第11話 命を懸ける勇者は尊敬されるべき

リューネブルク市・港・桟橋――――


「なんて奴らだ……」


 港の桟橋は刑場であった。

 奴隷船で渡航してきた南方の同志はその大半がエルベ河に沈み、生き残った者は捕縛された。

 彼らは幸運であったのだろう、生きているということが幸運だというのであれば……だがそれが逃れようのない死への準備期間というならば、それは果たして歓喜すべきことだろうか。


「おい、奴隷共……早く吊るしてしまえ、スヴァルトに逆らった愚か者共をな!!」


 スヴァルト兵の怒号が辺りに轟く、首輪を付けた奴隷らが緩慢な動作で、ファーヴニルを磔にしていく、見せしめだ。

 吊るす者も吊るされる者も皆、号泣していた。

 命令を受けた奴隷もまたファーヴニル、スヴァルトに屈したファーヴニルだからである。

 暴力に屈した彼らは、かつての仲間を死刑台に送っていたのだ。


「奴ら、殺してやる」


 ヴァンに同行したアンゼルムが一人、呪詛を吐く。

 それは責任感か、自負心か、どちらにせよ彼にできることは何もない。

 桟橋に作られた刑場は多数のスヴァルト兵に守られ、彼らの救出は不可能であった。


「騎士らの発言から察するに、これはミハエル伯の命令ですね」

「そうだ、スヴァルト貴族め」


 アンゼルムの拳が握りすぎてどす黒くなっているのを見つつ、同じファーヴニルでありながら、その無残な光景に少しも心を動かさないヴァンが分析した結果を離す。


「アンゼルム殿……彼らはどのくらい生きられると思いますか?」

「なんだ、どういうことだ……」

「私の経験上、磔になった人間は天候次第で数日は生存できるはず…だとするならば、彼らを救出するには二日後の奴隷市開催の時が望ましいかと……」

「まさか、貴族らは奴隷市の余興としてあれを…」

「恐らくは」


 ヴァンはわざわざ捕えたファーヴニルを晒し者にしたところから、ミハエル伯が自己顕示欲が高い人間であると推察した。

 であるならば、自身が主導する奴隷市の余興として罪人の見せしめを行う可能性がある。

 奴隷市開催時はひどく混雑し、それに紛れて救出を行うことは最低でも現状よりは優しい。

 利益次第で融通を利かせてくれる神官らを仲介に置けばなおいい。

 バルムンクの不利益になるのならば彼らを平然と謀殺するヴァンだが、逆に言えば不利益にならなければ同じファーヴニルを助けることに疑問はない。

 ただ、ヴァンは助けられる者を助けるが、全員を助けることは前提ではない。

 あくまで組織の利益優先、アンゼルムのような感情で行動を決めている訳ではないのだ。


「手前ら、これで済むと思うなよ。薄汚いスヴァルトめ、必ず俺の仲間が復讐してくれる!!」

「足を折れ!!」


 そうこうしている内にはりつけにされたファーヴニルの一人が、口でもってささやかな抵抗をスヴァルト兵に行っていた。

 死刑台の上での反抗は勇気の証……が少々無謀でもあった。

 スヴァルト兵はその支配を揺るがそうとする者を決して許さない。

 兵士に命令された奴隷が……かつての同志が躊躇しながら彼の足を連打する……十数回程で鈍い音がして骨が折れた。


「お前ら……同じ釜を食った、俺、お、あ」


 磔になった人間は足の骨を折られると体重を支えられなくなり、肺が圧迫されて短期間で窒息する。

 凍り付いたように眺めるヴァンらの向こう、彼は泡を吹き、涎を流し、糞尿を垂れ流して死んだ。

 それを助けようとする者はいない。


「馬鹿者の末路だ」


 スヴァルト兵が冷たく言い放つ。

 周囲の恨みがましい視線は彼が見回すと消え去った。


「このままじゃあ、奴隷市まで持ちそうにないぜ」

「私が言ってファーヴニルを説得してきます」

「できるのか?」


 やや期待を交えた視線でアンゼルムがヴァンを見る。

 無残な死に様を直視したせいか、その顔は青ざめていた。


「可能です」


 珍しく断言したヴァンだったがその口調には熱意が欠けていた、彼にとっては余計な労力だったからである。

 磔にされてもなお、抵抗することの愚かしさは幼き日に学んでいた。


*****


リューネブルク市・港・桟橋――――


 昼頃、ヴァンは食糧の入った大きな籠を持って、港に戻ってきた。

 服装は朝の奴隷服のまま、これがアンゼルムなどならすぐさま着替えるところだが、彼の頭には未だ隠密の文字が刻まれており、その服は女の物であるにしてもその条件をクリアしていた。

