかる」

「……」


 だがそれでもイグナーツはヴァンを信じたのだ。ヴァンの言葉で心を決めた彼はどこまでもヴァンについていく、そのつもりであったのだ。

 その覚悟を見て、ヴァンがわずかに動揺する。彼は蔑まれ、敵意のある視線で睨まれることには耐えられても、期待されることに、好意的な態度を取られることには慣れていなかった。

 ただ、いかにヴァンに全てをかけるとはいってもイグナーツは別に盲目的な忠誠を誓っている訳ではない。

 疑問には質問し、間違っていると思えば意見もする。

 だから彼は素直に聞いた、テレーゼ大隊を犠牲にするヴァンの策、それには大きな矛盾がある。

 今、レオニード伯率いる駐留軍はテレーゼ大隊の猛攻を受けて防戦に回っている。ここで民兵を中心とした本隊を突撃させれば勝負がつくのではないのかと。

 いかに練度が低い民兵であっても、その六百人にはイグナーツ率いる精鋭のクロス・ボウ兵五十と、ヴァンが使役する屍兵百、そして何よりも虎の子の影術士部隊百がいるのだ。

 ヴァンの策は本隊を温存することばかり考えて大局を見誤っているように見える。言うなれば慎重すぎるのだ。


「その答えはすぐに分かります」

「もったいぶらなくてもいいじゃないですか」

「いえ、話すよりも見た方が早いかと思いまして」

「何……?」


 ヴァンの要領を得ない回答にイグナーツが首を傾げた瞬間、轟音と砂塵が北から鳴り響く。それはあり得ない光景だった。

 民兵らに一斉に動揺が走る。彼らは恐怖に震え、その戦意がみるみる衰えていった。


「側面より敵襲、軽騎兵二百!!」

「馬鹿な、駐留軍千名は前方に……!!」


 これはロスヴァイセと駐留軍による決闘なのだ。千名と千名による対等な決闘。駐留軍の歩兵はテレーゼ大隊に陣形を崩されて今、立て直しに悪戦苦闘しており、左右の騎兵はテレーゼ大隊を包囲しようとしている。

 駐留軍は、後方に遅れている本隊から見て全軍が前方にいるのだ。側面から攻撃されることなどありえない。

 驚くイグナーツ、しかしヴァンは冷静に有り得ない伏兵の正体を看破した。


「私は……レオニード伯が馬鹿正直に兵士を千人しか用意していないとは考えていませんでした。劣勢になれば友軍を呼び込むことでしょう」

「しかし、そんな都合よく……はっ!!」

「お忘れですか、イグナーツ殿。ここはライプツィヒ市、グラオヴァルト法国軍の補給基地です。総司令官ウラジミール公を狙えるこの場所は、敵軍のすぐ後方なのです」

「……」

「いくらでも援軍が呼べます」


 ヴァンは勘違いしていた。レオニード伯はあくまで千名対千名の決闘を望み、助太刀の類を断っていたのだが、法国軍右翼、貴族連合軍はバルムンク連合軍相手に劣勢で、形勢不利と見た騎兵が手柄を狙ってライプチィヒ戦線になだれ込んできたのだ。

 貴族連合軍は元来、まとまりが悪く、皆、自分達が手柄を独占したいと考えている。故にバルムンク連合軍が強しと見て、より手ごろな獲物であるロスヴァイセ連合軍に照準を変えたのだ。烏合の衆らしい手前勝手な戦線離脱である。

