第63話 犠牲になる人間は余の子供らが最期だ

首都マグデブルク・法王府―――


 ウラジミール公エドゥアルドの食事に招かれる栄誉を与えられる者は少ない。血縁者ですら同席は許されず、侯爵や伯爵といった高位の貴族がいくら懇願しても老王は決して首を縦に振らない。

 ただし、与えられる者の条件は簡単だ。いずれも軍を率い、武勲を成し遂げた者。それがどんなにみすぼらしくとも爵位を持つスヴァルト貴族。

 故に例え元首と言えども、アールヴ人のシュタイナー法王が招かれたのは極めて異例であった。こんな例外はあまりない。爵位をいただく前のグスタフ卿が招かれたその例外以降、十年ぶりだった。


「猊下……それでは食事を始めましょう」

「う、うむ……しかし」


 食事に招かれ、その有様に困惑するシュタイナーを馬鹿丁寧に補佐するのは共に招かれたグスタフである。

 いつもの稚気を隠し、貴族らしく振舞おうとする彼は、数少ない、男爵としての姿を晒す機会に恵まれた。従者も領地もないものだったが、一応は貴族なのだ。


「これが我らスヴァルトの王の姿です。猊下の目にはどこも異常などありません」


 ウラジミール公の食事に招かれた貴族はそのほぼ全員が王の姿に驚く。ソラマメやライ麦、キノコ、そしてわずかなコマ切れ肉、それらをドロドロになるまで煮込んだそのみすぼらしいスープを淡々と飲み込んでいる。

 少しでも金回りのいい者が、こんなものを晩餐に出されればそこが宿ならば主人を怒鳴りつけ、家ならば何かの嫌味かと訝しむだろう。

 だがこれがウラジミール公の日常である。彼が豪勢な食事を口にするのは戦場に出るまでの短い期間であり、それ以外では粗食を貫いている。

 短い逡巡の後、シュタイナーはその食事に手を付ける。一つまみの塩で味付けされたそのスープはお世辞にも美味とは言えないが、元々、シュタイナーは戦場を渡り歩いた竜司教。

 粗食には慣れている。もっとも、指揮官としての腕前は平凡の域を出ないのだが……。


「余の僕、シュタイナーよ。此度の戦、神官軍を率いて従軍せよ。晩餐に呼んだ理由はそれだけだ」

「……!!」


 食事の最中、時期を図ったようにウラジミール公がその重い口を開く。その内容はシュタイナーには予測できたことだった。だが、承服できる事柄ではない。

 いずれ従わなくてはならないにしても、簡単には首を振れないのだ。


「ご不満ですかな、猊下」

「グスタフ卿……お分かりでしょう、陛下は私の部下に死ねと申しているのです」

「その命に釣り合う敵が現れた……ならば剣を取るのが道理」

「……敵とは誰の事ですか。リヒテルは話が分かる男です。何も戦争に訴える必要はないでしょう。お許しいただければ、交渉役は私が務めます」

「実姉を殺した男を、貴方の友人を殺した男を、話が分かると……」

「……私情を今は挟まないでいただこう」


 ウラジミール公の下知を受けたスヴァルト貴族は二つ返事でその命令を承諾する。間を置いたり、ましてや口答えすれば殺されると貴族は信じている。

 特に、ウラジミール公の瞳が黄色を帯びると、貴族はただ首を縦に振ること以外できなくなるほどの恐怖を味わう。

 そう、今のよう黄色い瞳を、だ。


「これは勅命である」

「しかし……」

「余の死後、汝ら神官の運命は暗いものとなろう……だがスヴァルトは戦士、戦場で共に血を流した者には寛容だ」

「……」


 決して逆らえない王の勅命。しかしそれでもなお、何か言いたげなシュタイナーを厳しい目つきで見下ろすウラジミール公。

 言うことを聞かない下僕を罰しようと考えているのではない。公の数少ない近しい立場にあるグスタフには分かる。

 むしろ、ウラジミール公はシュタイナーの極稀に見せる反骨精神を気に入っているのだ。


「シュタイナーよ、あの賊は貴族を、余の子供を手にかけたのだ。決して許されぬ」

「その子供が罪を犯していたとしてもですか?」

「そうだ……汝もまた戦士、ならば見たことがあるであろう、飢えて死んだ者を」


 静かに、淡々とウラジミール公は語りだす。それはスヴァルトの王が信じる正義であった。

 反乱以前、スヴァルトは別に弾圧されていたわけではない。少なくともウラジミール公がスヴァルトをまとめ上げてから数十年、アールヴ人はスヴァルトとは対等な付き合いをしてきた。

 腐敗神官は弱い者は搾取しても、自分より強い者には決してちょっかいをかけない。

 かつてスヴァルトと対峙していた複数の司教区、そのまとめ役であった、グレゴール司教はウラジミール公の実力を正確に見極めていた。

 決して敵対してはいけない相手だと。

 十年前の反乱、アールヴ人には何の罪もない。反乱というよりも侵略という方が的を得ているのだ。


「飢えて腹ばかり膨れた死体を見て、哀れに思うか。余は安心する。それが自分の子供でないと、な。ルーシの大地は厳しく、貧しい。養える人の数も少なく、間引きなども珍しいことではない。余は思う、大自然に、神に逆らうことは人には出来ぬ。だが、犠牲になる人間は余の子供らが最期でなくてはならない」

