第70話 私達は何も始まってはいない
少し前、ライプツィヒ市・ロスヴァイセ本拠地、教会廃墟―――
「今宵はロスヴァイセ頭領、イグナーツの宴に参加していただき恐悦至極」
型通りの祝辞の後、ささやかな歓迎会がロスヴァイセ本拠地教会廃墟の地下にて行われた。
参加者はロスヴァイセ側が頭領イグナーツ一人。バルムンク側がテレーゼにヴァン、そして給仕役としてアマーリア、テレーゼ付の影術士、リーリエの四人。リーリエはともかく、戦闘力のないアマーリアが戦場に出るのは理屈に合わないのだが、先の司祭長殺しの罪は重く、懲役という名目で戦場に出されていた。
それに彼女は仇敵スヴァルトとの混血、アールヴ人の独立を唄うバルムンク内では何も悪いことをしていなくても、殺されても不自然ではないのだ。
彼女は死を恐れない、生きることに諦めてしまっている。だが一人で死ぬのは嫌だそうだ。ヴァンはこの戦いで死ぬことと決めている。それを知った彼女は喜んで従軍した。
「肉を切り分けいたします」
「一人でできます、私は神官や貴族ではないのですから……聞いていないし」
死を受け入れて、開き直ったせいかアマーリアはヴァンに対してやや強気に出るようになった。ただ、グレゴール司祭長を筆頭に他の人間には従順な奴隷のままであったが……。
「すごい、ヴァンが無視されて勝手放題されてますわ」
「テレーゼお嬢様、愉しそうですね」
「ええ、いつも私は貴方に好き勝手されてますから、こういうのを見るのは愉しいですわ」
「人に苦労させているくせに……よくそんなことが言える」
運ばれてきた料理は質素なものだったが、使われた食材が贅沢であった。特に肉、油が乗っており、口をつけた飲み物に油が浮くのだから相応の金をかけたのだろう。
とても壊滅しかけているファーヴニル組織とは思えない。
であるならば、相当な無理をしたはず……後の事を考えないくらいに
「これが最期の晩餐ですか?」
「ちょっと、ヴァン……」
「ええ、やはりヴァン様にはお分かりですか」
一応はカマをかけたつもりのヴァンだったが、相手は正直だった。沈痛な面持ちでイグナーツが語り始める。
その内容は恐らくこの宴にふさわしくない凄惨な物だろう。
「テレーゼ、二世……ではありませんでしたわ、リーリエ、隣にきなさい」
「はい……」
テレーゼの後ろに仕えていたリーリエが主の隣に座る。彼女は元々、死術士ツェツィーリエの実験体の一人であったが、紆余曲折あってテレーゼ付となった。
テレーゼは彼女にテレーゼ二世と名付けたが、複数の人間の、貴方の子供じゃないんですから、との発言から却下されてユリを意味するリーリエと名付けられた。
しかしその名前も偽名だ。本名は分からない。影を操る代償に彼女は自分の素性や名前を思い出せなくなった。
つまりはバルムンクに仕えたことで彼女は大事な物を失ったのだ。彼女のように記憶を失う程重度ではないが、体を切り売りした人間が今回の戦いで五百人程従軍している。
その多くは生活に困った人間や両人種から迫害される混血。死術の特性から子供ばかりだ。
ヴァンも知らなかった。リヒテルが強制的に集めたのだ、スヴァルトに勝つために。
「もう、その話ですか……食べ終えるまで待てないのですか、おいしいですよ」
「そういう訳にはいかないのですよ、アマーリア。大事な話はすぐにでも行わなければ……」
「真面目過ぎです、ヴァンさん」
総統リヒテルの真面目で厳格な性格のせいか、その訓辞を受けたヴァンはもまた自らの業務を何よりも重視するきらいがあった。
そもそも死術の影響で味覚がマヒしているヴァンには食事を楽しむという考えがない。アマーリア、テレーゼはそれを知らず直接は関係ないのだが、今回はヴァンの意向に曳きづられる形となった。
