第64話 私は半分だけ人間なんです
法王府・コンクラーヴェ会場―――
「スヴァルトの侵略より十年、辺境の蛮族に過ぎなかった彼らの中から商人の道へ進む者も出てきました。無論、経験の少ない彼らを手玉に取ることなど造作もありませんが、ウラジミール公はスヴァルト商人に免税や専売の特権を与え、保護しています。このような不公平が続けばいずれは主導権を握られ、我らはただの小作人へと零落するでしょう。私は開戦には賛成です。ウラジミール公に痛撃を与え、種々のスヴァルト優位の特権を撤回させる。そのための援助は惜しみません」
首都マグデブルクにて影響力を持つ大商会の主の演説が終わる。リヒテルの宣言以降、会場の空気は会戦へと動いていた。
そもそも、この会場に集った人間の大半がスヴァルトに恨みを持つ者。会戦事態に反対の人間がいるはずもない。
問題は軍事面、会戦しても勝利、ないし引き分けに持ち込めるかどうかが焦点なのだ。
敵対するウラジミール公の貴族連合軍の数は二倍。しかも地上において高い機動力を有する騎兵戦力ではさらに差が開く。
スヴァルトの弱点は、各々の指揮官である貴族がリューリク公家の禅譲のために、他に先んじてリヒテルを戦場で倒さなければならないことだ。
つまりは互いに足の引っ張り合いをして、協調することができない。
それはバルムンク連合軍に最も打撃を与える、戦場を迂回して本拠地リューネブルク市を攻めるという方法が使用できないことを意味していた。
多大な犠牲を払ってリューネブルク市を攻略しても、リヒテルが別の貴族には倒されては意味がないからだ。
リヒテルを倒し、リューリク公家を引き継ぐ。その利益に比べれば、本拠地リューネブルク市攻略の功績など霞んでしまう。
純軍事的に正しいことが、貴族主義という不合理な制度の下、正当な評価を受けない。
ただし、それを差し引いても騎兵力で優越したスヴァルトの軍勢は強大である。
歩兵の数倍の速度と、数倍の重量を持つ騎兵。分かり易く言えば熊だ、熊と人間が取っ組み合えば死ぬのは人間の方だ。
唯一、黒星をつけたのはブリギッテ率いる神官軍だが、それは市内という障害物が多く、かつ防衛戦に持ち込めたからだ。
今回の戦場はエルベ河に面した大草原、同じ手は使えない。
故にこの戦い、それが引き分けであるにしても、上首尾に終わらせるには策は二つしかない。一つは大軍の弱点である補給線を断って、継戦能力を奪う方法。そしてもう一つは……奇襲をかけて戦場でウラジミール公を倒すことだ。
「次は……ライプチィヒ市を拠点としたファーヴニル組織、「ロスヴァイセ」の番だが……」
次の発言者の出自をリヒテルは今一度、考えた。
ライプチィヒ市を一言で説明すれば、十年前の戦争で最後に攻略された街だ。そしてそれはスヴァルトにとって、略奪の最後の機会でもあった。
規律に厳格なスヴァルトだが、そこは蛮族、都市攻略時の三日間の略奪が許されている。戦略上、迅速な進軍が要求される場合はその約束が守られないこともあるが、ライプツィヒ市の場合は最後ということもあり、スヴァルト軍は遠慮も呵責もなく、徹底的に奪っていった。
斃れた老人の金歯さえ剥ぎ取っていったのだからその強欲ぶりはすさまじい。
一万三千の人口を有し、北部最大の商業都市だったライプチィヒ市は大打撃を受け、今は数千程度の住民が細々と暮らしているのみだ。
その上、ウラジミール公は戦勝の記念として同市の再建を禁じた。客観的に見て、住民はスヴァルト憎しで固まっており、なおも都合のいいことに今回の戦いにおいて、ライプチィヒ市はそのスヴァルト軍の補給基地となっている。
鉄壁の警備を敷くであろう、ウラジミール公を狙える唯一の場所。しかし、それはウラジミール公側も分かっている。
「コンクラーヴェを一時中断、一時間の休憩を挟む。各自は好きに時間を使ってくれ」
