第16話 裏切り者め、死して罪を償え

奴隷市・刑場前・商館内部――――


「決着が着いたのう……ミハエル伯の勝利じゃ」

「まだだぜ、司祭長。引き離されたアーデルハイドの直轄部隊が包囲網を崩そうと左翼に突撃をかけている。これが成功すればまだ五分まで戻る」


 ミハエル伯に自由行動の許可もとい強制されたグスタフは、ミハエル伯爵が出払った商館で客人を迎えていた。

 司祭長グレゴール・フォン・アーベントロート(フォンは司祭以上の階級につけられるミドルネーム)……文官の長であり、その卓越した政治力でもって司教府の裏側を支配しているとも噂される老人。

 二人は杯を酌み交わしていた。

 眼下に見えるは戦争……ここは伯爵軍とバルムンクの戦争を見られる特等席なのだ。

 安全な場所で、悲鳴や血飛沫を肴にしてワインを嗜む。

 まさしくミハエル伯が言う、唾棄すべき二人であった。


「しかし、アーデルハイドは病床の身。指揮はともかく、前線に出るのはちと厳しいのではないかのう」

「良い医者を雇ったそうだぜ……それこそ、死者を蘇らせられるほどの名医をよ」

「死者を……お主、嘘を吐くのならもっとうまい嘘を吐くものじゃよ」

「俺は今まで正直者で通っているんだ、嘘は吐かないぜ。あんたが今までスヴァルトに対し、一切の不利益を被らせなかったのと同じようにな」


 グスタフが空々しさを承知の上での断言する。

 グスタフが正直者でないことは勿論、司教府の反乱に文官の長たる司祭長が無関係なはずがない。彼らの目は遥か遠くを見据えていた。その視線の先に何があるかは余人には図りしえない。


「ん……磔になったファーヴニルが動き出した?」

「何を言っておる? あそこまでの混乱で彼らが生きているはずがないではないか」


 杯の中身を半分ほど減らした頃だろうか……戦場に変化が現れた。

 なんと、磔にされたファーヴニルが動き出し、完全に背後を見せた伯爵軍に襲いかかり始めたのだ。

 磔になったファーヴニルは刑場に並べられた段階で半数が衰弱死しており、その後の虐殺、住民の反抗、そしてスヴァルトの盛替えと幾度も戦闘に巻き込まれている。その姿はまるで土石流に巻き込まれでもしたかのような無残なもので、生きているどころか手足が揃っているかも怪しい。


