第7話 俺はまだ満たされていないんだ

スラム街・エルベ河のほとり(教会裏庭)――――


 兵士が戦闘に巻き込まれないようヴァンらと距離を取る、向かった先には一際豪華な天幕があった。

 そこにいたのはグレゴール司祭長……リューネブルク市、そしてこのザクセン司教区に配属された数百人の文官の長。

 つまりはスヴァルトに魂を売った売国奴の頭目であった。


「なかなか善戦しておるな、二人とも……特にヴァンとかいう死術士。白兵戦は本業ではないはずじゃが……」

「司祭長、それは偏見ですよ。戦場に出る兵士は何かしら武の心得があります。それは専門職である死術士も変わりません」


 そんなものかと、老境に達した司祭長は若きスヴァルト兵を見やる。

 そして何かを思いついたかのように問い詰めた。


「しかし、君は二人が死ぬ方に懸けた」

「ええ、私は小心者なのでね。大穴狙いはちょっと……」

「詐欺ではないか、君が企画したものだろう。負ける相手を選んで連れてきたのでは賭けにならん」

「いいじゃありませんか、騙し合うのも賭けの愉しみです。私はミハエル伯と仲が悪い。干されてこんなことくらいしかやることがないのです」

「大嘘つきめ……不死王シグムンドに食われてしまえ」

「ははは……それは褒め言葉ですよ、俺にはね」


 目の前で行われている命がけの戦いを、酒のつまみとしてしか感じていない司祭長の傲慢ぶり。

 しかしそれよりもなお、兵士が見せた震えるばかりの獰猛な笑みの方が周囲には非道に見えた。


*****


エルベ河ほとり・ヴァンとテレーゼ 対 屍兵


 戦場は混沌としていた。

 襲い掛かってきた屍兵は十数体、その半数が屈強な偉丈夫であり、痛みも死の恐怖も感じない彼らは見かけ以上の脅威である。

 だがそれよりもこの窮地を招いたのは二人の油断であった。

 神官共がこんな暴挙をするとは二人とも考えてはいなかったのだ……先手を取られたのは否定できず、背中合わせて防戦に回っていた。


「屍兵……死術士が使役する死体です。仮面も額の札も全て飾りです、彼らを倒すには心臓を貫くしかありません」

「貴方、死術士でしょう? 支配し返すとかできないんですの、ひ、ひゃああああ!!」


 テレーゼは振るわれた剛剣を紙一重でかわす。

 返す刀でその首を斬り落としたが、相手は何事もなかったかのように向ってくる、首の切断面からは血すら流れなかった。


「ここまで密着されては……無理です、はっ!!」


 ヴァンは左右同時に向かってくる刃を巧みに受け流す。

 足払いを受けて左側の屍兵がひっくり返るが無論、やはり痛みを感じるそぶりすらない。


「だとしたら、術者を狙うか……あるいは神官らをぶったおすしかありませんわ」

「神官らに剣を振るいたくはないのですが……致し方ありませんね」

「なに、この後に及んで、そんなことを言いますの、馬鹿じゃありませんの!!」

「統治階級たる神官を傷つければ重罪ですよ」


 軽口を叩きつつ、一塊となって包囲の突破を試みる。

 狙うはあのスヴァルト兵が向かっていった天幕、そこに術者がいるかわからない。

 だが……この狂乱劇の首謀者がいる可能性は高い。

 まるで騎馬突撃ランス・チャージのようにテレーゼは疾駆する。

 立ちはだかる者を斬り倒し、振るわれる剣を払いのけ、一直線に駆け抜ける。

 完全に防御を無視した動きだが、彼女は躊躇わない。

 殺し損ねた敵も、側面から襲う脅威もヴァンが払ってくれると信じているかのようだった。

 ただ前へ、より早く、より強く、もっと遠くへ……。

 行く手を遮る仮面を付けた屍兵が、意志を持たないはずなのにまるで怯えるようにじりじりと後退する。

 こころなしか先ほどまでより小柄なそれはしかし、数瞬後には覚悟を決めたのか、しゃにむに突っ込んでくる。

 テレーゼの、もはや雷鳴にも匹敵する剣撃を奇跡か、単なる偶然か、〈彼女〉は受け止めた。

 そしてその手に持つ刃がテレーゼのほほを軽く撫で、血をしたたらせるが、それが限界であった。

 仕損じたと判断したテレーゼの、間髪入れずに放たれた二撃目は反応すらできず、剣の腹で仮面を叩き割れる。

 〈彼女〉の顔に血の花が咲いた。


「生きてる……?」


 顔の左側から血を撒き散らし倒れる彼女を見て、テレーゼは茫然と呟いた。

 彼女の手に伝わったのは屍兵のような鉄のように固い筋肉の鎧ではなく、柔らかい生きた肉を殴った感触。

 なぜ紛れ込んでいるのか、その疑問はすぐに明かされた。


「さあさ、ついに聖歌隊と交戦に入りました!! 彼女たちはファーヴニルに勝てるのでしょうか、勝てると思う者は黄色の紙と、少女の番号を、ファーヴニルが敗けると思う者は先ほどと同じく赤い紙を……」

