第50話 貴方の計算通りなのね

スラム街―――


 絡み合う旋風、アーデルハイドとリヒテルの決闘は余人が立ち入れない程、高みにあるものだった。

 一太刀が五つの傷を負わせる。否、余りの早さに技量のない者では一太刀にしか見えないのだ。病によるブランクがあるのか、今の所、リヒテルの方が優勢に見える。斬られる回数もアーデルハイドの方が多い。

 だが〈影〉の力により、まるで漆黒のドレスを身に纏ったように黒い影に覆われたアーデルハイドは幾度、傷つけられてもその動きに乱れはなく、血すら流れない。

 早くも、彼女は影の身体を扱うことに適応していた。


「リヒテルの首が飛んだら、とんずらするぞ、テレーゼお嬢様」

「気安く呼ばないで下さる、貴族の分際で……」


 アーデルハイドの娘、テレーゼと、アーデルハイドをそそのかした(……とテレーゼは思った)グスタフは壮絶な姉弟による骨肉の決闘を眺めていた。前述の理由から二人の仲は良くない……いや、敵視しているのはテレーゼのみであって、グスタフのことは正直、良くわからない。

 テレーゼらファーヴニルと敵対するスヴァルト貴族である彼にとって、本来、アーデルハイドとテレーゼを助ける義理はないのだ。助ける振りをして仲違いさせるにしても、決闘という名の決裂が起こった時点で目的は達している。それ以上の助力ははっきり言って不自然だ。リヒテルやヴァンならば誘いに乗ったりはしない。

 しかしテレーゼは違う。母親についていくと決めた以上、母親に味方するグスタフは気に食わないだろうが、怪しかろうが味方。例え、仲間を大勢殺した敵であろうともだ。

 自分の思いよりも他人の思いを優先させてしまうのは彼女の長所であり、同時に弱点でもある。


「どこへ行く?」

「貴方の近くは危険ですわ、少し離れています。大丈夫です、私はお母様を見捨てて逃げたりはしません」


 だが、やはり納得しがたい部分もあるので、隣ではなく、グスタフの後ろに移動する。銀の雀亭の玄関前、ちょうど、グスタフの背後を取った形だ。 何かおかしなことをすれば、いつでも有利な体勢で攻撃できる位置。その意図をグスタフも理解したのだろう。

 だが、彼は一瞬、驚いた顔をしたものの、すぐにまるで幼子の他愛もない悪戯を見つけたように小さく苦笑して、前を向いた。

後ろから見ると完全な無防備に見えるが、テレーゼは彼の実力を知っている。

 ハノーヴァー砦での戦いでいくつかの傷をつけはしたものの、終始、テレーゼはグスタフに対し劣勢であった。例え奇襲をかけても一対一では及ばない。ようは舐められているのだ。

 しかし、テレーゼの目的はそれだけではない。


「もう、顔を出してもいいですわよ、ヴァン?」

「……御見それしました」


 銀の雀亭のドアがそっと開けられる。そこから顔を出したのは建物の二階でアマーリアに手当てを受けていたヴァンである。ずっと外に出る機会を伺っていたのだ。玄関前でアーデルハイドに斬られ、倒れ伏したアマーリアを救助するために……

 ちなみにドアの奥で様子を伺っている人間の気配を感じたものの、それがヴァンだと思ったのはテレーゼの直感だ。何の根拠もなかったが、ヴァンをびっくりさせたので良しとした。


「斬ったのは、お母様ね……」

「いえ、別の人間です。ですからテレーゼお嬢様が罪の意識を感じる必要はありません」


 ヴァンは嘘をついた。彼はテレーゼの優しい性格を知っている。だからあえて、その心を傷つけないように配慮したのだ。無論、後で斬られたアマーリアにも口裏を合わせるのを強要させる。

