第77話 これが忠誠を誓った者の末路か

ロスヴァイセ連合軍対ライプツィヒ市駐留軍―――ライプツィヒ戦線―――


 大寒波は東から西へと突き抜けていく。最も早くその洗礼を受けたのはブライテンフェルト大草原の東端、ライプツィヒ市前面で戦闘を行っていたロスヴァイセと駐留軍であった。


 粉雪が舞ったかと思うと、数分後には拳大の雹が戦線全体に降り注ぐ。スヴァルトが扱う矢よりも多く、重い一撃が頭上から叩き込まれたのだ


「な、なんだ……!!」

「敵の攻撃……違う、盾だ、盾を構えろ」

「屍兵から盾を受け取れ、影術士は影を呼び戻してにの代わりに、ちっ!!」


 遮蔽物のない草原である、隠れる場所はない。ただ、密集陣形を組んでいたロスヴァイセ連合軍はまだマシだった。

 三重の陣、その外周に位置する屍の兵、痛みも、肉体の損傷も一顧だにしない不死の兵士が盾となり、雹の雨をある程度防いでくれるのだ。

 悲惨だったのは駐留軍の多くを占める騎兵らである。散開していたため、互いに庇いあうこともできず、雹の殴打をただ受け続けるだけだ。

 突然の空からの襲撃に対応できず、バランスを崩して落馬する者、顔面に傷を負い、流血する者。俊敏性を上げるために軽装であったことも災いして戦闘力を失いつつある。

 そして、雹の嵐の次は猛吹雪、まるで染料をぶちまけたように地面を急速に塗り替える。

 各所で放たれる苦悶の声と悲鳴、それが轟音にかき消され、次第に悲鳴さえも聞こえなくなっていく。


「耐えろ、耐えるんだ」

「これは……伝承の、まさか」

「今です、前面に攻勢をかけてテレーゼさん達を包囲から救出しましょう」

「なんだって!!」


 ヴァンは猛吹雪で苦しむ中、地面の方からアマーリアの声を聞いた。地面に伏せて、つまりはヴァンの影に入っているために比較的、吹雪の影響を受けていない。


「馬鹿な、この吹雪の中で攻勢など」

「ですがこの風は追い風です。駐留軍は正面から吹雪を受けますが、こちらは必ずしもそうではありません」

「そうか……」


 騎兵に背後に回られてもいいように円状の陣形を組んでいたので気付くのが遅れたが、東からのこの大寒波はヴァンらロスヴァイセにとっては追い風、そして対する駐留軍にとっては向かい風となり、今、攻勢をかければ正面からの吹雪で視界を奪われた駐留軍を一方的に攻撃することができる。

 またこの風では駐留軍は弓矢も使えない。反撃の心配すらないのだ。


「分かった、お前の言うとおりにしよう」

「そうです、いくら犠牲にすることが前提でも、助けられるのならば、助けた方がいいです、あはは」

「そ、そうだな」


 ヴァンはアマーリアの意見を採用し、駐留軍に包囲されたテレーゼらファーヴニル隊を助け出すことに決めた。

 助けられるのならば、助けるべきだ。確かにそうだ、非常に合理的で無理のない論法、そして感情的にも納得がいく。

 ヴァンはやはり、何を言ってもテレーゼには死んで欲しくなかった。


「ありがとう」

「いえ、私はただ……」


 アマーリアの笑顔は輝いていた。とても死を望んでいたとは思えない、死ぬことをあきらめたのか、もしかするとそうなのかもしれない。

 何が彼女に希望を与えたのか、そんな中、彼女の意見に真っ向から反対する者が現れる。

 彼の発言の直前、アマーリアが舌打ちした。

 忌々しいことこの上ないと、貼りけられた笑顔の裏の顔をヴァンは幻視する。


「だめです、ヴァン。今、陣形を崩せば影術士隊と軍楽隊が全滅する」

「何……」


 アマーリアに反対したのはロスヴァイセ頭領のイグナーツであった。彼の発言を聞き、ヴァンが背後を振り返る。

 雪で良く見えない、目を凝らし、幾ばくかの時が過ぎる。

 そこでは軍楽隊と影術士隊が身を寄せ合い、震えていた。中には地面に倒れ伏し、蒼を通り越し、顔を白く染めて死相を浮かべている者もいる。テレーゼの従者、リーリエも凍えていた。

