第二章 誰がための勝利

第9話 魔女の術が解けるのはそう遠いことでもないよ

銀の雀亭・バルムンク本部――――


「テレーゼが斬った件の死術士……死んだそうだ、神官らは殺人罪でテレーゼを起訴する」


 静寂が支配する、銀の雀亭にリヒテルの冷えた声が鳴り響く。

 先のスヴァルトと神官による罠……まるでコロシアムのように死術士との戦闘を強いられたヴァンとテレーゼ。

 なんとかその窮地を脱した彼らだったが……待っていたのはさらなる〈汚い〉策略だった。

 あくまで峰討ちで済ませた死術士が死んでいた。

 神官らが〈失敗〉した死術士の口を封じて、その罪をテレーゼに着せたのは明白。

 しかし官僚として、事件を捜査する権限を持つ神官はその事実を捻じ曲げる事ができるのだ。

 それがどれだけ悪辣だったとしても、それを行使した者は非難されない。

 騙された方が悪い……それが現実、ヴァンは不甲斐なさのあまり、ただ頭を垂れるだけだった。

 騙されて……申し訳ありません。


「全ては私の不徳の成すところ、申し訳ございませんでした」

「私は別に責めているわけではない。今回の件、お前も、もちろんテレーゼにも罪はない。非があるとするならば、未だ神官らのことを正しく理解していないことだ。奴らを人とは思うな。スヴァルト同様、アールヴの常識など通じん」


 リヒテルは神官らの外道さを正しく理解している、だからこそヴァンに責任を求めないのだ。

 しかし、無罪を告げられたヴァンにとってはなんの慰みにもならない。

 ……それ以上の罰が加えられたからである。


「死術士の正体が高位神官である司祭、禁忌である死術を扱う司祭など聞いたことがないが、もしかすると死んでから司祭となったのかもな。ともあれ政を行う、司祭を殺すのは重罪だ。情状酌量の余地があるから実刑までは執行されないが出頭を命じられている」

「私がお嬢様の代わりに行ってまいります」


 決然とヴァンは名乗りを上げるが、しかしその意思は尊重されない。


「馬鹿を言え、お前では殺されるだけだ。禁忌の死術士一人を殺したところで彼らはいくらでもその真実を覆い隠せる。事は政治面の問題なのだ、代行は私だ。心配するな、神官らの中にも私の友人は多い。滅多なことにはならないさ」

「しかし……」


 なおも食い下がるヴァンだが、リヒテルは一度下した決断を変えることはない。 食い下がること自体が無駄なのだが、そこまで合理的にヴァンはなれなかった。


「本当にすまないと思っているのなら、今後の職務に邁進してほしい。いよいよ明日の晩には南方の同志が奴隷船に混じって到着する。しかし私はそれに同行できない。頭領の警護をしっかりと頼むぞ」

「はっ、はい……わかりました」


 内心、不承不承でしかし表面上は従順を装い、ヴァンは頷いた。

 失態を前に頷くしかなかった。

 副頭領は責を問わないどころか、新たな職務すら与えてくれた。これ以上の処置はない。


「三日後の奴隷市の開催までには戻る。それまで留守はまかせたぞ」

「了解いたしました」


 感情を抑えた声が黙って、リヒテルを送り出す。


*****


銀の雀亭・テレーゼ私室――――


 確かに急所を外したはずだった。あのぐらいで死ぬはずがない確信があった。しかし実際には彼は死に、テレーゼは贖罪を迫られていた。

 いや、罪を償うのならまだいい。兄と慕うリヒテルが自分の代わりに司教府に出頭していったと聞いたテレーゼは目の前が真っ暗になった。罪を償うのは別の誰か、その事実をテレーゼは恨めしく思っていた。

 いったい何をやっているのか、自分の剣は何を斬るためにあるのか、テレーゼの心は自責や後悔、神官らの非道。そして無力感。それがないまぜになって混沌となっていた。謹慎を命じられていたのは事を荒立てないためだが、もしかするとリヒテルはテレーゼの精神状態を見抜いていたのかもしれない。


「姫……来客です」

「帰ってもらって、今は誰とも会いたくありませんわ」

「しかし、相手は頭領なのですが……」

「お母様が!!」


 テレーゼの顔が羞恥で赤面する。

 ある意味、今、もっとも会いたくない人物がやってきたのである。追い返す、あるいはお引き取り願う言い訳を頭をフル回転させて考える。

 しかし悲しいかな、彼女の頭脳は戦闘に特化しており、そういったことにはひどく不向きであった。これが例えばヴァンやリヒテルならば、頭領アーデルハイドは無理でも警護のファーヴニルぐらいは騙せるはずであった。