扱う件の重大さを鑑みて、リヒテルはしばしの休息を命令した。
*****
「このまま行けば……賛成多数で開戦となるでしょう」
「じゃが、あのグレゴール……あ奴の順番がまだじゃ。いったい、どのような方法で反対に持っていくのじゃろう」
「バルムンクは、叩けばいくらでも埃が出て来る。言い訳を考えるよりは、強引に反対意見を抑えつけて強行採決に持っていく方が良いかもしれないな」
バルムンク幹部が居座る会場の上座では、ヴァンと、エルンスト老、総統リヒテルが休憩後の後半部の段取りについて話し合っていた。
他の幹部、ブリギッテ竜司祭長は連日の仕事疲れによる影響か、休憩開始と共に机に突っ伏して仮眠を取っており、名目上の幹部であるグレゴール司祭長はいつの間にかいなくなっていた。
そしてリヒテルの妹分のテレーゼは母親を殺された件から、リヒテルを忌避しており、連れてきた影術士の幼女を抱きしめて少し離れた場所で佇んでいる。
干渉しないでくれと言う意思表示だ。ただ、ヴァンはそれよりも抱きしめられている幼女が気になった。
少し苦しそうだ、もしかすると、抱きしめている力が強すぎるのかもしれない。
閑話休題、今の所、趨勢は開戦に傾いている。問題は裏で工作しているグレゴール司祭長のことである。
「彼はコンクラーヴェ開始まで牢に入れてあった。ロクな工作は出来ないはずだが……」
「いいえ、アマーリアがあちら側に寝返りました。彼女を窓に情報を収集していたようです」
「加えて、牢の警護もなぜか神官兵に代わっておったぞ。知らなかったのか、リヒテル?」
「ああ、初耳だ。牢の件は……後で調べておこう。そしてヴァンよ、アマーリアだが、最低限、どこまで彼女は知っているのだ」
「アーデルハイド暗殺の当時、銀の雀亭にいましたので、暗殺の現場を見ていた可能性があります。また、すみません、ヒルデスハイムの虐殺が偽報であることを教えてしまいました」
「間違えて教えたか……意外だな、お前が……」
リヒテルは少しの間、考えるような仕草をした。バルムンクにとって、前頭領アーデルハイド暗殺と、ヒルデスハイム虐殺の偽報は機密事項にあたる。それを他者に漏らせば無論、厳罰の対象となる。
仇敵、グレゴール司祭長に寝返ったことといい、これでアマーリアはバルムンクにとって、抹殺対象、殺されても仕方がない人物に成り下がった。
ならばせめて自分の手で、苦しまないように、ヴァンはそう決意するが……。
「どちらも時間が経てば隠し通せるものではないな、不問としよう」
「そんな寛大な処置でいいのですか」
珍しく狼狽えるヴァンに対し、リヒテルは人の悪い笑みを見せた。これもまた珍しい。通常、岩を削ったような険しい顔しかリヒテルはしない。
「心外だな、ファーヴニルならいざ知らず、彼女のような一般人を裁く権利は私にはない。そう手荒な真似はせんさ。司祭長についた件にしても元々、彼女は司祭長の部下だ。忠義を貫いただけのこと、私がどうこうする筋合いでもない……それとも、殺してほしい程憎い女なのか?」
「いえ、そういう訳では……」
ヴァンの、アマーリアに対する感情はテレーゼに対するそれとは違い、ひどく入り組んでいる。
テレーゼは仕えるべき主人の妹分であり、庇護すべき存在だが、アマーリアは違う。
ある意味、彼女はヴァンと対等であり、そしてスヴァルトとの混血であるヴァンが選ばなかった未来だ。
弾圧に屈し、死術という外法に逃げたヴァンと、その出自のまま努力してきたアマーリア。それが肌の色という隠しようのない特徴故だとしても、その生き方は尊い。
その生き方を貫いて欲しい、どのような苦難があっても……今思えばなんと勝手な考えだったか。
その生き方は尊いとそう思ってもいた。だが今は違う、そんな傲慢な考えは捨てることにしたのだ。
