第10話 決めるのは我らスヴァルトだ

リューネブルク市・港・入口――――


 エルベ河の支流に建設されたリューネブルク市の港は未だ日が明けぬ一時課の鐘(午前三時)より活動を再開する。

 元々が砦であるリューネブルク市の大動脈であり、食糧や生活物資などを市全体に行き渡らせるその重要性からスヴァルト貴族の直轄に数えられるが、十数年ほど前まで辺境に閉じ込められていた彼らは商業知識の蓄積がなく、たくましいアールヴ商人の跋扈を許してしまっている。

 彼らはスラムを統治するバルムンクへも接触を図っており、その商魂は筋金入りなのだ。

 商売できるのならば、彼らは人種を問わない。


「似合うじゃねえか、ヴァン。奴隷のお前にふさわしい恰好だ」

「私は男なのですが……」


 その日、南方の同志が奴隷船に紛れてやってくるとの伝令を受けたヴァンは彼らを迎えるため港にやってきたのだが、頭領の命令で相方に指名された男に不満があった。

 何故か、ヴァンに変装用として女物の服を着せる酔狂さといい、不真面目そうな言動といい、そして何より、隠密を心掛けるはずの任務に、この男は無関係な人間を巻き込んだのだ。


「それはそうと、アンゼルム殿、後ろにいる方はどなたですか?」

「俺の舎弟だ、今日は南方の分家が来るめでたい日だからな。祝い事は大勢で楽しんだ方がいいだろう」

「貴方は出迎えの意味がわかっているのですか?」


 アンゼルム・グルムバッハ。

 バルムンク、リヒテル直属の部下たる彼はテレーゼですら知らない、蜂起の事を知る数少ない一人である。

 そのため、今回の南方の同志がただのあいさつではなく、蜂起のための戦闘要員を派遣するためだと言う事は理解しているはずだ。

 しかし、それがスヴァルト貴族や神官らにどう見られるかまで考えが及んでいるかまでは確認できていない。


「長く組織にいるってだけで、俺に意見するんじゃねえ。全部知っているし対策も立てている……じゃあこう言おうか、リヒテルさんに全権をもらっている、それで文句ないだろう」

「……」


 〈命令〉には忠実なヴァンの思考を読んだかのようなアンゼルムの牽制。

 彼は小馬鹿にしながらアンゼルムは自分が用意したヴァンの服装を上から下までねめつける。

 ヴァンの服装は奴隷が着るような粗末な、それも女が着るスカートであった。

 隠密を原則とするため、さすがに死術士をあらわす鉄の首輪はしておらず、簡素な皮の首輪だが、それが一層悲壮感を煽り立てる。

 中性的な顔立ちをしていることもあって売り場に並べられる少女奴隷と言われても疑問に思う者はいないであろう。

 ただ、アンゼルムの思惑がどうであれ、ヴァンはそれに屈辱を感じてはいなかった。

 彼の関心は主の目的を果たすこと。

 人目を惹かなければどのような服装でも構わないし、主がアンゼルムに仕切らせようというのならただ補佐に徹するだけである。


「文句はないな」

「何もありません。私は今回、貴方の補佐に徹します。同志との邂逅が上首尾になることを祈りましょう」

「……けっ」


 アンゼルムは、あるいはヴァンが屈辱に歪む顔を見たかったのかもしれない。

 だがその希望は潰え……代わりに一瞬、アンゼルムの顔にひびのように痙攣が走るが、すぐに小馬鹿な笑みが戻った。


「生意気なら、兄貴……やっちまいますかこいつ?」


 兄貴の怒りを読んだ舎弟がこれ見よがしにナイフをちらつかせ、ヴァンに脅しをかける。

 しかしアンゼルムはゆっくりと首を振った。


「駄目だ。こいつは……リヒテルさんの所有物だ。やるのは簡単だが、さすがにまずい」

「そうですか……それならば仕方ありませんね」


 素直に舎弟は引き下がる、それが少々、ヴァンには残念であった。

 ヴァンは彼が殴りかかってくるのを予想していたのだ。

 その時は刹那の間に彼は地面を這いつくばるようになっていただろう、それだけの実力差がヴァンと、舎弟、いやアンゼルムの間にはある……所有物扱いされて生じた怒りを存分に叩き付けることができるはずだった。


