第5話 スヴァルト批判は重罪だぜ、バルムンクの方々

スラム街・モルトケ橋近くの大広場――――


 明朝、一時課の鐘(午後六時)が鳴る頃、一般市街を結ぶモルトケ橋にほど近いスラムの大広場でヴァンとテレーゼは落ち合った。

 ここはスラムに食糧や日常雑貨を流通させる商業地区であり、みかじめ料をとったり、構成員が経営している店舗があったりと、バルムンクにとっての大事な収入源である。

 よってバルムンクの監視も厳重であり、ここでの揉め事は官兵よりも先にバルムンクに報告され、彼らの兵が解決に奔走する。

 皮肉なことに盗賊あがりの彼らの方が官兵より紳士的なのだ。

 神官のように商人の上前を跳ねたり、逆に賄賂を受けたりすることが少ない、そのおかげで物の値段が適正なのである。


「う~ん。このごちゃごちゃ感が不快ですわ。やはり私は武人。戦場を駆け抜ける斬り姫なのですわね」

「テレーゼ様……バルムンクの幹部として不適切な発言はお止めください。ここはバルムンクと懇意の店主も多いのです。彼らの気に障るようなことは……」

「説教は聞き飽きましたわ。私は嫌いなものは嫌いと言います!!」

「あ……」


 常の我儘な態度を見せるテレーゼに手を焼くヴァンだったが、周りへの警戒は緩めない。

 フラフラとぶつかった少年がテレーゼの懐からお金の入ったポーチをスるのを見逃さなかった。

 間髪入れずに追跡の態勢を取るが、あろうことかテレーゼに手を掴まれた。これでは取り返しに行けない。


「お嬢様……手を放してください!! 今、あの少年は…」

「盗られた人間が悪いのですわ。ここはスラム、スラムの法に従いましょう」

「しかし……」


 それでは示しがつかない。貧しい者に施しを与えるのは善行だが、その意図が相手に伝わらなければ意味はない。

 あの少年はただ、カモを見つけたとだけ思うだろう。


「ひい、ふう……よし、少し儲けた!!」

「……何をやっていらっしゃるのですか?」


 テレーゼの右手にはいつの間にか薄汚れたポーチが握られていた。しかしそれは彼女の物ではない。

 テレーゼのポーチは赤く染色されているからだ。


「えっ、なにって……財布の交換ですわ」

「……!!」

「実は今月、無駄遣いが多くて残りが少なかったのですわ。だから少し増やしたくて……」


 なんとテレーゼはスられると同時にスり返していたのである。

 ヴァンにはその手際が全く見えなかった、本職のスリを凌駕する恐るべき早業だ。

 しかしそれはバルムンク幹部として、斬り姫の娘として、それ以前に人として問題のある行動である。

 ヴァンはやんわりと罰を与えることにする。


「今度しましたら、報告させていただきます」

「え、ちょっとお母様に……卑怯ですわ!!」


 慌てふためくテレーゼにヴァンはなんの良心の呵責も感じなかった。


「これは正当防衛です。やられたらやり返すのがスラムの法。始祖も許してくれます!!」

「言い訳は聞きたくありません」

「……なによ、貴方だって喪服じゃないの。鉄の首輪までつけて……」


 形勢不利とみたか、まったく関係のないことを突いてくるテレーゼ。

 見苦しいことこのうえないが、あくまでヴァンは真面目に応対した。

 これがリヒテルならテレーゼがそれこそ泣くまでからかうことだろう。


「私は咎人である死術士。服装でそれを示すのは教会法で定められた規則です」

「規則って何よ……馬鹿じゃないの!! その服を着るだけでどんな目で見られているか知っていますの?」

「知っています。ですが規則ですので……」

「頑固者……みんなは貴方を裏切り者と呼んでいますわ。死術はスヴァルトの術だって……悔しくありませんの!!」


 テレーゼの知識は間違いである。死術はスヴァルトの中でも邪法扱いだ。

 ただし人口で劣るスヴァルトは戦争に転用できるのならばそういった禁忌には比較的寛容であり、公式には認めなくても、死術の研究や実践への投入は行われておいる。

 十年前の反乱でもかの術は影で猛威を振るった。

 ヴァンが死術を学んでいるのはそれへの対抗策という面もある。

 何も、〈嫌われる〉ためだけに死術士になった訳ではない……それは一片の真実であった。


*****


スラム街・商業地区・商会前――――


「スヴァルト批判は重罪だぜ。バルムンクの方々」


 そうこうするうちに奴隷市を管理する商会の建物にたどり着いた。

 商会主はバルムンクと懇意であり、持ちつ持たれつの関係を築いている。

 テレーゼは知らないが、先の貴族暗殺には彼の協力があったのだ。


「耳がいいのね、尖っているからかしら?」

「お嬢様……」


 突如現れたスヴァルト兵に警戒心を刺激されたのか、あからさまに敵意を見せるテレーゼをヴァンは窘めた。

 しかし相対するスヴァルトは気にしなかったようだ、人好きのいい笑みを浮かべて話を続ける。


「話はリヒテル殿から聞いているよ。昨日の今日で予約を取るのは大変だったけど、なんとかミハエル伯とお目通りは叶う」

「私が会いたいのは商会の主人ですわ。確かに主催者でしょうけど、実務を行うのは別のはずでしょう」

「残念だがこの商会は無人だ、彼は運が悪かった。大きな口では言えないが、数日前に大貴族の一人に不幸があってな。彼は懇意であった理由で殉死させられたんだ」

「なんですって……」


 何も知らないテレーゼはその理不尽に怒りを見せたが、商会の主と共謀したヴァンはわずかに動揺する。

 拷問などでバルムンクとの関係を吐いたりはしていないだろうか。


「まあ、そんな訳で実務は司教猊下であられるミハエル伯が行う。ちょいと没落気味だが、ウラジミール公に連なる名家の当主だ。光栄に思えよ」

「殉死の命令を下したのはそのミギャエル伯?」

「ミハエル伯だ……不満か?」

「我々はスヴァルトの支配する世界の住民です。郷に入れば郷に従います」


 スヴァルト兵の不穏な態度に危険を感じ、ヴァンが取り繕う。

 このグラオヴァルト法国は十年前の敗戦以降、黒きスヴァルトの物だ。

 彼らは特権階級として君臨し、アールヴの神官らはそれに追従しかしない。

 それを覆すためにバルムンクは蜂起するのだが、それまでは研いだ爪を隠しておきたいのである。


「いい答えだ。そちらのお嬢さんと違ってお前は幸せになるだろう。なんなら良縁を紹介してやろうか? 今はアールヴ武官の息女が大安売りだぞ」

「お言葉だけ頂戴いたします。死術士と結婚などしたら不幸になるだけです」


 礼儀は忘れなかったが、今度はそっけなくヴァンは答える。

 明確な拒絶を感じてか兵士は引き下がる。

 ただ、つまらない男だな、と余計な一言を付け加えた。


「まあ、そんなわけでご案内するよ。残念ながら伯爵との面会は夕方だ。それまで神官らとご歓談してくれ……」


 手を振りつつ、陽気な兵士は歩き始める。

 その後ろ姿は隙だらけだ、襲われれば対応はできまい。

 休戦状態とはいえ仇敵に近いバルムンクのファーヴニル二人に対していささか無防備ともいえる。


「貴方……兵士じゃないわね」

「それは俺がいい男だからか?」

「おしゃべりだからよ」


 未だ怒り心頭の主人に対して、ヴァンは暗澹たる気持ちで後ろからついていった。

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