第6話 男は特にな、自分が最底辺だと思いたくないのさ

スラム街・教会(役所)――――


 案内されたのは大広場に程近い教会であった。

 教会はリューネブルク及びザクセン司教区の行政を司る司教府の出先機関であり、スラムでの揉め事を処理するのが目的なのだ

 しかし賄賂次第で判定を変える神官らを住民は信用せず、彼らは給料泥棒の誹りを拭えないでいた。


「バルムンクの面々を連れてきた。通してくれ」

「その前に通行証を提示してくれ。そうでなくば通せない」


 教会を守るのは意外なことにスヴァルトの衛兵であった。

 褐色の肌に尖った耳を持つ彼らはひどく目立つ。

 またのっぺりとした仮面のような顔はどこか冷たさを感じてとっつきにくく、住民らは鬼(オーグル)と陰口を叩いていた。


「硬いこというなよ、目の前の蒼髪はかの有名なバルムンクのテレーゼ姫だぜ。顔パスしてくれよ」

「通行証を提示してくれ。俺が言えるのはそれだけだ」


 衛兵は取り付く島もない。

 兵士はやれやれと肩を竦め、懐に手を入れたが、ここでテレーゼが割り込む。

 なぜか得意げな表情をしており、ヴァンは猛烈に嫌な予感がした。


「わからない人ですわね」

「なんだ、これは……?」

「取っておきなさい。寝酒代ぐらいにはなるでしょう」


 テレーゼは素早い動きで衛兵に銀貨を握らせる、スラムで頼み事をする時の常套手段だ。

 寝酒代としては多すぎるその額に不足などあろうはずがないが、衛兵の対応は期待とは違った。


「貴様……俺を馬鹿にするのか」

「え、何……足りなかった?」


 胡乱げに呟くテレーゼを前に剣に手をかけようとする衛兵、スヴァルトは賄賂のような不正をひどく嫌う。

 ましてやその不正に自分が巻き込まれたとあっては猶更だ。

 自分が賄賂で動く人間だと思われたことは侮辱……ならばその者は己の名誉に掛けて斬らねばならない。


「……」


 兵士による突然の凶行……瞬時に臨戦態勢を取るヴァンとテレーゼ、だがそれは幸いにも無駄に終わった。

 兵士が剣を抜くより一瞬早く、兵士が通行証を出すのが早かった。

 独特なキリル文字で書かれたそれを見て衛兵の表情が一変する。

 己が名誉よりも、貴族階級の意志が優先……それもまたスヴァルトの倫理なのだ。


「こ、これはリューリク家の……失礼いたしました!!」

「何、この魚の燻製のような模様は?」

(グスタフ?)


 署名にはグスタフとあった、グスタフ・ベルナルト・リューリク。

 リューリクとはスヴァルトの指導者、ウラジミール公の家名であり、彼らにとっては神にも等しい存在である。

 スヴァルトである衛兵の態度は当然と言えたが、それとは別にグスタフという名はバルムンクにとってひどく嫌われた忌み名でもあった。

 十年前……バルムンクを裏切りし男の名前は未だ鮮明に残っている。


「悪いな、今のはスラム流の冗談だ」

「い、いえ私の方こそとんだご無礼を……ひらにひらにご容赦くださいませ」


 這いつくばるように謝罪を続ける衛兵の肩を叩いて兵士がヴァンらに先を促す。

 ヴァンは常の無表情で、テレーゼは怒っているようなしょげているような複雑な表情で先に続く。

 そんな彼女に衛兵は先ほどの銀貨を返した。


「これは貴方にあげたものよ。返さなくてもいいですわ」

「いえいえ、私は誇りあるスヴァルト。このような施しを受けるわけには参りません。もし不要というのでしたら神官らにお渡しください。彼らは金次第でなんでもしますぞ。所詮はアールヴです……あ、いえ貴方様もアールヴでしたな」


 衛兵は取り繕うのに失敗した、彼の目には隠しきれない侮蔑が目に浮かんでいる。

 どのような汚い手段で目の前の貴族関係者に取り入った、美しい少女というだけで彼はテレーゼを偏見という名の妄想で穢していた。


「っ!!」

「言いたい者には言わせておきましょう、テレーゼ様」

「でも……」

「彼らがのさばっていられるのも今の内だけです。貴方様の兄をお信じ下さい」

「……」


 テレーゼは辛うじて自制した。

 後で八つ当たりの一つでも飛んでくるかもしれないが、ヴァンは甘んじてそれを受ける覚悟でいる。

 それは自身が元死刑囚でありその罪を償うために、あるいはその罪を許し、助けてくれた主人に恩を返すため……その身は主のために、刃が欠けてなくなるそれまで……


*****


教会内部――――


 教会内は比較的質素であった。

 美麗なステンドグラスは高級といえば高級だが、建物の静謐な雰囲気を乱すものではない。

 だが、忙しく働く修道士の多くが幼い少女だというのはどういう訳か。

 彼女らの動きにぎこちないところはないが、目に光はなく、顔に生気もない……にもかかわらず司祭や助祭に甘えるように縋り付く仕草はいっそ不気味であった。 そう言う〈調教〉を受けているのが良く分かる。

