第14話 勝って助けましょう
奴隷市・大広場・処刑場――――
「これより、我らスヴァルトに逆らった愚か者の公開処刑を行う!!」
スヴァルト騎士の宣言が即席の刑場に鳴り響く。
並べられた十字架に磔になっている男たちはバルムンクの副頭領リヒテルの要請に応え、南方より遥々やってきた同志であり、彼らはスヴァルトへの反抗するための先兵となるはずであった。
しかし密告により大半がバルムンクと合流する前に殺され、生き残りが今、死への階段を昇ろうとしている。
いや、既に頂に達している者もいる……数日前より降り続いた雪が、半数以上の生命を奪い取っていた。
「姫、ここでは彼らに見つけられてしまいます。お下がりください」
「ここで結構よ、死に様を刻めつけたいの」
そんな中バルムンク頭領の娘、テレーゼは刑場の最前列に立っていた。
その蒼い髪は遠目でも目立つ、近場ではなおさらの事。
恐らく、警備のスヴァルト兵は気づいているのだろうが、構わなかった。
テレーゼはなぜ、彼ら南方の分家がやってきたのか聞かされていない、また推測することもできなかった。
しかしそれがなんだと言うのだ……今、仲間が理不尽な理由で死のうとしている。
その死を看取って何が悪い。
例え危険であっても、件の仲間に罵倒されても、怖じることなく屹立する。
テレーゼ・ヴォルテール……彼女は高潔なる魂を持つ侠客なのだ。
その輝きは眩しく、そしてひどく汚れやすい脆弱な光でもある……あるいはだからこそ、それを守ろうとする者が現れるのかもしれない。
「テレーゼ・ヴォルテールだな」
「そうよ」
十字架の下に薪が置かれ、火がつけられるそのわずかな間にスヴァルト兵が駆けよってくる。
テレーゼ……スヴァルトに敵対する組織の長、その娘が現れたのだ、兵士が見過ごすはずがない。
アンゼルムの舎弟は青ざめ、アンゼルム本人は好戦的な視線を向け、そしてテレーゼは素の儚げな表情であった。
「仲間を救出しに来たのか?」
「いいえ」
「では何のために?」
「看取るために」
「死に行く者をか?」
「死に行く者を看取ってはいけないのですか?」
質疑問答のの末、兵士は何かを企んでテレーゼがやってきたわけではなく、単純に仲間の死を看取るために来たことをどうやら理解したようだった。
そして……兵士の目に敬意が宿る。
「いや、構わない。ははは、ここのファーヴニル組織はまだ挫けてはいないか、一昨日の奴隷女といい今日のお嬢さんといい、豪胆な奴が多いな」
「それは褒めているのですか」
「ああ、そうさ」
兵士はひとくさり笑った後、ふと真面目な表情になって何かを呟いた。しかしその声は小さく、テレーゼの耳に入ってくることはない
「今、何か?」
「いや、貴族様は裏切れないってことだ」
「???」
兵士はどこか名残惜し気に去っていった。後に残されたのは大きな疑問のみ。
テレーゼはその疑問をスヴァルトだからという何の根拠もない理由づけで放り投げた。
これがヴァンならば行く通りかの理由を考えるところだが、彼女はそういった考え方をしない女である。
「遅くなりました、申し訳ございません」
「ヴァン」
ヴァンの帰還に、テレーゼの顔にわずかに安堵の色が灯る。
しかし傍らにアンゼルムとその舎弟がいるのを思い出し、表情を引き締め直した。
認めたくないところだが、自身が欠点だらけであるため、それをフォローしてくれるヴァンの存在はテレーゼにとって素直にありがたい。
しかし頼りきりというのもいささか情けない話である。
テレーゼはヴァンとは幼馴染、年下であるヴァンは言わば〈弟〉。
〈弟〉がいなければ何もできない〈姉〉は如何なものか。
結局……〈姉〉であるテレーゼは、そういったいろいろな感情がないまぜになって最終的には無視と言う形を取った。
「はっ、姫はお前と話をしたくないそうだ、いいから下がってろ。用があるときに呼ぶからよ」
「そうですか、それでは」
「あぐっ!!」
「?」
テレーゼの無視を手前勝手な理屈で解釈したアンゼルムが、テレーゼの裏拳を腹に叩きこまれて悶絶する。
片方で腹、もう片方の手で口を抑えているのは胃の中の物を吐きそうだったからであろう。