 三重の陣、その外側は屍兵と影の魔物、次が民兵、一応は選別された屈強な男達、そして最も内側に位置するのが、子供ばかりの影術士隊と、女子供、老人、弱者ばかりの軍楽隊だ。

 屍兵や民兵、外側の彼らが盾となり、雹や吹雪は内側の影術士隊や軍楽隊に届く頃にはやわらげられている。

 にもかかわらず、一番初めに限界を迎えたのは彼らであった。女子供は弱い、体力もなく、実を言えば金銭的に困窮している故にまともな防寒具を着ていない。

 今、陣形を崩して攻撃に移行すれば吹雪が彼らを直撃し、皆、凍死するだろう。

 それは最前線で戦っている民兵の家族が死に絶えるということ。

 民兵が逃げないように、彼らの家族を戦場に出したヴァンの策が裏目に出た。


「私はロスヴァイセの頭領です。戦場に出しておきながらこんなことを言う資格はないかもしれませんが、彼らを守る義務がある」

「ですがここで包囲を解いてファーヴニル隊と合流しなくては、数で押し切られてこちらも全滅ですよ、どうせならば可能性が高い方を選びましょう」

「では女子供を見捨てるというのですか」

「駐留軍を倒すために街に火をつけようとした人間には言われたくありません」


 女子供を見捨ててファーヴニル隊を助けろと言うアマーリア、女子供をこのまま守ってファーヴニル隊を見捨てろと言うイグナーツ、意見がかち合った。

 彼らは共に譲らず、その決定は上官に委ねられる。総指揮官たるヴァンにである。


「当初の作戦に変更はありません。このまま密集陣形を維持します。テレーゼお嬢様らファーヴニル隊が全滅した場合は種を発芽させて屍兵に変えましょう」

「ヴァン……」

「彼らは戦士、覚悟はありましょう」

「ですが、そのままでは数で押し切られて……」

「その時は……」


 ヴァンは即座に判断を下した。イグナーツの意見を採用してこのまま防御の体勢を維持する。

 だがそれでは劣勢の状況を覆せない。寄せ集めの民兵ではやはり、スヴァルトには勝てないのだ。


「その時は白旗を上げて降伏しましょう。その時は交渉をお願いします、イグナーツ殿。私の首……うまく使ってください」

「ヴァン、いや、ヴァン殿」


 イグナーツが瞠目する。敗北した場合、ヴァンは指揮官としての責任を取って死ぬ気なのだ。

 押し付けられた責任を取り、その首を刈られるを甘んじて受けるつもりなのだ。


「それから、アマーリア」

「はい、なんでしょう?」

「自分の自殺に他人を巻き込むな、そんなにも自分に似た境遇の人間に死んで欲しいのですか」

「あはは、気付くのが遅すぎます、それとも早すぎたのかな」


 そしてヴァンはアマーリアに向き直り、彼女を叱責する。

 アマーリアは何も変わってはいない。破滅を望む狂女なのだ。ただ仮面を被るのがうまくなっただけ。それにヴァンは気づいた。危うく騙されるところだったのだ。

 彼女は依然として、ヴァンと心中する目的をあきらめていない、もはや彼女の中では無理心中は、交わされた約束に昇華されていた。

 そう、思い込むことにしたようだ。


「ヴァンさんはこの頃、私と心中する約束を忘れているようですので、代わりを見繕うかと思いまして……」

「約束した覚えはないのですが」

「一人だけ助かるのは許しません、私はもう助からないのに……」


 ヴァンの叱責を無視して、アマーリアが軍楽隊に戻っていく。その後ろ姿は、消え去りそうな蝋燭の炎にどこか似ていた。

 強靭でありながら儚い、それは自らが選んだ結末の姿か、しかし果たして奴隷であった彼女に選択権はあったのか、だが彼女は半分とは言え自由の民、アールヴ人。

 近い将来に迎える無残な最期は、自らの責任なのだ。


「ヴァン、今のうちにアマーリアを殺しますか」

「危険すぎますか」

「ええ、彼女は危険です、生かしておけば何をしでかすか」


 狂女アマーリアを排除するのは当然の意見、だがヴァンはその意見を無造作に払いのけた。


「イグナーツ殿、どうして私の剣は敵より先に身内に向かうのだろう」

「……」

「これがバルムンクの、いや私の限界ですか」


 苦々しい、あるいは苦悶にも聞こえるヴァンの声、それは雪の中に消えた。


*****


バルムンク直轄軍対リューリク公家軍―――中央戦線――― 


「リヒテル様……ご無事ですか!!」

「私は大丈夫だ。この風は向かい風、壁の影に隠れていれば凌げる」


 大寒波がウラジミール公国軍の陣を通過し、バルムンク連合軍の陣に到達した。しかし、その中央たる直轄軍は思いのほか、損害が軽微であったのだ。

 選ばれた精鋭部隊は身体能力に優れ、大寒波にもなんとか耐えられる、そして何よりも野戦陣地、鋼で作られた壁が吹雪を受け止めていた。

 大寒波は彼らにとっては向かい風、ただ猛吹雪により正面の視界が閉ざされるため、弓矢などで奇襲される危険はあり、それだけが懸念材料であった。


「助かったぜ、俺らは壁の中にいれば吹雪を凌げる。だがスヴァルトの野郎は皆、凍り付いているんじゃないのか」

「皆、凍死すればいい、どれどれ……」

「壁から顔を出すと顔が凍り付くぞ」

「今のうちに影術士部隊を収容しよう」

「リヒテル様……何をおっしゃっているのです?」


 この猛吹雪は劣勢のバルムンクにとって体勢を整えるチャンスだ。今のうちに全軍を壁の中に収容する。

 まず始めに外に出てスヴァルト騎兵を食い止めた影術士部隊を収容する。同部隊は子供ばかりで体力が低い。この大寒波はかなり堪えることだろう、早く野戦陣地内に入れなければ。

