第69話 お前は私の大義をそう見ていたか
エルベ河支流より東に数リュード(約十キロメートル)スヴァルト軍陣地―――
(ギラギラとした目つきをしてやがる。この十年、うまく猫を被っていたつもりだったが、気付く奴は気づくんだな……だが、いい目だ)
ウラジミール公率いるバルムンク討伐軍、誰かが言いだしたのか、ウラジミール公国軍が首都マグデブルクを出立して早くも二週間が過ぎた。
既に全兵士がブライテンフェルト大草原に集結し、軍需物資もうず高く積まれている。ウラジミール公の檄が飛べばいつでも出陣できる体勢だ。
しかしウラジミール公は何を思ったのか、ここで三日間の休暇を命じる。
進軍の疲れを癒し、万全の体勢で望むことは間違いではないが、バルムンク連合軍が体勢を整える前に速攻するのもまた一つの方法である。
相対するバルムンク連合軍はここより数リュード(約十キロメートル)西、エルベ河中流に陣を敷いている、何やら作業を行っているようだが、詳細は分からない。
偵察の騎兵を送り込んではいるが、陣に近すぎた騎兵が十騎程消息を絶っているところから、余程見られたくはないらしい。
つまりは会戦時、ウラジミール公国軍はバルムンクの新戦術やらに驚く役を押し付けられた訳だが、しかしそもそも兵力差は三倍以上。
何を企んでいるかは知れないが、数の差を覆せるほどではない、というのが大方の意見であり、皆は許される範囲で休暇を満喫している。
「俺は仮にもリューリク公家の人間なんだが、この扱いはいささかひどくはないか。早く出ていけと言わんばかりではないか……」
「……」
そんな中、休暇を使って、陣を回っていたグスタフだったが、スヴァルト貴族らが集まる陣に来たところで思わぬ歓迎を受けた。
集まっている彼らはいずれも大貴族、つまり彼らはウラジミール公が宣言した王位禅譲を受けられる特権階級である。
此度の会戦でリヒテルの首を取り、ウラジミール公の称号を得るために策を張り巡らす彼らはどのように味方を蹴落としてリヒテルを倒すかに全ての力をかけている。
そして彼らの中の誰がリヒテルの首を取るかは分からないが、彼らにとって最悪のシナリオはリヒテルの首を自分達以外の人間が取ってしまうことだ。
ウラジミール公が手に入れた場合、それはただ公爵亡き後の継承戦争が起こるだけ、確かに千載一遇のチャンスを逃してしまうが、ようは振出しに戻るだけのこと、まだ許容範囲だ。
問題は神官軍がリヒテルにトドメを刺した場合である。この場合、功績は神官軍を指揮するグスタフに与えられる。
貴族らはグスタフが容易ならざる人間であると既に気づいていた。この男にだけは王位を渡してはいけない。
利敵行為になるのを承知で、暗殺を試みようとする輩もいるようだ。つまり、この陣は友軍であるとかは関係なく、グスタフにとっては死地も同然、それを分かっていてやってきたのだ。分かっていて法王シュタイナーを連れてきたのだ。
「法王猊下……大変申し訳ない、どうも貴族らは久方ぶりの戦に高ぶって冷静さを失っているようだ。非礼をお許しください」
「この場は公的なものではない、いつもの砕けた口調で話したらどうだ。今更、法王という名の侍従長になど気を使っても仕方があるまい」
「そんなことはありません、猊下は我らが父、ウラジミール公のご友人でありますので、最上級の礼儀で遇しなければ……」
「よくもそんなことを……」
法王シュタイナーに皮肉を言われたが、グスタフはいつも通り、仮面を被って本心を隠した。
この十年、傀儡同然の法王シュタイナーは利用されていることを理解しながらもグスタフを重用し続けてきた。
それは愛人を提供されているという俗物的なものばかりではない、ただ味方が欲しいのだ。
敗軍の長の地位を押し付けられた彼は勝者たるスヴァルトには奴隷のように扱われ、守るべき臣民には裏切り者呼ばわりされている。
誰かがやらなければならない敗軍の長という汚れ役、だがそれを担う者の苦悩を理解してくれる者など極少数だ。彼もまた人間なのだ、一人は辛い。
「ところで、神官軍の現状をお伝えしまします。恐らくはこれが会戦前の最後の報告になるでしょう」
「ここでそれを伝えるのかね、グスタフ竜司教……貴族らに聞かれるぞ」
「別に友軍ですから隠す必要はないでしょう、違いますか?」