「やるじゃないか、ヴァン。ミストルティンの種を植え付けたな」


 ヴァンは磔にされたファーヴニルに痛み止めと偽り、〈種〉を飲み込ませていた。種は術者の命に従って発芽し、死体を屍兵と化す。

 そこには死者への尊厳も礼儀もない……路傍の石のように扱うその卑劣さ、非情さはまさしく邪法と呼んで差支えのないものだ。

 伯爵軍の最後尾、本陣がにわかに騒がしくなる。

 剣を抜き、動き出した死体共を斬る本陣を守る兵士達……理解しがたい状況でも即応する彼らは賞賛に値したかもしれない。

 だが彼らの努力を嘲笑うようにその動揺が、軍全体にさざ波のように伝わるのをグスタフは確かに感じたのだ。


「さてさてこれで分からなくなったな、司祭長。死者の森に引きずり込まれるのはどちらか、もう一度賭けようではないか」


*****


奴隷市・戦場――――


「背後より敵襲!!」

「な、なんだと!!」


 ミハエル伯が包囲下のテレーゼ隊の殲滅を命じた直後、背後から攻撃を受けた。 いるはずのない敵兵の存在に動揺が走る。

 彼らは死術という物の概念を理解していなかった。

 だから、ヴァンが磔にされたファーヴニルを屍兵として蘇させたとは考えず、刑場のさらに後ろ……エルベ河を神官軍が超えてきたと勘違いしたのだ。

 半日はかかる渡河……時間的にありえないが、それを信じられたのは極々少数だけであった。

 兵の多くの脳裏には敗北の文字が刻まれる。


「騎士セルゲイに包囲の中止を命令しろ!! 神官軍が強行軍でエルベ河を超えたのだ、弓兵隊を白兵戦に投入させ、時間を稼げ、挟み撃ちになるぞ!!」


 ミハエル伯は冷静さを保つ少数の一人であった、だがその焦燥ぶりは隠せない。わけてもそれを目前のテレーゼに見られたのが致命的であった。

 テレーゼの中でとてつもない速度で計算が行われる。

 戦場限定で発揮されるその頭脳は勝利への方策を刹那の間に導き出す。


「リヒテルが帰ってきましたわ!! バルムンクの勝利です、みんな、勝鬨を上げなさい!!」

「おぉぉぉぉぉ!!」


 リヒテルが率いる援軍が到来した、それが真実かは分からない。

 だがテレーゼはあえて信憑性のない情報を広めた、スヴァルト軍の士気低下を期待しての事である。

 そしてそれは敵対するバルムンクの士気上昇にもつながるのだ。

 援軍到来の報に、バルムンクの兵士が大歓声が上げる。ミハエル伯軍の擦り切れ続けた神経がついに断ち切れた、統制を失ったのである。


「援軍来訪……この上は一度撤退して」

「どこに逃げると言うのだ、もう逃げ場など……」

「指示を、命令を下さい……私はどうしたらいいのですか!!」


 砂の城が崩れるようにバラバラになっていく部隊。武器を放り投げ、死体に躓きながら逃げていく兵士、完全な敗北であった。

 指揮官たるミハエル伯の顔にも絶望が走る、しかし数瞬後には凶悪な怒りが顕現した。

 彼は戦うしかなかった。

 ここで降伏すれば、下賤なアールヴに膝を屈した最初の貴族として永遠に蔑まれてしまう。

 死に望んで彼に最後に残ったものはやはり家の名誉。

 玉砕は前提、ならば一人でも多く道ずれにする。


「テレェェェゼ!!」


 雄叫びを上げ、ミハエル伯が突貫する。

 目指すはアールヴといえど高貴なる姫。下賤な一般兵には興味がない。

 高貴なる血ほど彼らの神は喜ぶのだ。


*****


「まだ、戦うというのですわね」


 あきれ果てたようにテレーゼが呟く。

 先とは違い今度は軍全体が瓦解し、どうあっても勝利は望めない。

 それでもなお戦うのは狂人の所業でしかない。

 故に応じる気はなかった、装填の終えたクロス・ボウ兵に迎撃を命令する。


「撃ちなさい!!」


 十数本の矢が狂戦士と化したミハエル伯に殺到する。

 機械仕掛けのそれは至近距離なら板金鎧すら撃ち抜く威力を持つ。絶命は必至だったが、彼は予想もしない方法にでた。

 窮地に、いかなる怪力を発揮したのか……ミハエル伯は右往左往する配下のスヴァルト兵を左手一本で掴むと前方に突き出したのだ。


「余の盾と成れ!!」

「閣下!?」


 ミハエル伯を貫くはずだった十数本の矢が不幸な兵士に突き刺さる。

 腕に胸、腹、眼球……全身をハリネズミのようにされた彼は、主君に裏切られたことを信じられぬまま、驚愕の表情で息絶えていた。


「ははは、良いぞ。お前はムラヴィヨフ家にふさわしい最期を迎えた!!」

「何がふさわしいよ、そうやって他人を犠牲にして何とも思わないスヴァルトが!!」

「貴族のために従者が犠牲になるのは当然だ!!」


 配下の兵士を盾として、クロス・ボウ兵を薙ぎ倒し、勝利を掴まんとするミハエル伯。