ちなみにテレーゼは食い気が激しいと皆に言われているが、食べ物が辛くないのでそれほど豪華な食事に関心を見せなかった。
「二日後のブライテンフェルト会戦に合わせて、配置した油樽に火をつけて街を焼きます。駐留軍の壊滅、その混乱の中、私達はウラジミール公の本陣を突けることでしょう」
「バルムンク側は五百程兵士を用意します。ロスヴァイセ側はどのくらい用意できますか?」
「精鋭のクロス・ボウ兵五十。一応は訓練した二流の兵士が百五十。合計二百が全戦力です」
「たったの二百……今回の会戦、万単位の兵士が剣を交えるのですよ。その程度ではいかに奇襲が成功しても、大局を動かすには至らない。いくら街を焼いて駐留軍を全滅させても、市外に出た瞬間に嬲り殺しになります」
「しかし……他に方法がないのです。もはやこのロスヴァイセは壊滅寸前、仮に成功する確率が万に一つもないとしてもやらねばならないのです」
「それは……大勢の市民を犠牲する価値があることですか?」
「市民の命ですか……?」
イグナーツの顔がまた歪に歪む。受け入れがたい現実を拒否したがっているそんな表情だ。
「私に縋ることしかできない、自らの運命を選択できない市民など死んでも仕方がないではないですか。命令されることに慣れきっているのならば私が命じます。お前たちは死ね……」
「とても人を導く長の言うことではないですね」
「市民の生き死にを決めるのは私だ、何かおかしいですか?」
イグナーツは本気だった。本気でスヴァルトに噛みつく程度の戦果のために全市民を犠牲にする気なのだ。
これはもう斬るしかないと、ヴァンは悟った。犠牲を忌んでいるのではない。ヴァンとて戦争を起こしたバルムンクの幹部だ。犠牲を忌むなど口が裂けても言えない。
だがイグナーツはそれとは根本的に違う。彼は自分の意地のために、つまらない矜持のために犠牲を強いるつもりだ。自分の生に意味があったと考えたいがために他者を犠牲にする。
彼の首を挿げ替えてロスヴァイセの支配権を奪い取る。彼が無意味な戦いを起こして市民を殺し、その怒りがロスヴァイセの上位に位置するバルムンクへ向かう前に……。
ヴァンはテレーゼに目くばせして、イグナーツ暗殺の意向を伝える。反応はない、だが反対も見せなかった。ならばそれで良しと腰の剣に手を添え、そしていつの間にかテーブルを回り込んできたイグナーツの濁り切った目と合う。
その瞬間、ヴァンは背筋が凍り付く幻覚を覚えた。
「貴方は私を狂人だと考えていますね」
「……そんなことは」
「若いな、いや、幼いな。それで誤魔化しているつもりですか」
イグナーツの先ほどと同じ歪んだ表情、だが先ほどとは何かが決定的に違っていた。それに不覚にもヴァンは怯んだのだ。
「私は正常ですよ、そして目先の目的に固執して盲目になってもいない」
「貴方の言いようはいささか偏見に満ちています。私は何も隠してはいない。ただ、バルムンクの代表としてロスヴァイセの助力に来ただけです」
「助力……馬鹿にするのもいい加減にしてください、リヒテル総統は私達を捨て石にするつもりでしょう」
「……」
「何せ私達は弱小だ。大局に影響を与えるには、捨身で敵軍の一部を引き付けるしか役に立つ方法がない」
ヴァンの背筋を凍り付かせた冷気が徐々に身体の隅々まで広がっていく。それを止める術をヴァンは知らない。ヴァンにできたことは、なぜリヒテル総統の本心が見抜かれたか考える事と、場を取り繕う幾通りの言い訳であった。
つまりはイグナーツの豹変に対処できる方法ではなかった。
「私達はバルムンクに使われるだけの憐れな存在ではない。捨て石にされるくらいならば独自に動く方がマシだ」