もうアマーリアの心は折れている。もう生きる意志を失った彼女の未来は閉ざされた。違う、そんな理由ではない。彼女は裏切ったから殺されるのだ。
「彼女は裏切り者です。裏切り者は、バルムンクの敵は討ち滅ぼさなくてはいけません。例外は認めない」
「ヴァン、お前は……」
周囲を慄然させるような気迫がヴァンからは感じられた。あのリヒテルさえ、先ほどの笑みをひっこめたくらいだ。
ヴァンは別におかしいことを言ったつもりはなかった。バルムンクという組織に忠誠を誓う彼にとって、罪人に厳罰を与えることは不思議ではない。
ただ、彼には組織人として顔以外がない。リヒテルやテレーゼと違って、家族などに見せる別な顔というものが存在しないのだ。故に価値観は画一的で、ひどく範囲が狭いことは否定できなかった。
「……こんな時に」
「エルンスト老?」
「リヒテル……件の少女がやってきおった」
「アマーリアが?」
ヴァンが顔を上げると、コンクラーヴェ会場の入り口付近にバスケットを持ったアマーリア・オルロフが立っていた。
小麦色の肌はスヴァルトとの混血の証。年の頃は十六、七、ヴァンより若干年上だ。特徴的なのは顔を縦に割るように走る斬傷。
そしてなぜか今回、彼女はスヴァルト人の奴隷(アールヴ人の奴隷は名目上、奉公人なので服装の規定はない)がつけるような首輪をしていた。
それは自分を戒める理由としか考えられない、ヴァンと同じだ。ただヴァンの場合は物心つく前に絞首刑にされた時の跡を隠すためという別な理由があるが、彼女の傷は顔であって、首ではない。
「昼食を、昼食をヴァンさんのために作ってきました」
肥大化した猜疑心が内側からはじけ飛んだような異様な空気が流れる。アマーリアはそれに気づかないようだった。
あるいは気づいていてあえてとぼけているのか。以前の気の弱い彼女ではありえないことだが、今の半ば正気を失った彼女ならば何をしても不思議ではない。
「おお、これは忝い……ん、ヴァンの分だけかのう?」
「はい、私のもう一人の主人の分しか作ってきては居りませんが……」
「そうか……うむ、悲しくはないぞ。おなごの女子の作ったご飯が食えなくてもわしは悲しくはないぞ」
その空気に耐え兼ねてのか、エルンスト老がおどけて見せる。それは周囲にも無言の圧力をかけていた。
この話はもうお終いだ、と暗に懇願しているのだ。
「ヴァン、隅に置けないな」
「それほどの事でも……」
「謙遜するな……例えばテレーゼなぞ、料理の一つも出来ないのだぞ」
「できない訳ではありません。なんでも赤くするだけです。辛くて辛くて食べられたものじゃない。テレーゼ様の手料理を食べるくらいならば、私は残飯を食べる方を選びます」
「何も、そこまでのう……うっ!!」
エルンスト老が声を詰まらせたのは、ヴァンの頭上ギリギリにナイフが飛んできたからだ。
それは長椅子に突き刺さり、しかし、ヴァンは身じろぎ一つしない。
ナイフを投げたのは方向から、今の会話に聞き耳を立てていたテレーゼなのは間違いないのだが、ふと見ると、テレーゼに抱きしめられている幼女がジタバタと暴れていた。
まるで罠にひっかかった兎のようだった。あるいは絞められる鶏か。
「怒っとるぞ、間違いなく怒っとるぞ」
「問題ありません、むしろ、感情的になってくれた方がまだ……いえ、何でもありません。それよりせっかく昼食を持って来てくださったのです、いただきましょうか」
「どうぞ……干しぶどうを混ぜたパンとドライフルーツです」
アマーリアがヴァンに差し出したのは、干しぶどうパンとドライフルーツだった。パンをこねる段階で手を加える必要があり、ドライフルーツもお店ならともかく、個人で作るには少々、手間だ。
何よりこの冬の時期に果物を揃えるのは大変なことだ。恐らく市場を駆けずり回って探したことだろう。
あるいは金と権力を駆使すれば自分が動かなくても手に入るが、そう考えるのはいくらなんでも穿ち過ぎだ。
