第62話 これで私は冷徹になれる

ムラヴィヨフ伯爵家本領、プファルツ伯領(司教区)―――


「数千だと……」

「はっ、ゴルドゥノーフ家の所領、及びあの、ライプチィヒ市を中心に難民やら流民やらが保護を求めてきています。セルゲイ様……いかがいたしますか」

「私はグスタフ卿に千の兵士を集めよと命じられた。それだけの難民がいるのならば衣食を代価に徴兵することは可能だが……この数は」



 バルムンクが集ってきたファーヴニルらを統率しようとしていた頃、宿敵とも言えるムラヴィヨフ伯爵家の本領でも大きな問題が起きていた。

 なぜかは分からないが大量の難民がこのムラヴィヨフ伯爵領になだれ込んできたのだ。

 リューネブルク市から流れた五百人の難民を受け入れただけでも食糧などの問題が起きた。

 そして今回はその十倍近の人数。食糧どころではない……そもそもそれだけの人数を管理するシステム自体が存在しないのである。

 このまま無策に彼らを受け入れればそれこそ治安は崩壊、完全な無政府状態となる。

 食糧も飲料水も、寝る場所もない数千の人間が己が未来に絶望すれば、一か八かで反乱を起こすことに決まっているからだ。

 ちなみにそれ以外の問題として、土地と財産が直結しているスヴァルト社会では、農奴の逃散などの人口の移動はそのまま財産の流出となるため、通常、難民の発生先から彼らを帰郷させるよう抗議ないし、懇願が来るのだが、ゴルドゥノーフ家が没落した今、東部最大の大貴族であるムラヴィヨフ伯爵家に抗議できる家はない。

 例外はリューリク公家の直轄であり、飛び地でもあるライプチィヒ市だが、今の所、公家からは何の命令もない。

もっとも命令が来たとしてもセルゲイにはそれに応える力はないのだが……


「鎮圧しますか……」

「馬鹿を申すな。数千の人間をどうやって鎮圧するのだ。我が私兵団の五倍近くの人数だぞ。それにだ……そんなことをすればその怒りが領内のアールヴ人の農奴にまで波及する。第二のバルムンクが誕生するかもしれぬ……閣下の耳には入ってはいないな」

「今のところは……しかしこの事態です。いずれはそのお耳に」


 騎士セルゲイが言う閣下とは彼が忠誠を誓っていたミハエル伯爵の事ではない。その遺児であり、今年八歳になるレオン・ミハエル・ムラヴィヨフ伯爵のことである。

 その幼さゆえにアールヴ、スヴァルトの確執を理解しておらず、大局を読めない。今回の事態を臣民が貴族に援助を申し出たぐらいにしか考えていないだろう。

 恐らく、即座に貴族の慈悲と称し、即座に難民を受け入れてしまう。

 アールヴの腐敗神官にとって民衆とは自分の食い物になる存在だが、スヴァルトの貴族にとっては下賤な農奴であると同時に自分達がその生存権を守らなければならない臣民でもある。

 臣民を管理できない貴族は貴族として恥以外の何物でもない。


「主が決定あそばせたのならば、騎士である私は従うのが道理。いずれ露見するのであればいっそのこと……」


 この難民問題を解決する方法が一つだけある。あくまでセルゲイが考えた中でだが、その方法を使えば当面の暴動を抑え、かつ彼らを後方支援として迫るバルムンクとの決戦時に有効活用できる。


(法王シュタイナー……彼に援助を頼み、物資や文官を派遣してもらえばとりあえず民心は安定するだろう。アールヴ人にとっては王の慈悲だ。しかし、この借りは高くつく。借りはいずれ返さねばならない)


 力でアールヴを支配するスヴァルトは、支配されるアールヴが自分たち以上の力を持った時。それを抑えつける方法を知らない。

 故に頼るしかないのだ、あのウラジミール公の侍従長と蔑まれているあの男に、神官の長、誰にも称えられなかった法王に……だがこれだけの援助を受ければムラヴィヨフ伯爵家はかの法王無しには己が所領を維持できなくなる。

 それは傀儡となることでもある。そこまで考えて、騎士セルゲイははたと気づいた。自分に千の兵士を集めよと命じたグスタフの意図を……。


(恐らく法王はグスタフ卿の傀儡。そして我らがムラヴィヨフ伯爵家が法王の走狗となれば間接的にグスタフ卿がムラヴィヨフ家を支配したことにはならないか?)


