第57話 俺は全てを手に入れる、誰にも渡すものか

首都マグデブルク・ムラヴィヨフ家私邸―――


「主君の仇を討つなとはどういうことだ!!」


 バルムンクが着々と兵を集めていた頃、スヴァルト側もまたバルムンク討伐軍の編成を行っていた。言うなればバルムンクに体勢を整える時間を与えていた。

 ただしすぐに進軍しないのは、あくまで地方に散っている貴族の私兵が集 まる時間が欲しいのであり、寄せ集めのバルムンクのように兵が集まるかどうか分からない、と言った悩みとは無縁である。

 それどころか、既に貴族たちはバルムンクを討伐した後の事を視野に入れていた。その遠大さは素晴らしいが、これをリヒテルが聞けば、捕らぬ狐の皮算用、と笑ったことだろう。


「ムラヴィヨフ家摂政、騎士セルゲイは私兵団を領地に戻し、幼き後継者を守るべし、貴族議会からはそう命令が出ています」

「それは主君の仇を討った後だ……貴族の方々は現状を理解しているのか。相手は腐敗神官ではなくあのリヒテルだぞ、十年前のようには行かない」


 十年前、槍持ちとしてルーシ戦役に参加していたセルゲイは腐敗神官の脆弱さを知っている。だが彼は同時にリヒテル率いるファーヴニルとも戦っており、その大きな差を理解していたのだ。

 同数の兵力で戦うのは危険。できれば数倍の数を揃えたいところだ。

 バルムンクがどれだけ兵士を集められるか分からない。だが未確認の情報では万を超すとも聞く。理想の兵力は三万、ムラヴィヨフ伯爵家が動かせる兵力の数十倍。

 だが、領地を守る兵士を引き抜き、何よりも全ての貴族が力を合わせれば可能な兵力でもある。


「馬鹿ね……もし仮にあんたみたいな騎士風情にリヒテルの首を挙げられたら下剋上になってしまうじゃない。大貴族はそれを恐れているのよ、キャハハ!!」

「シャルロッテか……」


 今にも伝令の兵士に掴みかかろうとするセルゲイを嘲笑いながら、顔の左を漆黒の仮面で隠した十代半ばの少女がやってきた。

 混血の死術士、シャルロッテである。彼女はバルムンクの死術士ツェツィーリエに続く形で影の研究をしていた。

 知識や経験でツェツィーリエに大いに劣る彼女だったが、あくまで不老不死の研究の一環で影の研究をしているツェツィーリエと違い、シャルロッテは純粋な軍事目的である。特化している分、戦闘に関しては影の研究は先んじていた。


「ほら、見なさい、これが私の影よ。可愛いでしょう」

「……」


 シャルロッテの背後に、人の倍はあろうかという大きさの影がついてきていた。

 幻覚魔術の影響で細部は見えない。だが、セルゲイにはどことなく、筋肉が肥大化した奇形の人形ヒトカタに思えた。背中に小さい翼らしき物も見える。その影は血にまみれていた。


「また、囚人を殺していたのか……」

「実験は必要よ。聞きなさい、こちらは一体であいつらは十人。もし私の影に触ることができたら特赦を与えて自由にしてあげると約束したわ」

「勝手なことを……」


 セルゲイの憎々しい顔を無視して、シャルロッテは話を続ける。本当に楽しそうだった。


「あいつら、本当に武官だったの? 任務中に不要な殺人を犯して捕まったというけど、てんで大したことがなかったわ」

「所詮は神官兵、弱い者にしか剣を振れない輩だからな……結局、一人も触れられずに終わったのか?」

「ううん、一人だけ根性がある奴が指一本触れたわ。まあ、生気を吸われてすぐにその指は腐り落ちゃったけど……」

「ほぅ……」


 セルゲイは素直に感心した。腐敗神官と呼ばれる彼らであったが、何も全員が全員ともそうだとは限らない。

 例えば、バルムンクが抱えるブリギッテ率いる神官兵。あれはとても弱兵とは言えない。スヴァルトの中で武勇を誇るゴルドゥノーフ騎士団を破ったとあってはそう認めざるを得ないのだ。無論、余程の奇跡が起きたのだろうが、何もない所から、奇跡は起こらない。