「……これはなかなか」
「おいしいですか?」
「ええ、とても甘くて……ただ」
「ただ……?」
ヴァンは、手放しで褒めはしなかった。別段、まずいわけではない……はずだ。ただ、どうしても疑念が消えないのだ。
ほとんど病気とも言えるが、万が一を考えざるを得ない。だから、ヴァンはカマをかけることにした。
元より死術の影響でヴァンは味覚がマヒしている。食べ物の評価など出来ようはずがなかった。
「料理する時に、食材を常に見張っていましたか」
「どういうことですか?」
「貴方は……警戒心が無さすぎだということです」
そしてヴァンは立ち上がり、遥か遠くを見据えた。目が何者かとあった……その者はひどく慌て、逃げようとする。
しかし、ヴァンよりも、さらにテレーゼの方が素早かった。幼女を放り投げ、一足飛びにその男を追いかける。
「……っ!!」
男は逃げられなかった。一瞬にして追いつかれ、転ばされて関節を決められる。
件の彼は、見知った人物であった。
「確か……ヘルムート」
「ひ、姫、私の名前を御存じで……」
「アンゼルムの舎弟ですわね。何をしましたの」
「な、何をしたと言われましても……私は何も」
「今、私に全て白状しなさいな。でなければヴァンに尋問を任せることになるわ」
「……」
「死んで欲しくないのよ、これ以上、私の知り合いに……」
「姫……」
*****
あっけないほど、ヘルムートは全てを白状した。
彼は舎弟らの戦死に悲観し、ヴァンに懇願して不死兵に変えられたアンゼルム、その後、幸運にも息を吹き返した舎弟の一人である。
彼らは兄貴分を不死兵に変えたヴァンを憎んだ。実際に殺そうとしたこともある。だが、それは失敗に終わり、その憎しみは捻じ曲げられて、ヴァンの近しい者に向かった。
曰く、アマーリアが作ったパンの材料は毒麦であり、それは殺す毒とは違い、確実性に乏しいが、万に一つの可能性にかけて仕組んだと言うのだ。
その策で一番、死ぬ可能性が高いのはヴァンではなく、アマーリアである。ヴァンがアマーリアの昼食を食べる可能性は絶対ではないが、試食という形でアマーリアは自分が作った物を食べる。
実祭は違ったが、アマーリアが毒麦に弱い体質ならばそこで彼女の人生は終わっていた。だがそれでも彼は構わない。ヴァンに近しい者を殺せればそれで満足なのだ。
それが彼の弱者たる由縁であった。例えば仇敵を倒す時に、リヒテルならばどんな非道な手段を用いても敵を倒し、他の者には目もくれない。グスタフならば、逆に敵に仕え、十年でも二十年でも機会を待ち続ける。味方の振りをしながら……。
「アンゼルムの兄貴はおかしくなっちまった。全部、ヴァン、手前のせいだ。だから手前も同じ目に合わせてやる。近しい者が死んで、その苦しみを味わえ、はははは……がふっ!!」
「そんな志の低い者はバルムンクには必要ないな」
リヒテルはヘルムートの身勝手な訴えを一切、酌量しなかった。顔を蹴り飛ばし、石床に転がす。
だが、それでも最後の義理だけは残していた。裁きの方法を兄貴分であるアンゼルムに任せたのである。
「今は罪を問わない、コンクラーヴェ終了後、アンゼルムと相談して決めることにする。それまで謹慎していろ」
「はっ、ありがとうございます」
「なぜ、罰を受けて喜ぶ?」
なぜか、その処置に喜びを見せるヘルムート。その理由にヴァン、リヒテル、エルンスト老の誰が思い至り、誰が理解できなかったのか。それは本人ですら判然としなかった。
「話し合うんでしょう、兄貴と、じっくりと話し合ってください。兄貴を助けてください」
「どういうことだ?」
「もう、リヒテルさんしか頼れないんです。兄貴はおかしくなっちまった。俺らの声は届かない、だけど、頭領ならば話してくれると思うんです。兄貴の悩みを聞いてやってください、お願いします!!」
