第12話 涙は枯れ果てていた
スラム・銀の雀亭・地下会議室――――
「南方の同志は壊滅……輸送してきた武器はエルベ河の底に沈みました」
アンゼルムは低く感情を抑えた声で、スヴァルトへの反抗が準備段階で失敗したことを報告する。
彼は泣いてしまいそうだった。
悲願とも言える蜂起が瓦解し、参加するはずだったファーヴニルがあんな目に会っている。
このうえは上司に縋るしかなかった。
なお、アンゼルムはヴァンが何らかの策を実行しているのは知っていたが、それが成果を上げるとは思ってはいない。
ヴァン如きリヒテルのお情けで生きているペットに何ができるのか……そう思い込んでいた。
「頭領、言いたくありませんが、情報が漏れています。これはもう市民らと組んで蜂起するしかありません。手が遅れれば、俺らは貴族に滅ぼされます」
涙がらみの報告を頭領アーデルハイドは静かに聞いた。
そこに動揺はなく、その姿は泰然としたものである。
ただ娘と会っていた時と比べ顔色がすこぶる悪かった、小刻みに震える手がその病状の深刻さを表しているのだろうか
「蜂起、蜂起と言いますが、我らバルムンクはなんですか?」
「救国の義士です」
「違う、ただの管理者です!!」
アーデルハイドは一喝した、その気勢にアンゼルムは鉛を飲み込んだような顔をする。
彼は思わず腰に下げた剣に手を添えた。
アーデルハイドは非武装だが、そうでなければ恐怖心から相対することができなかったのだ。
「我らは官よりスラムの統治を任されている代官です。その約定を違えて反逆するなど、我らを盗賊団に逆戻りさせる気ですか、ましてや無辜の市民を巻き添えにするなど、恥を知りなさい!!」
「しかし、貴族の横暴にみんなが耐えかねている、俺らはアールヴだ、自由の民だ。圧制には断固、戦う。戦わない奴はスヴァルトの奴隷だ!!」
半ば恐慌に陥ったアンゼルムは敬語を使うことも忘れ、必死に言い募る。
自らの、バルムンクの存在意義がかかっているのだ。
例え、生殺与奪権を握っている頭領だとしても引く気はない。
「リヒテル副頭領は戻られないそうです」
「な……」
「恐らく、神官の懐柔に失敗したのでしょう、最悪の場合を覚悟してください」
それは副頭領であるリヒテルが神官に処刑される可能性だ。
その事実がアンゼルムの脳内を駆け巡る。
桟橋の十字架に磔になる我らが指導者、それは絶望以外の何物でもない。
「幸いにも私は首都の法王猊下と知り合いです。それを軸に南方の同志の件、私が抑えましょう」
「ちょっと、待ってくれ。だったらリヒテルさんの救出を行ってください。あんた、姉でしょう、弟の危機を放っておくのか!!」
「身から出た錆びです。それに私は姉である前にバルムンクの頭領、時には冷酷な決断をしなくてはなりません」
冷たく言い放つアーデルハイドにアンゼルムは絶句した。何かがおかしい、何かが間違っている。しかしそれを具体的に提示することができずに彼は力無く肩を落とした。
*****
リューネブルク市・港――――
アーデルハイドが冷徹な選択を決断した同刻、港ではヴァンが助けた少女と共に
磔にされたファーヴニルと連絡を取ろうとしていた。
堂々たる態度で対談に望んだヴァンをスヴァルト兵らは見逃した。
それはその度胸に敬意を示したからでもあり、ヴァンをただの子供と侮った油断でもあった。
そして今、ヴァンはそのスヴァルトの油断を突く……所で少しの邪魔が入る。
「あはは、助かりました。スヴァルト兵をかどわかすのを失敗したら今晩、ご飯抜きだったのです」
快活にしゃべる彼女を見て、助けたことをヴァンは早くも後悔していた。
彼は姦しい女が嫌いである、仕事の邪魔になるからだ。
女は物静かで、後ろに侍るような従順な方がいい、と都合のいいことを考えている。
ちなみに彼が愛するテレーゼはその価値観からすれば対極の存在だが、そこはそれ、特別ということである。
「私はこれ以上、手助けいたしませんよ。後は一人でやってください」
「大丈夫です、内側に入り込んでしまえばいくらでも捏造できます」
「スヴァルト兵をだますのは容易ではないですよ」
「だますのは司祭長です。功績の捏造ですね」