 だが標的にされたロスヴァイセ連合軍にはそこまで事情が分からない。彼らは突然の新手に驚き、そしてそれを見抜いたヴァンを見直す。

 イグナーツだけではない、彼の周辺から徐々にヴァンを見る目が変ってきた。

 だがヴァンはその視線に気付かない、彼はただ与えられた総指揮官の職務を全うするだけである。


「軍楽隊、かき鳴らせ、三重の陣だ!!」


 動揺する民兵を叱咤するように大音量の軍楽が鳴らされる。ライプツィヒ戦線は次の段階に進んでいった。


*****


バルムンク直轄軍対リューリク公家軍―――中央戦線――― 


「親衛騎士団が逃げていくぞ」

「やった、俺達の勝ちだ!!」

「まだ早い、油断するな!!」


 無謀な突撃を繰り返していた親衛騎士団がついに敗走した。強力な影の魔物は馬を恐慌させるため、ことのほか騎兵に有利であり、例え包囲されたとしても一体で数騎の騎兵をなぎ倒す。

 そして、魔物という絶対に勝てない障害に邪魔されてバルムンクの本陣にたどり着けないのだ。

 よしんば迂回してたどり着いたとしても陣形は乱れ、バラバラに突撃するばかり、わざわざやられに行くようなものである。

 彼らは勇猛だった、それでもなお突撃を繰り返す。しかし人はそれを頑迷とも言う、敗走する親衛騎士団は既に組織的な戦闘が出来ない程人員を失っていた。


「他戦線の様子は……」

「はっ、左翼、ファーヴニル軍はアンゼルム殿の活躍によりこちらが有利、鋼の城壁も完成に近づき、深追いにしなければ敗北はないと……」

「右翼、法王軍は戦意低く、積極的な攻勢に出ない模様、相対する我らが黒旗軍はその隙に防御を固めたようです。こちらも敗北はないと」

「では中央のリューリク公家軍を倒せばこの会戦……」

「我らバルムンクの勝利!!」


 多くの犠牲を払ってきた。意志を統一されるために身内を殺してきた。それがようやく報われる時が来たのだ。

 軍師衆、そして総統リヒテルの口元にも笑みがわずかに見える。

 そしてまた、彼らを勇気づける朗報が陣に舞い降りる。


「伝令、敵軍総司令官ウラジミール公不予、数日前からの発熱が悪化し、指揮権委譲を検討中とのこと」

「何!!」

「まさか、戦闘前の三日間の待機はそのため……」

「ウラジミール公はもう長くない!!」


 スヴァルトにとっての王、ウラジミール公の権威は絶大だ、それ故に死亡などによるその権威の欠落は大きい。

 ましてやウラジミール公には後継者がいない、このブライテンフェルト会戦はその後継者を決めるための戦いでもある。

 そして、勝利前にウラジミール公が崩御すれば後継者は不在、貴族は熾烈な後継者争いを行うのだ。

 貴族主義を貫くスヴァルトの根本的な欠点、真の敵たるバルムンクの討伐よりも自身の権力の方が大事なのだ。


「ウラジミール公が死ねば、我々の勝利は決まったもの、だがしかし……そんな重要な情報、どこから流れてきた」

「法王軍の脱走兵と名乗る者が……」

「なぜ、リューリク公家軍の友軍である法王軍がそれを」


 ウラジミール公不予、その情報の価値は図りしえない。しかし何故それが法王軍から、リヒテルはあまりにも出来過ぎているその状況に不気味さを感じた。

 確か、法王軍の司令官はあのグスタフ……そうリヒテルと五分の能力を持つ宿敵なのだ。


「今、この機会にウラジミール公を討ち取れと言うのか……馬鹿な、我らは守るだけで精一杯だ。そんな余力はない」

「リヒテル様……いかがなされました」

「いや……」


 リヒテルが突然、考え込んだことに軍師衆が不安がる。


「いや、何でもない。お前ら油断するなよ、会戦はまだ続いている。この戦いに一千万人のアールヴ人の運命がかかっているのだ」

「はっ!!」


 リヒテルは熟考の末、かられた誘惑を断ち切った。彼には多くの人間の命と運命がかかっている。

 決して失敗は許されない以上、大きな博打は打てないのだ。


(グスタフ、俺はお前とは違う、自らの欲望のために平然と他者を犠牲にする貴様とはな)