 だがリヒテルの命令に皆、動きが鈍い、承諾しかねると顔に書いてあった。


「味方を襲った彼らを同じ場所に入れるのですか?」

「止めてください、総統リヒテルよ、危なすぎます」

「奴らは俺の友を殺した、これは罰だ、壁の中にいれることはできない」

「だが、このままでは大きな被害が出る……」


 進軍中に味方を襲った影術士部隊、彼らに対するファーヴニルの不信は根強い、元より怪しげな術を使う子供達を畏れ、蔑む空気があったのも確かだ。

 それが今、爆発した。いかにリヒテルとはいえ、一応は皆の支持で総統に選出されて以上、大多数の反対を退けて自分の意見を押し通すことはできない。

 命令は行き届かない、しかしだからといって影術士部隊を犠牲にする訳にもいかないのだ。

 リヒテルとて一人の長、他人の意見は聞いても、判断を下すのは自分、他者の意見に左右されて迷うような軟弱な指導者ではない。

 リヒテルは総統の権限をちらつかせながら、彼らを説得する。それはほんのわずかな時だったかもしれない。

 しかし、そのわずかな時間が運命を分けた。


「おい、なんだ……影の魔物?」

「……誰だ!!」


 野戦陣地の入り口、格子状の堀をまたいで通る道路に一人の男がいた。凍り付いた体、来ている毛皮ですら凍り付いているのだ。

 片眼は黄色く変色し、寒さで壊死したように見える。掲げる矛槍は手に縄で括り付けられている。指の血流が止まり、腐り果てて力が入らないのだろう。

 まるで死体にも見える、その壮絶な姿はこの猛吹雪の中、進軍するという愚行を行えば当然の結果だった。

 男の名はブラト……ウラジミール公に忠誠を誓う騎士である。


「し、親衛騎士団!!」

「敵襲、敵襲……!!」


 それは完全な奇襲となった。バルムンク、総統リヒテルでさえこの猛吹雪の中、彼らが進軍してくるとは思わなかったのだ。

 堀を正面から乗り越えた親衛騎士団が細い通路を伝って、野戦陣地に斬りこんでいく。


「馬鹿な、正気か……」

「陣形を組み直せ、急げ……!!」

「間に合いませ、あぁぁぁぁ!!」


 壁に最も近くにいた数個の中隊、百人近い兵士が瞬く間に斃れた。

この猛吹雪の中、確実にトドメを刺すのは容易ではない、だが負傷し、血を流し、体力を落とせば後は寒さが彼らの息の根を止めてくれる。

親衛騎士団はただ暴れるだけで良かった。


「ワレらが……主に、勝……ヲ」

「調子に乗るなぁぁぁぁ!!」


 そのまま野戦陣地内を駆け抜ける親衛騎士団、内側に入り込まれたバルムンク直轄軍は恐慌をきたしそうになる。

 だがそれを防ぐかのように動いた人間がいた。煌めく双剣、動いたのはリヒテルだ、彼の放った風の刃が半ば正気を失ったブラト団長の首に突き刺さる。


「ガッ!!」


 濁り切った眼を虚空に向けてブラトは息絶える。猛吹雪、その中を進んだ強行軍は老騎士の体を蝕んでいたのだ。

 もう、攻撃を受ける体力など残されてはいなかった。


「敵は百騎ばかり……包囲して殲滅しろ、早く、急ぐのだ!!」


 リヒテルは怒号を上げて、なんとか将兵の混乱を抑えようとする。

斬りこんできた親衛騎士団はほんの百騎ばかり。恐らくは強行軍の中で多くの脱落者を出したのだろう。

 影術士部隊に倒された時と比べても数が少なすぎる。

 数千を数えるバルムンク直轄軍からすれば、いかに強大な騎兵だとしても対処できない人数ではないのだ。