 被害者、加害者の関係など問題ではない。アマーリアではテレーゼには釣り合わない。しかし、その配慮は結局のところ、無駄になった。


「……変な庇い方をしないで。私は正直に答えて欲しいのよ」

「私は真実しか述べません」

「私はいつまでも子供ではありませんわ。それとも、私はそんなに〈弱い〉女なの。罪も背負えない程……幼馴染である貴方を斬ったのに」

「……その発言自体が子供じみているとお思いになれませんか?」


 あくまで頑ななヴァンではあったが、それでも明確な拒絶の姿勢はない。短い沈黙の末、ゆっくりと肩を落とした。


「致命傷ではありません。命に別状はないでしょう」

「本当に……」


 痛みに泣きつかれて眠りについたアマーリアを静かに屋内に運びながら、ヴァンはその傷を改める。その動作にはいささかも動揺はない。


「ですが、顔の傷がひどい。これは跡に残ります。私達ファーヴニルにとっては名誉の負傷ですが、彼女はファーヴニルではない」

「……っ!!」


 一瞬だけ、テレーゼは罪悪感から顔をしかめる、がすぐに平静を保とうとした。ヴァンに弱みは見せられない。が、全ては隠しきれなかった。前の方、ヴァンと顔を合わせないようにグスタフの方を向いてごまかそうとする。


「確か、アマーリアは愛人って職業なのでしたかしら。顔が傷ついたらまずいのでしょう。まだ十六歳、私よりも若いのに、もうすぐ誕生日なのに……」

「年齢に、誕生日……私も知らないことを、よくお調べになったようで……」

「ち、ちょっと、小耳に挟んだだけですわ」


 まさか、ヴァンの〈愛人を自称する〉アマーリアが気になって調べたとは言えなかったテレーゼはなんとかごまかそうとする。顔を見られなかったせいか、本心を見抜かれなかった……と思い込んだ。


「愛人は職業ではありませんよ。彼女は侍祭、文官の端くれ。顔に傷がついたとしても職を失うことはありません」

「そんなに簡単に神官になれますの? 試験がありますわよね、結構むずかしいのが。試しにやってみたことがありますけど、私は合格点の半分の半分の半分しか取れませんでしたわ」

「私が推薦しました……足りない分の学力は後で教えます。それで帳尻が済むはずです」

「えっ、それって不正……」

「彼女はスヴァルトの血が混じる混血、法的に保護された神官にでもならなければ身の安全は保障されない。確かに不正ですが、私同様に混血という存在は汚い方法でしか生きられないのです。お許しを……」


 サラッと理由を話すヴァンだったが、語られたテレーゼは弩弓の矢を受けたような重い衝撃を受けた。

 混血……その一言の重みをテレーゼはあまりに遅すぎることだが、実感したのだ。テレーゼはファーヴニル。そしてファーヴニルは本質的には盗賊だ。暴力の世界で生きる彼らは例え理不尽な理由で迫害されても文句は言えない。同じことをしてきたからだ。

 だがアマーリアは暴力とは無縁の市井の人間。だがスヴァルトの血を引くというだけでその理屈は無視される。何も悪い事をしていなくても裁かれる。弾圧される。生まれてきた事そのものが罪。

 償いきれない罪を抱えて生まれた少女に贖罪のチャンスはなく、ただ裁きを恐れて逃げ回るのみ。ならば同じ混血のヴァンも……同じ苦しみを抱えてきたのだ。何も知らない自分のそばで……


「何を考えているのかは分かりますが、その心配は必要ない事です。お嬢様がどうこうできる問題ではありません。己の力量を超えているからです」

「でも……」

「それよりも、アーデルハイド頭領と一緒に投降する気はありませんか。もはや脱出の見込みはなくなった」


 自分の問題で煩わせるわけには行かないとばかりにヴァンは話題を強引に展開した。幾度も繰り返した投降の誘い。だがそれは受けれられるはずがなく……


「その気持ちは嬉しいですけど、それは出来ませんわ。私はお母様の味方をします。お母様がリヒテルお兄様を倒せば脱出……」

「決闘に応じた段階で既にリヒテル様の術中にはまっている。一秒は血の一滴。アーデルハイド頭領は一時の感情で対応を誤った」

「えっ!!」


 びっくりして、テレーゼは正面の決闘を改めて見つめた。戦いは徐々にリヒテルからアーデルハイドに主導権が移っている。

 力量が伯仲している以上、不死の肉体を持つアーデルハイドは強力なアドバンテージを持つ。さらに戦うことで、病によって生まれたブランクも埋まりつつある今、リヒテルの勝機は薄くなる一方だ。