「それで勝てるとお思いか……二百程度の兵力でウラジミール公の首を取れると思っているのですか」
「戦果は問題ではない。やるかやらないかだ。お前らの打算じみた援軍などいらないと言っているんだ……分かれよ、いい加減に」
取り付く島もない。イグナーツははっきりと怒気を見せていた。コンクラーヴェでリヒテルと交わした情、リヒテルのそれは演技であったが、イグナーツもまた演技していたのだ。
もう、おしまいだ。もうこの会談は決裂している。相手が敵意を見せている以上、暗殺も難しい。イグナーツとて武を尊ぶファーヴニル。敵対者に隙を見せる程馬鹿ではない。
(ここまでか……この上はこちらも独自に動くしかない)
この瞬間、ロスヴァイセとバルムンクの協力関係は崩壊した。それは大きな痛手ではあるが、しかしヴァンの長所として、失敗した事柄にあまり固執しない点がある。
元より自身の行動に誇りを持たず、淡々と業務をこなす男である。ベストでないのならば、ベターを選ぶことに何の問題もない。
ロスヴァイセはバルムンクに何の利害関係のない、路傍の石のような存在に成り下がった。
だがしかし、それに異を唱える者がいる、テレーゼだ。彼女は優しい、他者を冷徹に切り捨てる事ができない。
いつまでも情に固執し、それ故に大局を見誤ることがある。
「今回は私に任せなさい、ヴァン……後は私がやりますわ」
「……」
彼女の自信満々な表情にヴァンが苦悩という名の苦味と、わずかな期待を感じた。
*****
エルベ河支流より東に数リュード(約10キロメートル)ウラジミール公国軍陣地・決戦より数時間前―――
「風が吹いておるな、ルーシの大地と同じ風だ」
夜明け前、リヒテルらが未来を語っていた時、ウラジミール公国側も全ての準備を終えてただその時を待っていた。
兵力はバルムンク連合の三倍以上、また今回は彼らにとって国王に等しいウラジミール公の親征とあってはスヴァルトの士気は最高潮に達している。
ただ懸念材料もまた多い。構成する三軍、左翼を担当する神官軍は今回の戦いをスヴァルトの私闘と見ており、スヴァルト程士気が高くない。
また大貴族の私兵で構成される右翼は、そもそもリヒテルの首を挙げて王位を継承しようとする輩が集ったこともあって指揮系統に乱れがあり、どのような欠点が露呈するかわからない。
そして中央を担当するリューリク公家直轄軍では総司令官たるウラジミール公の異変が起きていた。
元より七十を超えた老体であり、いかに気候の厳しいルーシ育ちであってもこの寒さは堪える。
一週間ほど軽い発熱が続き、侍医を慌てさせていた。
しかしこの老王は頑として、ライプツィヒ市というオアシスに向かうことはなく、馬上の人であることを貫いた。
ウラジミール公は、既にこの戦場が自分の最期であると悟っていた。ならば最期まで質実剛健なスヴァルト人の王の姿を貫き、皆の模範となるのみ。その気概に水をさせる者はいない。
「不死王シグムンドよ……余は貴方様の僕にございます。最期の審判の折、奴隷として従軍しましょう。だから力をお貸しください。この弱肉なる世界の中で余の一族が生き残れる力を……」
その言葉を眠りに入りかけた淡い月だけが聞いていた。
*****
少し前、ライプツィヒ市・ロスヴァイセ本拠地、教会廃墟―――
「テレーゼ様……もう」
「いいじゃないですか自由にさせても、もうこれ以上、悪くならないくらい仲が悪くなっているのです。テレーゼ様が何かしても変わりません」
「アマーリア、口が過ぎるぞ」
「テレーゼ様が身の程を知るいい機会かと……」
「お前!!」
交渉を破たんさせたヴァンに成り代わり、テレーゼがイグナーツとの交渉の窓口に立った。
