第2話訓練室

 【訓練室トレーニングルーム】――皆はそう呼んでいたが、実際には部屋と呼ぶにはあまりに大きすぎる施設の一画で二人は近接戦闘のスパーリングをこなしていた。

 獲物はナイフ。舞台は一辺5メートル四方で白ラインを引いた戦闘区域コンバットエリア

 大小複数の箱をランダムに設置しているのは、米軍の基本戦闘訓練教官であるデニスの提案によるものだ。

 彼曰く、「“実戦”は時と場所を選ばない」とのこと。確かに開始線から始まるのはスポーツか決闘くらいだろう。

 だが種々の設定を実践に近づけるほど深刻なケガ等を負い易く、リスクの高い選択と言えるのだが、不思議と誰からも文句は出なかった。マリでさえ顔を蒼褪めさせたまま無言で頷いただけだ。


 それほどに必死だった。


 むしろ追い詰められていたというべきか。理由も分からず2年も地下に閉じ込められれば、誰でもそうなる。


「右足は捻挫してるんじゃなかったのか?」


 己のナイフさばきを辛うじてでも避けている日本人にデニスが仏頂面で言葉をかける。


「もちろん――痛い――よ?」

「それにしては、バランスが――よすぎる、ぜっ」


 わざと真人の重心が右足にかかるように攻めてくるデニスに真人は苦笑を浮かべる。

 現役から退いてるとはいえ、さすがに米陸軍の教官を務めていただけあって誤魔化しはきかないらしい。いや、デニスだけでなく本当は出立した彼らにも分かっていたのかもしれない。


「本当に捻挫はしたんだよ。実際まだ不安もあるし」

「ただ――か」

「チッ」


 デニスの脇腹手前でナイフを寸止めした姿勢のままで数秒、ガラになく舌打ちをした真人が力を抜く。

 トレーニングを始めて半年以上――初めて急所を捉えたと思ったのに、デニスの言葉の刃もまた真人の触れられたくない部分へ見事に突き付けられていた。

 わざと急所を晒したというよりは訓練自体が囮――はじめからデニスが違う次元で戦っていたことに気づき、踊らされた気分で真人はすっかり不機嫌になる。


「欲張りすぎだ」


 真人の心情を見透かしたらしいデニスが、労うように真人の肩を叩く。


「今まで俺から一本取った新兵なんていなかったんだぞ」


 数か月前まではズブの素人だった日本人が“その道のプロ”を相手にここまで戦えるなど前代未聞だ。しかも真人は40歳を超える事務作業しか経験のない元ニートで、一体どうすればこれほど劇的に人が変われるのか。デニスの感嘆を含んだ眼差しがすべてを物語っている。


「お前なら“お荷物”なんかにゃならねぇよ」

「40歳のおっさんだし」

「俺は60だ」


 自慢の胸筋で盛り上がったシャツを叩くデニスに真人はまた苦笑する。軍人じゃなくプロレスラーだったと言われた方が納得するガタイで、しかも少年らを含めて一緒に同じメニューをこなしながら指導までこなす。

 羽生が――営業マンだと言ってた男が「変態鬼軍曹」と小声で吐き捨てたのを聞き取って、なぜか怒ることなく懐かしそうに口元を緩ませていたのを思い出す。いや“変態”だけは鉄拳でもって修正していたか。


「ガイジンのDNAて何かチートだよな」

「はぁ? DNAに刻み込むくらいトレーニングして肉を食ってりゃ何とかなるだろ」

「いやならねーよ」


 上腕二頭筋でつくったデニスの力こぶを見ながら真人がツッコむ。もはや人間でなくゴリラか何かの腕だ。あれをダンベルとステーキだけで生み出せるとは到底思えず、絶対に違法ドーピングをしてると確信する。

 それにあんなに筋肉を絞ったら浮き上がった血管が破裂しないんだろうかと益体もないことを考え、すぐに首を振って話題を戻す。


「別に俺がいなくたって郁斗イクト達ならやり遂げるさ」

「教えたろ――“数は力”だ」

「“質の差”も教わったよ」


 そう返す真人に「その差がないのは、たった今証明したろう」とデニスがナイフを軽く振ってみせる。


「確かに半年前のお前たちを数集めたところで、戦力にはならなかったろう。だが、半年とはいえ軍隊の教練をきっちりやり遂げ、近代兵装まで揃えたんだ――お前らはもう“兵士”であり、今なら数の優位性が確実に望める」

「それでも――」

「『外』に出られる保証はない」


 一切の希望的観測を許さぬ声。たった今ままで肯定していたのは、“郁斗たちが戦力たり得ること”と、“真人もその一人である”ということだけで、その戦力が“『外』にたどり着ける戦力”だとは言っていない。

 むしろ不足と考えているからこそ真人を支援に行かせようと――戦力増強を促しているのではないのか。察して憮然となる真人にデニスは言葉を続ける。


「前にも言ったはずだ。これだけの日数が経っているのにいまだ『外』からのアプローチがないのは、いくら何でもおかし過ぎると。

 確かにここは地階だから、土砂崩落や俺の知らない危険物質が漏出して外界と遮断されているなんてパニック映画みたいな状況も万一あるのかもしれん。 だが2年以上も――俺たちの遺体捜索さえしないなんてことがあると思うか? 地階といっても所詮は深度十メートルもないというのに? 何かが起きてるんだろうよ。俺たちには理解できないとんでもない何かが。つまり“アレ”を突破しても――」