ヴァンは少女を邪険しながら、意外にしたたかさを感じる言動に感心していた。
彼女は命令されるだけの人形ではない。
自分の意志があり、手段がある……ただそれが不正やごまかしに繋がるのは上司が腐敗神官のせいか。
虚実入り混じった報告や約定を提出して上司の覚えを良くしよう……それが成功するかは分からない。
また、それが折られた右腕と釣り合う代価を得られるかもヴァンにはわからなかった。
「うまくいけば、私は他の司祭様にも名前が知られ、買ってもらえるかもしれません。そして妾になり、子供の二人、三人産めば、私の地位も安定します」
「素晴らしい将来ではないですか、成就することを祈ります」
ヴァンは別に皮肉を言ったわけではない。彼に他意はない。
「そうでしょう、貴方も頑張ってください。」
「私は……壊すだけが能ですよ」
ヴァンは自嘲気味に言うと、パンを切り分けるナイフを取り出し、籠からじゃがいもを取り出し上に放り投げる。落ちてくるそれとナイフが重なり、そして通り抜けた。
「え、何……すり抜けた?」
「切ったのです、上下二つに」
籠に戻ったジャガイモは二つに分かれていた。斬れたのでもなく、割れたのではなく、ただそうであるかのように分かれた……断面図は平面だった。
「このぐらいなら私にもできます。まあ、お嬢様なら3、4分割までできるでしょうが……それは貴方には関係ありませんでしたね」
少女は目を丸くしていた。もしかすると彼女には魔術の類に見えたかもしれない。
「あ、貴方ファーヴニル!! 女なのにファーヴニルなのですか!!」
「声が大きいです。ここをどこだと思っているのですか?」
騒ぐ彼女を見とがめたのか遠くでスヴァルト兵が睨んでいるような……気がする。
ともあれ、ファーヴニルと言うだけで大騒ぎをする彼女を抱えてはいつどんな問題が生じるかわからない。手早く業務を終えるに限る。
*****
リューネブルク市・港・刑場――――
「差し入れです」
急いで磔になったファーヴニルに向かったヴァンだったが、しかし彼らの第一声は罵倒であった。
「て、手前も俺らを馬鹿にしに来たのか、ちくしょう!!」
「こんなことになるなら、来なきゃ良かった!!」
「俺の人生ってなんだよ、なあ、おい」
彼らの顔は絶望に染まっていた。
彼らはファーヴニル……官に属さず、武を生業とする無頼漢、されどスヴァルトから民を守る勇士。
だがその矜持は砕けていた、そこにあるのは打ちひしがれた負け犬。
バルムンク内にも彼らのような人間はいる。十年前の敗戦ですべてを失った者たち……。
「うるさいぞ、せっかくご婦人が来てくださったのだ、男ならもう少ししゃっきりせんか」
しかし、その中で未だ自分を失っていない者もいた。
磔にされたというのにきっちりとダブレッド(上着)を着込んだ五十前後の老人、ダブレッドにはスラッシュ(切れ目)がいくつも刻まれ、洒落っ気のある性格を暗示させる。
「すまんのう、若い者は打たれ弱くていけない」
「人間、落ち込むときはあります、大丈夫です。少しだけ失望はしましたが……」
「正直じゃのう。お嬢さん……ん、んんんんんん?」
なぜか、老人は鼻をピクピクさせて沈黙した。ヴァンは言いようのない不安に駆られ、いつでも逃げられる姿勢を取る。
その目には確かな殺気があった、人を逃がさぬように縛り付ける蛇の目……いつの間にか、あの少女は後ずさりし始める。
臆病な彼女は逃げようとしている……だがこれからヴァンと老人が話す内容を彼女に聞かせる訳にもいかない、ヴァンはその逃走を止めたりはしなかった。
「うむ、なるほど……勇ましいお嬢さんかと思ったが、さすが、バルムンク。女性を危険にさらしたりはしないか、感心じゃな」
「匂いでわかるのですか!!」
どんな変態だ。だがバルムンクの構成員と見破ったのは評価するヴァン……律儀である。
変態でも能力があれば立派……ではないが。
「わしはその道の達人でな、仲間内ではスケベなじいさんで通っとる」
「それは自慢にならないですよ!!」
まだ老人はふざけていた、あきれ果てたヴァンがつい声を荒げる。
「エルンスト・バーベンベルク。美女を囲んでその胸の中で死ぬ」
「もういいです、聞きたくありません。早くジャガイモと種を食べてください。それで私の役目は終わりです」