「何か考えがあるのだな……いや、お前が私に言うはずがないか、いいだろう、ここで伝えてくれ」
「ありがとうございます」
グスタフは書類の束を取り出して法王シュタイナーに報告を始めた。貴族の息がかかっている周囲の兵士が一斉に聞き耳を立てたがグスタフは気にする素振りを見せない。
この程度の情報を得て一喜一憂するとはおかしな奴らだと言わんばかりの態度だ。
「貴族らはリヒテルの首を自分の手で上げたいがために全体としてはまとまりに欠けます。しかしその分士気は高い、目の前に王位という名の大きなエサがあるのですから当然です、そして神官軍はその逆……この十年、法王猊下の尽力の元、規律正しい軍隊に生まれ変わりましたが、どうもやる気に乏しい」
「それは当然であろう、どんなに努力しても所詮はスヴァルトの奴隷でしかない。今回のバルムンク討伐にしたって、見方を変えればスヴァルトの個人的な目的とも言える。リヒテルがアールヴ人の楽園を作ったとしても、アールヴ人が多くを占める神官軍の兵士には特に困ることはない、むしろリヒテルこそが救世主であると考えている者も多い」
ウラジミール公国軍、四万二千の内、一万四千は法王直轄軍である。十年前の敗戦以降、軍制改革を進めてきた彼らだが、彼らの主たる法王自体が傀儡なのだ、所詮はスヴァルトの奴隷でしかない。
ただし、その中にはグスタフがこれはと思った、スヴァルト人の人材を放り込んでいる。彼ら没落貴族や騎士崩れのスヴァルト人将校は部隊の楔となってやる気の無いアールヴ人の一兵卒を統率し、服従させているのだ。
鞭で叩かれて動かされる兵士は必要最低限の働き以上を見せたりはしなかったが、スヴァルト人将校はそれ以上を求めたりはしない。
ちなみにその中で最高位が東部最大の大貴族、ムラヴィヨフ伯爵家の摂政、騎士セルゲイ(竜司祭長)である。彼は今、神官軍司令官グスタフの右腕として辣腕をふるっている。
セルゲイはグスタフが思っていた以上に優秀であった。嫌々ながら戦っていた兵士、その現状が少しずつ変り始めていた。
「難民らをとてもうまく使っているようです。工兵にした二千人だけではない、数千の難民を神官軍で働かせて兵士の慰安としている」
「ほう、どのような方法でかな?」
シュタイナーが目を細めた。それは彼にとって避けがたい事実を予想したからだ。
その日の食事にも事欠く者が生活できる手段はそう多くはない。
男は戦争に出るとしても、ブリギッテのような軍学校出はともかく、女子供はそうはいかない。だが幸いなことにシュタイナーの予想は外れた。
「別に体を売らせている訳ではありません。そういうことにはむしろ厳罰を与えてますよ、あの堅物の騎士は……ただ話しているだけ、難民に軍の仕事を与えて、養っているだけです」
「そんなものが慰安になるのかね?」
「なりますよ、何も全ての兵士がアールヴやらスヴァルトやら高尚な理由で戦っている訳ではありません。いいじゃないですか……親を失った子供にパンを買い与える、生活苦でやつれた女の子に花をプレゼントしたい、それを買う金を稼ぐために戦場に出ても」
「……」
「男なんて単純なものです。神官軍の兵士は何の目的もないからやる気がない。その目的を見つける機会を与えるだけでも随分違うものです」
グスタフは愉しそうに報告を続けた。対してシュタイナーが興味深げな視線を送っている。
それはどこかその道の先を行く教師を見る生徒のような視線であった。
ちなみに難民の扱いに関してはなし崩し的に行ったことが偶然良い方向に向かったことと、何よりセルゲイ以外の人間の意見が大きく物を言っているのだが、そこまでグスタフは知らなかった。
はっきり言ってグスタフはセルゲイを過大評価していた。それはリヒテルがヴァンに過大な期待を寄せるのに似ていた。
「そしてこれが昨日、届いたセルゲイの報告……少し出しゃばり過ぎだな」
愉しそうな様子はしかし、次の瞬間には一変した。敬語を省き、グスタフがセルゲイが出した報告書を眺める。
「どうしたのかね?」
「ライプツィヒ市にテレーゼらしき人物を発見、捜査のために同市を統治する貴族に口利きをしてほしい……」
「管轄が違うな……無理にこちらが介入すれば余計な不和を招く」