 セルゲイ、そしてムラヴィヨフ伯爵家はグスタフに大恩がある。リューネブルク市から敗走した後、その指針を示し、敵討ちの場を与えてくれた。そして主君亡き後、幼い当主が家名を滞りなく継承できるように取り計らってもくれたのだ。

 本来ならば、足を向けて寝られない大恩人である。だが一つの事柄が騎士セルゲイの心に絡みついていた。


(グスタフ卿は本当に純血のスヴァルト人なのか。リヒテルが言うように混血なのではないのか)


 貴族主義であるスヴァルト最大の禁忌、貴族身分の詐称。混血を含め、アールヴ人は平民以上の階級を名乗ってはいけない。

 それは少数派のスヴァルトが多数派のアールヴを支配する上で絶対の不文律であり、ましてやその家名がリューリク公家とは……つまりは、偉大なる父、おも謀っていたということだ。

 それはスヴァルト人にとって決して許せることではない。

 グスタフ卿の恩に報いたいという気持ちと、貴族を名乗った罪人を糾弾したい気持ち。相反するその感情がグルグルと騎士セルゲイの心に渦巻いていた。


*****


リューネブルク市・司教府・コンクラーヴェ会場―――


 スヴァルトにとっての〈王〉……ウラジミール公との決戦の可否を決めるファーヴニルの会議が今日、行われる。

 その会議はヨーゼフ大司教の提言により、法王選挙を意味するコンクラーヴェと呼ばれることとなり、その裏の意図は、このコンクラーヴェの成功が、リヒテル・ヴォルテールがスヴァルトと戦う全アールヴ人の指導者になることを示しているのだ。


「思いのほか、集まりが良くないな」

「何、神官やスヴァルトとは違い、わしらは無頼漢。時間を厳守する者の方が少ないのじゃよ。寝坊に二日酔い、もしかするとわざと遅れてお主の反応を見る腹かもしれぬ」

「なるほど……焦りは禁物ということか」

「で、あるならば私は時間ギリギリに来た方がいいでしょうか」

「うむ、ヴァンよ……そんなにもリヒテルの隣が嫌かのう」

「私は汚れ役です。公的な式典には欠席するのが筋と思うのですが……」


 大会議場の正面の最上段、今回の主催者であるバルムンクのお歴々が座っている。上座には当然ながらバルムンク総統、リヒテル・ヴォルテール。右隣りには副官扱いのエルンスト・バーベンベルク老。

 そして左隣りはなんと混血の死術士ヴァンであった。バルムンク内で嫌われ、何度も仲間に背後から襲われた彼がリヒテルの左隣り。

 会場を警備するファーヴニルからはなんとも言えない視線がヴァンに注がれている。それをヴァンは不相応な席に着く人間に対する怒りであると判断した。


「裏方ばかりではなく、お前にはもっと上を目指してほしいのだ。何事も経験だと考えろ」

「そういうことだ。どれ、今夜はわしと共に娼館街に繰り出さんか。女の何たるかを教えてやろう。何事も経験じゃぞ」


 愉しげにヴァンには理解できないことをしゃべるエルンスト老は無視するとして、リヒテルのこの措置にヴァンは少々、驚いていた。

 汚れ役は闇にのみいればいい。リヒテルのそういうスタンスが今、破られている。どういう心境があったのか分からないが、なぜかヴァンは自分が甘やかされているように感じた。