テレーゼが密着状態で放った一撃はかつて、決闘したスヴァルト兵のナイフを割ったのと同じ威力があった。
ヴァンとの会話を邪魔されたことはテレーゼにとってそのぐらい気に障ることなのだ。
しかしその気遣いをよそに庇われたヴァンはぼんやりと立ち尽くすのみ。その空気の読め無さにテレーゼが不機嫌となった。
「こちらに来なさい」
「はっ」
やや硬い声でテレーゼがヴァンを呼びつける。
近づくヴァン……テレーゼの目線やや下……ではなく同じ高さに黒い目が見えた。
いつの間にか背の高さが追いつかれている……その事実に動揺し、何を言おうとしたのかテレーゼは忘れた。
「え、えとえとえと……」
「脱出経路の報告をいたします、まず……テレーゼ様?」
「そ、その話は後にします。今は彼らを看取りましょう」
「はぁ……はい」
首を傾げるヴァンを思考から追い出し、テレーゼは刑場に向き直る。
いよいよ薪に火がつけられようとしていた。
火がつけられれば、もう死ぬだけである、賄賂も偽装も何もできない。
だからこそ火刑という処刑方法を選んだのであろうが、その合理性が少し憎かった。
「その目に焼き付けなさい、ヴァン……彼らの死を無駄にしてはなりませんわ」
「無駄ではないです、彼らは義務を果たした」
「それはどういうことですの?」
テレーゼはヴァンの言い草が妙に気にかかった。
隠し事の多い彼の事、何か自分が知らない情報を話してくれるのでないかと期待するが……。
「言葉通りです、彼らは何も語らずに死ぬ。我らバルムンクに迷惑をかけることもなく、ただのファーヴニルとして……それが捕縛された彼らの責務であってそれを果たした彼らは誇っていいのです」
「何よ……それ、貴方、彼らが死んでもなんとも思わないの? 死ぬことが当然何ておかしいわ」
「お嬢様は正しい、間違ってはいません。しかし私は死術士、正道から外れた存在です」
「死術!!」
ヴァンはいつも死術を言い訳に周囲に壁を作る。
いつもは個性として見逃すテレーゼだが、今回はそれが彼女の癇に障った……しかし手は出ない。
感情がグルグルと渦巻いて何をしていいのか分からない。
自分の顔が今までにない程凶悪になっているのがわかる、そしてそれを嘲笑うよう、ヴァンは口元にうっすらと笑みを浮かべていた。
それで覚悟が決まる、殴る、考え方が変わるまで殴り続ける。
そうでなければ嫌われ者のヴァンは、いつか突然いなくなってしまいそうだったから……。
「ここまでだ、卑しきバルムンク共!!」
「何!!」
薪に火がつけられた瞬間、辺り一面に怒号と悲鳴が交差する。
頭上を飛び交うのはスヴァルトが得意とするロングボウの矢、テレーゼは瞬時に危機を察っする。
「大変だ、兄貴……奴らがスラムに火を……広場も囲まれている」
「なんだと!!」
アンゼルムが蒼ざめる。
テレーゼもまた動揺するが、そっと傍らの従者を垣間見る、彼はいつも通りの落ち着きを見せていた。
それに安堵すると同時に自身の不甲斐なさを詰る。
(これでは、偉そうな事を言えないじゃないの)
ヴァンは胸を抑えて術を唱えていた。それは死と生命を操る禁断の術、生命を冒涜する邪法。
テレーゼはその行使を止められなかった。
「Keimung(発芽せよ)!!」
*****
奴隷市・大広場・商館内部・運営本部――――
ミハエル伯は今や絶頂にいた……バルムンクを打倒するための総仕上げであるスラム掃討の成功を確信したからである。
広場は虐殺の場と成り果てており、それは全く関係のない人間をも巻き添えにしているのだが、彼は気にすることはなかった。
下賤なアールヴなど多少の犠牲があっても構わない。
とりわけ、アールヴの奴隷商人は生きていることだけで虫唾が走る。
スヴァルトの奴隷制度を批判しながら、奴隷を扱う……彼らの理屈では、アールヴの奴隷は自由競争の末、自業自得の結果などと屁理屈をこねて正当化する。
とんでもない偽善者達なのだ。
「叔父上……余は仇はを討ったぞ。だから最後の審判の時はともに不死王のもとへ馳せ損じようぞ」
ミハエル伯は先日、とある商会とバルムンクによって狂死させられた叔父を思った。