 幾千の命が散っていくブライテンフェルト大草原、どす黒い大地にいつのまにか粉雪が舞っていた。


*****


ロスヴァイセ連合軍対ライプツィヒ市駐留軍―――ライプツィヒ戦線―――


 三重の陣、その外周はヴァンが使役する屍兵、百体。敵味方の区別がつかない、それどころか目も耳も機能していないその兵士はしかし、肉の壁にはなる。

 そもそもむやみやたらに屍兵が暴れまわるのは術者が未熟か、その場にいないためにおこるアクシデントなのだ。

 術者たるヴァンが目を届かせれば、彼らは忠実なる兵士、そんな屍兵は大型の盾を構えて最前線に立つ。彼らの仕事は耐えることだけ、ただそれ以上の働きはヴァンの技量ではできない。

 二列目は民兵三百名による槍方陣、密集陣形を組み、騎兵の矢や突撃に備える。強力な騎兵に対し、歩兵が対抗するためには槍衾を作るのが最も有効。あるいはそれしか方法がない。 

 そして最も内側の三列目、攻撃のための影術士部隊百名。彼らが操る影の魔物は術者の前方、ちょうど屍兵と隊伍を組むように整列する。既に死んでいる影の魔物を屍兵は襲い掛からない。

 ちなみにこの影術士部隊は本隊のそれと区別はない、彼らは本来、バルムンク連合軍の死術士ツェツィーリエの部隊に組み込まれるはずだった、

 しかし恐怖や色々な理由で実験を逃げ出し、リヒテルに見限られたいわば落ちこぼれである。

 途中で投げ出したため、術は未熟で使役する魔物も弱小だが、寄せ集めのロスヴァイセでは切り札と成り得る。何よりも彼らは頭領イグナーツに忠実であった。

 逃げたということは逃げこむ場所に当てがあったということ。彼らの多くがライプツィヒ市出身の孤児なのだ。


「騎兵、来ます!!」

「来るぞ……斜め上に槍を構えろ、矢が来るぞ」


 援軍の騎兵らは統一した指揮系統がない、貴族の私兵の寄せ集めだ。だがその数は意外に多く、そして自分が手柄を独り占めしたいと考える、熾烈な競争を勝ち抜いてきた戦士達であった。