「お前ら、気合を入れろよ。ここで男を見せた奴は俺がリヒテルさんに推薦してやる。スヴァルトにやられた仲間の仇を取ろうぜ!!」

「おぉぉぉぉ!!」


 彼らの熱気に一人共感できないまま、ヴァンはつまらなそうな顔を鉄面皮で覆い隠していた。


*****


リューネブルク市・港内―――


 港は喧噪に満ちていた。

 積荷を運ぶ人夫らの怒号、首都マグデブルクからの嗜好品を買い付ける商人の呼びかけ、そして何よりも周囲を威圧しながら歩くスヴァルト兵が特に目立った。

 十年前、スヴァルトの侵略が起こるまでは決して見られなかった情景……そしてヴァンは彼らを見つけた。

 皮鎧に精緻な飾り布を縫い付けている、恐らくは騎士階級。

 スヴァルトの指揮官が部下を大勢連れて港に乗り込んできていたのだ。


「騎士……上等区で貴族らを警備しているはずの彼らがどうしてここに」

「なんだ、びびったのか?」

「いえ、もしかすると情報が漏れたのかもしれません」

「なんだと!!」


 アンゼルムが戦慄するのを尻目にヴァンはそれ以上の危機感を覚えた……なにせ二回目なのだ、バルムンクが蜂起の準備を行った場所に捜査が入るのは。

 一度目は貴族暗殺に協力した商会の主が殺された。

 殉死ということだが、それが建前なのではないかとヴァンは疑っている。

 そして二度目……今回の同志の潜入は一度目以上に危険な橋を渡っている。

 なにせバルムンクと縁が深い同じファーヴニルである。

 法の庇護を離れた彼らは一緒に運んでくる武器の類が見つかっただけで断罪の対象となる。

 最悪の場合を考えて、彼らに全ての罪を擦り付けて口を封じ、バルムンクの組織を守ることも視野に入れなければならない。


「彼らとの接触は可能な限り引き伸ばしましょう、これでは動きが取れない」

「それは……分家の連中を見捨てるという事か?」


 ドスの利いた声にもヴァンは動じる様子を見せない。

 組織を、主を守ることが彼の信条だからである……アンゼルムのようなスヴァルトへの復讐をヴァンは考えてはいない。


「事を起こすのはいつでもできます。しかし組織自体がなくなってはその可能性は永遠に潰えます」

「仲間を裏切り、自分たちだけ助かって何をするつもりだ。そんなバルムンクなんて潰れちまえ!!」


 人の耳を警戒して固有名詞を避けるヴァンだが、その配慮は空回りしていた。

 アンゼルムの罵倒に周囲の視線が集まる……それは住民だけでなく、兵士をも集めていた。


「バルムンクがどうしたと言うのだ?」


 三人組のスヴァルト兵が近づいてきた。

 先頭を進む青年の兵士は服装から騎士階級、揉め事の多い港をアールヴの神官兵は忌避するが、逆にスヴァルト兵は進んで乗り込んでいく。

 信じる宗教の違いだろうか。

 アールヴは己の利益を追求することに、スヴァルトは自らの義務を果たすことに喜びを見出す。

 ようはアールヴに比べてスヴァルト人は真面目な人間が多いと言うことだ……しかしそれを差し引いても、リューネブルク市に十人程しかいない騎士が現れるのは尋常なことではない、ヴァンは警戒をいよいよ強めた。


「お前ら、バルムンクか…あの浮浪者の集まりの」

「だったら、どうだっていうんだよ?」

「ちょっと詰所まで来てもらおうか、この頃のお前らの態度は目に余る。身分の違いというのをわからせてやろう」


 傲慢なスヴァルト騎士に、しかしアンゼルムは口調こそ乱暴だが、表情は比較的平静であった。

 これがテレーゼならば件の騎士は顔を割られている。


「いや、俺はあんな屑どもの仲間じゃないぜ。ただ、この女がそいつらの回し者でな、俺を誑し込んで仲間に引き込もうとしたんだ。スカートをこう、託し上げて、ばっさばっさと揺らしてよ。同じアールヴとは思えない情けなさだ」

「そうか、それは災難だったな。かくいう俺もさっき同じ目にあった。本来なら賄賂を渡すのは金でも体でも罪なのだが、まあ所詮は男より劣る女だ。腕の骨だけで勘弁してやったよ」


 アンゼルムはヴァンをだしにして事態の収拾を図ろうとしていた。

 そしてだしにされたヴァンはそれに不満を見せることなく、その行動を賢いと考える……が、考えただけで行動には繋がらなかった。

 アンゼルムに合わせてそれらしい演技でもすればなお良し、しかし生憎ヴァンの顔は無表情かぼんやりかの二択しかない。

 アンゼルムのような機転は望めないのだ。

 その〈失態〉はすぐに形を見せて目の前に顕現した。


「女なんて所詮はわけの分からない生き物だからな。奴らは感情が安定していないし、過去のことを蒸し返すし、そうそうなんで今日はそんなに仕事熱心なんだ。首都の官吏でも来ているのか?」