「……」

「余の僕、シュタイナーよ。重ねて言う、従軍せよ。余の子を傷つけた賊を罰することに、余に従うのであれば生かそう。そうでないのであれば……」


 皆まで言わせる程、シュタイナーは愚かではない。彼は何百回程が分からないが、敗北感を噛み潰しながら、黙って頭を垂れた。

 そうでなければ、この王は、偉大なるスヴァルトの父は自分を無視して法王軍を動かすだろう。ならばせめて自分が動き、犠牲を少しでも減らせるように努力しなければ……。


「陛下……でしたら神官軍の指揮、このグスタフに任せていただけないでしょうか。失礼だが、シュタイナーを含め、神官軍には実戦慣れした指揮官が少ない。それに私が指揮すれば他の貴族からの反発も少ないでしょう」


 肩を落とすシュタイナーをまるで踏み台にするようにグスタフが台頭する。

 直言の方法は少し汚いが、彼の言うことには少しもおかしいことはない。理屈は合っている。法王軍がスヴァルトという脅威に際し、組織を刷新した法王軍だったが、この十年、軍を出動させるような大規模な戦争が起こっていない。経験不足は当然であった。

 それはグスタフもそうだが、彼はこの十年、各地の反スヴァルトの蜂起に際し、鎮圧側に傭兵のような形で協力していた。出陣するはずだった貴族の代わりに戦場で指揮を取ったこともある。

 勇猛で知られるスヴァルト貴族だが、彼らも人の子。苦しいルーシ時代を抜け、アールヴを支配する立場になった後は危険な戦場には出たがらなくなった。

 ただ、ミハエル伯やボリス候のように好んで前線に出たがる貴族もまた多い。


「良かろう……ならば、グスタフよ、汝に竜司教の地位を与える、神官軍を指揮せよ」

「はっ、陛下の寛大さに感謝いたします」

「此度の戦、汝の最期の晴れ舞台となろう。武勇を示せ」

「それはどういう意味でしょうか?」


 グスタフの訴えを快く承諾するウラジミール公。だがしかし、その後の返答にグスタフは不覚にも疑問を見せてしまった。

 貴族ならば刎頸ものの罪、だが寛大にも王はそれを許した。


「余の死後、王位が誰のものになってもウラジミールの地はリューリク家の物だ。汝は戦後、そこに赴任し、治めよ」

「それは確かに栄誉ですが……」


  グスタフは表面上は平静を保ちつつも、心中では烈火のような怒りが渦巻き始めていた。ウラジミールの地は確かにリューリク家の中心であり、スヴァルトにとって聖地とも言える。

 だがこのグラオヴァルト法国を征服した現在ではあくまで中心はこの首都マグデブルク、ウラジミールの地は東により過ぎている。所詮は辺境でしかないのだ。

 全てを手に入れ、この国の王となりたいグスタフからすればそんな辺境に、他地方からか隔絶された辺境に赴任するなど監獄送りと変わらない。

 決して承諾できないことだ。


「汝の幸は遠くにはない。余の娘、リディアも眠るその地に骨を埋めよ」

「王よ、父である貴方の前でこんなことを言うのは万死に値します。ですが言わせて下さい。リディア公女はアールヴと繋がり、アールヴの子を産んだ裏切り者です。私は、従者であった私は彼女の堕落をお諫めできなかった。それを今でも悔いています」

「リディアの父を知っておるか」

「リヒテルです。手紙にあったでしょう、彼女が愛したのはリヒテル。そしてリヒテルが愛したのもまたリディアただ一人です。子供の父親はリヒテル以外にあり得ない」


 グスタフは、リディアの子の、本当の父親である彼は、その心情を吐露した。今ここで真実を知られる訳にはいかない。そういった打算もあった。だが半分は本音であった。


「それが汝の真実か……」

「真実は一つです。リディア公女も、あの時……捕えられた時に自らの子供を認知しなければ良かったのに、自分の子供ではないと言いはれば死ぬのは子供だけで良かった。しかし、結局は胴と首が離れることになった……あの世では親子仲良くしていることでしょう。最期の審判が終われば孫に会えますよ、陛下……」


 グスタフは知らずに不敬な発言を繰り返していた。傍らにいたシュタイナーが蒼ざめる。だがしかし、下されるべき罰はついに落ちなかったのだ。


「今は強制するまい……だが重ねて言う。汝の幸は遠くにはない。ごく近くにあるのだ」

「私は地べたにへばりつき農奴のように生きるならば翼持つ獅子となって死ぬ方を選びます」


 グスタフはそう言うと、一切の会話を断ち切ってしまった。目をつむり、再び、目を開ける。そこにあったのはウラジミール公に従順な一人のスヴァルト貴族の姿。

 しかし、その心だけが荒れ狂っていた。


(ウラジミール公、お前は犯した罪にふさわしい最期を迎える。いや、最期を俺が与える。リディアの死体を見て覚えたあの激情、この十年、忘れたことはなかった)


