第15話 スヴァルト貴族の矜持

奴隷市・とある建物・バルムンク本陣――――


「テレーゼ様が戻られました!!」

「そう、では前線に行くように命令して」

「お会いにならないのですか?」


 スヴァルトが体勢を取り戻しつつあった頃……それよりも早く、アーデルハイド率いるバルムンクは決戦に向けて陣を敷いていた。

 いかに穏健派とは言え、彼女もファーヴニル……盗賊の頭である、殺されると分かっては、腹をくくって剣を交えるだけだった。

 決して降伏しない……ただ彼女はやはり、一人の母親でもあった。


「母親としての情が出てしまうわ。戦場に出したくないのよ、安全なところにいて欲しいのよ」

「そう、お伝えします」

「よ、余計なことを……」


 笑いながら退室するファーヴニルを睨みながら、アーデルハイドはもう一度だけ資料に目を通す。そこにはスヴァルト軍の編成が記されていた。

 いかに奴隷市開催に消極的であったとはいえ、何の対策もしないほど、彼女は妄碌してはいなかった。

 神官らを通じて入手したスヴァルト軍の情報は完璧とまではいかなくともまったくの間違いではない。

 歩兵200、弓兵が50、そして弩兵(クロス・ボウ兵)が50、入り組んだスラムで戦うせいか騎兵はいない。

 これがスラムに配置されたスヴァルト軍の内訳である、対してバルムンク側は志願を含めての歩兵と弩兵の混戦軍250。

 頭数では大きな差をつけられていないものの、その多くが正式な訓練を受けていないゴロツキであり、統制が取れておらず、装備も統一されていない。

 ただ、背後から神官軍が迫るスヴァルト軍は短期決戦を強いられており、また、軍を消耗できない……ようは思い切った作戦を取れないのだ。

 その弱点を突くしか勝機はない。


「頭領、死術士殿から伝言です。実は……」

「何、それは本当?」

「はい、合図次第でいつでもできると……」


 アーデルハイドは強硬派の弟・リヒテルの部下たるヴァンを嫌っている、だからヴァンを死術士と呼び、部下にもそう呼ばせているのだ。

 それはともかくとして、ヴァンは罠を仕掛けていた。

 スヴァルト軍に打撃を与えるであろうそれは、しかしアーデルハイドはその周到な準備に不信感を抱いていた。

 もしかするとヴァンは神官の裏切りとスヴァルト軍の殲滅をリヒテルから、弟から聞かされていたのかもしれない。

 それが事実ならばヴァンは頭領を欺いたことになる。

 テレーゼには決して見せない表情で、アーデルハイドはヴァンを半ば敵として認識しつつあった。


「敵軍……刑場を制圧し、進軍を開始しました。こちらはいかがいたしましょう、この際、スラムに籠って……」

「焼打ちになるだけよ。それにいい、私たちは住民を守らなければならないの。それでこそバルムンク。それでこそ、ファーヴニル。わかりました?」

「失礼いたしました」


 まるで娘のような言い方だ。

 ちょっと後悔、ちょっとうれしくなってアーデルハイドが己の腕を掴む。そこで現実に返った。

 やせ細り、筋が目立ったそれはかつての〈ザクセンの斬り姫〉の異名を完全に過去の物にしてしまった。


(どうか、始祖シグルズよ。私にかつての力を……)