 だがリヒテルは焦っていた、親衛騎士団の奇襲、それの真の目的を、リヒテルだけが理解していたのだ。


「リューリク公家軍、進軍してきます」

「総攻撃か!!」


 視界が晴れてくる。若干だが吹雪が弱まってきた。大寒波が過ぎ去ろうとしているのだ。

 それを待っていたかのように進軍してくるリューリク公家軍、何十もの軍旗、天を突くように立つ槍の数はまるで森のようだった。

 間違いない、ウラジミール公は親衛騎士団の奇襲に合わせて全兵士に総攻撃を命じたのだ。


「左翼、右翼の軍に伝令しろ……敵軍は総攻撃に入った」

「はっ、かしこまりました……うわぁ!!」


 敵軍総攻撃、それに対抗するためには各軍隊が連携し、手を取り合って戦わなくてはいけない。

 バルムンク連合軍は兵力で劣るのだからそれは必須なのだ。

 だが放たれたリヒテルの命令が両翼のファーヴニル軍、黒旗軍に届かない。斬りこんできた親衛騎士団が伝令の兵士を殺して回り、そのラインを物理的に断ち切ってしまうのだ。


「密集陣形が完成しました!!」

「よし、親衛騎士団を殲滅しろ、バルムンクの勇姿、奴らに見せてやれ!!」

「遅い、遅すぎる」


 ファーヴニルらは理解していない、親衛騎士団という目の前の敵に対処することばかり考え、全体の戦場が見えないのだ。

 それを教え、動かしていくのはリヒテルの仕事、リヒテルにしか、できる人間がいないのだ。


「間に合わない、いや、間に合わせてみせる。この戦い、数百万の民衆の未来がかかっているのだ!!」


 常の冷静な仮面を拭い去り、リヒテルが吠えた。彼が感情をあらわにするのはハノーヴァー砦の戦いで仲間を失った時以来だ。

 自らの選択が皆の命を決めてしまう、その極限の状況に追い込まれたリヒテルは、自らの力を、限界以上にまで引き上げる

 両の手に剣を持ち、その振るわれる刃は嵐のごとく、侵略者たるスヴァルトを倒すべく、この世に生を受けた魔人。

 彼の者は決して退いたりはしない、その胸に宿る正義のために、人々の自由を取り戻すために……彼は戦う。


*****


「おかあさん、どこ……」

「あったかい、ここ、あったかいよ」

「ああ、もう駄目だね、これは……」


 親衛騎士団が野戦陣地に斬りこんでいった頃、前線では影術士隊が最期の時を迎えようとしていた。

 リヒテルの予想通り、体力が低い子供ばかりで構成された影術士部隊にとって大寒波は死刑判決以外の何物でもなかった。

 騎兵に対して絶対の力を発揮する影の魔物も、術者が瀕死状態では意味がない。

 制御を離れて暴走するのはまだマシ、纏った影の幻覚魔術が解け、ただの屍に戻ろうとしているものもいる。


「おい、お前、お母さんにおいしい物を食べさせてやるんだろう、妹が病気なのだろう、立て、立って戦え、そうすればリヒテル様が……」

「もう死んでるよ、医者の私が言うのだから間違いない」

「くっ、ちくしょう、どうすればいいんだよ、ツェツィーリエ様」

「どうしようもない、死んだ者は蘇らない、どうしようもないのだよ」


 少年は悔しさで涙を浮かべるが、ツェツィーリエが言うようにどうしようもないのだ。死んだ者は蘇らない、そして次々と凍死していく仲間を救う方法もない。

 彼らの服、影術士を意味する漆黒のローブの下にはつぎはぎだらけのボロボロの服。