「いや、常に実直に努めていれば、誰がいつ来ようとも恐れることはないさ、俺らが駆り出されたのは奴隷船に南方のファーヴニルが乗っているとの密告があったからだ」

「何!!」


 アンゼルムが蒼ざめる。

 それは舎弟にも伝染し、今度もまた、平静を保ったのはヴァンのみであった。


「馬鹿な奴らだ。おとなしく捕まれば楽に死ねたものを……抵抗するから、船ごとエルベ河に沈められることとなる。今年の春は冷たい風が吹いた、水温もかなり下がっていただろうに……」


 やはり、情報が漏れていた。

 戦闘要員とともに武器もまた藻屑となったことだろう、蜂起は延期を余儀なくされる。とはいえ皆殺しならば口封じの心配もない。

 だが密告というのが気にかかる。情報を知るのはバルムンクの内部の人間のみ、ならば密告者の正体は内部の人間か?


「さて、そこの女はバルムンクの者だというのだが…」

「あ、ああ、そうだ好きにしてくれ」


 動揺を顔ににじませつつ、アンゼルムが半ば投げやりに言い放つ。スヴァルト騎士は剣を抜いた。


「私をあまり甘く見るなよ……目でわかる、この奴隷女はバルムンクの売女ではない。バルムンクはお前らだな……ファーヴニルの話題に反応し過ぎだ、詰所で少し話を聞かせてもらおうか」

「何の罪もない、ファーヴニルを捕えるって言うのかよ」

「それを決めるのは我らスヴァルトだ、お前らではない。どうせ叩けばいくらでも埃がでてくるだろう。安心しろ、意に沿わぬ相手から情報を引き出すのは得意でな」


 スヴァルト騎士はさりげなく拷問を匂わせた。

 その瞬間、両者に緊張が走る。アンゼルムらは舎弟を含め十数人。対してスヴァルト騎士側は三人。

 それで戦いを挑んでくるということはそれ相応の自信があるのだろう。

 ヴァンは蚊帳の外に置かれたのを利用して、そっと辺りを見回す。

 迷惑そうな顔や、野次馬根性丸出しの愉しげな顔、いずれもどちらかに加担しそうにはないが、憂国の義士を気取るバルムンクと、侵略者たるスヴァルトの私闘にしては彼らの態度は中立過ぎた。


(もしかすると、多勢に無勢は我々の方かもしれませんね)


 この時点でヴァンは逃走を選択していた。戦って負ける気はないが、恐らくアンゼルムの舎弟には死者が出る。余計な犠牲はヴァンの望むところではない。

 そんな願いがアールヴの始祖シグルズに、あるいは死術の祖、シグムンドに届いたのか助けの主は現れた。


「セルゲイ様……火急の用がございます」

「何事か!!」


 やや不機嫌そうな声音で、ただし表情には出さず、スヴァルト騎士は問い介した。

 伝令の兵は小声で騎士に耳打ちし、騎士は徐々に険悪な顔へと変わっていく。


「それならば、斬ればよいだろう。何、生け捕り……そんな酔狂な、閣下が!!」

(生け捕り……全滅したわけではないのか?)


 その後も小声で話を続ける騎士と兵士。

 その間、ヴァンはアンゼルムに目くばせする。逃げるぞ、という合図だ。

 アンゼルムは了解したが舎弟の一人が納得できずに懐からナイフを取り出し、ヴァンの足払いを受けてひっくり返る。


「運のいい奴らだ、所用ができた。今回は見逃してやるから、妙なことをしでかすなよ」

「お前ら侵略者と一緒にするな」


 ただならぬ空気を残し、スヴァルト騎士らは去って行った。残されたのは禍根が残ったファーヴニル。周囲からの住民の目もまた引き寄せられたままである。


「仕方ねえ、一度、戻るか……おい、お前ら今日は解散だ」

「あ、兄貴……」

「少し、派手に動きすぎた。悪いな、俺のせいだ。次は気を付ける」


 しおらしく頭を下げるアンゼルムに舎弟らは何も言えなくなってしまう。

 彼はヴァンとは違い人を指揮する人間である、そこら辺の機微は弁えていた。

 アンゼルムはヴァンに見せなかった気遣いを舎弟には見せたのだ。


「少しだけ探ってきます。昼頃には銀の雀亭でご報告できるでしょう」

「ヘマをやらかしたら許さねえからな」



 無論、その気遣いの対象にヴァンは入らない、同じバルムンクの同志だと言うのに……アンゼルムがヴァンに見せる態度は……はっきり言って敵であるスヴァルトと同じ物なのだ。


「善処を尽くします。一人でも多く、生き残りを連れてまいりましょう」


 そしてヴァンもアンゼルムと仲良くする姿勢は少しも見せない。

 表面だけ取り繕うように心にも無いことを言いながら、ヴァンは港の奥へと駆けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る