「その神官兵、会ってみたいものだな」

「無理よ、殺したもの」

「何……?」

「汚らしい指で私の影に触ったのだもの、報いよ。特別にジワジワと苦しめて殺してあげたわ」

「影に触ったら助けるのではなかったのか?」

「あいつらが私の約束を守ったことなんてないわ。だから、私が守る必要もないのよ」


 セルゲイはふと、シャルロッテがリューネブルク市司教府の少女奴隷であったことを思い出していた。

 彼女は他人を虐げることに喜びを見出す。もしかすると、虐げられてきた過去がそうさせるのか。そう考えると若干の罪悪感をセルゲイは覚える。

 シャルロッテが神官の少女奴隷ならば、セルゲイは神官を監視する立場だったのだ。もしかすると、彼がリューネブルク市にいた頃、彼女はすぐ隣で虐げられていたかもしれない。その罪悪感はちょうど、バルムンクのブリギッテ竜司祭長(武官の長)が感じた物と同じであった。

 ただし、ブリギッテが自堕落と事なかれ主義でその虐待を見逃したのに対し、セルゲイの場合は単純に人手不足、バルムンクという敵を前面に控えていたため、神官らと敵対できず、その悪行をある程度見逃さなくてはいけなかった政治的な理由からだ。

 その理由が無ければ遠慮なく神官らを粛清し、彼女を助けていた。故に罪悪感は小さく、ブリギッテのように手心を加えたりはしない。


「実験の検体は随時用意する。それ以外の人間を手に掛けるのであれば、それ相応の罰を覚悟してもらおう。例え、グスタフ卿の奴隷とはいえ、何でも許されると思うな」

「グスタフ様……」


 戒めのつもりでセルゲイはシャルロッテを恫喝したが、グスタフの名前を出した瞬間、シャルロッテはセルゲイが予想していなかった表情を見せた。

 彼女は珍しく、怯えていた。


「貴方、グスタフ様に何をしたのよ。リューネブルク市に潜入してから機嫌が滅茶苦茶、悪いじゃないの。私とも話してくれないし、夜這いをかけようにも鍵がかかっているし、何とかしなさいよ」

「自分でなんとかすればいいだろう」

「私は奴隷……主人の機嫌を損ねてはいけないわ」

「都合のいい時ばかり、奴隷になるのか」


 シャルロッテの図々しさに呆れたセルゲイだったが、実は彼自身もグスタフ卿に用事があった。ついでにシャルロッテのためにご機嫌を伺っても特に問題はない。

 利用された形だが、それを気にする程セルゲイは狭量ではないのだ。


「グスタフ卿にお会いになるのであれば、あの事を聞いてはいただけませんか?」

「あの事……ああ、あの世迷言か」


 グスタフの私室(客間)に向かおうとするセルゲイに対し、伝令の兵が懇願しに来た。

 彼は伝令以外にも斥候の役目もあり、その腕前は優秀、リューネブルク市スラムでの戦闘では〈誰にも〉気づかれることなくその役目を遂行した。ブリギッテが配置した伏兵が簡単に抹殺されたのは彼の功績が大きい。

 しかし彼は同時にその隠密性から聞いてはいけないことも聞いてしまっていた。


「……グスタフ卿はアールヴとの混血なのですか」

「何を言う……純血を尊ぶスヴァルト貴族が混血の訳が無かろう。それが真実ならば私はグスタフ卿を殺さねばならない。あれはリヒテルの妄言だ、妄言でなければならないのだ」