「……ちっ!!」


 リヒテルの顔、右目のすぐ上あたりに刃が通り過ぎる。一瞬後には血の飛沫が散った。流れる血は額から右目に流れ、その視界を塞ぐ。


「脱出が目的なのでしょう。ならば決闘に応じる必要などなかった。逃げれば良かったのです。今、この瞬間も事態は動き、このリューネブルク市の防備は固まっている」

「でも決闘に勝利すれば……」

「決闘などということ自体が時間稼ぎが目的の欺瞞。恐らくリヒテル様は初めから一対一で決着をつける気などない。影の攻略法を見つけた時点で後ろに侍るファーヴニルらと連携を取る。いかに影の力を得ても所詮は一人。数の暴力には抗えない」

「そんな……」


 テレーゼが絶望に満ちた声を上げた。彼女の目的は母親が、薄々感じていたことだが、短いであろう余生を穏やかに過ごすこと。

 しかし、ヴァンの言うことを信じるならばそれはもう敵わない。ここで母親は死ぬ。最期まで家族を憎みながら……


「アーデルハイド頭領は負ける。そしてバルムンクの法でもって処罰を受けるでしょう。しかしまだ贖罪の方法は残されています」

「……貴方の話を全面的に信じませんが、話は聞きましょう」


 己が内の動揺を抑えこみ、テレーゼができるだけ威厳に満ちた(主観的に)姿を演出する。先ほど、絶望の声を上げた、弱音を吐いたことを恥じるようなそれは彼女なりの矜持であった。

