第13話 狙った相手が狂っていただけです

スラム街・大広場入り口・奴隷市当日――――


「どうなんだ、ヴァン。リヒテルさんの行方はわかったのか!!」

「未だ、掴めてはおりません」

「同志の救出は……」

「目途が立っては居りません」

「使えねえ奴だな、おい!!」


 その日、スヴァルト貴族・ミハエル伯爵とバルムンク副頭領・リヒテル主催で奴隷市は開始された。

 そして奴隷市警護の責任者は三人。

 ヴァンとアンゼルム、そしてテレーゼである。

 総指揮を取るリヒテルが音信不通の現在、代行は頭領アーデルハイドが務めている。

 しかし、そもそも奴隷市の参加自体、賛成とは言いかねる彼女は昨日からの軽い発熱もあって、やる気に乏しく、無論、その指揮に手落ちなどないが、その消極性が部下に伝染していた。

 基本的にアーデルハイドのやることに不満を漏らさない娘のテレーゼが責任者に選ばれた背景にはそういった事情もある。


「貴方、失礼ですわよ。自分が何もしていないくせに人にはあれこれ言いますの?」

「いや、姫……」


 アンゼルムが途端にしどろもどろになる。どういう訳か、彼は敬愛する副頭領の前よりも、遥かに緊張していた。


「そんなことよりもお嬢様……同志の動きが先ほどからおかしいのですが、決まった場所を警備するでもなく、まるでさぼっているように……」

「だって、適当にしろって言いましたもの。最低限の警備はアンゼルムの舎弟にまかせて私の従者は自由行動ですわ」

「なぜ、そのような」

「監視されにくくするため」

「……!!」

「視線を向けないようにこっそりと見て、私達、つけられてますわ」


 言われたようにヴァンは気取られぬように辺りを探る。

 そうすると彼らを囲むように不審な動きをする男どもが見えた。

 どこにでもいそうな特徴のない彼らは、故にこの奴隷市という非日常のなかでは浮いていた。


「スヴァルトの密偵です、間違いありません。これが神官らならこんな下手な変装は許さない。この場にふさわしい本職を雇うはずです」

「スヴァルト……あいつら、なんで」

「あまり、いい予想はできませんわね。もしかして分家の救出を見抜かれたのかしら」

「可能性はあります……刑場の警備から賄賂が通じる官兵が省かれました、しかもミハエル伯が奴隷市に来ているそうです、こちらがボロを出すのを見張っているようですね」


 スヴァルトにとってその支配を妨げるバルムンクは目の上のたんこぶ……常に取り潰す機会を狙っているのだ。

 ただ取り潰されるバルムンクとて、無抵抗のはずがない。

 ヴァンはすぐさま対策を講じた。


「同志救出は昨夜の段階で断念しており、それならば彼らの監視は杞憂となりますが……念のために脱出経路を確保しておきましょう。スラムは我らが庭、例えスヴァルトといえど多勢に無勢でしょうが、何が起きるかわかりませんから」

「そうしてちょうだい、私はお母様達にその件を報告してきますわ……なんでしたら途中で引き上げても構わないでしょう」

「今でも構いませんよ。アーデルハイド様は病床で通っています。この際、その事実を利用してテレーゼ様とともに銀の雀亭に……」

「それは私に逃げろといいますの?」


 テレーゼの機嫌が目に見えて悪くなる。

 しかしそれを見抜いたのは付き合いが長いヴァンだけであった……アンゼルムなど、見つめ合う二人に何か誤解したのか、どこか傷ついたような顔をしていた。

 閑話休題、付き合いの長いヴァンはその怒りのそらし方も知っていた。

 つまるところ、彼の方が一枚上手なのである。


「ところで、彼らの監視がなかった場合、警備の配置は如何なさるつもりだったのですか」

「……」

「後学のためにお聞きしたいのですが…」

「……後で話しますわ」


 言葉を濁し、視線を避ける彼女を見てヴァンは確信する。

 これは行き当たりばったりか、そもそも考えるのをさぼったか、あるいは考えても自身でわかるほど杜撰なものだったか、どれかだろう。

 細かな仕事をするのに彼女の頭は向いていない。


(ともあれ……何事もなく終わればいい。しかし結局、密告者は見つからなかった。商会の件に港の件と、被害の規模が大きくなっている。ならば次は……)