 混血のシャルロッテに聞かれぬよう二人は密談する。内容は推測できないだろう。だがしかし、その声音はどこか自信を欠いていた。

 セルゲイ、と言うよりもムラヴィヨフ伯爵家はグスタフに多大なる恩がある。その恩人を処断しなければならない可能性を払拭できなかったのだ。


*****


 ウラジミール公、エドゥアルト・ゲラーシム・リューリクの〈王位〉禅譲、つまりはリューリク家が普通の貴族になるということ。

 その措置に最も打撃を受けた男は……十年前にリヒテルを裏切り、裏切りによってリューリク家の養子となったグスタフ・ベルナルト・リューリクである。

 数々の悪行が、策謀が譲位された家によって暴かれる。先のボリス侯爵暗殺だけでも、彼を死刑にするには十分なのだ。

 だがまだ間に合う。戦争はまだ始まっておらず、皆がバルムンク討伐へと目を向けている。時間はまだある。

 今の内に全ての証拠を抹殺し、隠蔽すれば例え当主をグスタフに暗殺されたゴルドゥノーフ家が王位を継いでも、今までの生活は維持されるだろう。

 バルムンクが討伐される隙に、皆が戦っている間に、そうすれば……


「失礼します」

「セルゲイか……入れ」

「はっ……」


 一瞬、グスタフはセルゲイがなぜここにいるのか疑問に思った。そしてすぐに思い出した。ここは首都マグデブルクのムラヴィヨフ家の別荘、つまりは出先機関だ。

 ムラヴィヨフ家の騎士であるセルゲイがいても何の不思議はない。

 どうやら、思いの外グスタフは消耗していたようだ。自身が昔のように弱気に駆られてボケるとはお笑い草だと、心の中で自嘲する。


「なぁ、セルゲイ。安穏な生活に何の意味がある。全てを手に入れられないのなら、いっそ、破滅した方がいいと思わないか」

「私は秩序を守る騎士です。自らを犠牲にすることが仕事、自らが欲した物は他者に分け与える気でなければ務まりません」

「つまらない男だな」


 安穏な生活をグスタフは欲してはいなかった。以前はそれを望んでいたが、今はそうではない。

 グスタフは支配階級たるスヴァルト人と反抗するアールヴ人との混血だ。しかし神の悪戯か、彼の容姿は完全にスヴァルトの物だった。

 褐色の肌も、尖った耳も、スヴァルト人の特徴を全て持っていた。十人が見れば十人とも彼を純血のスヴァルト人と見るだろう。

 だが実際は違う、母親がそもそも混血の奴隷女なのだ。子供は、父親は間違えても母親は決して間違えない。グスタフは間違いなく混血、その証拠に彼の子供はアールヴの白い肌を持って産まれてきたのだ。


「貴族会議は討伐軍から我らムラヴィヨフ家を外しました。これはどういうことでしょうか」

「予想通りだな。いいか、いくらリヒテルの首を挙げた者に王位を禅譲すると言っても、皆が平等に機会を与えられたわけではないぜ。弱小貴族の下剋上を大貴族は許さない。ようは禅譲されるチャンスがある家は大貴族のみだ。仮に無名の家がリヒテルの首を取っても恫喝して手柄を横取りすればいい」

「では……」

「恫喝するにはムラヴィヨフ家は大きすぎる、手柄を横取りできない。だったら、パーティーに呼ばなければいい。パイを切り取る人間は少ない方がいいものだ、そのパイが分割できない物ならば余計に……」


 人に限らず、生き物は相争うものだ。狼は牙で、戦士は剣で、そして人の上に立つ貴族は人を使って争う。しかし、その武器は生きた人間なのだ。思えば人間を扱う資格はどんな人間にもないのかもしれない。

 大きすぎる権力は人を狂わせる。貴族の欲望は限りがなかった。


「これは陛下が率いる黒十字軍ですぞ、それなのに……」

「まあ、待て……従軍の枠は俺が作ってやる。焦るなよ……」

「確かに、リューリク家のグスタフ卿でしたら可能でしょうが……」

「なんだ、含みのある言い方だな。言ってみろ、隠し事は気持ち悪いだろう」


 何やら奥歯に何かが挟まったようなセルゲイの態度にグスタフは不審を感じた。


「ええ、どうもリューリク公家内でグスタフ卿を貶める噂が流れているようなのです」

「なんだ……女ったらしの浪費家とか、か……事実だからどうしようもないな」

「いえ、卿がアールヴとの混血だとかいう根の葉もない噂でして……」


 噂が流れているというのはセルゲイの嘘だ。まさか面と向かってアールヴとの混血ですか、とは聞けない。貴族に対する侮辱は騎士ができることではなく、だから嘘を吐いたのだ。

