第68話 これが限界だと言うのか
コンクラーヴェより二週間、ライプツィヒ市―――
「お待ちしておりました、騎士セルゲイ様」
「竜司祭長でいい、今の私は法王猊下の下僕でしかない」
コンクラーヴェ、つまりはバルムンク連合の結成から二週間、ブライテンフェルト会戦は秒読みを迎え、一部のスヴァルト貴族、騎士が会戦において物資の三割を蓄えるライプツィヒ市に集結していた。
ライプツィヒ市は言わばスヴァルトがこの国を征服した象徴とも言える存在であり、ウラジミール公の意向により、再建や公的な援助を禁止されている。
永遠に敗者の姿を晒せばいいということだ。
ただ、都市の没落は大量の消費を失うため、周辺の農村も巻き込む。ライプツィヒ周辺の市町村の人口はこの十年で徐々に減り、小さな村が廃村になることも少なくない。
ライプツィヒ市は陸の孤島と化していた。逆だ、唯一のオアシスとして機能している。集まる貴族の何割かは寒空の天幕で過ごすのを嫌ってここにいるのだ。
遊牧民あがりの質実剛健さをスヴァルト貴族は失いつつあった。
「まだ、こだわっているの。男の癖に細かいわね、いいじゃない、戦場に出られるのだから……」
「余計なことを言わなくてもいい、シャルロッテ……私は栄光あるスヴァルトの騎士、それがなぜ方便とは言え神官に身をやつして」
「しょうがないじゃない、分け前が減るから、ムラヴィヨフ伯爵家の名前で従軍するのを他の貴族が許さないんだから……」
挨拶に訪れた騎士セルゲイの帯同者は配下のムラヴィヨフ家の私兵十数人の他、グスタフの奴隷にして、死術士のシャルロッテがついてきていた。
勿論、奴隷であり、それどころか純潔なスヴァルト人でない混血の彼女が帯同する権利はないのだが、現在、ムラヴィヨフ家は領内に数千の難民を抱えており、その難民と仲介役を買って出た彼女の権力は一時的にせよ高く、領内最高権力者に等しいセルゲイでも無下にはできない。
シャルロッテは自分が混血という蔑まれる出自であることをうまく利用して難民らをまとめていた。当主の愛人だの、妾だの陰口を叩かれているのだが、気にしている素振りはない。
逆にセルゲイは、グスタフに助言を受けたものの、自身が侵略者たるスヴァルト人だという意識を払拭できず、武力で鎮圧できない程集まったアールヴ人の難民群に及び腰であり、手をこまねいていた。
現状ではシャルロッテに頼るしかないのだ。
「ここから先は貴族方が多く集まる……私でも庇いたてできないのだ。口の利き方と態度には気をつけろ。見ろ、奴隷であるお前が騎士である私に対等な口を利いたことに衛兵が驚いている。お前も……難癖をつけられて殺されるのは本意ではあるまい」
「うまい言い方ね、でもまあいいわ。私の役割をグスタフ様の助けになることと、腐れきった神官らとあのテレーゼの腸をぶちまけること。スヴァルト貴族には恨みはないわ」
生返事で受け答えするシャルロッテにやや不安を覚えるものの、彼女のグスタフに対する忠誠は本物だ。余計なことをして主の手を煩わせることはない。ひとまずセルゲイは良しとした。
しかし、その忠誠がセルゲイには不思議ではならない。混血として、奴隷として蔑まれている彼女には人並みの権利がない。故に義務もないのだ。
好き好んで、身を粉にして働く必要はない、ならば何が彼女を突き動かすのか。セルゲイは彼女がグスタフの悪行の片棒を担いでいることを知らない。
彼女が秘密を洩らせばグスタフは極刑に処せられる。あえて自身の弱点を任せて忠誠を誓わせる方法はグスタフのライバル、リヒテルにはない発想だ。
彼女が動くのは誇りのため。自分が確かに役に立っているという自負のため。
「……本当に気をつけろ。貴族は我々を同じ人間とは思ってはいない」
「貴族に仕える騎士の言葉とは思えないわね」
「そうだな……リューネブルク市にいれば、バルムンクが反乱を起こさなければ、知らなかった……知りたくはなかったよ」
ライプツィヒ市の街中は退廃的な空気で淀んでいた。リューリク公家の援軍が望めるこの地ではアールヴ人の反乱は決して成功しない。
決して逆らわない、何でも言うことを聞く。そんな存在に敬意を持続できる程スヴァルト人はできてはいない。
バルムンクと一瞬即発であったリューネブルク市のスヴァルト兵は規律に厳しく、勇猛であった、市民は侵略者であるスヴァルトを忌み嫌いながらも一定の信頼を勝ち得ていた。