「他貴族が統治する領地には干渉しないのがスヴァルトの流儀、確かにあそこはリューリク公家の飛び地ですが、私の権力が及ばない。ここはセルゲイを帰還させましょう、余計な事態を引き起こされる前に……」
ライプツィヒ市の現状は当然、グスタフも知っている。しかし堕落した貴族に、目的もなく反乱を起こす市民と、胸糞悪い人間ばかりしかないその街をグスタフは嫌っている。
特に貴族、今の贅沢な暮らしが維持されれば良く、バルムンクとの決戦に安全な場所で高みの見物を決め込んでいる彼らはこの国の王を目指すグスタフにとって、ダニのような存在である。
もし仮にテレーゼが反乱を起こして同市を乗っ取るのならばそれでもかまわない、腐れ貴族が皆殺しにあっても何も困らないし、戦局においても隠れてライプツィヒ市に送り込める兵力には限りがある。
よしんば市で蜂起して成功させたとしても、市の真ん前が右翼を担当するスヴァルト貴族連合軍の最後尾である。背から奇襲できるが、したらしたで振り替えった彼らになぶり殺しにされるのが落ちだ。
「もう一つの新たな策は採用だな……よし、それの実現を理由に召喚しましょう」
それが報告の締めであった。グスタフ、シュタイナーは席を立つ。報告が終わるまでの時間、陣の中だというのに貴族は誰も挨拶には来なかった。
どれだけ二人が貴族に嫌われているかわかろうというものだ。
一応、申し訳程度にお茶が出されたが、無論、毒が入っているかもしれないそれに手を付ける程二人は愚かではない。
陣を出ていく時、一度だけグスタフは背後を振り返った。聞き耳を立てていた兵士らが慌てて主人である貴族に伝えに行く姿が見える。
それにグスタフは心の中で嘲った。
(その程度の部下をよこして俺を相手にするつもりだったのか、笑わせてくれる)
グスタフに、スヴァルトの貴族は既に格下の相手として認識されていた。
*****
ライプツィヒ市・ロスヴァイセ本拠地・教会廃墟―――
「あの、セルゲイとかいう騎士は部下ともどもこのライプツィヒ市から退散することでしょう。姫様の存在がスヴァルトに露見することはありません」
テレーゼがこのライプツィヒ市に潜入して丸一日、セルゲイの思わぬ追跡を振り切ったものの、ロスヴァイセの本拠地たる廃教会のすぐ近くで行方をくらましたテレーゼらに不信を感じていないはずがない。
すわ、明日には駐屯している貴族の私兵がこの区画に集結するかと思われたが、それは頭領イグナーツの働きによってなくなった。
だが、その方法がテレーゼには許容しがたく、そしてヴァンには予想の範囲内であった。
「私の部下が、有力貴族の妾をしておりまして……ええ、そうです、体を売らせて媚をうっているのです。彼女にセルゲイらが街で乱暴していると吹き込んでもらいました。おかげで救われます。元よりセルゲイはここを統治しているリューリク公家とは家が違う、他家の人間が自領で動き回ることを不快に思うことは貴族ならば当然でしょう」
「……」
テレーゼが何かを言おうとしたのを察してヴァンが制する。優しさが剣より鋭い刃となる事が稀にある。
何を言ってもこの場では、嫌味、否、糾弾にしか聞こえまい。
こうして対峙してみてヴァンにも分かった。イグナーツの精神は崖っぷちまで追いつめられていた。
彼は自分のしてきたことに後悔し続けてきた、しかし他に方法がない。度重なる反乱と敗北、蔑まれる方法で貴族に媚を売って許しを乞い、それでも組織をまとめるためには惰性的に反乱を繰り返すしかない。
無駄死にした仲間の末路、その全ての責任はイグナーツにある。彼の望みは戦死すること、同じく死を望むヴァンには分かった。
華々しく戦死し、自分のやってきたことが間違いではなかった、仲間の死は無駄ではなかったと思い込んで死ぬ、それがハッピーエンドだ。
「今宵は宴の準備をしております。バルムンクの姫君にとってはみすぼらしい物でしょうが、ご容赦してくださればありがたい」
「ちょっ、ちょっと待ってくださる。後二日で会戦なのですわよ、他にすることはないの」
「他とは……」
珍しく、職務に真摯な態度を見せるテレーゼが、イグナーツの申し出に疑問を浮かべる。それは常識的な回答ではあったが、この場においては不適格だ。
イグナーツの顔がヒビが入ったように歪む。まるで親に捨てられた子供のような歪な表情であった。
現実を受け入れられない、そしてその望まぬ現実を消し去るために強引な手段を模索している、そのようにも見える。