 リヒテルとて気をつけてはいたのだ、彼ら影術士達が他の兵士から差別されないように公平に扱われるように細心の注意を払い、彼らを差別した者には罰を科した。

 だがいかに彼が優秀でも一人でできることには限界がある。例えば防寒具、多くが貧民、中には親に売られた子供たちはまともな衣服がなかった。

 バルムンクの財力にも限度がある、武器や防具、資材を購入する資金はあっても、一般兵士に防寒具を配る余裕はなかった。

 だから大人達は自費で防寒具を購入し、しかし子供達にはそんな金はなかった。防寒具の有無が被害を拡大させ、生死を分けたのだ。


「これは大変だ、これでは全滅してしまう」

「そうです、ツェツィーリエ様、御指示を……」

「うん、任せるよ……全て任せる」

「はっ、何を……?」


 少年は数少ない寒さに耐え抜いた生き残りであった。彼は親に愛されていた、まともな食事にまともな衣服、それらを与えられていたから生き残れた。

 生き残った、生き残ってしまった。彼は待ってくれている家族のためにも、生きて帰らなくてはいけない。だからこそ上官たるツェツィーリエに指示を仰いだのだ。

 生き残る方法を教えてもらえるよう、だがしかし……。


「僕はもう飽きちゃったよ、こんなこと、だからもう家に帰る。後は勝手にやってくれ」

「なっ……!!」

「だから僕は医者だって、戦闘は門外漢、ああ、面倒くさくなってきた、もういいや、じゃあね」


 どこまでも相手を馬鹿にしたような態度で、ツェツィーリエが少年に背中を向ける。

 それは戦場で恐慌を起こして逃げる臆病者の態度ではない、ただもう興味がなくなっただけ、堂々たる態度で歩いていく。数百人の部下を見捨てて、数百人の子供を見殺しにして……。


「ふ、ふざけるなぁぁぁ!!」

「うん……?」


 少年はそんな大人の態度に怒り狂う、思念は瞬時に影の魔物に伝わり、少年の前にいる人間のクズに攻撃をかける。

 バラバラに引き裂いてやる、生命力を吸い尽くしてやる。その怒りはしかし、ツェツィーリエが指を鳴らすと恐怖に変った。

 いつのまにか少年が操る影の魔物が少年自身を捕えていた。


「影の魔物はより強い術者に従うんだ、つまりは僕の命令を聞くということだね」

「えっ、なんだよそれ、こいつは俺をうらぎ……」


 末期の言葉を言うことも出来ずに少年は丸呑みにされた、次いで術者を裏切り、術者を殺し、術者を失った影の魔物が元の死体に戻る。

 後に残されたのは二つの死体のみ。


「逃げた、ツェツィーリエ様が僕達を見捨てて!!」

「逃げた逃げた、にげたにげたぁぁぁ!!」


 なんとか生き残った子供達が痛ましい悲鳴を上げた。その瞬間、影術士隊の士気は完全に崩壊したのだ。

 大寒波という天災、指揮官ツェツィーリエの裏切りという名の人災、それらが重なり彼らの心を奈落の底に突き落とした。

 リヒテルは言った、この戦いで功績を挙げれば皆に認められて差別されなくなる。公平に扱われるようになる。

 だがそんな希望は永遠に仮定の話となる。差別された者が自らの尊厳をかけて戦った結果は見るも無残なものとなった。

 そしてツェツィーリエがそんな彼らを最後に振り返る。ヴァンやテレーゼ、アマーリアの顔がないかと探したのだ。無論、冗談だが、半分は本気だった。

 リヒテルに忠誠を誓った者の末路がそこにあった。

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