 ヴァンと同じように、彼女もまた、ヴァンには見せたくない姿があるのだ。


「アーデルハイド頭領はリヒテル様に誠意を見せるべきです」

「何、謝れば許されるということ?」

「いえ、そうではなく、ファーヴニルにはファーヴニルなりの誠意の見せ方があります」


 淡々と、何のことでもないようにヴァンは話を続けた。その内容は、正道を歩むテレーゼでは決して思いつかないことであった。


「ほら、そこにいるスヴァルト貴族、グスタフの首級を上げて、リヒテル様に捧げましょう。何やら因縁もある様子。それが誠意となります」


 グスタフの抹殺でもって、スヴァルトと敵対していることの証明、身の潔白を示すことになるとヴァンはテレーゼに提言した。

 他意はなかった。騙そうとか、誘導しようという考えもなかった。ヴァンはあくまで、仕えるテレーゼの欲する結果に即した方法を提示しただけである。


「先陣は私が斬りましょう。テレーゼ様には第二撃をお願いします」

「ちょっと待って、貴方、怪我人でしょう。それに……」


 刃を向けた私に背中を預けるの? 後の言葉をテレーゼは飲み込んだ。どのような回答が返ってくるか怖かったのである。

 敵対し、刃を向けてもなお、テレーゼはヴァンから自分を否定する言葉が出てくるのを恐れていた。


「怪我の方は心配いりません。短時間ならばいつも通りに動けます。不遜な言い方ですが、私はお嬢様とは鍛え方が違います」

「……」

「……今だけは私情を捨てましょう。お互いの敵、グスタフを倒すために」


 辺りさわりのない物言いにテレーゼは安堵し、同時に安堵したことに忸怩たる気持ちを感じる。しかしその葛藤を力ずくで抑え込んだ。

 敵がいるとは、思えば幸いなことなのだ。何も考えなくていい。ただ、刃を振るえば解決する事柄。

 本当は、母であるアーデルハイドも、兄であるリヒテルも、傷ついて欲しくはないのだ。肉親同士の骨肉の争いに苦しんだ少女は、最も楽な道を選んだ。

 それを弱さと言うのは容易い。だが、大義のためとはいえ、平然と血を分けた家族に凶刃を振るうバルムンクの指導者リヒテルが正しいと誰が証明できる。

 堕落した腐敗神官、選民思想のスヴァルト。彼らと同様に盗賊集団バルムンクもまた大きな歪みを抱えていた。


*****


リューネブルク市東門(スラム街)―――


 リューネブルク港襲撃を察知したブリギッテ竜司祭長は非常招集をかけて、市内の官兵を文字通りかき集めた。

 その迅速な行動は賞賛されるべきことであり、ハノーヴァー砦攻略戦にて敵と通じて八百長を画策した時と比べれば、大きな差である。

 だがそれは同時に各関門の防備が手薄になることは避けられない。

スラムに通じる東門の警備は、官兵でもファーヴニル(そもそも無頼漢である彼らは地道な警備などやりたがらない)でもなく、市民から集った民兵に丸投げされていた。

そんな手薄になった東門の外に灰色の馬車が数台、止まっている。目立たないよう、無駄な装飾をつけない、無骨なその馬車は神官らが秘密の会合などに用いることが多い。


「っ!! っ!!」

「おとなしくしてもらおうか、司祭殿の協力を得ているため、その意向を組んでできるだけ殺さないようにしたのだ。本来ならば、バルムンクに迎合した貴様らなど首を斬って晒されても仕方がないのだぞ」


 東門の上に、遠目から肌の色が分からないように被り物をしたスヴァルトが練り歩き、〈捕えた民兵〉を順々に眺めていた。

 被り物から覗く、スヴァルトの年齢は二十を過ぎたあたり、うなじで切り揃えたアッシュブロンドと、灰色がかった黒い瞳を持つ彼の名はセルゲイ・レフ・ルントフスキー(レフは騎士階級の父親を持つ意)。バルムンクと幾度となく剣を交えた騎士である。

 彼は東門に潜入し、そこに詰めていた民兵を拘束した。ほとんど抵抗させることなく、事を終えた鮮やかな手際は彼が戦士として一流の証であった。


「それにしても、まさか書類一つでこうも簡単に潜入できるとは……バルムンクの警備を存外、大したことはない」

「今のバルムンク内で、リヒテルの権威は絶大だ。未確認の情報だが、逆らった者は決死隊に編入されて戦場の矢避け(肉の盾)にされると聞く。少しばかり疑問に思っても、リヒテル、これは姉であるアーデルハイドのサインだが、があれば素通りできる」

「その姉が我らスヴァルトに寝返るとはなんとも……いや、肉親同士で殺し合うことは貴族では珍しくないか」


 セルゲイと、三十代半ばの司祭が言葉を交わしている中、忙しない足音とともに、セルゲイが指揮する兵士らが戻ってきた。まるで慌てふためくようなその足音は、訓練されたスヴァルト兵のものではない。


「神官兵の服に着替え終わりました」

「……静かに歩け」

「す、すみません」


 シャルロッテの協力を得て、セルゲイは難民より志願兵を募ったのだ。全員がアールヴ。白い肌を持つ彼らは服を着替えれば同じアールヴの神官兵と見分けがつかない。

 ちなみに全員が男性である。スヴァルトの価値観では男よりも劣る女を神聖なる戦場に出すことは恥ずべきことであり、騎士セルゲイもまたその価値観と同じくしていた。


「貴様らは直接、戦う必要はない。ロクに戦闘訓練を受けていない貴様らにそこまで期待はしていない。ただ、神官兵の服を着て、成りすますだけでいい」

「はっ……!!」


 スヴァルト特有の、アールヴに対する傲慢な物言いだったが、志願兵達に不満の色はない。なぜならば彼は彼らの生殺与奪権を握っているのだ。逆らえるはずがなかった。


「何としても、我々が戻ってくるまでこの東門を確保しておくのだ。帰還の暁には貴様らの家族には多めの食糧が配給される」

「それは私が、司祭シュタイナーが保証します。その約定を違えた時にはどうぞ、私を殺しなさい。私の財産を奪えば、一冬は越せるでしょう」


 ゆっくりと頭を下げる司祭、そして騎士セルゲイのコメカミ辺りが短く痙攣する。食糧を得るためとはいえ、神官らの言うことを聞き、傭兵まがいのことを行うことは彼の矜持を傷つけていた。