しかし、彼女の上司たるリヒテルは既にイグナーツを捨て石にするつもりでいる。そしてイグナーツはそれに気付いているのだ。
表情にあまり出ていないが、イグナーツの心は烈火の炎で燃えている。どんな言い訳も通用しないくらいに……これでテレーゼはどうするつもりなのか。
「まず、こちらの無礼を謝罪します、申し訳ありませんでしたわ」
「謝罪の必要はない。謝罪が許されるのは謝って取り返しがつく罪を犯しただけだ、我々を捨て石にした罪、その程度では償えない」
やはり、交渉の余地はない。この上はロスヴァイセとバルムンクは個別に乱を起こすべきなのだ。
元より、ロスヴァイセは頭領自身が言ったように弱小、切り捨てても大きな問題はない。切り捨てられた方はたまったものではないだろうが、そんなことを気に掛ける余裕がバルムンクにはない。
スヴァルトへの勝利は全てに優先する。だから、ロスヴァイセに関わろうとするのはテレーゼの我儘だ。
「では、まず言っておきます。私は自らの意志でここに来ました。総統リヒテルがいかに貴方をひどい目に合わせようとしたとしても、私には関係がありませんわ」
「バルムンクの姫がよくも抜け抜けと、今から来る五百の援軍もまたバルムンクの兵、それで総統は関係ないと、笑わせるのもいい加減にしてください」
テレーゼは頭が悪い方ではない。よく、近しい人間が首を傾げることをしでかすが、問題に対する正しい理解、判断力、物事を見抜く能力も悪くない。
ただし、その明晰な頭脳が戦場以外で発揮されないだけだ。
そして、十年にも渡って気難しいスヴァルト貴族と付き合ってきたイグナーツにとって、戦場の天才を交渉の場で翻弄することは難しくない。
「ただし安全なところにいていい、バルムンクの姫という立場にもかかわらず、危険な戦場に現れたその勇気は買いましょう」
「……」
「ですから、貴方と貴方の部隊を私が指揮すると言うのはどうでしょう。貴方達の生殺与奪の権利を私が握るのです。それでしたら力を借りてやらないでもありません」
「それは……」
イグナーツの傲慢すぎる要求は恐らく、ブラフだ。元よりこんな要求が通るとは思ってはいない。
テレーゼの出方を見ているのだ。万が一、こんな要求を丸呑みするのならばよし、断るのならばまた別な手を使えばいい。
(私も、アマーリアもこれから来る五百の部隊も、死ぬことは覚悟している。指揮官がイグナーツだとしてもそれほど大きな違いはない)
ヴァンとアマーリアはこの戦いで死ぬことを目的とし、これから来る五百の兵士は実の所、様々な理由でバルムンクにいらない、と判断された人間だ。
使い潰しても問題はないのだ。
ただ、心の奥底でそれをテレーゼに肯定されたくはない気持ちがヴァンにはある。死ぬことと決めてはいても、それを誰かの、否、テレーゼの口から言葉で表されて欲しくはないのだ。
だがそんな隠しておきたい気持ちに気付いたのように、それを嘲笑った者がいた。
「テレーゼ様は了承しますね。自分の面子のために身内を犠牲にするのがバルムンクですから……」
「小声でボソボソとしゃべるな。文句があるならば皆に聞こえるように言え」
ヴァンの耳元に、ヴァンにしか聞こえないよう、アマーリアがささやく。彼女の言い方にははっきりと悪意を感じる。テレーゼを貶める意図があるのは明白だ。
「リヒテル様、テレーゼ様の優しさは弱い者に向かいます。今現在の弱い者にです。ですから昨日までの弱者であり、自分が助けたことで弱者ではなくなった者を犠牲にすることにためらいがありません。昨日、助けた者に助けられた代償を今日、支払わせる。それは掌を返すこと以外の何物でもない。ヴォルテールの一族はとんだ偽善者なのです。ヴァンさんが忠誠を誓う価値が本当におありでしょうか」