「まさか……」


 ヴァンは教会の内部で司祭らと共にいた少女奴隷を思い浮かべる。

 半ば正気を失っていた彼女らがどんな扱いを受けているか考えたくもないが、その中で剣奴というものもあるのだろう。

 しかしロクに武術の心得もない彼女らを、戦場に出す結果など子供でもわかる。 これは武を示す場ではない、少女奴隷らが無残な死にざまで魅せる公開処刑なのだ。


「なによ、なんなのよ……ねえ、ヴァン、訳がわからない。私は何と戦っているの? 私の剣は虐殺の道具ではないのよ!!」

「お気を確かに……彼らは敵。情けをかければ殺されるのはこちらなのです」


 戦意を喪失しかけているテレーゼを叱咤し、今度はヴァンが先頭に立つ。

 テレーゼの動揺を目ざとく見抜いたのだろう彼らが横列を組んで突進してきたからだ。

 屍兵と生きている兵士の区別はできない、だがヴァンに限ればそれは必要のないこと。

 体格の差から生じる横列のわずかな差を巧みに突き、ヴァンは先頭の兵士に疾風のような一撃を加える。

 わざと頭を狙った、相手はまず始めに噴水のような血を吹き上げ、ついで脳漿をぶちまけて死んだ。


「ヴァン……やめなさい、相手は堅気よ!!」

「貴方の方が大事です」


 テレーゼの嘆願も今は心に響かない。相手が女子供であろうとも容赦をする気はなかった。

 何人かの動きが鈍くなる、横列が乱れる。

 恐らくは仲間の無残な死にざまに恐怖したのだろう、それが件の聖歌隊だ……そしてその事でもう一つ、わかったことがある。

 首を飛ばされても行動に支障がない屍兵は五感には頼っていない、目が見えているわけでも、耳が聞こえているわけでもない……屍兵は屍兵以外の敵味方を区別できないのだ。

 故に屍兵と人間の兵が混じって戦うには、術者がすぐ近くで戦況を見守りつつ細かな命令をしなければならない。 

 そうでなければ、屍兵は〈生きている〉聖歌隊も襲ってしまうのだ。


(どこだ…どこにいる)


 ここまでの乱戦、遠目という訳ではないだろう。

 少なくとも、ヴァンとテレーゼ、二人とそれ以外を見分けられるくらい近くに……。


「いた!!」


 天幕の手前、木の陰に黒服を着、ねじくれた杖を持つ壮年の男が見える。


「いました……お嬢様。あそこにいるのが術者です」

「そう……あいつが」


 底冷えするようなその声にヴァンは背筋を凍らせる、横目で見る彼女はひどく美しかった。

 憂いたその表情は俗世間のしがらみを離れた透明さがあり、伝承のルサールカ(水妖)を連想させる。


「ヴァン、背中を貸しなさい!!」


 言うが早いがテレーゼはほとんど助走もつけずに跳躍、ヴァンの背を足場に空高く舞い上がる。

 包囲を脱し、三ディース(約十二メートル)の距離を瞬時に縮める離れ業……対して相手の死術士の動きは緩慢であった。

 ヨタヨタと逃げる様はまるで七面鳥のようである。

 恐らく、腹に大きな脂肪を抱えていて俊敏に動けないのだ。


(まずい……お嬢様は怒りに我を失っている)