不死王シグムンドとはスヴァルトの祖であり、アールヴの始祖、建国者シグルズの卑怯な不意打ちで倒された悲劇の主である。
彼はこの世の終わり、最後の審判の時に死者と共に蘇って、異人種アールヴらを倒し、スヴァルトの楽園を築くとされている。
救われるべきはスヴァルトと、その従者のみなのである。
「殿下……なにやら神官共の軍が市街に集結しております。いかがいたしましょう」
「追い返せ……大方、おこぼれに預かろうというのだろうが、そんな真似は許さん。言って伝えろ。汝らはリヒテルを拘束するだけで役を終えたと……」
「はっ!!」
ミハエル伯は苦虫を噛み潰したような顔をした。
テレーゼの司祭殺しを利用してバルムンクの副頭領リヒテルを拘束したのだが、協力関係にある神官らの恩着せがましい態度には業腹であった。
そもそも、いかに統治に必要とはいえ性根が腐りきっている神官らを好意的には思えない。
バルムンク壊滅させた後に、神官らを皆殺しにはできなくとも、粛清ぐらいはするべきかもしれない。
実際にその準備は水面下で進めている……ただミハエル伯は学習してはいなかった。
先日、殺された彼の叔父も似たようなことを考え……そして死体を晒していたことに。
「ご機嫌いかがですか、閣下……」
「くっ、グスタフ卿」
そしてさらにミハエル伯の苦渋の皺が深まる、現れた男によって……グスタフ・ベルナルド・リューリク。
スヴァルトにとって〈王家〉とも言えるリューリク公家の人間……だがこの男は元は素性の分からぬ人間、それが十年前の功績で養子に迎えられたのだ。
成り上がり、しかもその享楽的な性格もあってミハエル伯は彼を嫌っていた。
数日前、兵士に化けて賭け事に興じていたと聞いた時は本気で叩きだそうと考えたが……ミハエル伯がリューリク公家と関係を結ぶには彼の協力が必要であり、渋々ながらその遊興を黙認しているのが現状であった。
晴れの舞台になぜ、招かれざる客が……今のミハエル伯の心情はそんなところであった。
「火急の報告に上がりました」
「汝は末席とはいえ、リューリク公家の人間、堅苦しい礼儀は不要だ。いつものように乱暴な口調で話すがよい」
棘が生えた皮肉をミハエル伯は飛ばしたが、グスタフの面の皮をそぎ取ることもできなかった。
元より十年前、武勲ではなく、汚い裏工作でもって伸し上がった男である……恥というものを知らないのだろう。
これが同じスヴァルト、それも貴族だと思うとミハエル伯は現実の理不尽さを嘆きたくなってきた。
「じゃあ、遠慮なくいつも通りの口調で言うぜ。司教府で神官兵が反乱を起こした。完全な奇襲となってあんたの私兵は降伏。次いで今度はあんたを討ち取るべく、スラムに向かってきてる。指揮官は……まあリヒテルだろうな」
始め、グスタフが何を言っているのかミハエル伯は理解できなかった。
彼は揺るぎない勝利を確信しており、それは既に起こった事実として記憶していたのである。
しかし現実は容赦なく彼を蹂躙し、じわじわと衝撃が身を焦がしていく。
奇しくもそれは殺された彼の叔父が末期に感じた衝撃と同じモノであったのだ。
策に嵌めたと思った自分が嵌められた。スラムを包囲したミハエル伯はその実、市自体に包囲されていたのである。
ミハエル伯爵……彼は情報統制と言う物に対する理解が足りなかった。
「な、なぜ、反乱など!!」
「バルムンクを潰したら次は神官らを粛清……それを気取られたんだよ」
そして何よりも……自らを強者、バルムンクを弱者との思い込みが仇となったのだ。
学習能力の欠如、情報統制への無理解……それら以前に、ミハエル伯は現実を把握していたとは言えなかった。
鞭を振るわれるものが、常に無抵抗だと彼は根っこの部分では信じていたのだ。
「奇襲され、何よりもバルムンクに対抗するためにこっちに精鋭部隊を連れてきたからな……二軍、三軍の兵士じゃ、対抗できなかったようだぜ」
「それが余の従者達がこうも簡単にやられた理由か……余のせいだと言うのか!!」
次々と論破され、ミハエル伯は顔を青から黒へと変える。
力無く椅子に倒れこむその姿は先ほどまでの自信はない。
「どうする、一応、逃げ道は用意できる。あんただけなら首都マグデブルクに亡命できるが…」