 ヴァンの頭には十年前、バルムンクに災厄を起こした裏切り者たるグスタフの名が木霊していた。


*****


奴隷市――――


 脱出経路を確保するためにヴァンはテレーゼらと別れて単独行動を取った。

 人ごみは多く、多人数では動きにくい。

 奴隷市は盛況であった、それは週一で開かれる露天市と変わらない、違うのはその商品が人間だということ。

 少女・十四歳、グルデン金貨二枚などというような値札がそこかしこに張られ、東部アンハルトや南部バイエルン訛りの宣伝が聞こえる。

 奴隷商の大半が他教区の人間であり、ここザクセン司教区の者は数少ない。

 彼らは現在では人身売買の類を原則禁止するようになった、バルムンクの不興を買うのを恐れているのだ。


「おい、そこの坊ちゃん、内のお嬢さん買わないか? なんなら宿を貸すから一晩楽しむだけでも…」

「おい、止めろ……あの首輪、死術士だぞ。下手に機嫌を損ねると屍兵にされるぞ」

「マジか……」


 小うるさい呼び込みもその鉄の首輪と黒服が弾く、それは死術士の特権である。 正体を隠したかった一昨日と違い、ヴァンは正規の服装で奴隷市に臨んでいた。


(脱出経路はバルムンクが分かり、スヴァルトが見つけられないことが望ましい。スラムの住民はこちらの味方だから、いや、身内ですら密告者が出たのだ、住民の忠誠も疑った方が……)


 ヴァンの職務は邪魔された、一人の快活な少女によって。

 彼女は相手が死術士だというのに物怖じせずに自らを売り込んできたのである。 必死にまとわりつくさまは茨のようで、うっとうしいことこの上ない。

 敵意は感じられないから剣を抜くことはしないが、黙らせるために腹に一撃を与えてやろうと目を合わせると……笑顔と、それに反した、凍り付くようなアンバー(狼の目)が目に映った。


「右腕はもう治ったのですか?」

「えっ……」


 港で会った少女であった。

 エルンスト老との会話を聞かれなくなかったため、あえて逃した後……そのまま会うことはなかった。

 しかしなんの奇縁か、再び巡り合ってしまったのである。


「あれ、あの時のファーヴニルの……」

「貴方は神官長の妾でしたね、お互い、職務に励みましょう」

「もう、妾じゃないです」

「妾じゃない?」

「使えないからって売られちゃいました、自業自得ですね」


 あはは、と笑う彼女は少し、ほんの少しだけ残念そうだった……しかしそれはまるでヒビが入ったような歪な笑みであった。

 ああ、これは心が折れるな……ヴァンは確信する。

 自分には馴染みがあり過ぎる顔……何もかも諦めつつあるその表情は、彼女がヴァンの通った道を歩く後輩であることの証明でもあった。

 首に残る絞首刑の跡、その時の絶望は今なおヴァンの心に刻まれている。

 彼女が壊れつつあるのならば、ヴァンは既に壊れている。


「……っ!!」


 少女が息を飲む。

 気づかれないようにヴァンが腰に手を伸ばした、正確には彼女が後ろに隠し持っているナイフへと。


「う、腕が折れていると買い手がつかないのです、だから痛くても折れてないふりをしなくちゃ……」

「恨みを買う相手はいくらでもいる。しかし貴方に恨みを持たれているとは思ってはいませんでした」


 しどろもどろに言い訳をする彼女にヴァンは何の感情もなかった。

 ただ全てを疑うこと、その心掛けが功を奏していたことに嫌悪する。

 助けた相手ですら疑うなど、正常な感覚ではない。異常なのだ、自分は……。


「あ、あなたのせいで大損した貴族がいるそうです。その人にあなたを引き渡せばお金が……し、仕方がないんです。助けていただいたことは感謝しています。でもそうでもしなければ私は、だって私は……」