 完全なるチェックメイト、しかしヴァンは焦燥に駆られていた。

 彼は賭け自体を疑っているのだ、勝てば神官が自分達を見逃す保証はない。

 むしろ初めから自分達を陥れるようこの殺し合いを用意したのではないか……屍兵が勝てば自分達は死亡、そして自分達が勝てば。

 統治階級たる神官を傷つけるのは重罪……頭に血が昇ったテレーゼが神官らを傷つければ、合法的に彼女を罰せられる。

 ちなみに、一般人に過ぎない少女達に殺し合いをさせたことは罪ではないのか言えば……答えは無罪だ。

 裁判権を持っている神官らが自分達に不利な判決を下すわけがない。

 神官とはそういう人種であった。


―――大変だな、お嬢様のお守りは……だがお前が悪いだぜ、リヒテルについたお前が―――


「……!!」


 テレーゼを追おうとしたヴァンは誰かの声を聴いた気がした。

 懐かしく、それでいて嫌悪感をもたらす声。

 一瞬、記憶を探ろうとしたが、思い直して中断した。

 今やるべきことはそれではない。


「ぐあぁぁぁ!!」


 無様な悲鳴を上げて死術士が斬り倒される。

 彼が杖を手放した瞬間、ヴァンを包囲していた敵兵の半数以上、聖歌隊を除いた屍兵が力を失ったかのように頽れた。 

 勝敗が決したのだ。


*****


「ぐっ……お前らの勝ちだ」

「他に言うべきことがあるでしょう」


 ヴァンが駆け付けると、テレーゼは死術士を足蹴にしていた。

 彼の右腕は本来曲がることのない方向に曲がっており、それがそのまま彼女の怒りを代弁していた。

 しかしそれ以外の致命傷となる外傷がないことから、わずかに理性が上回ったのだろう、ヴァンは安堵する。


「成したいことを成すがよい、それが我ら死術士の信条よ……お前も死術士を配下に持つのならそれがわかるはず」

「それは今、関係のないことよ……謝りなさい、貴方が手にかけたあの子たちに」

「謝れば許されるのか?」

「なんですって!!」


 テレーゼが激昂する、しかしヴァンは平然としていた。

 死術士ならばそういうであろうと予測していたのだ……自身も含めて、死術士とは俗世間から離れた存在である、一般の常識は通用しない。

 それにテレーゼは勘違いをしている。

 屍兵を操ったのは彼だが、少女を戦場に送り出したのは彼ではない。

 彼が謝るのは自分たち二人に対してのみなのである。


「お前に謝罪して許されるのならばいくらでも謝罪しよう、しかし謝罪してもお前は私を許しそうにない、ならば謝罪はしない……無駄なことはしたくない」

「な、な、な……」


 まるで熱病にでもかかったのようにテレーゼがよろめく。

 フラフラとたたらを踏み、幾度かの逡巡の後、彼女は自分がもっとも取り得る方法を取った。


「がああああ!!」


 剣でその不愉快な死術士の腹を切り裂いたのだ。

 血と油が飛び散り、服を汚す。

 ただ死術士は意識を刈り取られたが、命まで取られなかった。

 テレーゼが急所を外したのだ、ヴァンが冷静に看破する。


「さあ帰りましょう、ヴァン……こんなところにこれ以上いたくありませんわ」

「……」


 ヴァンは無言で追従する、彼女の顔は見なかった。


*****


エルベ河・グレゴール司祭長の天幕――――


「結果はファーヴニルの勝ち、わしの一人勝ちだな」

「なんてこった……これじゃあ今月、水っ腹じゃないか」


 司祭長の一言にスヴァルト兵は頭を抱え、大げさに落胆したような仕草をする。

 とはいえ、本当のところ、賭け事程度で干上がる程、彼は貧乏人ではない。

 彼は特権で守られた貴族……それもスヴァルトにとって神にも等しいリューリク家の人間である。

 兵士の姿をしているのは単に煩わしい身分を嫌っているためだ。


「嘘ばかり、本当にお主は……」

「いいじゃないか……気分の問題だ、生活が懸かっていると思えば、スリルがあるだろう。それはそうと、あのファーヴニルの蒼髪に一撃を加えた奴、屍兵じゃないな。そいつをよこせ、身受けする」

「物好きな……恐らく、顔に傷がついているぞ。顔に傷がついた女は使い物にならん。美しくないし、なにより陰険になる。手元に置いていても煩わしいだけじゃ」

「その評価はいただけないぜ。そいつの価値は俺が決める。俺がいいと言ったのならそれで十分だ」


 スヴァルト兵は……否、スヴァルト貴族グスタフ・ベルナルト・リューリクは獰猛な笑みを浮かべた。

 傲慢で、残虐な笑みだった。並べられた獲物に舌なめずりする狼のような笑みだった。


「あれから十年……不愉快な大人は老人になり、かつての力を失った。今度は俺が虐待する番だ」

「わしは平和が一番だと思うがな」

「そういうなよ、欲しい物を全て手に入れたあんたと違い、俺はまだ満たされていないんだ。手に入れた物を守ってやるから協力しろ、そうそうあの死術士、治療は俺のとこの医者にまかせてくれ、悪いようにはしないからよ」


 その意味を知る司祭長はしかし、ただ乾いた笑みを浮かべるだけであった。

 スヴァルト貴族とアールヴ神官の会話は笑みで始まり、笑みで終わる。

 グラオヴァルト法国は黒きスヴァルトの物であった。 

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