だからこそ、バルムンク蜂起まで市政は安定していたのだし、敗走時に住民の一部はスヴァルトに付き従った。
しかしここにはそんなものはない。ここには緊張を持続させるバルムンクのような抵抗組織はなく、人々が見せるのは敬意ではなく媚びるような視線と恐怖のみ。
ここにセルゲイが理想とするスヴァルトの正義はない。弱者が貪り食らわれる地獄があるだけであった。
「待って……誰か倒れている」
「行き倒れか」
「行ってくるわ」
「おい、待て!!」
突然、シャルロッテが駆けだしたのは行き倒れがいたから、そしてそれが年若い少女であったからである。彼女は自分と境遇が近しい存在には優しい。セルゲイはそれを最近知った。
「ダメだな……もう死んでいる」
「……でも、お腹が膨らんでいるわ、妊娠していた。夫は誰……知らせないと」
「それの夫は分かりませんよ、ああいえ、どこぞの貴族でしょうが……」
二人の様子に何かを察知したのか、衛兵が近づいてきた。
「肌からアールヴ人だな、妾だったのか……」
「いえ、一夜妻の類ですよ……孕んだので捨てられたのでしょう」
「相手は……」
「候補は複数です。いや、気持ちは分かりますが父親候補はどれも貴族階級、下手に糾弾するとこちらが殺される。見なかったことにしてくれませんか、ここでは珍しい事ではありません」
「そうだな……我らはスヴァルト人、上位の階級に逆らわないのが正義だ」
「話が分かる騎士様で良かった。そしてこれをおかしいと感じていることも嬉しいです」
「苦労しているな……」
そういうと、セルゲイは衛兵に金貨を握らせた。葬儀代だった。
「死んだ者にはこれくらいしかできない、だが、しないよりはマシだ」
「ありがとうございます」
「これも上位階級の義務だ……行くぞ、シャルロッテ」
「……」
さすがに同じような待遇の少女の末路にショックを受けたのか、シャルロッテは沈黙を続ける。
セルゲイは同じスヴァルト人の、それも人より律せられるべき貴族の所業だけに、ばつが悪くなり、黙って彼女の手を曳いて歩き始めた。その口先から言葉がこぼれる。
「十年、十年でここまで堕ちたのか、これがスヴァルト人の限界だとでもいうのか」
こぼれた愚痴に返事はなく、だた冬の厳しい寒さだけが彼らを包む。だがその嘆きに浸る間もなく、その視界の端で見逃せない存在が一瞬だけ横切る。
「蒼い髪……?」
「……!!」
道の端ですれ違ったフードを被った女性、あるいは少年が見えた。足早に裏路地に駆けていく、そしてそのフードからわずかにこぼれた髪は空のような蒼色。
蒼い髪はアールヴ人にも、そしてスヴァルト人にも珍しい。十万、百万人に一人と言われ、母系でしか子に引き継がれない。
そして蒼い髪には二人とも因縁があった。仇敵である、バルムンク総統リヒテルの妹分、テレーゼが蒼い髪なのだ。
「まさか……私の顔に傷つけたあの女!!」
「お前とお前、後をつけろ」
「はっ!!」
セルゲイの命を受けて、二人のスヴァルト兵が先の蒼髪を追いかけていく。
「まさか、あのテレーゼでしょうか?」
「分からない、偶然かもしれない。だが調べて置いて損はないだろう。バルムンク総統の妹が潜入していたとあれば、バルムンクはかなりの戦力をこちらに振り分けているかもしれない。情報を集めろ、場合によっては市内の衛兵にも協力を要請しろ!!」
「はっ!!」
残ったセルゲイ配下の兵士の動きは水際立ったものだった。一斉に散らばると、各々が別々の動きを見せて臨機応変に対応する。
指揮官であるセルゲイが細かな指示を与える必要はない。リューネブルク市、ハノーヴァー砦、スラム街、幾度の戦闘で経験を積んだのは何もバルムンクだけではないのだ。
相対していた彼らもまた成長し、今や決して侮れない実力を秘めている。
「すごい……貴方って、意外と使える騎士だったのね」
「ならば、少しは礼を尽くしたらどうだ。確かに難民の仲介役を任せているものの、そもそも難民らの食糧などは私が法王猊下に……」
「どうしたのよ、黙り込んで……」
「いや、そうすればいいのか。さすがはグスタフ卿だ……もっと図太く生きろ、か」
セルゲイが人知れず得心した。彼が何を思いついたのか、それは彼にしかわからない。しかし、その考えは彼の今までも常識では思いつかなかったことであった。