「……」
「あはは、言い返せませんよね、事実ですから」
「だとしたら、それを諌めるのも私の役目だ」
アマーリアの言葉でヴァンの何かが閃いた。それはこの状況を打開させる決め手になるだろう。
ヴァンはテレーゼと違い、戦場以外でもその頭脳は働く。ただ彼にも大きな穴があった。アマーリアが言うようにテレーゼの優しさは弱い者、ただそれだけに向かうのではない。彼女はリヒテル程公明正大ではないのだ。
彼女は別にイグナーツを心配しているわけではない。彼と組むことになるヴァンを心配しているのだ。
一人よりもみんなで戦った方がいい。
信用できない味方と組むよりは一人で戦ったほうがいい。テレーゼのそれはヴァンの考え方とは対極なのだ。
そしてヴァンはテレーゼから向けられた感情に気づかなかった。
「ありがとうございます、もう大丈夫です」
先ほどとは全く逆の構図でヴァンがテレーゼを押しのける。
「……ヴァン」
「後は私が引き継ぎます」
テレーゼは一瞬、泣きそうな顔をした。それは自身の無力を恥じたからか、それは本人にしか、あるいは本人にも分からない。
「また、交渉役が代わるのか……情けないことだ」
対して嘲るような口調のイグナーツだが、その表情が言葉と一致しなかった。どこか失くしてしまった物を思いやるような切なそうな表情をしている。
テレーゼとのやり取りでヴァンには分かった。彼は本当の所、玉砕を望んではいない。生きることをあきらめきれないのだ。
死を望むヴァンが相手ではそんな希望は持てない。甘ちゃんであるテレーゼが相手だからこそ、最後の望みを捨てきれないのだ。
「先ほどの提案ですが、手を貸すのではなく、手を組むのであれば反対する理由はありません」
「この後に及んで……まだそんなことを、私を捨て石にしようとする人間と手を組めるとでも思っているのですか、総統リヒテルはな」
「総統リヒテルはただの人間ですよ」
「何……」
スヴァルトの貴族支配からアールヴ人を解放する偉大なる指導者。それが現在のリヒテルの評価である。それをヴァンはただの人間と評した。
イグナーツにとっては憎悪すべき相手だが、一度として格下とは思ったことはない。彼はあまりの言い草に驚き、怒気をひっこめた。
「繊細で傷つきやすく、自分がしたことに固執し、いつまでも後悔し続ける。勇猛だが配慮に欠け、無自覚で他者の反感を買う。ロクデナシです」
「よくも……そんなことを」
「ですが、それでも指導者として頑張っているのです。手を組んでやってはいけませんか。彼には貴方の他者の助けが必要だ」
イグナーツが思い悩む。まさかこんな頼まれ方をされるとは思ってはいなかったのだ。彼は判断に苦しんだ。
イグナーツは自分と、自分の組織をバルムンクにとっては取るに足らない存在だと考えていた。
それが被害妄想でしかないと思う。正確には思いたくなってくる。
「アールヴ人は自由の民、手を組むのも敵対するのも自由だ。だから人種全体ではまとまりに欠けるのですが……」
しゃべりながら、ヴァンが自分の首輪を外す。鉄でできたそれは、自分が弾圧される混血であると忘れないための戒めであり、その心を守る防具でもある。その隠された傷は、彼が二度目の誕生を迎えた記念でもあった。
「敵対するならば、もっとどうしようもない状況になってからにしませんか。私達は何も始まってはいない、そして終わってもいない」
イグナーツが息を飲む。ヴァンの首の痕の正体が彼にはすぐに分かったのだ。
「絞首刑の痕ですか……」
「十年前、マグデブルクで……それ以前の記憶はありません」
「良く生き残れたものですね。恐慌に堕ちた神官兵の蛮行と、陥落時のスヴァルトの略奪。何万人死んだか……」