*****


リューネブルク市・司教府・コンクラーヴェ会場―――


「これよりコンクラーヴェを開始する。本来ならばここで長口上を述べることになるが、我らは神官でもスヴァルトでもない。省かせてもらおう」


 予定の時間より数時間遅れてコンクラーヴェは開始された。集まった人間はファーヴニルの長に幹部、傭兵団、盗賊団、商会の主にそれとバルムンクの幹部だ。ヴァンにエルンスト老、テレーゼ、ブリギッテにグレゴール。そして投票権はないが、アマーリアのような少数の付き添いが帯同する。

 総勢、129名。議題はウラジミール公との決戦の可否。三分の二である、86名の賛同が得られれば可決されて、リヒテル総統を総指揮官としたバルムンク連合軍、1万3241名が出陣する。

 だが賛同が得られなければ、連合軍は分裂、戦わずしてウラジミール公に降伏することなる。

 集った者はいずれもウラジミール公や傘下の貴族に弾圧され、親しい者を失い、血の涙を流した者達、復讐の念は強く、しかし強大なスヴァルトに対する恐怖もまた強く、さらには裏切り者たるグレゴール司祭長の裏工作もあって、彼らは揺れていた。

 全てを擲つ博打に出るか、わずかに残った物を守るか、どちらが正しいとも言えない。その判断は個々の意志に委ねられている。


「では、私から発言しようかしら……」


 コンクラーヴェは参加者が意見を出し、それをリヒテルが応える形を取る。それは王の選定、皆を導く指導者にふさわしいか、皆が決めるのだ。

 アールヴ人は自由の民、スヴァルトのように家柄だけで人の上に立つことはできない。

 一番初めは、よりによって最大の影響力を持つヨーゼフ大司教であった。

 かつて売国奴、ベルンハルト枢機卿の汚い策略で法王位を逃したこの老女はそれでも屈することなく、反スヴァルトの組織をまとめ続け、現在までその勢力を維持している。

 彼女だけで2000の兵を連れてきたのだから、その影響力は押して知るべしである。

 彼女を納得させられなければそれだけでコンクラーヴェは崩壊する。


「発言を許可します」

「ありがとう。私が聞くのは基本的なことです。この戦い……勝てるの?」


 会場が静まり返った。それは皆が聞きたかったことだが、同時に一番聞きたくなかったことでもあった。

 ウラジミール公の強大さは弾圧された彼らだからこそ良く分かる。

 そもそもこんな会議自体無意味ではないのか、所詮は蟷螂の斧、身の程知らずの反乱を計画しているとは皆も思いたくはなかった。


「こちらの兵力は一万三千、対してウラジミール公の爺さんは貴族を動員して二万五千に及ぶと聞きます。二倍の兵力、いくら指揮が統一されていない貴族の私兵でも数の差は脅威です。特に騎兵戦力では数倍の差がある。相手は遊牧民ですから当然ですが……これは私達がこの街に出られないことを意味しています。外に出ている間に馬の機動力で迂回されて街を落とされたら私達は破滅ですよ」


 軍事の専門家らしくヨーゼフ大司教が要点をまとめて指摘する。もっともな意見だが、少々、理屈っぽい。

 無骨なファーヴニルにはやや受け止めにくかったようだ。その会場の反応が微妙に鈍い。リヒテルは淡々とその弱点を突く。


「それができるのならば、我々がハノーヴァー砦を攻略している間に彼らはやっている。一つ、偉そうに言わせてもらえば彼らの最大の敵は我々ではない。リューリク公家の禅譲を争う他の貴族。残念だが我々は弱い、打ち勝つことはできない、引き分けに持ち込むので精一杯だ。我らには首都マグデブルクを解放する力も、スヴァルトをルーシの大地に追い返す力もない。しかし抗うことはできる。弱者がいつまでも弱いと誰が決めたのか……」


 そう言ってリヒテルは言葉を切った。会場の皆が次の言葉に注目する。


「我らはただ自由が欲しいのだ。誰にも虐げられることのない自由が、ウラジミール公に手を出せば大火傷すると分からせる。それが我らの勝利だ」


 リヒテルの力強い主張に、皆が顔に希望を見せる。万感の拍手がリヒテルを迎えた。だがしかし、それは王に対する物ではない。

 それはあくまで第一人者に対する物で、あくまで馴れ合い所帯を脱してはいないのだ。

 馴れ合い所帯ではウラジミール公は倒せない、先ほどヨーゼフ大司教はウラジミール公の軍を寄せ集めと言った。しかしリヒテルは知っている。

 十年前のマグデブルク、舞い戻ったグスタフとの決闘、その時に見たかの軍の精強さを……ウラジミール公の軍は王軍だ、一人の国王に統率された狼の群れ。

 それと同じものを今、作らなければならない。リヒテルは皮肉に思った。スヴァルトと戦うためにはアールヴ人が大事に持つ自由を手放さなければならないのだ。

 リヒテルはその思いを心の底に留め、再び〈戦場〉に戻る。コンクラーヴェは始まったばかりだった。

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