 堰を切ったように吐き出し続けるデニスの言葉が途中で途切れる。

 短い沈黙。


「……それでも、郁斗達なら……」

「何かを掴んだとしても戻れるかは分からんがな」


 鉛を含んだようにデニスの言葉が重い。

 この【憩いレスト】を離れたのは少年郁斗らが初めてではない。以前はそれなりの人数がいて、閉塞感を打破すべくあるいは耐えきれずに少しづつここから出て行き――そして二度と戻ってこなかった。

 出て行った連中がどうなったのか、なぜ戻ることさえないのか。唯一の出口たる二重扉は片方が開くともう片方が閉じる仕組みとなっているため、【憩いレスト】の外がどうなっているかは誰にも分からない。

 以前、尻込みする皆を嘲笑い、外の様子を少し見るだけとヤンキーが一人扉の向こうに消え、やはり二度と戻ってくることはなかった。

 戻る術がない――向こう側から開けることができない一方通行の扉なら郁斗達の意志は関係ない――あれから定説となっている無慈悲な見解をデニスが指していることは真人にも伝わっている。

 それでも自信をもって真人は否定する。


「もちろん戻る必要はない。戻るときは救援を呼んでくるときだけで、その時は扉を吹き飛ばすなり何なりすればいい。そのための訓練だろ? アイツらは黙ってあんたのシゴキに耐え、装備の活かし方を身に着けた。今までとは違う」

「“黙って”たのは郁斗だけだろ。そしてマリと一緒に泣いてたのはお前だ」

「な――」


 デニスの思わぬぶっちゃけに真人が顔色を変えるが、もう誰が聞くこともない。それでも真人はデニスを睨む。

 そもそも変態的な体力を持つデニスでもなければ、四十を過ぎたメタボなおっさんが、いきなり軍隊式トレーニングについていけると考える方がおかしいくらいだ。なのに皆同じ分量のメニューを課せられ、おかげでいつも真人は十六歳の少女マリと共に数時間遅れで目標達成する惨めで苦しい毎日を送り続けた。

 筋肉が痙攣し疲労でまともに会話を交わすこともなかったが、何となく彼女との間に奇妙な連帯感のようなものが芽生えた気がしている。

 無論、おっさんの単なる妄想に過ぎないのだろうが。とはいえ実際、最初の一か月はほとんど筋肉痛に苛まれている辛い記憶しかなかった。


「正直一週間で投げ出すと思ってたからな。マサトがこんなに根性あるとは思わなかった」

「まあ、女の子より先に根を挙げる度胸がなかったのは確かだ」

「四十のくせにボーイだな」

「いやそんな思春期な理由じゃなく……」


 顔をしかめた真人はそこでデニスの口元に浮かぶ笑みをみて言葉を切った。どうやらうまくノせられたようだ。筋肉バカのくせにこのオヤジはヘンに気を利かせるところがある。


「で、治ったあとはどーするんだ?」


 ふいに真顔になったデニスからむっつりと口をつぐんだまま視線を逸らす。


「治す気はあるんだよな?」

「――ああ。」


 ぶっきら棒に応じて立ち去る真人をデニスは黙って見送った。言いたいことは伝わっているはずだが、どうもその気になれないらしい。


「とはいえ、そんなに先の話じゃないだろうな」


 先ほど自分の脇腹に突き付けられたナイフの動きを思い出し、デニスは嬉しげに顎をしごく。

 最近の真人の動きには中年とは思えない二十代の若者のような躍動感さえ感じられるようになってきた。

 特に郁斗が『外』に出ることを宣言してからだ。

 日本人らしい“ケンキョ”な言葉や態度とは裏腹に、トレーニング時にその本心が表れている。

 真人は自分より年端もいかない郁斗に畏敬の念さえ持っているようだが、逆に年長者である真人が為した努力とそれに比して身に着けた実力もまた、皆から認められるほどのものだということを本人は気づいていない。

 どこの世界でもよくある話だが、彼にとって一番必要なのは“自信”だった。それがナイフを振るう力強さにデニスは感じ取っていた。

 本人も自身の変化に気づき始めているからこそ、郁斗が去ってもすぐにトレーニングへ気持ちが向くのだろう。

 残念ながら郁斗たちとは“気持ちの準備”ができる時期が少しだけズレただけだ。

 もう少しすれば真人の準備も整う。だが戦場を知るデニスにとって、このズレがどれほど大きいかは承知しており、あの扉の先に何があろうとも、もはや郁斗達と真人が隣り合うことはないと感じていた。


「‥‥まあ、俺は支えてやるだけさ」


 ただの素人を『兵士』にして戦場に送り出す。こんな境遇に陥っても自分のやることに変わりがない――むしろ必要とされることにデニスは『運命』というか深淵なる力の動きを感じずにはいられない。

 そもそもが新設中だった米軍の軍事教練基地にいる自分と地元で日常を送っていたという彼ら日本人が約一万キロメートルの距離を飛び越えてこうして一堂に会しているという異常事態さえ発生しているのだから。

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A4~絶望からの帰還~ @sigre30

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