 彼女らは真の意味で神官らの玩具なのだ。


「帰りますわ」

「お気持ちは分かりますが、自制してください。ここに入った段階でお嬢様はバルムンクの顔、もはや自儘は許されません」


 そんな彼女らを見てテレーゼは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 彼女らを助けられない無力感に耐え兼ねているのだ。

 しかしその葛藤に満ちた表情が、他者には憂い顔に見えるのが彼女の特異なところである。

 そんな時ではないにもかかわらずヴァンは一瞬、見惚れた。


「すごいだろう」

「予想を超えています」

「俺もたまに利用させて貰っているんだが、スラムの商売女なんか目じゃないぜ。なにせ要求の厳しい司祭を満足……」

「そんな話は今しなくていいでしょう」


 テレーゼの様子を知ってか知らずか、やたらと絡んでくる兵士。

 ヴァンはテレーゼが激発する前に強引に話を断ち切った。

 しかし兵士はそれでも話を続ける。二人の殺意の混じった視線も意に返さない。


「これを楽しめなくてはこれから先、やっていけないぜ。バルムンクも今後はスヴァルトの傘下に入る。一緒に遊ぶのが忠誠の証明になるんだ。まあ、嫌なのはわかるが、お前らもいつまでも子供じゃないんだし……」

「お気持ちはありがたいのですが、私はともかく、テレーゼ様は女性であられます。少々、遊興の方向性が間違っていらっしゃいませんか?」

「そうか……そうだな。今度は姫を相手する美少年を用意しよう」

「お願いします」


 巧みにヴァンは話題の変更を試みる。

 横目で見たテレーゼは俯き、表情は伺えない。しかし辛いのは間違いない。それはヴァンが望む姿ではない。


「ところで奴隷市の件ですが、大々的に行っても需要があるのですか? かつては兵士として雇われたでしょうが、今はそれもないですし……」


 リューネブルク市の住民の大半はアールヴだ、しかしアールヴには奴隷の風習がない。

 身の回りのことは自分でするし、それを厭うこともない。

 つまりは奴隷の需要がないのだ。

 ならば兵士としてはどうか。

 しかし奴隷とは概して強制されている分、やる気がなく、なにより忠誠心に欠ける。

 基本的に少数であり、団結と精強さで対抗しなければならないスヴァルトにしてみればそんな裏切り者予備軍を自軍に招き入れるわけには行かない。

 身中の虫となってしまう。


「いや、需要はあるぜ。昔は貴族が従卒や兵士目当てで買ったんだが、今は一兵卒が購買者の中心だ。なにせ奴らは元々が奴隷。戦役以降に恩赦で平民に格上げされた者が多いから、奴隷を持ちたがるんだ。まあ、一種の倒錯だな。俺はこれだけ偉くなったんだっていうのも実感したいんだ」

「そんなものですか?」

「男は特にな、自分が最底辺だと思いたくないのさ」


 そう言うとおしゃべりなスヴァルト兵は下品に笑った。

 どこか蛇を思わせる嫌悪感を催す嫌な笑いであった。


「さてと、夕方までここで過ごしてもらうぜ。なあに、あっという間に時間は過ぎる」

「ここで……ピクニックでもしようっていうの?」


 陰鬱な教会を抜け、三人はエルベ河のほとりに出ていた。

 スラムと市街を結ぶその河川は澄んだ青色をしており、そこだけがスヴァルトの圧制を受けてはいない。

 可憐な花が咲き乱れ、毛並みの良い狐が放し飼いにされていた。


「武人であるお前らにちょっとした余興を用意したぜ」


 手を叩く、兵士はまるで子供のような邪気のない笑みを浮かべていた。

 エルベ河のように澄んだそれはしかし、先ほどの嘲笑よりもなお不気味であった。

 得体が知れない、真意が読めない。


「テレーゼ様……」

「……わかっています。囲まれていますわね」


 付近には神官らの姿がちらほら見える。

 その多くが肥満体か、枯れ木……どちらにしろ正常な肉体ではない。

 彼らは口々に二人をののしり、盛んに貨幣を取引していた。


「さあさ、みなさん、お立合い……これから見せますのはファーブニル二人による模擬試合。彼らが生き残ると思う者は青い紙を……無残にくたばると期待する者は赤い紙を選んでください!!」


 兵士の宣言とともに……草原に伏せていた屍の兵士がヴァンとテレーゼに襲い掛かった。

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