 端的に言えば着替える必要を認めなかった。


「なんだ、お前は」


 物怖じせず近づくヴァンは警備のスヴァルト兵に制しさせられた。

 相手が少女だとしてもその警戒は緩んだりはしないのは実直なスヴァルト兵だからだろうか。


「差し入れです、食事を持ってきました」

「何?」


 訝しげなスヴァルト兵の表情は、しかし険しいものとなっていく。

 どこか蔑んだようなそれはヴァンの予想と違っていた。


「また、司祭長からか……あの老人も懲りないな、いくら賄賂を贈っても我らはそれに屈しない。言ってそう伝えろ、それともまた殴られなければわからないか?」

「何か勘違いをなさっているようですが、この食事は貴方方のために用意したものではありません」

「では誰にだ?」

「桟橋で磔になっている仲間へと」


 兵士は咎めなかった。むしろヴァンを称賛するように口笛を吹く。


「敵陣に一人で乗り込むとは勇敢だな、しかし俺らが許可するとでも思うか?」

「敗北した戦士を鞭打つような真似は、スヴァルトの本意ではありますまい」

「女のくせに賢しげなことを言うな、だがまあ否定はせんよ。見せしめなんて方法は好みじゃないが、それでも貴族様の命令だ。俺は従者の家系でな、命令には従うさ」


 スヴァルト兵は持ち場を相方にまかせ、奥の隊長格に報告しに行った。

 遠目になにやら少しもめているようだが、ヴァンが心の中で千を数える内に帰ってきた。


「許可が降りた、ただ中身は検めさせてもらう。悪いがパンや肉、酒の類は没収だ、磔にしておいて何ができるかとも思うが、まあ規則だ」


 ヴァンが渡した籠の中にはパン、チーズ、じゃがいも、干し肉、エール(酒)がぎっしりと詰め込まれていた。

 磔になっているファーヴニルは十数名、彼らに行き渡る量を明らかに超えている。

 当初の予定では警備の兵にも配るつもりだったのである。

 金銭の類ではなく、食糧ならば見とがめられないとの予想からである。


「おいおい、自分の体重より重くないか、随分と力持ちだな」

「……」

「パン、チーズ、干し肉は没収、じゃがいもも……まあ俺らにとっては主食の一つだがアールヴにとってはおやつか、これは許可しよう」


 次々と検品されていくなか、茶色の植物の種のような物が底から出てきた。

 スヴァルト兵は首をひねり、ヴァンにその正体を詰問する


「これはなんだ?」

「痛み止めです」

「痛み止め……本当か、なんなら試してもいいか?」

「構いませんが、普通の人が食べると中毒を起こしますよ」

「大麻の類か」


 苦虫を噛み潰したような顔をして彼は種を底に戻した。

 大麻などの薬物は身体を損なうものとして、スヴァルト内では所持していただけで極刑の対象となる。

 いずれ現法王が崩御し、次代がスヴァルトとなればその法律が国全土に施行されるであろう


「嬢ちゃん、悪いことは言わないからファーヴニルと付き合うのは止めにしな、そんな物を使っている奴らはロクなことをしない。なんなら下級兵士の婿を探してやろうか、あんたアールヴだから妾にしかなれないが、奴らは妻を迎える金は稼げない、実質的には正妻だ」


 いやに親切? な兵士だと思いながらヴァンは一礼して桟橋に向かった。

 だがその行動を妨げるかのように背後で言い争う声がする。野太い兵士の声と、甲高い女の声……


「ちっ、またあの女が来たのか」

「どなたですか?」

「司祭長の妾の一人だ、ったく、恥知らずぶりは旦那同様だな」

「妾……? 司祭長は老年のはずですが……」

「金と女、そして権力に年齢は関係ない、アールヴの法王猊下もいい年だが若い妾が三人も……おっと今の言い回しは不敬罪にあたるな」 


 少しおどけた様子で兵士は背後をにらむ。

 つられたヴァンはそこに女、と言うより少女を見つけた。

 年の頃は十七のテレーゼよりやや幼く、栗毛色の髪とアンバー(狼の目)、小麦色の肌を有しており、それは一般的なアールヴのものではない。

 痩せて、やややつれた印象が強い彼女は右腕をボロ布で釣っていた。


(あんなになっても、司祭長の命を、恐らくはスヴァルトを懐柔せよとの命を遂行するというのか)


 教会の中で生気を失ったような顔をして神官らに傅いていた彼女たち、ロクに武を習得もせず、コロッセウム(闘技場)に臨んだ奴隷。


(いや、賞賛されるべきです。命を懸けて任務を遂行するのは私達と同じだ) 


 同情したわけではない、ただ司祭長の妾ならば、軟禁状態の副頭領リヒテルの状態を探れるかもしれない。

 そう理由づけしてヴァンは来た道を翻した。


「今度は左手だ、薄汚いアールヴが……おっと!!」


 今まさに警棒を振り降ろしたスヴァルト兵は突如、利き腕を払われて振り抜いた。

 抑えるのではなく、受け止めるわけでもない。ただ攻勢をそらす、身体能力を頼みにしたテレーゼなどでは難しい芸当である。


「すいません、知り合いです」

「なんだ、さっきの……あんたも神官長の妾だったのか?」


 あからさまに失望した雰囲気を漂わせる兵士。

 先ほどまで、ヴァンを勇敢だと称賛したのとは雲泥の差だ。

 どれだけ彼らスヴァルト兵がアールヴ神官らを嫌っているかわかろうというものである。

 勝者たるスヴァルトに媚びる神官を……実はスヴァルトが最も嫌っているのだ。


「私は磔にされた彼らの仲間です、彼女はただの知り合い。ですが知り合いが暴力を振るわれるを見たくはないのです、同行させてもらっても構わないですか?」

「いや、だけどよ……」

「お願いします」


 真っ直ぐに頭を下げてヴァンはお願いした。

 兵士はバツの悪い顔を浮かべたが、上司と何度か視線を交わした後、短く、首をしゃっくりあげて肯定の意志を見せる。


「命を懸ける勇者は尊敬されるべき……後でいろいろと内情を聞かせてもらいます」


 疑わしげな少女はヴァンの言葉を聞くと、びっくりしたような顔をした後、次いで緊張に強張る。

 ヴァンの服の裾を掴んで離れないようにしたのは離れないためか、逃げられないようにか、どちらにしても二人は托生となった。

 それはほんの少しの親切。

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