「市民の全てがこちらの敵とは限らない、燻りだしてやろう、バルムンクめ」
*****
「見つかりました、二人つけてきます」
「なんだ、あの騎士は……テレーゼ様がすれ違っただけで悟ったというのか」
「やっぱり染めるべきでしたわね。今からでも遅くないですから……」
「それでも瞳の色はごまかせませんよ。それよりも今はテレーゼお嬢様、逃げることを優先しましょう、恐らくは髪で判断したのでしょう。それ以外で個人を特定できないはず、逆に言えば髪さえごまかせれば何とかなるはずです」
コンクラーヴェより二週間、数々の準備を終えて会戦間近となったバルムンクはライプツィヒ市のファーヴニル組織、ロスヴァイセの頭領、イグナーツとの要求通り、死術士のヴァンを派遣した。
しかし派遣されてきたのはヴァンだけではなかった。なぜか、ヴァンにはその理由は判然としなかったが、テレーゼが帯同したのだ。
それ自体は別におかしくはない、総統リヒテルの妹分を、つまりは人質を派遣したということは、バルムンクという組織がロスヴァイセを決して見捨てないという意思表示にもなる。
もし仮に死亡しても、母親の死によりリヒテルと反目しているテレーゼの価値は組織内でそこまで高くはない、大きな損害にはならない。
冷たすぎる理論だが、事実は事実だ。
だから、テレーゼを危険に晒したくない、とういのはヴァンの個人的な感情、それは……封印しなければならない。
「ヴァン、私の存在が足を引っ張っているようならすぐにでも言いなさいね」
「私は職務に私情は挟みません。テレーゼお嬢様がいらしたことはデメリットはありますが、メリットはそれ以上に大きい」
「そうです、まさか姫様がいらしてくださるとは……皆はこの戦いの勝利を確信しています。染める必要はありませんよ、その蒼い髪を見れば我らが救国の志士であることを、バルムンク連合の一員であることを、いつでも思い出せるのです」
ヴァンの発言に、ロスヴァイセのファーヴニル、否、つい最近までただの職人でしかなかった男が追従する。
娘を連れていかれそうだった工房の親方が抵抗し、その報復として工房を閉鎖させられて職を追われたのだ。
こういう食い詰めた者がこのロスヴァイセに入団する。むしろそれ以外の人間は組織内では少数派であった。何もすることが、何もできることがないから反乱を起こす。
退廃的になっているのは貴族ばかりではない、住民も精神の袋小路に迷い込んでいた。
「いよいよ、三日後ですか……我々は十年待ったのです」
「大勢、犠牲が出ます。それはお分かりですか?」
「分かっています、ですがこのままでは緩慢に死んでいくほかないのです。我々は何のために生まれたのでしょう、スヴァルト貴族の玩具として生を受けたのなんて悲しすぎます」
「……」
この職人崩れのファーヴニルは希望に満ちていた。だがテレーゼとヴァンは知っている。そして恐らくは懲罰として帯同したアマーリアも気づいているだろう。
この男は再び、絶望に落とされる。
ロスヴァイセ頭領、イグナーツの建てた作戦はそういう類のものなのだ。
(これがバルムンクの真実ですか……ならば兄上、私がそれを変えて見せる)
テレーゼはリューネブルク市を出立した時のことを思い出していた。
*****
数日前、リューネブルク市司教府―――
「……ライプツィヒ市に潜入することを許可してほしいだと?」
「はい、お願いします、総統リヒテルよ」
司教府の中枢、総統リヒテルの執務室に深夜、尋ねる者がいた。彼の妹(正確には姪)であるテレーゼである。
リヒテルがテレーゼの母、つまりはリヒテルが実姉を殺して以降、二人の仲は冷え込んでいる。訪ねて来ることはあり得ないとは言わなくとも、想定外とは言える。
だからリヒテルは彼女が訪ねてきた理由を誰かのためだと推察した。
他人のためならばテレーゼは己の信念を曲げる。あるいはそれが信念なのかもしれない。
「ここには他に誰もいない、仕事をする時間でもない、前のように兄、と呼んでも構わないのだぞ」
「ふざけないで下さる。貴方は母を殺しました、私は決して貴方を許しません。もう私と貴方の関係は兄妹ではなく、上司と部下、それ以外にはありませんわ」