 彼らは狩人としての嗅覚に優れていた。巧みに騎兵の機動力を駆使して陣形の脆弱な部分を見つけ出し、針をも通す精密な射撃で一人、また一人と民兵を射殺していく。

 狙うは総指揮官であるヴァンの首、陣形のどこかが崩れれば意志が統一されているかのようにそこに群がり、ハゲタカのように食らいついていくのだ。


「ぎゃぁぁぁ、俺の目が、いてぇぇぇぇ!!」

「敵軍は右側面に回った、イグナーツ殿」

「クロス・ボウ隊、狙え、撃て!!」

「当たるかよ、そんな遅い動きで……なんだこの黒い影みたいな、がぁぁぁぁ!!」

「こいつ、離しやがれ!!」


 矢で貫かれる民兵、矢を放った軽騎兵に撃ち返すクロス・ボウ兵、影の魔物の餌食になる騎兵、しかし突出し過ぎれば今度は包囲されて破壊される魔物達。

 本隊の影の魔物と違い、ロスヴァイセのそれは騎兵に対して絶対のアドバンテージはない。

 戦場は乱戦の様相を帯びてきた、しかし数では劣りつつも、優位に立っているのはスヴァルト騎兵側だ。

 馬で疾駆する彼らは密集陣形を取る民兵に比べて機動力が違う。好きな時に好きな場所で攻撃でき、反撃されそうになれば転進すればいい。

 そして何よりも……。


「前方より騎兵十数騎……敵の増援です!!」

「な、またか……」

「無限に湧いて来るぞ」


 時間が経つごとに敵は新手をよこしてきた。既に増援の数は数百を超える。

 ヴァンは知りえなかったが、リヒテルが切り札の鋼の城壁を築いたことにより、相対する貴族連合軍がいよいよ敗北に近づいてきたのだ。

 アンゼルムの鉄塊で押しつぶされ、ブリギッテの河からの攻撃で射殺される。大勢不利と見た貴族連合軍の騎兵が続々とライプツィヒ戦線に転進してきた。

 まるでシーソーだ。エルンスト老率いるファーヴニル軍が奮戦すればするだけ貴族連合軍を挟んで反対側にいる駐留軍が強化されていく。


「もう、だめだ。もう戦えない……俺はもう逃げる」

「スヴァルトに勝てるわけないぜ」


 民兵の士気が危ういところまで落ち込んでくる。元よりロクな訓練を受けたこともない彼らでは長期間の戦闘は無理、ついに限界が来た。

 彼らは本心では逃げたい、戦いたくないのだ。しかし彼らはギリギリのところで踏ん張っていた。

 なぜなら逃げられないからだ、民兵の限界はヴァンには予想の範囲内、彼らが逃げられないよう、ヴァンは、彼らの家族を人質に取った。


「アマーリア侍祭、軍楽隊にもっと大きくかき鳴らすように命令しろ」

「はい、ヴァンさん、了解しました」

「ここを食い破られればお前らの家族が殺される。それでもいいのか、嫌なのならば戦え、死にもの狂いで戦え!!」

「かあちゃん……」

「うぉぉぉぉぉ!!」


 ロスヴァイセ本隊の中心、最も安全な場所にいるのは総指揮官であるヴァンではない、アマーリア侍祭が率いる軍楽隊である。

 その構成員は民兵の家族である、老いた母親、妻、妹、娘、それらが腕を振るわせながら太鼓をたたき、顔面を蒼白にしながらラッパを吹く。

 自分の大切な人が無事に家に帰ってくるように……。


「音は大きくなりましたけど、皆さん、疲れ始めましたよ」

「それでも、そのまま鳴らし続けさせてくれ。何もさせないと恐怖に駆られる、そうでしょう」

「ええ、当たり前ですよ、昨日まで家で家事をしていた人間が戦場に出て平静でいられるわけないじゃないですか。本当にひどい人ですね、ヴァンさんは……地獄に落ちて転生できなくなりますね」