そう言うとヴァンはまず、ジャガイモを押し付けた。
心なしか力が入っていたのは他意はないはず……いや他意はあった。
真面目過ぎるきらいがあるヴァンはからかわれるのが大嫌いである。
アンゼルムしかり、目の前のエルンストと名乗る老人しかり、ちなみにからかう相手が恩人であるリヒテルならば嫌悪せず、テレーゼならば逆に愉しくなる。
意外とヴァンは人によって態度の差が激しい人間であった。
「んぐんぐ……うはぁぁぁ、生き返ったわい。ところで酒はないのかのう」
「没収されました。残念でしたね」
「なんじゃ、スヴァルト兵も野暮じゃのう。磔にされたら、酒を飲むぐらいしか愉しみがないじゃろうて」
「……次は種です。これは痛み止めですので、噛まずに丸呑みしてください。二日ぐらいは利くはずです」
老人、エルンストの軽口を無視してヴァンが種を飲ませる。ことさらに大げさな顔をしたのには殺したくなった
「まずい、まずいのう。丸呑みしたのに苦みが舌に残る」
「文句は言わないでください。それで二日後の奴隷市までは持つはずです」
「奴隷市……まで持つか」
エルンストの表情が一変する。それは巫山戯た老人ではなく、深謀を備えた、リヒテル副頭領がよく見せる顔。
ヴァンもまた表情を切り替える……この老人がどこまで知っているか、その度合いによっては口を封じなければならない。
あくまでバルムンクという組織を維持するのが目的であり、人命は二の次……それがヴァンのやり方である。
だが口から出すのは、あくまで人道に配慮した言葉であった。
「我らとて無力ではありません、神官らにも友が多い、金額次第で彼らは味方になります。」
「割に合わんかもしれないぞ、わしらは南方では無駄飯ぐらいでな、組織が身代金を払ってくれるかわからん」
「バルムンクは同志に対し、そこまで不義理ではありません」
「余裕がなければ義理も通せん。まあ、東よりはマシじゃ。あちらは実際にスヴァルトと交戦して全滅の憂き目にあっているからな」
十年続くスヴァルトの圧制を思い、沈黙が二人を包む。
そこには純粋な悲しみがある、それは仲間に捨てられたそれでもあった。
ヴァンは推測した……この老人は反乱について何も知らない。
今回、自分が密航までリューネブルク市に潜入した理由を、自分らが厄介払いされたのだと思っているのだ。
故にこの老人の口を封じず……放置して大丈夫だとヴァンは感じた。
「南方の同志の窮状は存じ上げておりませんが、我々には余裕があります」
「そうか、なら頼もうかのう、じゃがわしは最後でよいぞ、こんな老いぼれ……いや、磔になるという珍しい体験をもうちょっと堪能したいわい」
「強がるのは立派です。同じ立場なら私は……」
泣きわめくだろうか……いや、私は泣かなかった。磔にされる前に涙は枯れ果てていた。
「ともかく、わかった。奴隷市までおとなしくしておこう。皆にもそう伝える」
「了承していただき、ありがとうございます」
そこでスヴァルト兵がやってきた。騒いだから……ではなく会話が長すぎたかららしい。
すまなそうな仕草が妙に心に残った、自分がバルムンクのファーヴニルだと知っても彼らは同じ態度を取っただろうか……。
ちなみに用意した食糧は全て彼らの腹に収まった。
エルンスト老など、三人分も平らげている……つまりは食べなかった者もいたのだ。
磔になったファーヴニルの半数が既に生きる気力を失っていた。
*****
その日の晩から奴隷市の開催までの二日間、八月だというのにリューネブルク市には粉雪が舞った。
冷たい春に続き、冷たい夏が到来する中、開催場所である大広間では突貫工事で処刑場が作られ、磔になったファーヴニルを並べられていく。
先の司祭殺害も幾ばくかの賠償金でもって決着が着き、テレーゼの謹慎は解かれた。
アーデルハイドが何の手を打つこともなく容易に解決したそれは副頭領リヒテルの尽力によるものだろうが、結局本人は帰ってこなかった。
そして、まるで嵐の前の静けさを予感させながらその日、奴隷市は開催されたのだ。
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