 とは言え、それを表に出す程、セルゲイは幼くは無く、彼はただ志願兵と向き合う形で整列する自前のスヴァルト兵に号令をかけるだけであった。


「これよりアーデルハイド及び、テレーゼの救出作戦を行う。先導するのは司祭シュタイナー。我々はそれに続き、あらゆる障害を排除して両名を確保せよ。いいか、我らの褐色の肌を見られるな。肌を見られなければ、彼らは我らを敵と認識できない」

「はっ!!」

「以後、作戦終了までルーシ語の使用も禁ずる。プロージット!!」

「プロージット!!」


 アーデルハイドらを救出するべく、彼らはスラムへと潜入していった。


*****


スラム街―――


 その瞬間、アーデルハイドは勝利を確信していた。正直、病によるブランクがあるため、リヒテルに純粋な剣技では敵わないものと考えていた。〈ザクセンの斬り姫〉の異名も過去の遺物でしかないと思っていた。

 しかし、〈影〉の力が全てを変えた。力が漲ってくると言う訳ではない。むしろ、倦怠感が増し、意識が途切れそうになるが、反比例して俊敏に、力強く動けるようになった。

 結果と過程が真逆になっている。剣を振るって物が斬れるのではなく、物が斬れることで剣を振ったことが理解できる。その感覚との乖離を、その危険性をアーデルハイドは理解していなかった。

 彼女にはもっと重視することがある。愛娘と安全な場所に亡命することが望みうるすべてなのだ。


「どうしたのリヒテル、動きが鈍くなっているわね。疲れたの、もうお休みの時間じゃないの? 部屋を片づけてお休みしなさい」

「減らず口ばかり達者だな。まだ私は終わらんよ」


 リヒテルが劣っている訳ではない。むしろ純粋な剣技ではアーデルハイドよりも上だ。

 だが、再生力と急所を隠す幻覚術を持つ彼女に消耗はない。限られた金銭で賭け事をするリヒテルに対し、アーデルハイドのチップは無限大。

 無限に続くポーカーではいつかは大負けして、破産する。その時が目前へと迫っていた。


「くだらない正義に囚われるから、こうなるのよ。あのゴルドゥノーフ騎士団同様に。家のために命を捧げて玉砕。本人たちは満足でしょうけど、これで残された妹姫は一人ぼっち、ゴルドゥノーフ家はお終いね」

「貴方の言い草は……全て現状維持、自身が恵まれたことを前提にした傲慢だ。栄達のためにスヴァルトに国を売り渡した貴方の夫、ベルンハルト枢機卿と同じくな!!」

「だから私の夫を殺したと言うのか!!」


 戦闘は終局を迎える、結果はリヒテルの敗北。彼は疲労と出血により、腕が上がらなくなっていた。好んで使う二刀も、重さに耐えきれず、一刀で戦っているくらいだ。

 勝機がないわけではない。先ほど、巻き添えを食ったファーヴニルの影がバラバラに斬り飛ばされ、元の死体に戻るのを見た。アーデルハイドの纏う影はやはり幻覚でしかなく、不死となっている訳ではないのだ。

 だがその付加分が上乗せされたことで、リヒテルと、ザクセンの斬り姫の間に超えられない壁が出来ている。

 リヒテルはアーデルハイドには勝てない。


「これで終わりね、愚弟」

「まだ、くっ……」


 アーデルハイドが剣を正眼に構える。狙うはリヒテルの頭ではなく、右腕。利き腕を落とされるのはファーヴニルの刑の中では戦闘での臆病な振る舞いや、組織に対する背信。つまりは卑劣な人格であることの証明となる。