「私は運よく、リヒテル様に助けられました。私がバルムンクに仕えているのは他にすることがなかったから、まあいわゆる腐れ縁です」
「それは不幸なことで……はは、私は自分がどん底にいると考えてましたが……確かに、何もこのロスヴァイセは首に縄がかけられているわけではありませんね。兵力も財力も、そして住民の支持も失ってはいない」
ひとしきり笑った後、イグナーツがバルムンク、四人に向き直る。
吹っ切れたような顔をしていた。
「いいでしょう、玉砕を選択する前にもう一度頑張って見ましょうか。実は街に火をつける以外にもう一つ策があるのですよ。成功率は低い、それどころか相手次第のものですが、貴方達と手を組めば成功しそうだ」
「手を組むのはその策を聞いてから決めます。それでいいですね」
「勿論です、自分の意志で判断する権利が君にはある。スヴァルトに見せてやろう、自らの意志で戦う自由の民が、何をできるかを」
その時、スヴァルトと戦うバルムンク連合に、最後の盟約者が参加した。ブライテンフェルト会戦の、もう一つの戦線が出現したのだ。
それがどのような影響を戦争に与えるか、それは神が、否、人が知っている。人の意志が勝負を決めるのだ。
*****
ブライテンフェルト大草原・バルムンク連合軍陣地・決戦の数時間前―――
「陣地の準備が整いました」
「よし、では手伝ってくれた付近の農民にねぎらいと代金を支払ってやれ。物資の方はどうだ……」
「まだ全ては揃ってはいません。秘密裡に送ってくれている分がどうもスヴァルトの妨害にあってまして……」
「良い、相手が三日間の休暇を取って油断してできた時間だ。その幸運を感謝しよう、全ては望むまい」
エルベ河の支流付近にバルムンク連合軍一万三千が集結していた。数はウラジミール公国軍の三分の一だが皆、アールヴ人の独立という大義の元に結束し、それを成すリヒテルに忠誠を誓っている。
兵力の差は団結力と緻密な作戦で覆せると多くの兵士が信じていた。
「いよいよ決戦ですな、総統」
「ああ、ここで勝利し……いや負けなければ私達の勝ちだ。今は十二月、食糧などの物資が現地調達しづらい冬場はそもそも戦争には向かない。後一月ほど経てばいかにルーシ育ちで寒さに強いスヴァルトでも戦えんさ」
「そして私達バルムンクを倒せなければスヴァルトの栄華は終わりね。下手に王位継承など言って大事にしてしまったものだから、失敗してしまった時の威信低下は甚だしい。農民らはスヴァルトを弱いと見てしまう。グレゴールはああ言ったけれど、やっぱりいくら死ぬかもしれないと言っても弱いスヴァルトには反抗したくなるもの」
「農民反乱が本格化すればスヴァルトはこちらに兵を向ける余裕がなくなる。後はこのバルムンク連合を中心として徐々にスヴァルト支配を切り崩していけばいい」
総統リヒテル、エルンスト老、ヨーゼフ大司教が今後の方針を、来るべき未来を語り合っていた。
彼らはその手を血に染めた分、仲間の死体を踏みつけて進んだ分、成すべきことを成さねばならないのである。
「スヴァルトは本質的には自ら判断せず、上の者に従う奴隷なのだ。平民は騎士に、騎士は貴族に、貴族はウラジミール公に、そしてかのウラジミール公は神に従う」
もう心は決まった。後数時間後に夜が明ける。そうなればスヴァルトとの決戦である。アールヴ人とスヴァルト人、この国の未来をつかみ取るのがどちらなのか、それは人が決めるのだ。
奇しくも、数リュード(十数キロメートル)離れたライプツィヒ市で同じ決意があった。
「民衆に見せてやろう、神の力に頼る老王が人の力で打倒される瞬間を!!」
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