「貴方は正しい」


 ヴァンは躊躇なく、断言する。


「罪悪感を持つことはありません、貴方は間違っていません、ですが……」

「狙った相手が狂っていただけです」


 とん、と胸を軽く押したような音がした。

 少女はそのまま真っ直ぐに後ろへ倒れ、起き上がっては来ない。

 その胸は真紅に染まっている……奪ったナイフで胸を一突き、骨まで届く一撃は長年の研鑽によるもの。

 白昼堂々と行われた凶行は往来する通行人にまるで気取られることはなかった。


「すいません」

「なんだ?」


 幾分かの時が立ち、衛兵がやってくる。

 スヴァルト兵ではない、腐敗し、堕落したアールヴの神官兵である。

 彼は近づくとその有様から事の流れを読み取ったのか、ヴァンに敵意を見せてくる、しかしそれも手のひらに握らされた数枚の金貨によって霧散した。


「これで始末をお願いします」

「こ、こんなにか……いいのか」

「構いません、死にゆく者にできるのはこのくらいです」

「わかった、だけどあまりこういうことはよしてくれよ、金で片付いても後味のいいものじゃない」


 曖昧な物言いに突っ込むほど、ヴァンは野暮ではない。

 言葉半ばで、興味を失ったように彼らを放置して去っていく。

 いつの間にか頭の中で逃走経路は確保されていた、一連の流れは彼にとって自然なもの。

 少女を殺すことと、同時進行するのに困難はなかったのだ。


*****


大広場前の商館・奴隷市管理本部――――


「準備が整いました、閣下」

「よし、では手筈通りに事を進めよ。これが成功すれば、バルムンクは壊滅する。そうなればこのリューネブルク、いやザクセン教区は余のもの。我らが〈王〉の娘を娶る持参金としては十分すぎる」


 ミハエル伯、ミハエル・アレクサンドル・ムラヴィヨフ伯爵が歓喜を抑えきれず、呵々大笑する。

 しかし配下のスヴァルト騎士はやや不満げであった。奴隷市にかこつけてバルムンク殲滅を計画したものの、その包囲には明確な穴があり、容易に逃走されてしまう。

 それでは意味がない。


「なんだ、その顔は……余の計画に不満でもあるのか?」

「恐れながら、東側にも兵を配置すべきかと具申いたします。このままでは包囲は完成いたしません」

「くだらぬ質問だな」


 ミハエル伯は心底、軽蔑したような顔で騎士を見下すが、それでも無下にはせず、まるで出来の悪い生徒を相手にするように説明を始めた。


「全滅させてはならないのだ、彼らにはこれから余が行う政の不平、不満を被る役目がある。よいか、下賤なアールヴは真の敵には逆らわず、自分たちより弱い味方を襲うのだ。」

「弱い味方とは威光を失ったバルムンクですか」

「そうだ、余がこれから行う政に多くの不満が出るだろう。だがバルムンクさえいれば、その矛先は彼らに向く……余が圧制を敷くのは余計なことを企み、失敗したバルムンクのせいだとな」


 自慢げに語るミハエル伯に騎士は敬服で応えた。生まれが良く、自分のできないことを行う者をスヴァルトは素直に尊敬する。


「リューリク公家との婚姻が成立した暁にはお前の婿養子先も考えてやろう。しかと忠勤せよ!!」

「御意にございます!!」


 処刑台を窓に臨んで、貴族と騎士は宿願の成就を確信した。

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