 組織のファーヴニル、部下をでもある彼らを家族のように考えるテレーゼにはそれは暴挙としてしか映らなかった。

 その目に烈火の如き怒りが宿る。


「許さない……殺してやる」

「やるがいい、だが貴様も道連れだ!!」


 先ほどの戦闘の再開……だが今度はテレーゼが圧倒される。

 テレーゼの剣は立て続けにミハエル伯の身体をえぐるが、彼は毛ほども揺るがない。

 まさしく肉を斬らせて骨を断つ、己の血で染めたその狂乱の剣舞がテレーゼを追いつめていく。


「ウラジミール公よ、玉砕でもって恩顧に報いよう」

「死んで、死んで何ができますの!!」

「分からぬか、例え余が死んだとしても余の幼き子らがその後を継ぐ。だが名誉を失った臆病者の一族を公は見捨てるだろう」

「残された者の気持ちが分からないの?」

「余はスヴァルトだ、アールヴではない!!」


 泡を吐きつつ突進する化け物に今度はテレーゼが恐怖した。

 相手は生き残ることを考えてはいない。先程のように捨身でかかれば彼を殺すことは可能だろう……だが自分もまた確実に殺される。

 命知らずの剣士は死を覚悟した男に無力だった。

 テレーゼが茫然と立ち尽くす横を旋風が通り抜ける。

 それは黒い服を着て、黒い首輪を付けた……。


「ヴァン!!」

「っ!!」


 迫るミハエル伯に、まるで盾になるように仁王立ちになるヴァン。

 そのまま鉄槌のような剛剣を受ける、刹那の拮抗……だが威力を消しきれない。 ヴァンのティルフィングは半ばから叩き折れ、逆にサーベルがヴァンの皮鎧に食い込む。

 その時、テレーゼの時が止まった。

 目の前で自分を守ってくれた幼馴染が斃れる。

 十年間、自分の我儘を聞いてくれていたヴァンが殺されるんとした瞬間、いつの間にか自然に手が剣を構えていた。

 その動きは疾風、振るわれる剣は雷鳴の如し。

 今、妄執に囚われた一人の貴族の命運を断つ。


「が、はは……無念。だが余の最期が汝のような戦乙女に下されたことは誇りに思おう」


 どのくらいの時間が過ぎたか……テレーゼが気付くとそこには彼女の剣で胸を串刺しにされたミハエル伯がいた。

 無念の声を挙げて絶命する。

 ムラヴィヨフ家当主、アレクサンドルの息子、ミハエル。享年28歳。


*****


「……終わりましたわね」


 それから先は淡々としたものだった。

 主君たるミハエル伯爵を失った同家の兵士達は剣を投げ捨てたのだ。

 号泣している者、自害する者……そして無抵抗のまま、ファーヴニルに斬られた者もいた。

 勿論、テレーゼは平伏した者を斬って鬱憤を晴らす真似などするつもりはなく、それどころか既に興味は別なモノに移っていたのだ。

 それは勝利の余韻ではない、だが体に震えが走る。

 大切なものを失いかけた切ない感情だった。


「ヴァン……」


 口から漏れた一言、それを抑えきれなかったことにテレーゼは驚いた。

 途端に気恥ずかしくなり……今日明日くらいまではヴァンにちょっと優しくしてやろうか、いつも通りにしようか思い悩む。

 グルグルと思考が回転する中、なんとか折衷案がまとまった。


(よし、頭を撫でさせてあげましょう……)


 本人としては正当な、しかし他者からすれば正気を疑うような、あるいは冷やかしの対象になる結論を得て、再び親愛なる幼馴染を探す。

 探していた彼はすぐそばにいた。


「あぁ……!?」


 ヴァンは赤毛のファーヴニルに介抱されていた。

 ヴァンを助けるのは私の役目なのに……とテレーゼは役目を奪ったファーヴニルに怒りの視線を叩き付ける。

 殴り飛ばして、奪いとろうか考えながら歩き出したところで赤毛の腕は何を考えたのか、乱暴にヴァンの頭を持ち上げ、その肩まで伸ばした黒髪を掻き上げた。


「耳……?」


 ヴァンの首筋まで伸ばしていた髪、そこに隠れていた耳は歪んでいた。

 まるで先っちょの部分を切り落としたかのように。

 スヴァルトのように尖った耳を切ればああいう形になるのかもしれない。


「手紙に書いてあった通りだ。ヴァン、聞こえちゃいないだろうが言わせてもらうぜ。女みたいに髪を伸ばしていたのは尖った耳を隠すためか、ああ? 裏切り者のスヴァルトめ、死して罪を償え!!」


 テレーゼの幼馴染であり、従者でもあるヴァンは、スヴァルトとの混血だった。 バルムンクが抹殺を掲げる宿敵との合いの子。

 大切なヒトの、重すぎる秘密を知ってしまったテレーゼはゆっくりと地面に膝をつく。

 まるで生きることに諦観した末期の老人のような顔をしていた。

 ……つまりはヴァンがいつも見せる表情をしていたのである。

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