「所で、テレーゼ様が見えられないのですが……まさか寝坊ですか。それともやはり今回は見合わせるということでしょうか」


 やや露骨ながらヴァンは話題の返還を試みる。彼は基本的に甘やかされるのが嫌いだ。それは掌を返されることに繰り返されてきたからでもある。

 いずれぬるま湯から叩き出されるのならば、自ら寒空の下に躍り出たいのだ。

 裏切られる前に距離を置く。ヴァンの根底にある信条だ。


「お前にはテレーゼを疎開することしか伝えていないはずだ。今回のコンクラーヴェに参加させることを決めたのも昨日の夜だ。なぜ、分かった」

「それは面白い冗談ですか、リヒテル様。貴方の訓示を受けた私が同じ考えに至ったとしてもおかしくはないでしょう」

「それはそうだがな……」


 先ほど感じたリヒテルに対するヴァンの不審、その立場が入れ替わった。今度はリヒテルがヴァンを奇妙に思ったのだ。

 やや過保護ぎみなヴァンはテレーゼを危険な場所に置きたくはなく、それ故に幾度かテレーゼ本人と剣を交えたこともある。

 それが利用するためにコンクラーヴェに参加させる。それでは今までの行いに説明がつかない。

 渦巻く疑問、それはヴァン本人ですら理解してはいなかった。なぜ、あの時、テレーゼを外に出そうとしたのか……。

 しかし、その疑問は苦笑するエルンスト老が出してくれた。彼の老人はそんな簡単なことも分からない二人が可笑しかったのだ。


「ただ単に、言い訳をつけて別れを引き延ばしただけではないかのう、ヴァンは……よいではないか、どうせブレーメンに疎開するのに期限はない」

「私がそんな私情を挟む訳がないでしょう」

「ほほう、わしとて耳がいい。テレーゼ嬢を襲撃したさる医者が怒り狂ったお主に拷問されたと訴えてでておるが……それは嘘かのう」

「さる女医者など知りません。何かの間違いではないでしょうか?」

「女じゃったのか、その医者は……それは知らなかったのう」

「……」


 ヴァンは己が迂闊な発言に臍を噛む。

 基本的にヴァンは甘やかせるのと同じくからかわれるのが嫌いだ。例えばリヒテルのように聞き流したり、グスタフのように逆に相手をやり込めたりできない。

 十数年ほどしか生きていないヴァンの、数少ない年相応な稚気であった。


「ほれほれ、件のお嬢様の登場だ」

「……あの時、助けなければ良かった」

「そういうな……おお、やはりサラフォンは似合うな、なんでもウラジミール公の公女が着ていたという逸品でな。金貨二枚もしたのだ」

「ああ、あの商人からエルンスト老も買ったのですね。しかも吹っかけられて……」


 サラフォンとはスヴァルト人の民族衣装の一つである。ルバーシカと呼ばれるシャツ(この場合は前後で開きのない貫頭衣)の上に足首を覆うくらい丈の長いワンピースドレスを着たものだ。


「食い気ばかりと思ったが……テレーゼ嬢も女であったか」

「卑猥な発言はお控えください、エルンスト老」

「ほう、しかし、そう言いつつもお主も目が話せないようじゃが……」

「適当なことを言わないで下さい」


 今回のテレーゼは公式の場ということもあり、花柄の刺繍が節々に施されている。

 わざと目立つ場所ではなく、あくまで袖口や裾など要所に絞ることにより、まるで野に咲く花の可憐さがあった。

 そしてヴァンが一番驚いたのはその髪だ、いつもストレートにしているその蒼い髪を一つに束ねて後ろに回し、三つ編みにして、紫色のリボンで止めている。

 頭頂にはココ―シニクと呼ばれるトサカのようなカチューシャ、ここだけ他の装飾と違和感がない程度で華美にまとめている。

 今までヴァンが見てきた戦士としてのテレーゼとはまったく印象が違う。 昨日のディアンドルもまたテレーゼの〈女性〉を意識させるものだったが、今回はそれ以上だ。

 整った顔故に見える憂い顔が、まるで恋人の帰りを待つ仕草のようで、男ならば一度ならずちょっかいをかけたくなる。


「金貨二枚ならば、私が買うべきだったかな……」

「ん、ヴァンよ……何かいったかのう?」

「い、いえ……少し喉の調子が良くなくて……」


 つい、そんなテレーゼの姿を独占したかったなどという、稚拙な欲望が覗き、ヴァンは恥じると同時にその気の迷いを封印した。

 エルンスト老はそれを見て、まるで逃げた兎を追うように追撃を駆けようとする。しかし、ここでヴァンにとって助け舟が来た。

 正確にはヴァン以上に下手を打った者が出た。


「エルンスト老……あまり勝手なことをされては困ります。テレーゼの衣装は既に私が決めていました。コンクラーヴェに参加するファーヴニルらの心象を良くするよう完璧な軍服を……」