 実直なセルゲイらしからぬ策だが、もしかするとシャルロッテの影響かもしれない。

 そして先に結論から言えば、彼はその策を使ったことを後悔した。やはり、慣れないことはするものではない。


「セルゲイ……お前はその情報、どう使いたい?」


 凍りつくような声……ではない。その声には温かみがあり、まるで母親に懐かれるような心地よさだった。

 何もかもぶちまけてしまいたくなる。秘密をしゃべりたくなってくる。

 そんな誘惑をセルゲイはギリギリのところで抑えた。彼はアールヴの始祖、シグルズを最終的に破滅させた邪神ロキを思い浮かべていた。


「どうせ、あのリヒテルがこちらを分断させるために流した嘘だろう。信じる必要はないぜ」

「そうですね、そうでしょう」


 上擦った声でしゃべるセルゲイを一瞥し、グスタフは混血として生まれた人間の不幸を呪った。

 宿敵同士の合いの子はおしなべて忌み子だ。アールヴにとっては侵略者に股を開いた売女の子、スヴァルトにとっては下賤な血を引く、生まれながらの奴隷。

 反乱よりわずか十年、昔はそこまで差別が激しくなかった。反乱が起こったから差別が激しくなった。戦争を起こしたのはグスタフだ。彼は全てが欲しくて戦争を起こしたのだ。

 昔、混血のグスタフを受け入れた女がいた。女が一番に愛した男はグスタフではなかったが、男は彼女に振り向かなかった。

 そこに付けこんだグスタフは自分を情けないとは思ったが、それでもいいと当時は考えていた。

 時が経ち、彼女はグスタフの子を産んだ、白い肌を持つアールヴだった。それでも彼女は態度を変えなかった。

 大丈夫だから、ヴァール(父)は許してくれる。そう言った彼女は殺された。殺したのはヴァールであるウラジミール公、殺されることをグスタフに教えなかったのはグスタフの実父であるアールヴの枢機卿だ。


「まあ、とりあえずセルゲイ、頭数だけでいい、兵士を千人集めろ」

「無茶です。今動かせる兵士の数倍、それではムラヴィヨフ家本領の衛兵全員、それどころか農奴からも徴兵しなければなりません。間違いなく反乱が起こります」

「セルゲイ、お前は少し自己評価が低すぎるぞ。例え打算目的だとしても、お前は五百人にも及ぶ難民を助け、養ってきたんだ。それは賞賛されこそすれ、貶められることじゃない」

「そ、それは統治階級たる騎士の務めで……」

「もっと図太く生きてもいいぜ。難民の多くはアールヴ人だが、恩知らずではない。お前が助けを求めれば二つ返事で了承する。スヴァルトは嫌われ者だが、嫌われ者は少しでもいいことをすれば周囲の目も変わる。それを利用する」

「は、はぁ……」


 納得しかねるセルゲイだったが、実の所、スラム街潜入において、少数とはいえアールヴ人の難民を自在に扱ったセルゲイの手腕をグスタフは高く評価していた。

 精鋭揃いのスヴァルトが真似できない要素の一つに人口の差がある。スヴァルトはアールヴの五分の一の人口しかいない。しかしその差を無くせれば……単純なアールヴ対スヴァルトの考えではリヒテルに勝てないとグスタフは見抜いていた。


「ともかく、人数さえ揃えれば後は俺がなんとかする。もし仮にだ……この戦いで多大なる功績を挙げればゴルドゥノーフ家の存続、確約しよう」

「……!!」


 その餌は、騎士セルゲイには美味過ぎた。彼は縁深きゴルドゥノーフ家の惨状を憂いていたし、先達たる騎士ローベルトの無念の死を我がことのように心痛めていた。

 そしてグスタフにとってはゴルドゥノーフ家の存続など大した問題ではないのだ。全てを手に入れるか、全てを失うか、二つに一つ。

 なればこそ、全てを手に入れるのならばなおの事、全てを失えばグスタフは命、そしてゴルドゥノーフ家の自分の家も守れない弱者たる妹姫が家を失うだけの事。それだけだ。


「さっそく領地に帰り、兵を集めます」

「うまくやれよ、いいか、アールヴを倒す聖戦などと余計なことは言うな。ただ兵士が足りない、それだけ言えばいい」

「はっ……そのように」


 セルゲイは馬鹿ではない。スヴァルト貴族の権力争いなどと言うわけの分からないことでアールヴ人の難民が危険な戦場に足を向けることがないことは理解しているだろう。

 これで千人の兵士が集まることは確定した。後はそれを利用して軍に斬りこむだけ。


「運命とは意地の悪い老婆のようなものだ。いつも人を弄び、せせら笑う。蹴り飛ばして蹂躙するのに遠慮はいらない」


 十年前の〈妻〉の死から、グスタフは他者に運命を委ねることがどういう結果をもたらすか知ってしまった。

 なればこそ全ては自分が決める。自分こそが王、自分こそが神。そうでなければ意味がない。

 十年前、彼を受け入れ、彼の子を産んだリディア公女、あの時グスタフが父たるウラジミール公の立場にいれば彼女は無罪放免されていた。殺されることはなかった。


「俺は全てを手に入れる。誰にも渡すものか、誰にもな……」


 グスタフの独白は闇に消える。傲慢なる若人、その野望が成就するかは誰にも確約できなかった。

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