その一言に反応した。
彼の中に熾火が起こり、それは数瞬後には烈火へと変わる。
「余に卑怯者になれというのか!!」
「生きてこそだと思うが……」
「家名に泥を塗ってまで生きたくはないわ!! 誰か……モルトケ橋を落とせ、それでこのスラムを隔離できる」
「何をするつもりだ?」
胡乱げなグスタフにミハエル伯は手早く説明する。
「今は軍の消耗を抑えるべきだ……スラムを隔離して、バルムンクを討伐する。そして討伐後に返す刀で司教府を奪回する。それで終わりだ。幸い、主力は手元にある」
「なるほど……で、俺は何をすればいい?」
「〈蜘蛛〉が戦えるのか?」
「蜘蛛には毒がある。その毒は人間にも通用するぜ」
「では好きにしろ、ただし邪魔だけはするな」
やれやれ、といった風のグスタフを無視して、ミハエルが矢継早に兵に命令を下す。
彼はこんなところで終わるつもりはなかった。
*****
奴隷市・大広場・処刑場――――
スラムは狂騒にあった。
突然のスヴァルトによる虐殺、そしてリヒテル率いる官軍の来訪……何故か、スヴァルト陣営を挟んで遠く離れた市街の情報が人々に流布していた。
いや、リヒテル配下の間者がそう噂を流したのだ……頭領・アーデルハイドに断りもなく、反乱は既定路線であったのだ。
閑話休題、虐殺の恐怖は援軍来訪によって勇気づけられたことにより怒りへと転じ、スラムの住民はまるで弱った獲物に食いつく蟻のように兵士らへと襲い掛かる。
「き、貴様ら……アールヴの分際で……ぐあああ!!」
「殺せ、殺せ!!」
刑場はまたたくまに制圧され、濁流のように人の波が流れ落ちる。
「すごいですわ」
いち早く建物の陰に隠れたテレーゼらはその光景を茫然と眺めていた。
威張り散らしていたスヴァルトの兵士が、か弱き民衆に打ち倒されていく。
バルムンク……虐げられていた者には、正直、痛快であったのだ。
「アンゼルムは」
「兄貴は、弟達を探しに行ってます。巻き込まれて半分近くが連絡がつかないんでさぁ」
「この中を……大変、助けにいかなくちゃ」
「お嬢様……彼らの顔を覚えていらっしゃるのですか?」
「え、いや、ないですけど……」
テレーゼの考えなしの行動にヴァンはしかし、呆れたりはしなかった。
その慈愛は他者が欲しくても手に入れられないもの。
事実、それを聞いた舎弟の一人は目に涙を浮かべ、感謝の意を示している。
無論、優しいだけでは人はまとまらない。
なればこそ、ヴァンはそれを補うべく冷徹になればよいと考えていた。
我はバルムンクの刃。その恨みは人テレーゼではなく刃ヴァンに宿ればよい。
「私達もアーデルハイド様の下に集まりましょう」
「お母様の……でも」
自分の家族だけ……という言葉を飲み込んだのをヴァンは理解する。
「避難するわけではありません、態勢を整えるのです。見てください、スヴァルトは立ち直りつつあります」
「嘘!!」
ミハエル伯のいる商会を中心としてスヴァルト兵が横列を作っていた。
混乱の中でのその離れ業はまさに厳格な規律を保つスヴァルト軍の面目躍如。
その奥には派手なマントを付けた騎兵の姿もあり、彼の命令一過、まさしく鉄壁となって、濁流となった人の波を蹴散らしていく。
「ミハエル伯よね」
「恐らくは……しかしチャンスです。彼を倒せばムラヴィヨフ伯爵軍は崩壊する」
「姫!!」
アンゼルムが息を切らせて駆け込んできた。手には剣を抱えている。
「頭領が大広場の入り口で陣を引きました。早く来てください、スヴァルトの野郎との決戦です!!」
「舎弟達は見つかりましたの?」
「いえ……まだ三人」
「だったら、貴方は……」
「俺はバルムンクのファーヴニルです。仇敵を前に我儘をいう訳にはいかねえ!!」
アンゼルムが涙ながらに心情を吐露する。それにテレーゼは涙で応えた。
「ならば、勝ちましょう。勝って貴方の弟を助けましょう!!」
「はいっ……!!」
彼らの興奮に感化されないよう、ヴァンは思案する。果たして、副頭領リヒテルはどこまで筋書きを書いたのかと。
ヴァンは何も知らされてはいなかった。
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