「論法が滅茶苦茶だな。今回のお前の罪とアンゼルムは関係ない。そんなことをする必要性はない、ないのだが……」
リヒテルは眉間にしわを寄せて考え込んだ。彼は基本的に誰かに助けを求められることに弱い。
妹分のテレーゼにもその傾向があるが、弱い者は守らなくてはならない、助けなくてはいけないという一種の脅迫観念があるかのようだ。
あるいは、虐げられているアールヴの解放という大義自体がその延長戦上にあるのかもしれない。
「ついでだ……私にできる限りのことはしよう」
「あ、ありがとうございます」
「だから、もうこんなことはするな。次は私も他の者の手前、容赦できなくなる」
「はっ!!」
ヘルムートが満面の笑みを浮かべる。先ほど、無実の人間を毒殺しようとしたとは思えない、子供のような無邪気な笑顔だった。
彼は救われた、彼は報われた。ならば、逆の立場の人間は……救われなかった、報われなかった人間はどうなるのか。
リヒテルは対応を終え、ヴァンやアマーリア、エルンスト老に向き直った。
「という訳だ。彼は二度とそんなことはしないと誓ってくれた。ただし罪は償わせる。それで許してはくれないか?」
「バルムンクの法でそうなるのでしたら、私はそれに従います」
まず始めにヴァンがリヒテルに賛同する。ヴァンは基本的に物事に私情を挟まない。バルムンクに害するのでない限り、その処置はおおむね寛容だ。
それは予測できた。しかし、彼女までそれに追従するとはリヒテルは思ってはいなかった。
「素晴らしい対応です。誰もが納得する、さすがはリヒテル総統……感激です」
「アマーリア……だったかな、お前は殺されかけたのだぞ。もう少し、怒ってもいいのだぞ」
「そんな、私如きのことなどお気になさらずに……」
「私如きなどという言葉は使うな、お前もまた自由の民、アールヴ。身分など関係ない」
リヒテルはアマーリアを嗜めた。しかし、彼女の心にその言葉は届かない。
「半分だけですよ、私に流れるアールヴの血は……半分だけ人間なんです、私は」
「また、そのような……」
「リヒテル様、そろそろ休憩が終わります。準備を……」
「ヴァン、私は今、話を……」
「アマーリア、時間だ」
「はい、従います」
ヴァンに促され、アマーリアは去っていった。話を中断された形のリヒテルは当然、不機嫌になったが、それを迎えたのはヴァンの無表情であった。
「彼女も私もスヴァルトとの混血、アールヴの解放を唄うならば仇敵スヴァルトとの混血は扱いが違って当然……今更それは変えられない」
「それがお前の答えか……」
「もう既に終焉は近づいています。スヴァルトの最期、そして私の最期も、このまま行きましょう、何もかも今更です……」
その瞬間、聖堂の教会が鳴った、コンクラーヴェ再開の合図だ。リヒテルにとってはバルムンク総統の顔に変えざるを得ない
ささいな私事など考える暇はない、それでこの件は終わりだった。疑問は疑問のままゴミ箱に捨てられる。
ただ、舌に残る苦みだけがいつまでも消えなかった。
*****
「申し訳ありません、昼食を作ってきたのですが……」
「何、お主の作った物など怖くて口にできぬ」
「司祭長様、それはどういう?」
「言葉通りじゃ、このコンクラーヴェが終わり次第、お前との契約を破棄する。いや、もう破棄したはずじゃが、今度は法的にわしに近づけないようにしてやるわい」
「司祭長様にそんな権限が……」
「今はない、じゃがすぐに手に入る。まったく、先の休憩時間がわしを捕える最後の機会じゃったのに、下らぬことで機会をふいにしおって……」
グレゴール司祭長は含み笑いを発し、その先を続けた。
「コンクラーヴェはわしの勝ちじゃ。リヒテルなど、しょせんは若造よ……」
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