「テレーゼ様、会戦までわずか二日、敵の動きが思っていた以上に早く、準備期間を多くとれなかったのはこちらの落ち度です。付け焼刃で何かをするより、今は親交を深めた方がいいでしょう」
「ヴァン……」
恐らく、テレーゼにはヴァンの意図は伝わるまい、イグナーツの危険な思考をアマーリアという先例を知るヴァンだからこそ見抜けたのだ。
だが、テレーゼは首肯した。理解してはいなくとも、彼女は幼馴染のヴァンを信頼していた。
責任は取るから、好きにやってよいという意思表示だ。こういった人心掌握の方法を計算づくではなく、自然に行ってしまうのがテレーゼの凄さだ。
信頼された方はそれに答えたくなってしまう。
「さすがは死術士ヴァン……総統リヒテルの懐刀はやはり聡明ですね」
「ありがとうございます。ただ、会食と同時に作戦会議も行いますので酒類の類は控えてくださると助かります。元より、私達はお酒が飲めない」
「分かりました。そのように手配いたします」
先ほどとは一変して喜色満面な姿を見せるイグナーツ、感情の浮き沈みが激しすぎる。そしてヴァンはもう一つ気付いた。
ロスヴァイセ側の人間で発言するのは頭領イグナーツだけで、他の人間は沈黙を貫いている。
長が発言している中、口を挟まないのは当然だが、それにしても静かすぎるのだ。
さらに言えば宴云々で話がこじれかけた時にも彼らに動揺はない。
胆力があるのではない、上の動向に興味がないのだ。ただ命令を聞いていればいい。例え長が指さす方向が断崖絶壁でも疑問に思うことなく歩いていく。
イグナーツは真の意味で孤独だ。彼には副官も参謀も、それどころか反対する者もいない。全て自分で決めなければならない。それが正しいか判断するのも自分だけ。その重責は想像しようもない。
(死ぬことが幸せ……私やアマーリア、精神構造が異常な人間のみの考えかと思っていたが……やはりリヒテル様の予想は正しかった)
ヴァンは出立前、リヒテルと最後の挨拶を交わした時のことを思い出していた。
*****
数日前、リューネブルク市・司教府・テレーゼが訪れる前、あるいは後―――
「最期の挨拶に参りました」
司教府の中枢、総統リヒテルの執務室に深夜、ヴァンは出立前の最期の挨拶のために訪れた。
恐らく、自分は潜入したライプツィヒ市で戦死する。ある程度の功績を挙げるだろうが大勢には影響しないだろう。調べれば調べる程、ライプツィヒ市、及びそこの反スヴァルト組織たるロスヴァイセの内情は悲惨なものだった。
街に火をつけてスヴァルト軍を混乱させ、その隙をついて総指揮官たるウラジミール公の首を狙う。それが妄言でしかないことをヴァンは理解してしまったのだ。それを行うには彼らは未熟過ぎた。
ヴァンは自分を過小評価する傾向があるために気付いていないが、バルムンク連合軍の中で彼の知力は年少だというのに最高クラスだ。
特に全体を見る能力、その行動がどのような結果を産むか推察する能力はリヒテルに劣るとしても、エルンスト老やヨーゼフ大司教などと遜色がない。だから気づいてしまったのだ。
「最期の挨拶とは少し早計ではないか、何も死ぬために行くわけではあるまい、イグナーツの作戦が成功すればスヴァルト軍は混乱し、その隙をついて総指揮官たるウラジミール公を討てるかもしれない。無論、それに全てをかけている訳ではないが、悲観過ぎやしないか……」
「私に対して欺瞞は必要ありませんよ、リヒテル総統。ロスヴァイセの内情は良くお分かりでしょう、そしてその結果もおおよそ推察しているはずです」
型通りの問いに型通りの返答、だがそれで済むのはバルムンクでは二流までだ。それ以上の者はその先を見ている。
元より強大なるスヴァルトに無謀な挑戦を続けてきた零細なるファーヴニル組織。その客観的な評価は嵐の中で振り回される小舟そのもの、危ういものがだいたいの評価であるのが自然なのだ。
「そうだな……お前はテレーゼとは違う、お前は、お前には真実を話してもいいだろう」
「……」
どこか疲れたような、ただしそれは長年仕えてきたヴァンだから分かるもので、大多数の人間はいつもの冷徹な帝王そのものな態度の変化に気付かないだろう。
リヒテルは静かに話し始めた。