「女子供を戦場に出すように言ったのは敵指揮官である、レオニード伯ですよ」


 嘘だった。レオニード伯は確かにロスヴァイセが数を合わせるために二流、三流の兵士を従軍させるのを見越して、わざと決闘を千名という多人数を指定した。

 しかしその中に女子供を入れろとまでは言ってない。スヴァルト人は非戦闘員を戦場に出すことを恥とする。そしてそれを敵に強要することもない。

 これはヴァンの情報操作だった。ヴァンは敵指揮官、レオニード伯を徹底的に外道として皆に伝えた。

 兵士が逃げられぬように兵士の妻、子供、母親を従軍させよ、さもなくば街を焼打ちにする。そう言い放ったと嘘を吐いたのだ。

 折しも街の至る所に油の入った壺が……これも嘘だ。街に火をつけて駐留軍を住民諸共焼き殺そうとしたのはイグナーツであり、レオニード伯ではない。

 策は上手くいった。純朴な彼らはヴァンの嘘を見抜けなかった。

 しかし嘘で嘘を塗り固め、人々を扇動してその命を散らさせる。そんなことをする者を本当に人間だとでも言うのか。

 そう、ヴァンは人間ではない、邪悪な死術士であり、そもそもどちらの人種からも人間扱いされない混血、外道な所業も不思議ではないのだ。


「私の息子があの中に、無事なのですか、死術士さん」

「嫌だよ、父さん、早く帰ってきてよ!!」

「あなた、あなた……死なないで!!」

「運が良ければ帰ってきますよ」


 軍楽隊の声なき声を完全に黙殺するヴァン、彼にはそれが最善の方法だ。黙して必要以上に関わらなければ、嘘もばれるまでの時間を可能な限り引き延ばせる。

 そう、嘘はばれるのだ。そしてヴァンが吐いた嘘は決して許される類の物ではない。

 戦闘が終われば嘘は徐々にばれる。そうなればヴァンは怒り狂った彼らに殺されるだろう。大切な人を殺された彼らの憎しみは止めようがない。

 なぶり殺しか、八つ裂きか、市中を曳きずり回されるか。しかし元よりこの戦場で死ぬと決めているヴァンは決して断罪されない。

 戦闘の後には死んでいる。死人はもう殺されない。死人に罪は問えない。


(どうせ死ぬべき命、ならばせめてバルムンクに勝利をささげよう、それだけが私が生きた証、徹底的に卑怯に、恥知らずな方法で勝利しよう)


 ヴァンは指揮を続けながら、後ろの視線に苦笑した。背後にいるのはアマーリア・オルロフ。彼女もまた自らの人生に悲観して、ヴァンに無理心中を強いようとする狂女である。

 アマーリアが服の中にナイフを隠しもっていることをヴァンは大分前に気付いていた。

 それは決して護身用ではなく、ましてや戦闘用でもない、油断したヴァンを背後から刺し殺すための物だ。


(私の命を取りたいのならばどうぞ、自信があるのならばかかってくるがいい、最もその結果は保障しないけれども)


 ライプツィヒ戦線は今の所、五分の状態が続いていた。最低でも外見は。

 だがしかし真っ暗な道のすぐ目の前に奈落が開いていることを、極少数の人間は気づいていたのだ。


*****


 スヴァルトの故郷、ルーシの大地には伝承がある。

 曰く、神にして祖、不死王シグムンドが狩りをする日。

 十数年に一度、冷たい春が訪れる年、夏に雪が降り、収穫が取れず、不死王に供物を捧げられない年。

 その年の冬の幾日か、動物達は身を寄せ合って動かず、ただ狩られるのを待って雁首を揃える。

 しかしそれは人間が狩りをするうえで大きな機会でもあった。獲物は面白いように狩れ、その手にはたくさんの食べ物。

 これで家族は飢えなくて済む、それどころか大金を掴みとれるかもしれない。

 呵々大笑したある男が翌日、氷漬けになって発見される。信じられない顔で凍死していた彼の姿を見て、人々は皆、不死王の裁きを噂した。

 無論、天罰ではない。この世界にそもそも神などいない、ただの自然現象だ。

 海から来る北風と山より来る東の風がぶつかり合い、一時的に天候が安定する。しかしその数日後、局地的な猛吹雪が巻き起こるのだ。


「不死王よ、我らが敵に裁きを……」


 野生の動物にはそれがいつ来るのか分かるのだ。だからこそ身を寄せ合い、動こうとしない。


「我らスヴァルトはその眷属、我らが一族に恩寵を……」


 だが人間の中でもそれを察知できる者が極少数ながら存在する。草原の中で長い時を生き、その身を大自然に委ねし者。スヴァルトにとってそれは神の使いと同義であった。


「吹けよ、ルーシの風、呼べよ白銀の祝福を!!」


 神の使いの名はウラジミール公エドゥアルト。リューリク公家軍本陣にてウラジミール公が召喚の儀を行う。それは自らの身を捧げて行う大魔術。


「な、なんだあれは!!」

「空が……!!」


 バルムンク本陣にて総統リヒテルが驚愕する、都市で生まれ、都市で生きてきた彼ではこの災厄を予測することは不可能であった。

 三日間の待機、それが何を意味するのか彼には理解できなかった。


「リヒテル様……う、うぁぁぁぁぁ!!」


 天空よりいでし白銀の闇、それが今、人々が合い争うブライテンフェルトの大草原を蹂躙する。

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