 あえて利き腕を落とすのはファーヴニルの長でありながら、ファーヴニルを侮蔑しているから。そして命を奪わないのは血を分けた弟に最後まで非情に徹しきれないが故に。

 彼女らしい処罰の方法であった。


「はっ!!」

「……」


 剣が振り落される。それになんとか反応しようとするリヒテル、だが遅い。例え、一撃目を躱したところで、それは刑の執行が遅くなるだけの事。もはや勝敗は決している。

 しかし、その瞬間は訪れる、アーデルハイドは驚愕の余り、リヒテルと戦っていることを一瞬、忘れた。

 リヒテルの向こう、その先で傍観していたグスタフにヴァンが剣を抜き、向かっている。それに娘であるテレーゼが続いている。

 何を考えているのか、いかに助ける対象とはいえ、グスタフも自衛ぐらいはする。自らに敵対するテレーゼに無防備になることなどあり得ない。

 ボリス侯爵を欺くために、ハノーヴァー砦の戦いで手加減してテレーゼと相対したグスタフ。手加減に気付かなかったテレーゼとは違い、アーデルハイドはグスタフの本当の実力を知っている。二人では相手にもならないだろう。

 ならば、昏倒されるだけで済むかもしれないが、そこは戦闘である。うっかり殺してしまった、事態もあり得る。

 アーデルハイドはファーヴニル。戦闘の非情さと理不尽さは十二分に理解している。


「止めなさい、彼は貴方がどうこうできる相手では……」

「行かせん!!」

「リ、リヒテル!!」


 アーデルハイドの動揺にリヒテル程の実力者が付けこめないはずがない。アーデルハイドとグスタフの間を遮るように仁王立ちするリヒテル。甲高い音を立ててティルフィング(金属)の欠片が地面に落ちる。

 アーデルハイドの剣は半ばから斬られていた。ヴァンが得意とする瞬速の刃による武器破壊。ヴァンの剣の師匠であるリヒテルもまたその技を会得していた。


「ヴァンか……」

「貴方、まさか……」


 リヒテルの苦悶の表情を痛みによるものと理解したアーデルハイドだったが、真実は違った。

 ヴァンの予測は外れていた。リヒテルは余計な小細工を抜きにして、姉であるアーデルハイドを自身の手で討ちたかったのだ。それでこそ、自分の肉親を殺した罪を自分だけが背負うことができる。

 リヒテルは自分が思いの外、繊細な神経を持っていることを知っていた。敬愛していた姉を殺した者を、それが自分の命令であってもリヒテルは決して許さない。

 だから、肉親を殺す時は常に自分の手で始末してきた。

 父親である先代バルムンク頭領、アーデルハイドの夫にして、リヒテルにとって養父に等しいベルンハルト枢機卿。その罪は自分だけの物。いや、一人だけいる。罪を分ちあえる男が一人だけ。その男は皮肉にも生涯の宿敵であった。名は……グスタフ。


「娘の命が惜しくば投降せよ、アーデルハイド。全ては私の計算通りだ」


 陳腐な言葉だと思ったが、リヒテルはそう語りかけた。無論、余計な横槍を入れたヴァンに怒りの気持ちはある。

 だが、敗北しかけたのだ。死にかけたのだ。仕えているヴァンならば主の命を守るための当然の行為。ならば咎めるまい。この上はその献身に応えるのみ。


「そう、貴方の計算通りなのね」

「……そうだ」


 娘を人質にされたことで戦意喪失し、投降するようならば全て上手くいく。だがアーデルハイドはそんな殊勝な人間ではない。是が非でも娘と合流しようとするだろう。しかし行動が決まっているのならばその動きは読みやすい。

 リヒテルは己に残された余力を推し量る。まだ数分は戦える。まだ逆転ができる。動揺して、行動が画一化されたアーデルハイドならば先ほどより楽だろう。

 彼女は半ばで斬られた剣を横に構えていた。狙いはリヒテルの胸。なんのフェイントもない一撃。


「死ね……」


 その一撃はリヒテルの剣を断ち切り、胸に食いこんでいた。ろっ骨を斬り、心臓まで届きそうな致命打。アーデルハイドが少しでも力を込めれば二分された死体が出来上がる。

 バルムンク最高の剣士たる彼をして、反応すらできない、信じられない速度だった。

 リヒテルの口から血の泡が吐き出される。

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