相手の出方を見るためにわざと挑発的な物言いをしたリヒテルだが、結果は明白だった。彼女は非常に感情的だ、何か裏で考えていることもなく、打算があるわけではない。
だからリヒテルは単刀直入に話を切り出した。
「そんなにヴァンが心配か……なんでもこの戦いで死ぬつもりらしいからな」
「当たり前です」
「素直な言葉だ、その素直さがうらやましい……まあ、結論から言えばお前の申し出は実の所、渡りに船だ。ライプツィヒ市がスヴァルトの補給基地になり、確かに総司令官ウラジミール公のいる本陣を奇襲できる位置にあるが、私は過度には期待していない、状況が変った。イグナーツではその状況に対応できない」
「どういうことですの?」
リヒテルの迂遠な言いようにテレーゼは首を傾げる。リヒテルは丁寧に噛み砕いて説明した。
「イグナーツの予想ではスヴァルトは会戦中、反乱を危惧して住民を隔離する。故に住民のいなくなった街に火をつけても被害を受けるのはスヴァルトの駐留軍だけであった。しかし調べたところ、駐留しているスヴァルトの将校、この場合は貴族だな。想像以上に堕落している。彼らは外で戦闘していることが分からないらしい。自分達は安全な場所で観賞している気でいる。つまりは何の対策も取らない、街は平常通り、その中で街に火をつければどうなる?」
「……」
その先を簡単に口に出せる程、テレーゼは愚かではない。
「駐留軍とともに住民も焼き殺される。そうなればまず間違いなく、ロスヴァイセは自分達のしてきたことに恐怖し、後悔し、そして組織自体が瓦解する。しかしイグナーツはそれでも作戦を強硬するだろう。あれはもうギリギリまで追いつめられている。作戦を決行することしか考えられないくらいにな。無為無策でいることができない、待つことに耐えられないのだ」
リヒテルの物言いは少し卑怯であった。あえて重大な事実を話して、テレーゼに衝撃を与える。ヴァンのことなど、大した問題でないかのように思い込ませるのだ。
それに罪悪感を覚えることはなくなった。リヒテルは結局の所、テレーゼのことは切り捨てている。もう心の整理は済んだ、今現在の彼はスヴァルトに抗う、アールヴ人の王。
個人的な感情で動くことなど許されない。テレーゼは便利な道具であってしかるべきなのだ。
「お前はイグナーツの代わりにロスヴァイセの指揮を取ってもらう。場合によってはイグナーツを斬れ。ヴァンならば証拠を残さずに始末してくれるだろうし、その死を利用することもできる。そのついでにヴァンを説得することは許そう」
「作戦が失敗しなければ……ですの?」
「そうだ、お前は私の妹、お前がどう思おうが、お前は皆を導くリーダーの一人だ。皆に与える影響も大きい。だから個人の感情よりも大局を優先しろ。ヴァンを切り捨てろとは言わない、だがあれもまた我らの宿願のために己の命を賭けている戦士だ。その心意気をくみ取ってやれ」
それで話は済んだ。リヒテルにとってテレーゼを人形のように操ることなど造作もない。感情的で情に厚く、自分のためよりも他人のために動く優しい人間。
そういう人間は操りやすい。弱点が外に出ているからだ。
「……」
リヒテルの無言の圧力に屈し、よろよろと退室していくテレーゼ、その背中に、もしかすると今生の別れになるかもしれない言葉がかけられる。
「……テレーゼ、決して私に同情するなよ」
「え……?」
「お前は優しい、私と違って気の迷いを犯すこともあるだろう。だが私には同情するな。その優しさは他の人のために取っておけ」
リヒテルはどこか投げやりな口調で言い終えた。突き放したつもりだったが、だがしかし、テレーゼは彼の予想に反して笑みを見せる。
それは母親が殺されてから久しく見せていなかった愉しそうな笑みであった。
「それ、ヴァンにも言われましたわ。そっくりそのままの口調で……」
「ヴァンは私が育てた、似るのは当然……子も同然、いや、なんでもない」
リヒテルは迂闊だった。本心の一部を口に出した。だからこそ、とんでもないことを口走ったように、リヒテルは口を抑えた。しかし遅かった。
ニッコリと笑いながら、しかしどこか緊張した面持ちで退室するテレーゼは取り繕う暇を与えてはくれなかった。
リヒテルは、反射的に机を殴りつける。八つ辺りであった。
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