「私がお前らに求めるのはウラジミール公国軍の一部を引き付ける役割だ。街に火をつけるのが一番確実だが、それ以外の方法でも構わない。後はこちらが何とかしよう」
「こちらに来る兵力はどのくらいでしょうか」
「敵軍は大きく三つに分かれている。四万を超えるとされる軍勢の内、法王直轄軍一万数千、リューリク公家直轄及び分家、公家に忠誠を誓う貴族の私兵が同じく一万数千、残りが大貴族を中心とした私兵団、騎士団一万余り……これはライプツィヒ市の駐屯軍の大半も含まれている。つまりライプツィヒ市で反乱を起こせば一万の何割かが鎮圧に赴くだろう」
「こちらの兵力は……」
「彼らに気付かれないように送れる兵力はヨーゼフ大司教の情報操作を利用しても五百が限度だそうだ。だからそのギリギリを送る。私が独自に招集した影術士、百人を含めた五百。それがお前とテレーゼが指揮できる兵力だ」
淡々と事実だけをリヒテルはヴァンに伝える。用は五百、ロスヴァイセの人員を含めても千を超えないだろう。それで数倍の兵力を足止めしろというのだ。確実な方法は街に火をつけて混乱させる方法。
いかに残虐なスヴァルトでも無関係の市民ごと自分達を殺しに来るとは思わないだろう。
しかしそれを使えばロスヴァイセは市民の支持を失う。組織自体がなくなるのとそれは同義だ。いかに侵略者スヴァルトを倒すためとはいえ、誰が虐殺魔を許すというのか。
「どう転んでもイグナーツ及びロスヴァイセは助かりません。戦死するか、市民の恨みを買って私刑に合うか。それで構わないのですね」
「ああ、私は彼らに初めからそんなに期待してはいない、全滅したとしても組織に対する被害は軽微だ」
「それは彼らとともに戦う私達も同様ですね。周りくどい言い方をせずにご命令ください。玉砕せよ……と」
「そうだな、悪かった。言いなおす……玉砕せよ、死ぬまで戦いこのバルムンクの礎と成れ」
「かしこまりました」
死ぬことを命令して、それを淡々と受け入れる従者。これがバルムンクの闇、生命を軽視するのは何もスヴァルトだけではない。
スヴァルトは忠義のために命を捧げ、バルムンクは大義のために命を捧げる。リヒテルが作り出した軍は皮肉なことに、倒すべきスヴァルトの軍とその内実が酷似していた。
「送る五百の兵士は多かれ少なかれ、組織に対する裏切り行為を働いた人間だ。死んでも惜しくはない。お前の死術で屍兵ゾンビに変えても不死兵グールに変えても良心の呵責はいらないぞ」
「私にはもったいない配慮です……では行ってまいります。十年前に拾ってくださった命、今、お返ししましょう」
これで別れの挨拶は終わった。涙も、寂寥も悔恨も、未練もそこにはない。ただ役割を果たすだけ。
リヒテルはアールヴ人の王としての役割を、ヴァンは組織の汚れ役を担う兵士としての役割を果たすだけなのだ。
「ヴァン……私に同情するか」
「……それは必要なことですか?」
退室しようとするヴァンにリヒテルの言葉が与えられる。ヴァンは即座に返答した。
「私達が今までどれだけの血を流してきたかお分かりでしょう。敵の血、そしてそれ以上の味方の血を流してきたのです。同情などとんでもない、憎悪されるのが望ましい。ですがそれではこのスヴァルトとの権力闘争には勝てない。だから民衆を騙す」
「権力闘争か……やはりお前は私の大義をそう見ていたか」
それはもしかすると嘆きに満ちていたのかもしれない。だがヴァンも、リヒテルも己の感情を隠す術を知っていた。
どちらも対峙する人間の心の中が読めない
「私達に同情など必要ない。そもそも他人にいったい何が分かるというのですか。欲しいのは武力と資金、そして生命……」
「正解だ。そして組織に必要ない人物はいらない」
リヒテルとヴァン、育てた親と育てられた子の考えは似ている。だから意見の相違はなく、反対されることなくスムーズに実行されるのだ。
「さらばだ、先に逝って姉上に謝っておいてくれ」
「私はアーデルハイド様に嫌われていました。それは適わないでしょう。謝るのはご自分で、そしてその謝罪が遥か遠くの未来であることを望んでいます」
そう言うとヴァンは去っていった。部屋の中で何かが壊れる音がする。それが何を意味するのか、ヴァンには興味がなかった。
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