「馬鹿を言うでない。お主の選んだダサい服など着せれるものか。これはパーティーじゃぞ、花の十代が着飾らなくてどうする。二十代や四十、五十代でも綺麗なものは居るが、年を重ねると似合わない服もあるのじゃ」


 なぜか、戦闘時よりも意気盛んにエルンスト老は力説する。珍しくリヒテルは気圧されているようだった。

 いや、ヴァンには分かった。リヒテルは彼の老人が空元気をだしていることを見抜いて、今回の空元気を歓迎しているのだ。

 スヴァルトに我が子同然のファーヴニルを殺されて過去に逃げた老人、しかし自分でもそれがいけないことだと理解している。

 なればこそ、気圧されたように縁起して相手するのもやぶかさではないのだ。


「……お前は危険」


 そうこうする内に件のテレーゼがやってきた、座るのはヴァンの隣だ。

 ヴァンとテレーゼの間に、付き添いでやってきた、あの時の影術士の幼女が座ろうとするが、テレーゼは手で制する。

 自分との間に壁を挟まなかったヴァンはそれを少しだけ嬉しく思った。しかし、言葉に出したのは皮肉であった。


「待ち合わせに来なかったので寝坊したのかと思いましたよ」

「待ち合わせの広場は街の東端、この司教府は西端……逆方向ですわ」


 それっきり、黙り込んでしまう。やはり、未だ情緒は不安定なようだった。それは仕方がない。

 あの時、スラムで母親が死んだ時の表情に比べれば、例え殺意を向けられたとしてもまだマシだと思える。

 少しでも立ち直ってくれれば……テレーゼの変化を喜んだのは、しかしむしろそう仕向けたヴァンよりも兄貴分であるリヒテルであった。


「そうか……ヴァン、テレーゼはお前とは話しているのだな、安心したよ」

「リヒテル様……?」

「これで私はいくらでも冷徹になれる」

「それはどういう……」


 リヒテルの言うことに何か含みを感じたヴァンが聞き返そうとする。だがリヒテルはそれを拒絶するように目線を上げ、会場の入り口を差す。

 コンクラーヴェ会場には入れるのはファーヴニルの幹部。傭兵団や盗賊団の長、大商会の主など、いずれも裏社会である程度の地位を持つ者のみ。

 その例外が神官だ。ブリギッテ竜司祭長などバルムンクの中枢にかかわる者は今回のコンクラーヴェに参加せざるを得ない。

 だがしかし、あの男が出て来ることはヴァンには慮外だった。彼はスヴァルトと手を組み、その罪で投獄されていたはずだ。


「今回のコンクラーヴェ……でしたかな。参加させていただき、このグレゴール。感涙の涙が溢れそうです」

「なぜ……お前が」


 グレゴール司祭長。腐敗神官の長であり、他人を虐げ、部下すら自らの権力維持に利用した卑劣漢。

 彼はバルムンクとは宿敵同士と言っていい。今回の評決で間違いなく反対票をいれるだろう。なればこそいてはいけない存在なのだ。


「あまり動揺するな、ヴァン。私が呼んだのだ」

「リヒテル様……」

「ウラジミール公と戦う前の前哨戦……いや、付け合わせのサラダのようなものか。食べなくても構わないが、気にはなる。片づけておきたくてな、死刑台に昇って貰ったわけだ」


 本人を前に憚りことなく、死刑判決を宣告するリヒテル。しかし対するグレゴールも心得たもの、ニコニコと笑顔を浮かべて受け流す。


「あはは、ヴァンさん、お久しぶりです」


 グレゴールの付き添いである混血の奴隷少女、アマーリア・オルロフだけが張り付いた笑みを浮かべて目の前に散る火花を我関せずに眺めえていた。

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