 その祈りが通じたか否かは勝敗でもって決められるであろう。


*****


奴隷市・バルムンク本陣・前――――


「だ、そうです」

「お母様が……」

「愛されてますね」

「黙りなさい、外法使い」


 嬉し涙を拭い、テレーゼが目前の敵を睨む。

 濁流を粉砕した鉄の壁……まるで城壁のように一部の隙もない方陣が迫ってくる。

 それはスヴァルトという名の脅威。

 十年前、わずか数か月の時でアールヴの栄華を終わらせたその再燃であった。 


「いい、私達中央の隊が主力よ。これを見なさい……頭領が秘蔵の宝剣を出してくれました」

「これは、ティルフィングの剣、二十本も……」


 炎石と称されるティルフィングで鍛えられたその武器は鉄をも切り裂く強力な兵器となる。

 金属でありながら柔軟性に富み、大型であるほど強度が増す性質から戦闘の主役である槍や矢ではなく、剣の形に鍛えられることが多い。

 これならばスヴァルト兵の胸甲をも薙ぎ払えるだろう。

 生産できる以上、相手側も装備している可能性は高い。

 だが元々、ファーヴニルの粗末な鎧など普通の剣や槍でも貫通してしまう。

 利点はバルムンク側の方が大きい……と彼らは思うことにした。

 兵力も互角、装備も互角、後は勇猛さが勝敗を決する。

 それがファーヴニルの信条であり、それは今まで破られてきたことがなかった。十年前の一度を除いて……。


「さあ、戦いますわ。私達の雄姿を天上のヴァルハラへ見せつけてあげましょう!!」

「おおぉぉぉぉ!!」


 天にも届く歓声を上げ、彼らはその手に武器を持つ。ある者は弩に矢をつがえ、またある者は槍でもって方陣を作る。そして中央のテレーゼ率いるバルムンク主力は炎剣を手に宿敵、ミハエルを睨み据える。