「わ、私はトウガラシの食べ過ぎでお腹を壊して昏睡中です。そう伝えなさい!!」

「そんな言い訳、子供でも通用しませんよ」


 あきれ果てたファーヴニルの言葉を背に妙齢の女性が入ってきた。蒼みがかった金髪の少し線の細い美女である。作り物めいた表情がひどくテレーゼと似ていた。


「こんにちは」

「あ、あうあうあう……」


 母親であるアーデルハイドを前にしてテレーゼは混乱状態になった。

 言い訳、取り繕い、数多の選択肢を思い浮かべ、しかし結局ごまかすことは止めにした。

 テレーゼは基本的に素直な娘である、ごまかしや隠蔽などは最も不得意とする事柄の一つなのだ。

 それは必ずしも非難されることではなかった。


「ご、ごめんなさいお母様、またみんなに迷惑をかけてしましまいました!!」


 這いつくばって謝罪するテレーゼ、ヴァンなどが見れば目を剥くような光景である。本人の見識は別として、彼女のイメージはしょせん自儘なお嬢様である。


「う~ん……しょげてるテレーゼも可愛い!!」

「いた、痛い……痛いです、お母様!!」

「ああ、硬くてまっ平だけど、暖かくていい匂い!!」

「お母様!!」


 まるでカンナで削るように娘を抱擁し続けるアーデルハイド。病で往年の力を失っているようには思えない腕力である。テレーゼは半ばボロ雑巾のようになった。


「ごめんね、でも良かったわ。落ち込んでいると聞いて心配していたのよ、いつも通りで安心したわ」


 コロコロと笑う母にテレーゼは怒る気にならない。あるいは体力を喪失していて思考がまとまらない。とはいえ、この母娘の関係はずっと良好である。


「私、遊ばれました?」

「そんなことないわ、可愛いわよ貴方はいつも…」

「むぅぅぅぅ……」


 いじけたように涙目になるテレーゼ……これもヴァンが目を剥く表情である。彼女は母親以外にそんな弱々しい顔をしない。


「ごめん、ごめんなさい。でも今回のことは貴方のせいじゃないのは確かよ。貴方の正義は正しい、間違ってない。剣を握ったこともない少女を戦場に出すなんて外道のやることよ。あの死術士は相応の報いを受けた」

「でも、そのせいで兄上が……」


 リヒテルは自身が代わりに出頭することをテレーゼには秘密にしたかったのだが、たとえ副頭領の命でも彼女に伝える者は多い。それは人望の差である。禁忌に踏み込んだヴァンが望んでも得られない宝。


「貴方の正義は正しい。ただ、場所は選ばなくてはいけないわ。貴方の正義はこのスラムに限定されている。他で振りかざしてはいけないものなのよ」


 アーデルハイドの言葉の多くをテレーゼは理解できない。微妙な口調の変化にも気づかない。ただ、認められている。それだけは理解できた。それは安らぎ、再び立つための活力となる。


「それはそうと……テレーゼ」

「なんですの、お母様?」


 何の疑いも抱かず、テレーゼは母親に向き直った。さりげなくもう一度、抱きしめられたことも疑問に思っていない。


「貴方……結婚する気はない?」

「えぇぇぇぇ!!」

「何を驚いているの? 貴方、もう十七歳でしょう、母さんは十五の頃には貴方を生んでいるのよ。問題ないじゃない」

「そんな、お母様が生きていた時代とは違いますわよ!!」

「時代が違う……私ってそんなに年を食っていたんですか?」

「い、いえそんなことでは……」


 テレーゼはさかんに咳払いし、なんとか話題を変えようと試みる。それを愉しげにアーデルハイドは見つめていた。


「たとえ自分に合わない男が来ても自分好みに教育してしまえばいいのよ。私はそれでうまくいったわ、貴方は私の娘だから同じことができるはずよ!!」


 自身満々に格言、もとい妄言を言い放つアーデルハイド。良くも悪くも母親に従順なテレーゼはそれを鵜呑みした。あるいは失言を怒られないことに安堵してその振りをした。


「そ、そうですわね。そうすればいいのですわね」

「そうよ、男なんかに主導権を握らせてはいけないわ、子供を産めるのは女だけ、例え肉体的に劣っていても物怖じすることなどないわ」


 ちょろい、アーデルハイドの毒舌をテレーゼは完璧に聞き逃した。

 基本的に素直な娘である。自分を産み、教育したものが自身より常識人だという保証は何もない。そのことに気付くのにテレーゼは幾ばくかの時間を必要とした。


*****


銀の雀亭・テレーゼ私室前――――


「愉しそうだね、嬉しそうだね、アーデルハイド。存分にその幸せを噛みしめてよ、魔女の術が解けるのはそう遠いことでもないよ」


 テレーゼが母親であるアーデルハイドと歓談していた同じ頃。

 部屋の外、訝しめな視線で見やる護衛の兵を物ともせず、女医者は独り言ちる。

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