 粉雪が舞い、死体に覆われた大広場にて、決戦の幕が切って降ろされた


*****


奴隷市・刑場・ムラヴィヨフ伯爵軍本陣――――


「アールヴを蹴散らせ!!」


 ミハエル伯軍は陣形を保ちつつ、進軍を開始する。

 彼らの目的はスラムを制圧し、後顧の憂いを断つことである。

 神官軍と戦うにあたって後方から襲われてはたまったものではない。

 しかしその猶予は十分な程ある。

 ムラヴィヨフ伯爵軍は、スラムと市街を繋ぐモルトケ橋を落とすことに成功していた。

 スラムと市街を分かつ河は幅が広く、水深も深い。

 かつてリューネブルク市が砦であった頃、ここは対岸の土地だったのだ。

 これで神官軍が渡河するのにかかる時間はどんなに急いでも半日……盗賊団に毛が生えた程度のバルムンクを蹴散らすのには十分すぎる。


「この際、スラムなど焼打ちにしても構わん。抵抗する力を奪うのだ、奴らには卑劣な裏切りの代償を払ってやろうではないか!!」

「おおお!!」


 士気の高さに気を良くした彼ミハエル伯は大袈裟なほどの手振りで、命令を下す。


「火矢を放て!!」


 歩兵隊の隙間を縫うように弓兵が前に出る。

 彼らはまるで一つの生き物のように同じ動作、同じタイミングでロング・ボウを掲げ、中空に放った。音は一つ、だが降り注ぐ矢は100にも及ぶ。

 構えた盾ごと燃やし尽くす業火。前方のファーヴニルがなすすべもなく燃え上がり、奇天烈なダンスを踊る。

 彼らは慌ててクロス・ボウで反撃を試みるが、やや距離が遠い。

 ファーヴニルのクロス・ボウよりもスヴァルトのロング・ボウの方が有効距離はずっと長い、単純な撃ち合いではスヴァルトのロング・ボウに対抗できない。

 よしんば届いたとしても、火矢と同じくして伯爵軍の弩兵が前方に置いた矢盾を貫通できないのだ。


「ははは、良く燃えるじゃないか」

「本当です、まるで山火事にでもあったように……」

「おい、燃えすぎていないか?」


 初戦の矢戦は伯爵軍が制した……しかしミハエル伯はその優位に隠れた不可思議な現象に目を細める。

 火矢は建物のみならず地面からも柱のように炎が上がる。

 恐らく可燃物を地面に撒いたのだろう……わざわざバルムンクが延焼を助けているのだ。

 自滅……そうではない、烈火と煙が目くらましとなって伯爵軍からバルムンクの存在を隠していた。


「弓兵隊を後方に下げよ、歩兵隊は白兵戦用意!!」


 その命令はわずかに間に合わなかった、その時にはすでにバルムンクの先陣がクロス・ボウの射程内に接近していたのだ。

 炎の中を掻い潜り、命知らずのファーヴニル達が捨身で特攻をかけてきたのだ。

 命を擲つ蛮勇はファーヴニルであるからこそ。

 対応が遅れた伯爵軍はその攻勢をもろに受けることとなった。


「接近戦に持ち込め、姫に続け!!」

「野蛮な……」


 虐殺された仲間を踏み越え、接近するバルムンク軍は復讐の念をスヴァルトに叩きつける。

 放たれた矢が前方の兵士を射殺し、陣形に大きな穴を作っていく……特に狙われたのは弓兵よりもさらに前方にいた弩兵である。


「ロング・ボウでは近すぎる……クロス・ボウ兵を前に、こちらも撃つのだ」


 ミハエル伯のその命令も遅きに付した。

 白兵戦の脅威にさらされた弩兵は慌てて矢盾から顔を出したところを狙い撃ちにさせる。

 規律正しいスヴァルトも死体となっては用をなさない、ミハエル伯軍の前線は大混乱になった。


「損害が大き過ぎる、後退せよ……陣形を立て直す!!」

「ミハエル!!」

「テレーゼ姫か!!」


 いつの間にかミハエル伯は逃げ遅れていた。

 運の悪いことにこちらは風下だったのだ、煙のせいで視界が悪くなり、奇しくもテレーゼとの一騎打ちの形となる。


「降伏しなさい、さすれば命は助けますわ」

「アールヴ如きにそんな真似ができるか!!」

「ならば、死になさい!!」


 ミハエルの拒絶にテレーゼはすぐさま刃で応えた。

 彼女とてファーヴニル、何の罪もない人達を虐殺した男に形式以上の情けをかけたりはしない。

 テレーゼの放つ電光石火の突き。それに対し、ミハエル伯は馬上の有利を生かして振り落しで応じる。

 頭を狙った致命打を繰り返すことで相手を防御に回らせようとする。

 しかし彼はテレーゼの命知らずさを読み違えていた。

 まるで差し違えるかのように肉薄する彼女の動きに翻弄される。

 頭を砕くのが先か、自身の心臓が貫かれるのが先か、その博打にミハエルは乗れなかった。

 自らの生命をかけて戦いに挑むテレーゼに、貴族の身分に安住して……安全な場所で策を練ってきたミハエル伯ははっきりと押されていた。


「アールヴが、私はスヴァルト貴族なのだぞ……」

「そうやって見下すから、最後に負けるのですわ」

「負けてはおらん!!」


 ミハエル伯は馬を巧みに操り、何とか距離を取る……しかしそれはほんの一時のもの。

 苦し紛れの馬の前足は躱され、テレーゼには傷一つ与えてはいない。


「何という蛮勇……貴様、命がいらないのか!!」

「ここで負ければどの道、死ぬのですから、命を惜しんでも仕方がありませんわ」


 ミハエル伯の愚かしい質問は、当たり前の理屈で返された。

 今や彼は狩られる獲物……無様に逃げ惑う獲物であった。

 伯爵軍は体勢を立て直せない……軍の混乱にまるで獲物に食いつくハゲタカのようにどこまでも追いすがるバルムンクのファーヴニル達。

 実の所、ここまで積極的な攻勢は半ばテレーゼの独断であった。

 勇猛な彼女の独断専行……ただし、それは長所ばかりだけではない。

 先行し過ぎたばかりに、ヴァンともはぐれており、何よりも指揮官たるアーデルハイドとのラインが切れていた。

 今、バルムンク側で全体が見えている者はいない。


「最後ですわ……ミハエル・ムラヴィヨフ伯爵!!」


 一陣の風が煙を払う、陽光にさらされた戦場が照らされる。

 混沌とした中央……そしてまるで翼を広げるようにバルムンク軍を包み込む左右のムラヴィヨフ伯爵軍。


「嘘……包囲されてますわ!!」

「ははははは、良くやったぞ我が騎士セルゲイ!!」


 それはなし崩しに行われた窮余の策であった、指揮官たるミハエル伯爵と隔離された本隊はただちに次席の、騎士・セルゲイが指揮権を握り……バルムンク軍の包囲を画策したのだ。

 下手をすれば包囲する前にミハエル伯が討ち取られる危険性もあった、だが近視的にミハエル伯爵を助けたとしても戦闘そのものが負けては結局同じだ。

 配下のスヴァルト兵はミハエル伯爵の武勇を信じたのだ……そして結果は彼らの期待通りとなった。

 その高い判断能力は正式な訓練を受けたスヴァルト兵の面目躍如、寄せ集めのファーヴニルでは同じことはとても出来ない。


「伯爵閣下、救援に遅れ……申し訳ございません、どのような罪でも受けるとセルゲイ様が」

「不問にすると伝えよ」

「はっ、ご寛大な処置……ありがとうございます!!」


 包囲されたバルムンクは今や袋のネズミ……ましてや、包囲の中心にいるテレーゼの生存は絶望的だった。

 強者はやはり強者……それが覆ることはないのかもしれない。


「殲滅せよ!!」


 ミハエル伯の勝利の宣言が戦場に木霊する。

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